第9話:子供たち
春の柔らかい陽射しが侯爵邸の庭に降り注いでいた。
温かな風が、庭に咲く花の香を届けてくる。
「お父様、お母様ー!」
小さい歩幅で一生懸命駆けてくる愛娘を、ベルトが優しく抱き上げた。
「どうしたんだいマリー」
夫のベルトは、蕩けそうな笑顔で愛娘――マリーを見つめている。
可愛い盛りの娘相手とはいえ、この分だと、お父様と同じくらいの親バカになりそうだ。
マリーが、手に持った小さな白い花をベルトに差し出した。
「はい! お花!」
「ああ、綺麗だね。だけどマリーの方がもっと綺麗だね」
(あ、これはもうすでにお父様以上かもしれない)
今年で五歳を迎えるマリーを、ベルトはそれはそれは溺愛していた。
私は小さくため息を吐いた。
「――ベルト、あなたも娘を嫁に出したがらない父親になるんじゃないでしょうね?」
「えっ?! マリーを嫁に?! 出すわけないだろう?」
ベルトは「何を当たり前のことを」と言わんばかりの真顔で私に応えた。
あげく「マリー、大人になったら誰と結婚したい?」「んー、お父様!」という、毎日繰り返される問答で、蕩けた顔をさらに蕩けさせている。
結婚五年目にして授かった娘に、私たちはマリオンと名付けた。お父様やウルリケも一緒になって多数の候補を出したのだが、最終的に私の判断が優先された。
選んだ理由は、ただの直観である。イングヴェイも「いい名前だと思うよ」と言ってくれた。
「お母様、お父様は何を馬鹿なことを言ってるのですか? 親子で結婚はできませんよね?」
私の傍らに座る男の子――マリーの一年前に授かったサイモン――サイが、私に尋ねて来た。
「そうよ? 親子で結婚はできないわね。ベルトはマリーのことになると、ちょっとおかしくなっちゃうの」
私は愛情を込めた微笑みでサイに応える。
サイは「そっかー、お父様、親バカなんだね」と納得しているようだった。六歳にしては、中々に利発な子だ。
子供が生まれてからの私は、週の半分を侯爵邸で過ごしている。
筆頭宮廷魔術師ではあるのだが、私の決裁が必要な執務はそれほど多くはない。助言が欲しいだけなら、王が直接侯爵邸に赴いてくることすらあった。
雑事もあるのだが、ジュリアスが「俺がやっておきますので、あなたは家庭を大事にしてください」と言って、私から仕事を奪っていくのだ。実質的に筆頭宮廷魔術師の仕事を取りまとめているジュリアスは、それなりの派閥を持つようになっているみたいだ。
お父様の現役時代も似たようなものだったらしい。当時は前筆頭宮廷魔術師のカストナー侯爵が雑事を担当していたとか。
「これで、親子そろって”王宮嫌いの筆頭宮廷魔術師”と呼ばれてしまうのかしらね」
独り言ちて、苦笑を浮かべる。
有事の際は当然、優先して宮廷に赴くが、幸い東方国家群は安定を続けていた。
西方国家群は対帝国で団結し、帝国の南下を食い止めている。そんな状況で我が国との不可侵条約を敢えて破棄しようとする国はなかった。
たまにシュネーヴァイス山脈を越えた帝国の侵攻があったりはしたが、それらは北方守護軍がなんなく追い返していた。帝国が開発した新兵器はそれなりに脅威ではあったが、実戦で数の有利を覆す程ではなかった。三倍以上の兵力差で囲んでしまえば、苦も無く全滅させることができていた。
南方とは相変わらず友好的な関係を続けているので、レブナント王国は平穏を享受していた。
陛下はそろそろ、フランツ殿下に王位を譲る事を考えているらしい。陛下ももうお年だ。王の重責は、実年齢以上に老いを刻み込む。様々な経験を積んだ今の殿下ならば、若き王として立派にやっていけるだろう。
侍従が庭にやってきて「奥様、クラウディア王太子妃がおみえになります」と告げた。
「そう、到着したらこちらにお通しして」
私の返答を受け、侍従は下がっていった。
****
「久しぶりね、ヒルダ」
「ええ、クラウも無事でよかったわ」
年齢を重ねても、変わらず儚く美しいクラウと再会を喜んだ。
とても二児の母とは思えない、と私が言うと「あら、ヒルダこそ昔と変わってないわよ? 何かズルでもしてるんじゃないの?」と返された。
どうやら童顔の私は、あまり老いを感じさせないらしい――これでも、幼いマリーの肌と自分の肌を比べては衰えを自覚し、密かに落ち込んでいるのだが。若さとは力だ、と痛感してしまう。
ガゼボに座り、二人きりのお茶会を楽しむ――学生時代はさらに三人居たことを思い出し、少し懐かしい気持ちになる。
「ルイズやエマ、リッドは元気にしてるのかしら」
遠くで子供たち二人と戯れる夫の姿を見やりながら、クラウに語りかける。
時折個別に会ってお茶を飲むことはあるのだが、五人揃うことは学生時代以来、なくなっていた。それぞれの子供たちがもう少し大きくなれば、また揃うこともできるだろう。
「元気だったわよ。みんな”ヒルダによろしく”って言ってたわ」
公務から帰国したクラウは、早々にお茶会を開いたらしい。せっかく五人揃う機会だったのだが、私は公務で出張しているタイミングだったので、参加し損ねていた。
そんな私が出張から帰ってくるのを見計らって、クラウが尋ねて来てくれたのだ。
私はクラウに応える。
「そう、ならよかった――それで、西方国家はどうだったの?」
お茶を一口含んだ後、クラウが応えた。
「帝国相手にするのが、やっぱりかなりキツイみたいね。レブナントから援軍を出せないか、と密かに打診されてるわ」
八年前、私の魔法で帝国の東側南下ルートを塞いだことがある。今でもそこは、軍が通過できる場所ではないらしい。
だが帝国は軍事力を西側に集め、西方国家に牙をむいた。古き神々の叡智を基にした帝国の新兵器に西側諸国は苦しめられているようだったが、帝国は内乱にも悩まされ続けているので、なんとか均衡を保ち国境を守り切っているらしい。だが争乱の日々は国力を消耗する。そろそろ限界が近いかもしれない、と陛下が判断し、西方国家群の視察を殿下とクラウに命じていた。
西方国家群が瓦解すれば、帝国がレブナントにまで南下してくる。それはなるだけ避けたい事態だ。
私もお茶で喉を潤してからクラウに応える。
「西方国家連合軍にレブナントが助勢する、なんて展開は、昔なら考えられなかったわね。陛下や殿下はどう考えておられるのかしら」
「受けるつもりでいるみたいだけど、陛下は何か別のお考えがあるみたいよ? 多分、あなたの休み明けに相談されるんじゃないかしら」
そう、筆頭宮廷魔術師は国王の懐刀だ。本来こういった時に一番傍に居なければならないのだが、陛下から「出張でしばらく会えなかった子供たちと、少し休暇を楽しんできたらいい」と言われていた。おそらく、判断材料が出揃うのを待って居るのだろう。
今もユルゲン兄様が、部下と共に帝国内を密かに飛び回っているはずだ。そろそろ現場を引退してもいい年齢だと思うのだけれど、見た目に反してタフな方だと思う。
「それで、クラウはどう考えているの?」
「私? ……そうね。援軍を出さざるを得ないとは思ってるわ。西方国家に瓦解されるわけにはいかないですもの。物資の支援も考えていいと思うの」
「それで、どれくらい耐えられると思う?」
私の問いに、クラウが応える。
「そうね。帝国の国力を考えても、そう長く戦線を維持することはお互いに難しいでしょう。五年もすれば、帝国が疲弊して出兵するどころじゃなくなるはずよ。そうすればまた、しばらくの間はお互いが国力を回復する時間になるでしょう」
帝国は百万人規模の大国家だが、あまり豊かとは言い難かった。軍事力こそ高いが、隣国の資源を奪い成長していく、悪食の竜のような国だ。それがここ二十年は版図を広げることができていない上に内乱にも苦しめられている。つまり、底が見えている状態だ。
クラウが想定する五年、というのも最長で考えているのだろう。私はおそらく、三年以内に帝国は出兵を諦めると読んでいる。想定外の出来事が起これば、一年以内に大人しくならざるを得ないかもしれない。
私が考えに耽っていると、ふとクラウの笑い声が耳に入ってきた。
「それにしても……西方国家でもあなたの事、噂になってたわよ?」
「私の噂? ――もしかして、東方国家の噂が流れついてたの?」
クラウが儚い微笑で私に応える。
「ええそうよ。”空を駆けて山を消し飛ばす大魔術師がレブナントにいるそうですね”と、何度か聞かれたわ」
私は苦笑を浮かべる。
「山を消し飛ばした覚えはないんだけどなぁ……」
東方国家と帝国領の国境を、私は確かに山脈を切り崩して埋め立てた。
だが消し飛ばしてはいないはずだ――山の形はすっかり変わってしまったが。
その作戦は緘口令が敷かれているので、表向き”そんな魔術師はいない”とレブナント王国は言い張っている。
クラウは可笑しそうに笑っている。
「大差ないわよ。それに、規格外の魔術師が居ることも事実ね。特等級の魔力を持ち、精霊眼を携えたあなたがそうなんじゃないか、って何度も確認されたのよ? 私、誤魔化すのに苦労したんだから」
「それはほんと、ごめんなさい……」
私は肩を落として謝罪した。
特等級の魔力保持者は極稀にしか生まれない。通常は五等級から一等級止まり――つまり、特等級の私やジュリアスは規格外だ。その二人のうち、片方が精霊眼という稀有な体質を持っている。どちらがより規格外か、と言われたら、十人のうち十人が私を思い浮かべるだろう。
「でも、魔術師としてはジュリアスの方が腕は上なんだけどな……なんで埋もれちゃうんだろう?」
既にお父様から「ジュリアスは全盛期の私を超えたね」と太鼓判を押されるほどの魔術の腕を、ジュリアスは身に着けていた。
世が世なら、お父様同様に「近隣諸国を含めても並ぶものが居ない」と称えられて然るべき大魔術師だ。
幸か不幸か、レブナント王国は戦乱に巻き込まれることなく過ごしている。なので活躍の場がなく、名を上げる機会がないだけなのだ。
――だが、私だって同じ時代、同じ国の魔術師なのだ。何故ジュリアスが埋もれて私の名が轟くのか、私には理解できなかった。
クラウが少し呆れた顔になった。
「あなた、やることが派手なのよ。自覚がないの?」
「そんなことを言われても……覚えがないのでわからないわよ」
「東方国家が国境線で揉めた時、大地を切り裂いて”ここが国境です!”と言い張ったのも忘れたの?」
「う゛! だって、あれは、両国とも聞き訳がなかったから……」
どうしても国境の位置で譲らない両者が、いよいよ軍をぶつけようとした時、つい切れてしまい、私が両者の間の地面に分かりやすく線を引いたことがあった――もちろん、イングヴェイの破壊の権能で。消すことができないほど明確な境界線だ。ただし出力は抑えたので、ちょっと橋を掛ければ、人間や馬車が跨ぐことはできる。
私は「ここが国境よ! 文句のある人は出てらっしゃい!」と啖呵を切ったようなのだが、その時のことはよく覚えていない。同行していた書記官が笑いながら教えてくれたことだ。
ただ両国の兵隊たちが青ざめて、恐ろしいものを見る目つきで私を遠巻きに眺めていたのだけは記憶にある。
その後の両国はとても聞き訳が良くなったので、私は考えることを放棄して「これでよし!」とその任務は完了とした。
数年前のその裂け目は、今でも両国の国境として機能しているらしい。
「その”魔法一発で突然地面が爆発して山まで抉れた”って噂も、西方国家に届いてたわよ」
クラウが呆れながら紅茶を口に含んでいた。
(イングヴェイも、止めてくれてもいいのに、面白がって力を貸してくれるみたいなんだよなぁ)
その日はクラウから、西方国家のお土産話を色々と聞かせてもらって終わった。
時折乱入してくるマリーやサイの事を、クラウは我が子のようにかわいがってくれたのが嬉しかった。
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「奥様、お手紙が届いております」
「あら、誰かしら」
クラウを見送った後、ウルリケから手紙を手渡された。クラウとの時間を邪魔しないよう、帰るまで待ってくれていたのだろう。
裏を見る――無記名で王家の封蝋。これは陛下のものだ。
封を開け文面に目を走らせる。
「……ウルリケ、休暇は打ちきりよ。明日は王宮に行かねばなりません。子供たちをよろしくね」
ウルリケは恭しくお辞儀をして「はい、かしこまりました」と返事をした。
私が居ない間は、ウルリケが乳母となってマリーやサイの相手をしてくれていた。
結婚適齢期を過ぎても婚姻しなかった女性は、そのまま未婚を通すことも珍しくない。ウルリケはそのタイプだ。
私も、マリーとサイを我が子のように慈しんでくれるウルリケを全面的に信頼しているので、不安はない。ウルリケに任せておけば安心だ。
(陛下は何を考えてらっしゃるのかしらね)
手紙は、明日王宮で開かれるお茶会への招待状だった。




