第18話 新しい風
騎士になって、二週間が過ぎた。
日常は、少しずつ変わっていた。一番大きな変化は、客の数だ。王都での試験の噂が、少しずつ広がっているらしい。以前は暇だった時間帯にも、ぽつりぽつりと見知らぬ顔が訪れる。
「ここが、魔王のパン屋か」
「そうだけど…何か用?」
「パンを食べに来た。騎士の試験を受けた魔王がいると聞いてな」
見知らぬ冒険者が、無造作に銀貨を出す。ヴァルスは袋にパンを詰めながら、リラと目を合わせた。彼女は肩をすくめる。
「評判、広がってるみたいだな」
「いい迷惑だ」
「迷惑とは何だ、迷惑とは」
リラは笑う。悪い気はしなかった。
ガルドも、週に二度は顔を出すようになった。騎士の仕事の合間に、パンを買いに来る。そして、決まって文句を言う。
「もう少し、肉入りのパンはないのか?」
「自分で焼け」
「焼けるか」
彼は不機嫌そうにパンをかじるが、毎回ちゃんと買っていく。ヴァルスは、新しいレシピを考え始めていた。肉入りのパン。魚じゃなくて、焼いた肉を挟む。野菜も少し。ソースは…何が合うだろうか。
「試作品、明日までに何とかする」
「待ってる」
ガルドは手を振って出ていった。
その日、珍しい客が来た。
痩せた老人。旅装束。肩には大きなリュック。目つきは鋭く、立ち姿にはどこか武人の面影がある。
「こちらが、例のパン屋か」
「そうですけど…」
「パンをくれ。何でもいい」
ヴァルスは、焼きたての白パンを差し出す。老人はそれを手に取り、じっくりと観察する。香りを嗅ぎ、そっと指で押し、そしてかじった。
「…なるほど」
何がなるほどなのか、わからない。老人は無言で食べ終え、銀貨を置いた。
「毎日、ここに来る」
「はい?」
「しばらく、この辺りに滞在する。その間、毎日パンを買いに来る」
老人はそれだけ言って、店を出ていった。リラが口を開ける。
「誰だ、あの爺さん?」
「知らない」
「物騒な感じがするな」
ヴァルスも、同じことを思った。でも、客は客だ。
翌日。老人は約束通りやって来た。
「今日は何のパンがある?」
「甘いパンと、惣菜パンと…あと、新しいのを試作中です」
「新しいのをくれ」
ヴァルスは、昨日考えていた肉入りのパンを出す。焼いた肉、野菜、シンプルな塩こしょう。まだ試作段階だ。
老人はかじり、黙って食べ続けた。
「…悪くない。もうちょっと、肉に癖があったほうがいい」
「癖?」
「例えば、ハーブを漬け込むとか。長時間焼くとか」
「料理がお詳しいんですか?」
「昔な」
老人はそれ以上話さず、銀貨を置いて去っていった。
三日目。四日目。老人は毎日来た。毎回、違うパンを試し、短い感想を残す。
「この甘いパン、もう少し蜂蜜を減らしたほうがいい」
「この魚のパン、もう少し塩を強く」
「この新しい肉パン、悪くない。もう一つくれ」
ヴァルスは、言われるままにレシピを調整した。老人の指摘は、なぜかいつも的を射ていた。
「なあ、あの爺さん、何者なんだろうな」
リラがこっそりと尋ねる。
「わからない。でも、パンに詳しい」
「パンだけじゃない気がするけどな」
一週間後、老人は最後のパンを買い、いつものように銀貨を置いた。
「明日から、もう来ない」
「そうですか」
「長居は無用だ。用は済んだ」
老人は立ち上がり、ヴァルスをまっすぐに見つめた。
「お前のパンは、本物だ。技術だけじゃない。何かを伝えようとしている」
「…ありがとうございます」
「礼を言うな。俺はただ、美味いパンを食べただけだ」
老人は背を向け、店を出ていった。その後ろ姿は、来たときと同じように、鋭く、そして少しだけ寂しげだった。
「何だったんだ、今の」
リラの問いに、ヴァルスは答えられなかった。
その夜、店を閉めた後、ヴァルスは新しいレシピを考えていた。老人の言葉が、頭の隅に残っている。
「お前のパンは、何かを伝えようとしている」
何かを伝える。それがどういうことかは、まだわからない。でも、悪い気はしなかった。
<システム通知>
新規実績解除:謎の客人
正体不明の老人から、連日パンの評価を受けました。
報酬:+50 EXP、称号「評判の店」
解説:「誰に評価されるか。それは時に、何を評価されるかよりも重要だ。」




