第16話 帰路
朝。いつもより早く目が覚めた。
今日は帰る日だ。王都での用事は全て終わった。試験も、面接も、結果も。ヴァルスは静かに身支度を整え、窓を開けた。外の空気は冷たくて、少しだけ胸を刺す。
「起きてたか」
リラの声。彼女はもう準備を終えていた。
「いつでも行けるぞ」
「ああ」
宿を出るとき、主人が声をかけた。「またいつでも来い。お前のパン、うちの客にも評判だったぞ」ヴァルスは少し驚いて、持参したパンを一つ置いた。
街を歩きながら、ヴァルスはあちこちを見回した。来たときは緊張で何も見えなかったが、今は違う。石畳の道、古い建物、行き交う人々。初めて来たときは、すべてが怖かった。
「もう慣れたか?」
「少し」
リラが笑う。二人は北門に向かって歩き出した。
門を出ると、視界が開けた。正面には、王都から伸びる街道。来たときと同じ道。でも、何かが違う。
「何か、気になることでもあるのか?」
「いいえ…ただ」
ヴァルスは振り返った。高い壁、大きな門。あの中に、騎士団本部がある。
「また来るかもしれない」
「来ればいい。別に誰も止めないだろ」
リラは馬に乗り、先に立って歩き出す。ヴァルスも続いた。
道は、来たときよりもずっと静かに感じられた。行き交う人は少なく、時折すれ違う荷馬車がのんびりと進んでいく。
「なあ、リラ」
「ん?」
「試験、受かってたな」
「ああ」
彼はもう一度、胸の内ポケットを触った。そこには、騎士団からもらった小さな徽章がある。試験の結果は「合格」。正式な騎士ではない。見習い、仮免許のようなもの。それでも、立派な紋章だった。
「すごいと思わないか? 魔王が騎士だぞ」
「思うよ。馬鹿げてる」
リラは笑った。ヴァルスも笑った。
昼すぎ、道の脇で休憩を取った。小さな茶屋があって、老夫婦が営んでいる。
「いらっしゃい。何にします?」
「パンを…持ってるから、水をください」
ヴァルスは持参したパンを机の上に置いた。見覚えのある形に、老婆が目を細めた。
「あら、これは…どこかで見たような」
「私の店のパンです。地下の…いや、ちょっと変わった場所で焼いてます」
「そうかねぇ。まあ、いいや。うちもパンくらいはあるが、食べ比べてみるか?」
老婆は笑いながら、自分の焼いたパンを机の上に出した。素朴な、田舎風のパンだ。ヴァルスは一つかじってみた。固い。塩気が強い。でも、どこか懐かしい味がした。
「美味いです」
「ほんとかい? 褒めてくれるのはありがてえが、お前さんのパンには敵わんだろうな」
老婆は笑い、ヴァルスのパンを一つ取ってかじった。目を丸くする。
「こりゃ…美味い。どこで売ってるんだい?」
「…王都から、少し離れた場所に」
「そりゃあ遠い。もったいないねぇ」
彼女はそう言って、二つ目のパンをかじった。
夕方、見覚えのある景色が見えてきた。街道の分岐点。左は王都への大路。右は、来た道。
「もうすぐだな」
「ああ」
二人は馬を早めた。日が沈む前に、あの村に着きたい。試験の前、最初の夜を過ごした小さな宿がある。
宿に着くと、主人は驚いた顔をした。
「おや、もう帰ってきたのか?」
「はい。試験は…まあ、なんとか」
「それはよかった。部屋は…二つ空いてる。同じところでいいか?」
「はい。お願いします」
夜。夕食を食べながら、リラが言った。
「明日には、着くぞ」
「ああ」
「何か、緊張するか?」
「…少し」
ヴァルスは、窓の外を見た。暗い空に、星が瞬いている。
「帰る場所があるって、いいことだ」
リラは何も言わず、ただうなずいた。
朝。早く起きて、パンを焼いた。宿の主人に頼んで、薪を借りる。小さな石窯は、ダンジョンのオーブンよりずっと扱いやすかった。焼き上がったパンを、机の上に並べる。
「まあ、ごちそうさま」
主人が目を輝かせる。リラも、久しぶりの焼きたてに満足そうだ。
「早く帰らないと、ブロガーが泣くぞ」
「泣かないよ」
「泣くさ。パンを待ってるからな」
笑いながら、馬に乗る。今日こそ、帰る。あのダンジョンへ。自分の店へ。
午後。見慣れた景色。
森の中の細い道。岩場。そして、あの入り口。
「着いたぞ」
リラが馬から降りる。ヴァルスも続く。
中は、思ったより明るかった。壁際のランプが、誰かによって灯されたらしい。
「おかえり!」
ブロガーの声。彼は新しく作った棚を運び入れているところだった。
「遅かったじゃねえか。パンは? 焼いてきたんだろうな?」
「焼いてない…今から焼く」
「早くしろ!」
ヴァルスは笑いながら、エプロンを身につけた。粉を量り、水を注ぎ、イースト菌を呼ぶ。懐かしい感触。体が覚えている。
「ただいま」
誰もいない店内に向かって、そう言った。
<システム通知>
新規実績解除:帰還
王都での騎士叙勲試験を終え、無事帰還しました。
報酬:+100 EXP、称号「帰ってきた魔王」
解説:「旅は終わった。だが、冒険はこれからだ。」




