第3話:王族の責務
――侯爵邸のサロン。
その床には、粉々に砕け散った水晶球が散らばっていた。
ヒルデガルトは驚愕したまま、固まって動かない。
マリオンはぽつりと呟いた。
「……物凄い光でしたね」
マリオンの魔力を測りなおしたところ、水晶球から爆発するような青い光が溢れ出し、直後、水晶球が砕け散った。
それはあまりにも眩しくて、直視できないほどの光だった。
「ねぇお母様、あれは何等級なんですか?」
マリオンの質問で我に返ったヒルデガルトが、戸惑いながら応えた。
「特等級なのは間違いないわ。でも検査器具を破壊するほど強い魔力だなんて、私は聞いたことがない――ちょっとお父様の所へ行ってくるから、あなたは此処で待って居て頂戴」
言うが早いか、ヒルデガルトはヴォルフガングの所へ行ってしまった。
(特等級かー! よっしゃー! これで王家も公爵家も選び放題ね!)
マリオンはよっぽど嬉しかったのか、飛び跳ねてガッツポーズを連打していた。
夢の高貴な血筋を手に入れるチケットを手に入れたのだ。気持ちはわからなくもない。
少なくとも、特等級の魔力があれば嫁入りで困るということはないのだから。
しばらく浮かれていたマリオンの動きが、ぴたりと止まった。
(こんな強い魔力を制御できるのかな?)
三等級の魔力を扱っていたマリオンが、特等級の魔力を得たのだ。
不安になるのは当然と言えた。
マリオンは試しに、手に魔力を集めてみる――以前より、かなり扱いづらく感じた。
以前なら簡単にできたと思われる、散らばった水晶の欠片を魔力で集めてみた――細かいものを魔力で掴むのが、以前よりずっと難しい気がした。
マリオンは額に汗が滲むほど集中して、ようやく床に散らばっていた水晶を一か所にまとめ上げた。
ようやく一息ついて、ハンカチを取り出し額の汗を拭いていた。
この程度は以前なら、鼻歌を歌いながらできたような魔力制御だ。
(強い魔力って扱いづらいんだなぁ)
マリオンが自分の両手をまじまじと眺めているところへ、ヒルデガルトがヴォルフガングを連れて戻ってきた――その手には、別の水晶球がある。
ヴォルフガングがマリオンの前に跪き、水晶球を手渡した。
「マリー、もう一度私が魔力検査をしよう」
マリオンは頷いて水晶球を受け取った。
ヴォルフガングの行った魔力検査も、やはりヒルデガルトの時と同じ結果になった。
床にはまた、水晶球の欠片が散らばっている。
ヴォルフガングも呆然と固まっていた。
ヒルデガルトがヴォルフガングに語りかけた。
「お父様、あれは特等級、で間違いありませんか?」
ヴォルフガングはヒルデガルトに振り向き、頷いた。
「特等級だね。それも、私でも見たことがない、ヒルダを遥かに超えた強さだ。私も、検査器具が粉々になる程の魔力なんて話は聞いたことがない。人間には大きすぎる力だ」
このヴォルフガングが口にした”人間には大きすぎる力”の意味をマリオンやヒルデガルトが理解するのは、もう少し先の事になる。
大人が話をしている間に、マリオンはまた床に散らばった水晶の欠片を、魔力で一か所にまとめていた。
(汚したらすぐ綺麗にするのが大事だって、サブリナがよく言ってるものね)
汚れを放置していると、どんどん汚れが溜まっていくものだ。
必死に新しい魔力を使いこなそうと、魔力制御に集中していたマリオンの様子をヴォルフガングが観察していた。
ヴォルフガングが感心するように語った。
「マリー、お前はあれほど強い魔力を、そこまで制御できるのかい? お前は幼い頃から魔力制御が巧かったが、やはり魔術センスが飛び抜けているね。そのセンスがあれば、魔力に振り回されることはないだろう」
魔力に振り回される、つまり魔力暴走を起こしてしまう危険はないとヴォルフガングは判断した。
魔力暴走は軽度なら発熱程度の体調不良で済むが、重度になると命にかかわってくる。
掃除が終わったマリオンは、改めてソファに座り直していた。
ヒルデガルトは不安げにヴォルフガングに尋ねた。
「でも、こんなに強すぎる魔力にデメリットはないんですか?」
「そうだね……ヒルダ、試しにマリーと魔力同調をしてみてごらん」
ヒルデガルトがヴォルフガングに頷いた後、マリオンの隣に腰を下ろし語りかけた。
「少しの間、魔力同調するわね。力を抜いていて頂戴」
マリオンは頷いて、身体から力を抜いた。
ヒルデガルトの魔力がマリオンを包み込んでいく。だが普段彼女が行う魔力同調とは様子が違っていた。
「嘘、同調できない?!」
ヒルデガルトから驚愕の声が上がった。
そのままヒルデガルトは汗を滲ませながら集中していたが、一向に同調する気配がない。
波長を合わせる事までは出来ている。だが魂の防壁を突破できないのだ。
あまりに強大な魔力を持ったマリオンは、人間が乗り超えることができないほど強固で高い防壁を魂に作り上げていた。
ヒルデガルトは信じられないものを見るようにマリオンの顔を見つめていた。
ヴォルフガングが口を開いた。
「お前の魔力と技量でも、やはり無理か――それが強すぎる魔力の代償だ。今のマリーに魔力同調できる術者は、人間には居ないだろう。それはつまり、マリーに治癒魔術を施せる術者が存在しないことを意味する。大怪我を負っても、癒せるものが居ないんだ。注意することだ」
(貴族令嬢が大怪我を負う事なんて、あるのかな?)
マリオンは小首を傾げていた。自分が怪我を負う可能性を考えられないのは、幼いマリーでは仕方がないことだ。
だがマリオンはヒルデガルトと共に、ヴォルフガングに頷いていた。
マリオンはヴォルフガングに尋ねた。
「ねぇお爺様。お爺様は常々”高い能力には相応の責務が生まれる”と仰っていましたよね? 私の場合、どのような事になるのでしょうか?」
ヴォルフガングは顎に手を当てて考えてから、語りだした。
「マリー、お前の魔力はあまりにも強すぎる。お前のセンスを以てしても、おそらく並の魔術師程度の魔術しか扱えないだろう。魔力が強すぎて、制御が困難だからね。だからその魔力の強さを生かした生き方は、お前には難しいように感じる。貴族令嬢として他家に嫁ぎ、その強い魔力を子供に伝えていく。そんな責務になるだろう。だからお前に求められる能力は貴族の妻として求められる教養や所作になる。魔術は、嗜み程度に覚えれば十分だろう」
人間が扱うには手に余る魔力と判断したヴォルフガングは、無理にそれを生かした道につく必要はないと告げた。リスクの大きさを考慮した結果だ。
要するに「花嫁修業してればおっけー!」ということである。
(よっしゃー! 余計な勉強とか、責任を負わされるようなこともない! なにこれバラ色の人生が待ってない?!)
ニコニコと微笑を浮かべながら、マリオンは心の中で歓喜の舞を踊っていた。
さらに、期待に目を輝かせながら、マリオンはヴォルフガングに尋ねた。
「ではお爺様! この魔力なら、王家に嫁ぐことすら可能ですか?!」
ヴォルフガングは苦笑しながら応えた。
「そうだな、陛下や王妃殿下次第だが、考えてはくれるだろう。クラウディア様はヒルダを大切な友人として思ってくださっている方だ。そのヒルダと親戚関係になれるなら、喜んで頷いてくれるかもしれないね」
ヴォルフガングは控えめに応えた――本人たちの意向を無視して無理強いする人間ではないが、そのチャンスがあればクラウディア王妃は確実に率先して動くだろう。
ヒルデガルトが呆れたようにため息を吐いてから口を開く。
「確かに、クラウは私の事が大好きで、クラウにはマリーと年の近い王子が二人いるわね。クラウが暴走したら、あっという間に婚約まで漕ぎつけかねない。そこは陛下と一緒にブレーキをかけないとまずいことになるわね」
ヒルデガルトは慎重な意見を述べた。
それに不満を覚えたマリーが尋ねた。
「それのどこに問題があるのですか?」
ヒルデガルトはマリオンを諭すように言葉を紡ぐ。
「王族の伴侶には、相応の教養と覚悟が求められるの。普通の家のお嫁さんになるような、気楽な縁談にはならないわ。マリーはまだ幼いから、そこまでのものがあるとは思えない。あなたは頭もよいから、それがどういう意味なのか、すぐに理解できると思うわ」
王族の伴侶に求められる教養と覚悟、それはまだ幼いマリオンが知らない概念だ。
納得できないマリオンは再び尋ねた。
「ではお母様は、私が王家に嫁ぐことに協力してはくださらないのですか?」
「あなたの認識がその程度である間は、私が縁談に頷くことはないわ。でも陛下やクラウには、マリーの魔力の事を報告しなければならない。社交場で王子たちと出会う機会は生まれるでしょう。その中で王子たちと親睦を深めるのは、あなたの自由よ」
縁談は、両家の親が承認することで契約となる。だが当主であるヒルデガルトはそれをしないと告げた。
その代わり、個人的に仲を深めることは構わないとも告げたのだ。
魔力検査が終わった十二歳以上の貴族子女は、社交デビューを始める――いわゆる、婚活である。
己の教養や所作、そして魔力の強さや学歴、そして家柄を武器にして、「どうっすかー? いい物件ありまっせー?」と売り込むのだ。
高位貴族ともなれば、十二歳で婚約が決まることも珍しくない。親が早々に相手を見繕って話を纏めてしまうからだ。
結婚適齢期は成人である十五歳から十八歳の間と言われ、それを過ぎると貴族令嬢は行き遅れと言われてしまう。行き遅れた女子は、そのまま未婚を貫き仕事に生きる人も珍しくはない。婚約期間は半年から一年くらいが目安で、結婚を目指す令嬢は十五歳までに婚約を結んでしまうのが望ましい、とされていた。
(ともかく、侯爵令嬢として社交デビューする条件は揃ってるわね!)
あとは王子のハートを射止めるだけである。王子が無理でも家格の高い公爵家ならまぁアリだろうとマリオンは考えている。
だが、彼らを精霊眼を得たマリオンが落とせるとは限らない。
少なくとも今のマリオンは、自分の事を”魅力的な少女である”と断言できなくなってしまっていた。
精霊眼の異物感が、外見を台無しにしている気がしていた。元が魅力的なだけに、その異物感は惨たらしく、グロテスクとさえ言えた。
マリオンは(お父様のような物好きでありますように!)と祈っていた。
****
――王宮・王妃執務室。
ソファにはヒルデガルトが腰かけ、カップを傾けていた。
向かいには、執務の手を止め、同じように紅茶を楽しむクラウディア王妃の姿がある。
クラウディアが口を開く。
「――そう、マリーにそんなことがあったのね」
ヒルデガルトは苦笑を浮かべ、頷いた。
「あの子ったら、王家に嫁ぐ気満々みたい。我が家に高貴な血筋を入れたい一心なのね」
ヒルデガルトは母親の目で、マリオンの心中を察していた。
確かに、今のファルケンシュタイン侯爵家に足りないのは高貴な血筋くらいだろう。
マリオンはマリオンなりに、家の為に尽くそうと必死なのだと、ヒルデガルトは理解していた。
クラウディアがヒルデガルトに応える。
「第一王子のオリヴァーが十三歳でマリオンの一歳上、第二王子のマーセルが十二歳でマリオンと同い年ね。年齢的には丁度釣り合うのではなくて?」
親の欲目が入っているとはいえ、どちらの王子も充分に優秀だとクラウディアは判断している。
ただ、オリヴァー王子には一抹の懸念材料があった――野心家なのだ。
クラウディアの血を色濃く受け継いだオリヴァー王子は、不穏な野望を抱いている様子がある。第一王子だが、このまま立太子させるのは難しいかもしれないと、フランツ国王と話をしているくらいだ。
フランツ国王の血を色濃く受け継いだマーセル王子は、健全な王としての器があると判断していた。第二王子だが、立太子させるならこちらかもしれないと、今のクラウディアは考えている。
「でもオリヴァーが野心を捨てれば、あの子は充分、王としてやっていける子でもあるわ。だから、どちらがマリーの伴侶になろうと私は構わないと思うのだけれど」
それに対してヒルデガルトが応える。
「マリーはまだ、王族の伴侶がどういう物か理解できていないわ。そんなあの子に、王族との婚約なんて重要なものを結ばせるわけにはいかないの。今のままなら、他家に嫁がせる方が無害ね」
ヒルデガルトはシビアな判断をしていた。
王族は国家国民を背負う責務を負う。今のマリーにその覚悟があるとは、到底思えなかった。
仮にも筆頭宮廷魔術師の身である。国家国民の為にならない選択を、たとえ最愛の娘の希望だろうと叶えるわけにはいかなかった。
クラウディアは楽しそうに笑った。
「あら、まだ十二歳だもの。そんな重たいものを知る機会がなかっただけよ。そんなものはこれから覚えて行けばいいだけ――それより、息子たちとの相性の方が問題ね。早めに会わせてみてどうなるか、見ておきたいわ」
ヒルデガルトは再び苦笑を浮かべて応えた。
「そうくると思ったわ。お茶会でいいかしら? どちらで開くつもり?」
「そうね……余計な子は入れたくないから、ヒルダの家に息子たちを連れて行くわ。近日中に日程を調整して頂戴」
クラウディアの言葉に、ヒルデガルトは頷いた。




