第2話:神との邂逅
ヒルデガルトもマリオンの部屋にやってきて、その右目を確認していた。
その口から、深いため息を吐いた。
「間違いなく、精霊眼ね」
マリオンの顔にはまだ、不安はない。
「お母様と、同じ目になってしまったのでしょうか?」
「そういうことになるわね」
マリオンの母親、ヒルデガルトの左目も、色こそ違うが精霊眼だ。その存在自体には慣れているのだ。
ヒルデガルトがマリオンを見守る表情は弱々しい笑みだった。
マリオンがこれから背負うであろう苦労を、ヒルデガルトは知っているのだから。
ヒルデガルトは立ち上がり、「とにかく、まだもう少し寝て居なさい」と部屋を出て行った。
部屋に残されたマリオンは、改めて手鏡を覗き込んでいた。
――自慢の外見に、異物が混じった感覚。彼女はそう感じていた。母親で見慣れているマリオンですら、その異物感は拭い去れなかった。
精霊眼は目を引く。そしてとても異質だ。感情も読みづらい瞳を、マリオンは直ぐに受け入れることが難しいようだった。
(三等級の魔力に加えて外見すらハンデ付き……まともな嫁の貰い手見つかるかしら)
マリオンは肩を落として途方に暮れていた。
ヒルデガルトとノルベルトは恋愛結婚だ。学生時代のヒルデガルトはよくモテていた。全く見つからない、ということはないだろう。
だがそれはヒルデガルトの人間性という前提があってこそだった。
マリオンにも同じように見つかるか、となるとまだわからない。
この精霊眼が外見のハンディキャップであるのは、間違いないのだ。
マリオンは手鏡をベッドに放り出し、どさりと後ろに倒れ込んだ。
(こういう時は……やっぱり寝逃げよね)
マリオンは早々に意識を手放した。
****
次にマリオンが目覚めると、部屋に昼の陽射しが差し込んでいた。
時計は二時前を指している。かなりぐっすりと寝入っていた。
マリオンはベッドサイドのハンドベルを鳴らし、サブリナを呼ぶ。
「お呼びでしょうかお嬢様」
「下に降りるわ。着替えたいの。手伝って頂戴」
マリオンは着替えさせてもらいつつ、サブリナに尋ねる。
「お母様は書斎にいらっしゃる?」
「はい、そのはずでございます」
着替え終わったマリオンは、サブリナを従えてヒルデガルトの書斎に向かった。
ノックをすると、中から返事があったのでドアを開け、歩を進める。
「お母様、お聞きしたいことがあります」
明るい笑顔でヒルデガルトが応える。
「丁度いい所に来たわ。伝えておきたいことがあるの」
ソファに座るよう指示されたマリオンが、ヒルデガルトと向かい合っていた。
「ウルリケ、人払いを」
「わかりました奥様」
ヒルデガルト付きの侍女ウルリケが、侍従やサブリナと共に部屋を出ていく。
マリオンが小首を傾げる中、室内にはマリオンとヒルデガルトだけになった。
マリオンが先に尋ねた。
「伝えたいこととはなんでしょうか?」
ヒルデガルトはにっこりと微笑みながら口を開いた。
「あなたには、神様に会ってもらいます」
(……はい?)
一瞬動きが止まったマリオンが、おずおずと言葉を返した。
「あの、お母様? もう一度お願いします。少し耳がおかしいみたいで」
ヒルデガルトは、ゆっくりと、噛み砕くように言い直した。
「あなたには、豊穣の神に会ってもらう、と言ったのよ」
(お母様、いつのまに怪しい宗教に手を染めてしまったのかしら……)
マリオンは少しの間、呆然としていたが、すぐにヒルデガルトを説得しようと試みた。
「お母様? お気を確かにお持ちください。そのような神の名前は聞いたことがありませんし、神に会うなどという荒唐無稽なことを言い出すなど、どうかしておられます」
ヒルデガルトの笑みが苦笑いに代わった。
「会えば解るわ」
そう言って、懐から一枚の葉を取り出し、机の上に置いた。
「これはあなたの為の導よ。大切に持っていて」
マリオンは机の上から葉を拾い上げ、じっと眺めた――トネリコの葉だ。
ヒルデガルトは更に「それを半分に割いて、机の上に置いておいて」と言った。
マリオンは戸惑いながらも、言われた通り、半分に割いて片方を机の上に置いた。
もう片方はマリオンの右手の中に残っている。
マリオンがヒルデガルトに尋ねる。
「これでいいですか?」
ヒルデガルトは笑顔で頷いた。
「ええいいわ。最後に私の手を握って目を瞑って頂戴」
(なんの儀式なんだろう)
――いよいよ怪しい宗教の匂いが立ち込めて来た気がする。マリオンの警戒心が上がった。
だが母親の命令だ。貴族令嬢がそれに背くのは難しいといえる。
マリオンは言われた通り左手でヒルデガルトの手を握り、目を瞑った。
その瞬間、二人の姿は真っ暗な空間の中に在った。
ソファに座ったままの姿勢だった二人は、盛大に地面に尻を打ち付けていた。
「痛っ! え? ここどこ?!」
周囲は真っ暗闇、遠くから、ちゃぷちゃぷという水音が聞こえる。
こんな場所に、マリオンは来たことがなかった。
ヒルデガルトは恥ずかしそうに「椅子に座って移動するとこうなるのね。初めて知ったわ」と口にしていた。
「はははは! ヒルデガルトはドジだな! 次からはきちんと立って移動してくるといい」
軽やかな男性の笑い声が横から響いた。
長い金髪を纏った長身の男性が、彼女たちに歩み寄ってくるところだった。
その男性の手を借りて立ち上がったヒルデガルトは「そうするわ」とバツが悪そうに口にした。
マリオンもその男性に立たせてもらい、礼を言った。
「ありがとうございます」
「いや、大したことないよマリオン」
(あれ? 名乗ってないよね?)
マリオンはヒルデガルトに振り向き、尋ねた。
「お母様のお知り合いですか?」
ヒルデガルトは微笑んで応えた。
「ええそうよ。彼が豊穣の神。つまり、神様よ」
****
訝しむマリオンを連れて、ヒルデガルトは豊穣の神と共に目の前の館へ向かった。
中に入ると応接室に通され、指示されるがままにマリオンはソファに腰かけた。
向かいの席に座った豊穣の神を、彼女はまじまじと観察している。
(この人が神様、ねぇ……)
人間離れした美貌は男性的だが美しさの塊だ。何処を取っても美しい。
だが服装はとてもラフで、まるで平民の着るものだ。
でも髪の毛は透き通った柔らかい黄金のようだった。
先ほど聞いた軽妙な笑い声も、惚れ惚れする美声だった。
その存在が眩すぎて、まるで男性が発光しているかのような錯覚さえ覚えた。
(……”まるで”? いや、この人、実際にうっすら光ってないか?)
マリオンが見つめれば見つめるほど、体全体が光っているように感じた。
次第に、豊穣の神の持つ魔力の波動を感じ始めた。それは真夏の太陽のように熱く燃え盛る力強い波動。
その身体の輝きと感じる魔力が、どんどん強まっていく。
――遂には、右目を開けていられないほど眩く輝く光の塊に見えていた。まさに、太陽を見たかのように。
その魔力はとても重厚で濃密だ。押し潰されるのではないか、と思う程の圧力を彼女は感じている。
(”右目”を開けていられない? 左目は眩しくないぞ?)
混乱しているマリオンに、先ほどから沈黙を貫いていた豊穣の神が声をかけた。
「眩しいものを見る時のように、目の感度を下げるんだ。ゆっくり、慣らしながら目を開けてごらん」
マリオンは言われた通り、ゆっくりと右目を開けていく。
とても眩しそうだが、なんとか右目を半分以上開くことは出来ていた。
豊穣の神が再び声をかけた。
「上出来だ。そう、その調子で良い。慣れて来れば、それが瞬時にできるようになってくる。ヒルデガルトのようにね」
マリオンがヒルデガルトの顔を見た――マリオンと同じように、左目を眩しいものを見たときのようにやや細めている。
「お母様、この神様とかいう人、とても眩しいんですけど。神様なら眩しくないようにお願いしてください」
それを聞いていた豊穣の神は軽やかな笑い声をあげた。
「はははは! すまない! これでも精一杯力を抑えているんだ。これ以上は私にも抑えられない」
「……もし、全く力を抑えなかったらどうなるんですか?」
「そうだね、目の前にいる君たちは、とっくに蒸発して消えてしまっていただろうね」
(なにそれこわい)
しかし、ヒルデガルトと豊穣の神は先ほどから会話をする様子がない。
マリオンは困惑していた。
私は何のためにここに連れてこられ、今ここに座らされているのだろうか。
「ああ、私が君を観察しているだけだ。その精霊眼を見極めたくてね」
見極める、と豊穣の神が言った。ではさっきから見られていたのか。
神様を名乗るなら見た瞬間全てが解る、とかできても良さそうなのだけれど。
「はははは! 神は万能ではないからね。できることと、できないことがある。できることは人間より遥かに多いが、できないことはできない。そこは人間と同じだ」
できないこともある、と断言した。神様でもできないこととは、いったいどんなことなんだろうか。
「私は豊穣の神。人間に豊穣を与える存在だ。だから例えば――治癒の奇跡。これは治癒の神だけに与えられた特権で、他の神には許されていない。だから、私は人間の傷を癒したくても、直接癒すことは出来ないんだ」
治癒の神――また知らない神様の名前が出て来た。もしかしてもっとたくさん神様が居るのだろうか。
「ああ、かつてはとても多くの神が居た。だが今は殆ど居ない。治癒の神も、もう滅んだ。創世の神は、ここではない世界に行ってしまった。残っているのは、一握りの神だけだ」
創世の神――確か、教会が崇めている神様の名前だ。そうか、その神様はもういないのか。居なくなった神様への祈りは届くのだろうか。
「人間の祈りを、神が受け取ることは出来るはずだ。だが上の世界に行った創世の神の力が、人の世界に影響を及ぼせるかは、今の私にはわからない事だ。ただし、今も奴は死後の魂を判定する役割を担ったままだ。死んだ人間の魂は奴のところに送られ、判定してまた人の世界に返される。そして新しい人間に生まれ変わり、次の人生を送るんだ」
死んだ人間の魂が創世の神の元へ送られる。それは教会の教義だったはずだ。では教義は真実だったという事か。
……そろそろ待ちくたびれたのだけれど、精霊眼の見極めとやらはまだ終わらないんだろうか。
「ああ、見極めは終わっている。だが君を見ていると面白いのでね。少し観察させてもらってただけだ」
私は十二歳とはいえ淑女だ。淑女を観察とは、随分と良い趣味をした神様だ。かなり失礼なのではないだろうか。
「はははは! すまないレディ。せめてその紅茶を飲んで気分を落ち着けて欲しい」
そんなものを出された覚えはない――はずなのだが、目の前には湯気の立った琥珀色の液体を注がれた、高級そうなカップが置いてあった。
いつのまに置かれていたのだろうか。使用人の姿は見えないのだが。
「私が”そこに在れ”と願えば、それは”そこに在る”。それだけのことだ。神だからね。簡単なことだ。それと使用人はこの館には居ないよ。必要がないからね。君が欲しければ生み出してもいいが、別に今は必要ないだろう」
さっきは「できないこともある」と言いながら、荒唐無稽な事をやってのけたと断言した。それ以上の事もできると言い放った。言ってることが本当なら、確かに神の所業だ。
ヒルデガルトが堪りかねて声を上げた。
「ちょっと豊穣の神! 三人以上居るときに心を読んで会話しないで頂戴! 話が見えないから私が会話に参加できないわよ!」
マリオンはそれでやっと気が付いた。
「あ、私、今まで全く喋ってませんでしたわね……」
豊穣の神は楽しそうにまた笑いだした。
「はははは! すまない、マリオンが賢いものだから、つい質問に答えてしまってね。以後気を付けよう」
賢いと褒められて照れ臭かったのか、マリオンは頬を染めて紅茶を口に含んだ。
(うん、邸の紅茶より良い茶葉を使っている。いい味をしているわね)
「そうか、口に合ってよかった」
豊穣の神は柔らかい笑みで喜んだ。
ヒルデガルトはイライラしながら豊穣の神に声をかけた。
「また心を読んでるわよ?! あなたの悪い癖ね――それで? 見極めた結果はいつ教えてもらえるのかしら?」
「ああ、これは間違いなく、かつて私が君に送った精霊眼の片割れだ。私の寵愛が含まれている。だが、愛の神の寵愛に目を横取りされているな。あいつめ、随分と勝手なことをしてくれる――マリオンに精霊眼が発現したのは、愛の神のせいかもしれない。あいつが何を考えてるのかは、私にもわからない」
豊穣の神は肩をすくめて困った顔をした。
ヒルデガルトは眉をしかめて尋ねる。
「愛の神? それは何者なの?」
「その名の通り、愛を司る神だ。愛と言っても、恋慕の類の愛だ。女性が相手を愛する心を司る。君たち人間の言葉で言えば、私の妹のようなものだ。なので、持っている力は私と大差がない。私と違って戦いの神の側面を持たないが、代わりに大きな力を与えられている。それがどういった権能なのかを口にするのは、マナー違反なので勘弁してほしい」
「……愛の神には会えないの?」
「では呼び出そう。おそらく来てくれるだろう」
豊穣の神が言い終わった瞬間、応接室のドアが開け放たれ、美しい女性が入ってきた。
長い金髪と人間離れした美貌。豊穣の神と兄妹のようによく似ていた。つまりこれが、愛の神だ。
その服装は、質素なシルクを纏って肩で留めてあるだけだ。美しいが、貴族子女の教育を受けたマリオンから見ると、はしたない恰好に見えたのだろう。眉をしかめている。
愛の神は豊穣の神の横に腰を下ろした。
やや不機嫌そうに尋ねる。
「急に呼び出して、何の用?」
ヒルデガルトが愛の神に対して話しかける。
「あなたが愛の神?」
愛の神が微笑を浮かべて応えた。
「ええ、そうよ?」
「あなたがマリーに精霊眼を与えたの?」
「そういうことになるわね」
「それは何故?!」
「マリオンが望んだから、と言って通じるかしら?」
(私が望んだ?)
愛の神はマリオンに向き直り、頷いた。
「ええそうよ。あなた、強い魔力を求めていたでしょう? だから精霊眼に力を込めてあなたに与えたの。今のあなたの魔力は、とても強いものになっているわ。あなたが望んだ通り、とびきり強大な力を与えてあげたの」
「ほんとですか?!」
マリオンは立ち上がって声を上げ、小躍りして喜んでいた。
だが直ぐに我に返ったのか、スカートを整え大人しく座り直し、俯いていた。淑女らしくない振る舞いを恥じているのだ。
愛の神はクスクスと笑った。
「やはり、私はヒルデガルトよりマリオンの方が好みね――でも、これは神の試練よ。簡単にあなたの望む愛が手に入ると思わない事ね」
ヒルデガルトが二人の話に割り込んだ。
「なぜ私に与えられた右目がマリオンに宿ったの?!」
愛の神がそれに応えた。
「あなたの両目が精霊眼だったら、あなたが望む愛を手に入れられないと思ったの。だから、片方だけ奪っておいたのよ。豊穣の神は、人間の愛に大して関心がないから気にしていなかったのね。そしてマリオンが望む愛に必要だと思ったから、手元に残っていた精霊眼を与えた。とてもシンプルな答えよ? ――私はあなたたち女性の味方だもの。あなたたちに悪いことはしないわ」
ヒルデガルトは何かを考えこむように黙り込んだ。
ノルベルトとヒルデガルトが仲を深めたきっかけが、精霊眼ではない右目だった。
ヒルデガルトが両目とも精霊眼であれば、二人が婚姻する事はなかったはずだ。
それをヒルデガルトも理解したのだ。
豊穣の神が大きなため息を吐いてから、口を開いた。
「――すまない。こういう神なんだ。悪い神ではないんだが、自由奔放で頭を抱える。身内として、恥ずかしく思うよ」
愛の神が愉悦を湛えた瞳で豊穣の神を長し目で見た。
「豊穣の神だって、昔は私以上に自由奔放だったじゃない。あなたは創世の神が居なくなってから、堅苦しくなったわね」
言い終わった愛の神がマリオンを見据えた。
「私の魔力の波動は覚えた?」
――愛の神の魔力。それはどこまで続く金色の麦畑を思わせる、むせかえる麦穂の匂い。
愛の神は満足げに笑い、言葉を続けた。
「それでいいわ。神の気配の使い方については、ヒルデガルトから教わりなさい。あなたには愛の神の寵愛が宿っている。私の力を、あなたは使えるわ。私の祭壇は失われてもう既に無いけれど、私は豊穣の神の祭壇を借りることが出来るから、マリオンと会話をする事もできるわ」
豊穣の神がそこに割って入ってきた。
「マリオン、君の右目には私の寵愛もわずかに残っている。私の気配を感じれば、会話をする事はできるはずだ。だが大きな力を貸すことは出来ない。ヒルデガルトのように、私の権能そのものを使いこなすことは、君にはできないだろう。私はまだそこまで君を気に入っている訳ではないが、ヒルデガルトの傍にいれば、彼女を中継して私の声を聞くことができるはずだ。困ったことがあれば、相談するといい」
愛の神が、豊穣の神を押し返すように口を開いた。
「ちょっと、マリオンは私の寵愛を受けた子よ? この子と会話するなら、私の方が優先でしょう? ――私はマリオンを結構気に入っているから、あなたが私を信頼すれば、遠く離れていてもあなたと会話することができるはずよ。豊穣の神に話を聞くくらいなら、私に相談なさいな」
「私の寵愛の証を半分奪っておいて、よくも自分の寵愛だなどと言えるな? 盗人猛々しいぞ?」
二人の神が言葉を交わすほど、場の空気がどんどんと険悪になっていった。
遂に我慢できなくなったのか、マリオンが急に立ち上がり、両手で二人の神を制した。
「すとーっぷ! そこまで! 兄妹喧嘩はよくありません! 仲良くしましょう、仲良く!」
マリオンの必死の制止を見た二人の神が、僅かに呆けた後、急に顔を綻ばせた。
「……喧嘩を仲裁されるだなんて、いったいいつ以来かしら? とても懐かしい気分ね」
「そうだな。しかも子供に止められてしまった。我ながら恥ずかしいことだ」
どうやら仲直りしたらしい。
そう理解したマリオンは、ほっとした表情で胸を撫で下ろして腰を下ろした。
ヒルデガルトが愛の神に尋ねた。
「豊穣の神が持たない、愛の神の権能とは何?」
愛の神が微笑みながら応える。
「それをあなたに教えるつもりはないの。私は女性の味方ではあるけれど、ヒルデガルトを気に入っている訳ではないもの。でもマリオンになら、教えてあげてもいいわ」
一瞬眉をひくつかせたヒルデガルトが、質問を重ねた。
「今のマリオンは、神の権能に耐えられるの?」
豊穣の神がそれに応えた。
「かつてのヒルデガルトほどの格を、マリオンの魂はまだ持っていない。私たちの持つ大きな権能を使う時は、魂の消滅を覚悟しなければならない。限界まで小さく加減すれば使えないことはないだろうが、やはりリスキーだ。止めておいた方がいい」
ヒルデガルトは「そう、わかったわ」と言って立ち上がった。
「さぁ帰りましょうマリー。聞くべきことは聞けたわ。トネリコの葉を持って手を繋いだら、目を瞑りなさい」
マリオンは言われた通りに葉を持ち、手を握ってから目を瞑った。
ヒルデガルトが二人の神に言葉をかける。
「それじゃあまたね、豊穣の神。愛の神も、また話を聞くことがあるかもしれない。その時はよろしくね」
愛の神がそれに応えた。
「あなたに必要であればまた会ってあげてもいいけれど、マリオン経由で話をした方が早いわよ?」
不機嫌になったヒルデガルトが鼻を鳴らした瞬間、マリオンとヒルデガルトの姿はファルケンシュタイン侯爵家の書斎に在った。
「――戻ってきたわよマリー。もう目を開けてもいいわ」
マリオンはおそるおそる目を開け、周囲を不思議そうに見まわしていた。
ヒルデガルトは机の上に置いてあったトネリコの葉の片割れを拾い上げ、マリオンに手渡した。
「この葉の片割れは、部屋に大事にしまっておきなさい。もう片方は、なるだけ大切に持ち歩いておくといいわ。葉を手に持って、先ほど訪れた泉の畔を強くイメージすれば、あそこに逃げることができる。でも極力あの世界に踏み入ってはダメよ。あそこは神の世界。本来、人間が立ち入って良い場所ではないの。自分の身に危険が迫った時の避難場所として、最後の手段に使いなさい」
(用もないのにあそこに行くな、ということかな?)
マリオンはきょとんとしながら聞き返した。
「神の世界から戻ってくるときはどうしたらいいのですか?」
「戻りたい場所を強くイメージすれば戻ってこれるわ。でも経験上、自分に馴染みの深い場所じゃないと、うまく移動できないみたい。だから、自分の部屋とかにしておくといいわ」
マリオンは静かに頷いた。
ヒルデガルトは優しく微笑みながら言葉を続けた。
「今日の事は、誰にも言ってはダメよ。誰かに知られたら、あなたの身が危なくなる。たとえ家族や親しい人でも、話してはダメ。それくらいに考えておいて頂戴」
マリオンはまた、静かに頷いた。
「精霊眼の力があれば、あなたにも古代魔法を使えるはずよ。通常の魔術と並行して、あなたにも古代魔法を教えてあげる。そして、古代魔法の事も、誰にも言ってはダメよ?」
「古代魔法とはなんですか?」
「とても古い時代の、本来の魔法の事よ。現代魔法は、本質的には魔術なの。魔術とは全く違う力が古代魔法よ――使い方は教えるけど、使うのは最後の手段にしておきなさい。魔法は秘術。他人においそれと見せるものではないわ」
「お母様やお爺様は『蜃気楼』をよく使っておられますよね? あれは現代の魔法ではないのですか?」
ヒルデガルトは苦笑いを浮かべて応えた。
「あれはお父様が編み出した、お父様の生涯の集大成。現役時代のお父様が、自慢するようによく使っていたから有名なの。つまり『有名だからセーフ!』ということよ。『蜃気楼』なら、人前で使ってもいいわ」
マリオンはもう一度、静かに頷いた。
「それじゃあ、魔力を測りなおしましょうか。愛の神は”マリオンに強大な魔力を与えた”と言っていた。なら、あなたの魔力は三等級ではなくなっているはずよ」
(そうだ! 私の魔力が強くなっているんだった!)
「はい、お母様!」
マリオンは元気よく返事をして、ヒルデガルトの背中を追った。




