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第9話:帰路

推敲してたら文字数が8000超えましたね……ちょっと長いです。

 野営、といっても、昨晩と同じように持ち込んだ圧縮済みのテントを展開するだけだ。


 薪木は門番たちの詰め所でストックしてあるものを分けてもらった。


 陽が沈んだからの薪拾いは危険である。暗いというのもあるが、足元に注意が行っているところに頭上から襲い掛かられることがある。


 陽が沈む前に済ませるのがセオリーだ。


 食事も「捜索で疲れているだろう」とヴォルフガングの許可が出た。


 こちらも門番たちの詰め所から軍隊食を分けてもらい、皆で食べていた。




 いつもの面々にヴォルフガングとディーターを加えて、今夜も焚火を囲んでいる。


「軍隊食って、味気ないのですね」


 栄養価に主眼を置き、味は二の次になっている携行食を摘まみながら、ヒルデガルトは感想を述べた。


 固い干し肉とカチカチのパンを、お湯でふやかしながら口に運んでいく。


 保存魔術も加えられているが、魔術がなくてもかなり日持ちするような食事だ。


 ヒルデガルトの言葉にノルベルトが応える。


「大人数の食料を大量に運ばねばなりませんからね。かさばらず軽量でなければいけません。こういった詰め所では、昼間のうちに野生動物をしとめて足しにすることもありますよ」


 ノルベルトは慣れた手つきで干し肉に齧りつき、食いちぎっていく。


 彼は軍隊食を食べ慣れる訓練を受けている。成長期の子供にはやや物足りないだろうが、一晩凌ぐなら十分だろう。


 フランツ王子もまた、慣れた手つきで食事をしていた。


 王族教育の一環で、戦場の現実、つまり一般兵士と同じ待遇になる訓練を受けている。現場を知らなければ、戦場で兵士の心情を踏まえた采配などできない、という思想だ。



 フランツ王子が食事をしながら語りだす。


「こういった食事を長く続けていると、士気も下がるし、病気にもなりやすい。だから、前線に送る兵士は一定期間で後方に下げて、英気を養わせるんだ」



 つまり、大勢いる兵士のうち、一度に最前線においておける人数は限りがある、ということだ。


 一万人の兵力があるとしても、実際に構築できる健全な最前線の規模は、例えば三千人から五千人くらいになる、という訳だ。


 残った兵士は後方で控えに回り、交代で最前線を務める。敗北する時は最前線の兵士を救い出し、共に撤退するのだ。


 兵士だって貴重な国民の一人だ。無暗な全面衝突で無駄に消費してよい訳がない。



 フランツ王子が言葉を続ける。


「控えの糧食はもう少しまともだ。後方から野菜を持ち込む余裕もできる。戦闘に身を晒す緊張感からも解放される。そうやって回復したら、また最前線へ向かうんだ」



 ヒルデガルトも勉強はしていたが、補給線が如何に大切かが伝わる話だと思って聞いていた。


 後方の控えにすらまともな糧食が届かないような状況になれば、最前線に送られるのは士気と栄養価が落ちた兵士のみになる。


 十全のパフォーマンスなど、到底望めない。


 敵陣に穴を穿つように深く食い込むなど、自殺行為に等しい。弱ったところを包囲殲滅されるだけだ。



 ヒルデガルトは王国が滅ぶ状況を考えてみた――北の山脈を越えて帝国が攻めてくるとしても、補給線の確保などままならないはず。一度に送り込める兵力も限られ、数の有利すら作ることができない状況で、どうやったらこの国を攻め滅ぼせるというのだろうか。


 彼女には解らなかったので、フランツ王子に聞いてみることにした。


「殿下。仮にペルペテュエル帝国が、数年以内に我が国を攻め滅ぼすとしたら、どういった状況が考えられますか?」


 ヒルデガルトの突然の質問に驚いたフランツ王子は、すぐに「そうだな」と顎に手を当て、真剣に考え始めた――仮想状況で軍略を考察する訓練を、日頃から受けているのだ。


「そんな短期間で攻め滅ぼされるまで追い込まれる、というのは想定したことがない。そのような状況は地理的に現実的ではないからな。だが仮にそのような状況に陥るのだとしたら、戦線を一瞬で崩壊させるほどの大火力の魔法を使われるか、長い補給線を維持できるほどの輸送力を持った魔法、どちらかが帝国軍に必要なのではないか、と私は思う。ヴォルフガング、お前はどう思う」


 王族モードになったフランツ王子に促され、ヴォルフガングは頷いて応えた。


「そうですな。最も考えられるのはその二つでしょう。我が国は食糧の自給率が高く、精兵も多い。周辺国を制圧されていったとしても、容易に攻め落とされることはない。陸路と海路で山脈を迂回して兵力を輸送されても、凌ぎ切れるだけの国力を持っている。そんな国家を数年で攻め滅ぼす、となれば、我々の知らない強力な魔法を用いて山脈を越えて攻め入る電撃戦となるでしょうな」



 電撃戦――つまり、超短期決戦で敵国に決定打を与える、ということだ。


 ”我々の知らない強力な魔法”などという、そんな夢物語のような事でも起こらない限り、数年以内に我が国が陥落するなどあり得ない、ということだ。


 ――逆に言えば、古代魔法があれば可能、という話でもある。ヒルデガルトはイングヴェイの話に真実味を感じ始めていたが、このことはまだ胸に秘めることにした。


 ヒルデガルトは古代魔法を得ない場合のレブナントと帝国の状況を考察した。



 現在の帝国は百万人規模の大国家だが、版図が大陸北部を覆うほど広い。


 帝国が全力を出せば動員できる兵力は我が国より多いだろうが、帝国内を完全に掌握しているともいいきれない状態だ。


 下手に全軍を動かそうとすれば、制圧統治している領地がかつての国家を取り戻そうと反旗を翻すこともあるだろう。広い版図でそれを抑え込むだけの兵力を、国内に温存しておかなければならないはずだ。


 結果、一度に動かせる軍の規模は、統制の取れた我が国と大きく変わらない程度になる。


 一般的な兵一人の練度は、比較にならないほど我が国が高い。動員規模に差がないなら、実質的な兵力は我が国が有利だ。戦闘が起こっても、そう簡単に負ける要素はない。


 諸外国と協調することで、帝国に有利な条件を容易には作らせないようにもしている。包囲網を作られるようなことは、おそらくないだろう。


 そんな情勢もあって、ここ十年は帝国の動向も大人しかったはずだ。この状況はまだしばらく続くと思われた。



 ヒルデガルトがそう言うと、ヴォルフガングとフランツ王子は頷いて彼女の見解を肯定してきた。



 ヒルデガルトがフランツ王子やヴォルフガングと軍略の話ができるのを、ディーターは驚いていた。


「叔母上、軍略まで修めておいでなのですか?!」


 ヒルデガルトはディーターに優しく微笑み応える。


「国外の情勢を正しく把握するには、こういった知識も必要になってくるものよ?」


 クラウディアが興味深げな笑みでヒルデガルトに尋ねて来た。


「でも、そこまでの知識は一握りの高位貴族、或いは王族の伴侶に求められるようなものよ。普通の貴族令嬢が知る所ではないわ。グランツのカリキュラムにすらないものだもの。ねぇヒルダ、どこで覚えてきたの?」



 グランツでも軍略の基礎は最終学年で習う。


 だが基礎を超えた分は卒業後、士官学校で修める形になっていた。


 フランツ王子は、グランツの講義とは別に王族用の講義を受けている。


 クラウディアはグランツ卒業後、王太子妃教育として、そういった講義を受けることになる。



 ヒルデガルトはクラウディアに微笑みを返す。


「グランツに編入する前に、お父様が軍略の教師を付けてくださいましたの。そこで覚えましたわ」


 フランツ王子が苦笑いを浮かべながら言った。


「なぁヒルデガルト、やっぱりお前、俺の側近にならないか? お前を社交界に埋もれさせるのは、あまりにも惜しい」


 ヒルデガルトは、また微笑んでフランツ王子の言葉に応える。


「そうですわね。宮廷魔術師にはなろうと思っております。その立場であれば、殿下がお求めになれば助言を与える機会も多いでしょう。どうしても、と仰れば、側近の命をお受けいたしますけれど……淑女が国政や軍略で口を出すのを厭う方は多いでしょう。そんな方々を黙らせるだけの結果をわたくしが出すよりも、ジュリアスがわたくしを追い越す方が早いのではなくて?」


 ジュリアスはヒルデガルトに苦笑いで応えた。


「俺はまだ、そこまで至っていませんよ。魔術に傾倒してましたからね。国政や軍略に関しては、これからです」



 だが、ジュリアスならすぐにヒルデガルトに追いつき、追い越していくのは間違いない。もう少し時間が必要なだけだ。


 最善の方針を打ち出したとして、それを提案した人間が気に食わない奴だから反対する、という愚か者はどこにでもいる。


 女性が国政や軍略に顔を出す、などという話はこの国で聞いたことはない。「女のくせに生意気だ」と足を引っ張る奴は必ず出る。


 そういった連中に足を引っ張られるヒルデガルトよりも、ジュリアスが頭角を現していく方がずっと早いはずなのだ。



「――ですからやはり、側近にはジュリアスを擁する方が殿下への反発も少なく、国を安定して運営できると思いますわ」


 ヒルデガルトは改めてフランツ王子に微笑んだ。


 ヒルデガルトは裏から助言を与えて行けば、それで役目は果たせると思っている。名誉は得られないが、特に欲しいとも思っていないのだ。



 フランツ王子の目が再び王族のそれになった。


「――やはり、惜しいな。ジュリアスを側近にすることは私も賛同する。だがヒルデガルト。お前も私の側近に欲しい」


 フランツ王子の発言に、ヒルデガルトは困った笑みで応える。


「殿下は欲張りですわね。直接わたくしが発言するより、クラウに知恵を授けてクラウが発言するほうが、周囲の反発も抑えられますわよ?」



 クラウディアはフランツ王子の伴侶、王妃になる女性だ。王妃の発言ならば、臣下は無碍にできない。


 もっとも、クラウディアだって優秀だ。敢えてヒルデガルトの意見を求めることは、そう多くないだろう。



 フランツ王子がヒルデガルトに言葉を返す。


「クラウやジュリアスがお前を追い越したとしても、お前が優秀な人材であることに変わりはない。優秀な人材が多くて困ることはない。一度、本気で考えてみてくれ」


 ヒルデガルトは微笑みながらも渋々と「わかりました」と頷いた。



 能力に応じた責務を求められている。それ自体は構わない。それは貴族の責務に通ずるものだ。


 だが求められた場所は、能力だけで戦っていくこと事ができる世界ではない。ヴォルフガングのように、姦計にも通じなければならなくなる。


 陥れられることを回避するばかりではなく、敵を陥れることもできるようにならなければならない。


 社交界ならばそこまでしなくても生きて行けるが、国家運営の世界は社交界を上回る魔境だ。運営の邪魔になる勢力は排除していかねばならない。それができなければ、国が弱る。国が弱れば困るのは国民だ。それを黙って見過ごす事は、ヒルデガルトにはできない。


 ――自分に、それができるだろうか。その覚悟はまだ、ヒルデガルトは持てていない。



 クラウディアはヒルデガルトを慮るように「無理はしなくていいのよ?」と、肩を抱いていた。


 ヒルデガルトが他人を陥れる事に向いていないと解っているのだ。





****


 テントに入り、ヒルデガルトが音を遮る結界を張った。


 エミリが「それってどういう術式なの?」と尋ねた。


「空気の振動を抑える術式よ。音は空気を揺らして伝わるものだから、振動を抑えることで音が漏れなくなるの」


 風の魔術理論のひとつだ。音は振動を伝達する媒介によって術式が代わるが、会話を遮断する術式ならこれで充分である。


 ヒルデガルトの答えにエミリは、「なるほどー」と納得した様子だった。




 ヒルデガルトは再び目を瞑り、イングヴェイの気配を捉えて話しかける。



(イングヴェイ、今日の事はみんなに話しても大丈夫?)


『そうだな……構わないが、私の名前は伏せてくれ。私はかつて”豊穣の神”と呼ばれた。その名で呼んでくれ』


(わかったわ。それ以外は話していいのよね?)


『君の判断に任せよう』




 今ヒルデガルトは、昨晩と同じように五人で枕を合わせている。


 目を開けたヒルデガルトが語りだす。


「許可は貰ったわ。じゃあ、今日起こったことを伝えるけど……他言無用よ?」


 特にエミリを睨みつけつつ、ヒルデガルトは釘を刺した。


「大丈夫だってばー心配性だなー」



 そうしてヒルデガルトは、泉の畔で体験したことを四人に伝えた――ただし、国の存亡に関する部分は濁した。



 クラウディアは半信半疑で「豊穣の神、ねぇ……」と呟いた。


 ヒルデガルトが嘘を言う訳がないが、だからといって荒唐無稽すぎて信じられないのだ。むしろ、ヒルデガルトの話だからこそ半分は信じた。普通なら、与太話として切って捨てるレベルである。


 ルイーゼが「その名前なら、古代の神話に残っていたはずよ」と口にした。


 ヒルデガルトがルイーゼに尋ねる。


「古代の神話?」


「ええ。大陸各地に残る口伝がいくつかあるの。その中に登場する神の名前に、豊穣の神が居たと思うわ」


 ルイーゼは古代神学を趣味としている。隠れた趣味だが、年齢の割に中々に深い知識を持っていた。


 ヴォルフガングと対話したとしても、長く語らう事ができるレベルだ。


 ルイーゼが楽しそうに言葉を続ける。


「今信仰されている創世の神は、元々は多神教の最高神。今でこそ他の神の名は忘れられかけているけれど、大陸にはその他の神を祀る地域も残っている。だから、ヒルダが出会ったのはそういった古き神だったのでしょう」


 ヒルデガルトはルイーゼが詳しそうなので、質問を投げかけた。


「神様には名前がないの? 創世とか豊穣とか、それって権能――神の力の種類よね?」


「名前はあるけれど、古代において、相手に名前を知られる、というのはとても危険なことだったらしいわ。だから名前を秘匿しているらしいの。神の名前を使えばより大きな力を神から得られるのと同時に、その神を名前で制約下に置くこともできてしまう、という話があるの――もちろん、人間には”神を制約下に置く”、なんて大それた真似はできないけどね。神々の間で起こる争いでは、命取りになる。だから、神々もお互いの名前は知らないことが多かった、という伝承があるわね」


(ルイズ、詳しすぎない?)


 ヒルデガルトは呆気に取られていた。


 下手をするとヴォルフガングより詳しいのではないか、とすら思っていた――さすがに、専門的に研究していたヴォルフガングに及ぶほどの知識ではない。


 アストリッドもルイーゼに質問を投げつけた。


「神様同士が喧嘩することってあったのかい?」


「あったらしいわ。というか、よく喧嘩をしては創世の神が仲裁していた、という逸話があるくらいよ。ヒルダが言う通り、個人主義者のあつまりなのでしょう」


 クラウディアが疑問を口にする。


「でも、ヒルダは”今は束ねる者も居ない”と聞いたのよね? 創世の神が居ない、ということなのかしら?」


「それは神様に尋ねてみないとわからないわね。ヒルダはまだここなら、話を聞けるんでしょう? 直接聞いてみたら?」


 ヒルデガルトは頷いて目を瞑り、またイングヴェイの気配を辿り語りかける。



(ねぇイングヴェイ。創世の神は今、そこには居ないの?)


『ああ、あいつは今、此処には居ない。上の世界に行ってしまったよ』


(上の世界って?)


『君たちに説明するのに、これ以上の言葉はないんだ。おそらく今は理解できない。すまないね』



 ヒルデガルトが目を開けた。


「”上の世界に行ってしまったから今は居ない”って言ってる」


 ヒルデガルトの答えに、ルイーゼは俯いて、深く考え込んでしまった。


 クラウディアは「信仰している神様が今は居ない、なんて知ったら、教会が発狂するわね」と笑っていた。


 エミリは「でも、神様と話をできる人間なんて初めて聞いたよね。教会がそれを知ったら、死ぬ気で確保しに来るんじゃない?」と笑っていた。



 創世の神を崇める教会の勢力は大陸全土に及ぶ。


 つまり、狙われたら逃げ場はない。


 大国家である帝国ですら、教会が敵として認定したら存亡の危機だ、と言えるほどの影響力を持っている。


 なので各国とも、教会に対しては敵に回さないようにそれなりの便宜が図られていた。



 ヒルデガルトはげんなりとしてエミリに応えた


「冗談でもやめて? さすがにこれ以上敵は作りたくないわ……」


 貴族に狙われかけた人生をギリギリで回避したのだ。今度は宗教信仰者に追われる人生になるなど、悪夢でしかない。



 ルイーゼがようやく顔を上げて口を開いた。


「創世の神はおそらく、次のステージに進んだのよ」


「「「「次のステージ?」」」」


 四人の声がハモった。


「ええそう。神には格があるらしいの。その格がその世界に収まりきらなくなった時、その格に相応しい世界に行く、という伝承があったはず。もっと詳しいことは、ヴォルフガング様がご存じのはずよ」


 ヒルデガルトはその言葉を心に留めることにした。馬車の中でヴォルフガングに尋ねてみることにした。




 その後は、ヒルデガルトが居なくなった後の皆の様子を聞いて、笑い合いながら夜が更けていった。





****


 翌朝テントを片付け、兵士たちに礼を述べた後、ヒルデガルトたちは馬車に戻った。


 予定の実戦経験を積む機会はほとんどなかったが、今回は仕方がない、という話になり、馬車は学園に向かって出発した。





 帰路の車中、ヒルデガルトは早速ヴォルフガングに昨晩のルイーゼの言葉を聞いていた。


「ねぇお父様。神様の格の話をご存じですか? 次のステージに上がるとかなんとか、ルイズが言っていたのですけれど」


 ヴォルフガングは大きく頷いた。


「その話をする前に、まず魂の格について話そう」


「魂の格?」


「魂には格があるんだ。より善い行いをするほど、格が上がると言われている。たとえ人間でも、魂が充分に昇格すれば神になる、というものだ。いくつかの神話に基づいた仮説だね」


 人が神になった、という神話は大陸にいくつも存在する。ヒルデガルトも、そのうちいくつかは教養の一環として知っていた。


 その多くは偉業を成し遂げ、神から認められた人間が神に昇格する、といった英雄譚だ。


 そして現在では信仰が残っていないが、かつて信仰されていた神の来歴を調べると人から昇格した存在だった、というものがあるのだ。


「それはまた、神にも適用されると言われている。つまり、神にも魂がある。その魂が充分に昇格すると、その格に相応しい世界に神は移住する。より強い力を得るためにね」


(人も神様も一緒、か)


「以前、人間の体は魂を最優先で保護する、と教えたね。それは、生まれ変わりによって磨かれた魂を、次のステージに上げるためだとも言われている。人間の次のステージは神だ。つまり、新しい神を作るためのシステムになっている、という仮説だ。磨かれた魂は創世の神の元に召され、そこで格を判断される。神に相応しい魂だと認定されたら、人間ではなく神として生まれ変わると言われているんだ」


「それはつまり、神様もまた、新しい神様に生まれ変わる、ということになるんでしょうか」



 創世の神は”上の世界に行った”とイングヴェイは言った。つまり、次のステージに進んだのだ。


 では魂の格を判定する創世の神の魂は、誰が判定したのだろうか――そんなヒルデガルトの胸に浮かんだ疑問に応えられる人間は、現代に存在しない。



 ヴォルフガングはヒルデガルトの言葉に頷いて応える。


「そういうことだね。より上位の存在に生まれ変わるんだ。もしかすると、創世の神よりもさらに上位の神も存在するのかもしれないね――しかし、何故そんな話題になったんだい? かなり深い話だと思うのだが……普段のお前たちが話題にするような事ではないだろう?」


 ヒルデガルトは御者の背中を一瞥し、ヴォルフガングに願い出た。


「……お父様、馬車の外に会話が漏れない結界を張っていただいてもよろしいですか?」




 ヒルデガルトはヴォルフガングたちに、クラウディアたちに話したのと同じように、泉の畔で体験したことを伝えた。


 ――クラウディアたちには隠していた「三年後には王国が滅ぶ」という話も含め、全てを打ち明けた。




 ヴォルフガングは途中からとても真剣に話を聞いていた。


 話を聞き終わると、何かを考えるように腕を組み、顎に手を当てて俯いてしまった。


 ――ヒルデガルトの話は、ヴォルフガングの知識と符合する点が多すぎた。そんな詳細で深い知識を得る機会がない事を、彼は重々知っている。つまり、娘は実際に神と対話してきたと確信したのだ。その上で、娘の体験談に考えを巡らせていた。



 ノルベルトがヒルデガルトに尋ねた。


「その男は、自分を神だと、そう言ったのですよね? 神が実在した、ということになる」


「嘘を言っている風ではありませんでしたし、見たこともないほどの魔力の塊であったことも確かですわ。わたくし、左目が潰れるかと思う程目が眩みましたもの」


 ノルベルトも、ヒルデガルトが忽然と姿を消したのを目撃している。


 なにか超常的なことに巻き込まれたのは間違いがないと解っていた。


 だが、ヒルデガルトが誰かに魔法で謀られている可能性を考え、彼女を慮った。俄かに神を信じるには、古代の知識が不足し過ぎているのだ。



 ディーターは暢気に「叔母上、逸話がどんどん増えていきますね……」と感心していた。


 彼は既にヒルデガルトに心酔していた。故に彼女の言葉を一切疑っていない。彼女が白いと言えば、黒いカラスも白いと言ってのけるだろう。半ばの狂信者である。



 不意にヴォルフガングが顔を上げ、口を開いた。


「お前が居たのは、おそらく知恵の泉だ」


 ヒルデガルトはきょとん、として聞き返す。


「知恵の泉?」


「トネリコの木の根元にあると神話に伝えられる、知恵の神の住処だよ。何故そこに豊穣の神が居たのかはわからないが」


「もしかして、その泉の水を飲むと頭が良くなったりするのですか?」


 ヴォルフガングは頷いて応えた。


「そうだ。創世の神も、その泉で知恵を付けたという伝承がある。神が知恵を付けるほどの泉だ。人間が耐えられるかはわからないが、とても強い力を得られるだろう」


(下手に水に触らなくて良かったー! 私がそんなのに耐えられる訳がないし)


「だが、あの古代遺跡が豊穣の神を祀る神殿だった、というのは、いくつか解読できた碑文で推測できている。そのことはお前には伝えていないし、この内容は国家機密だ。それを口にしたのだから、その男が超常の存在であることは間違いないと思う」


「では……三年後に王国が滅ぼされる、というのは?」


 ヴォルフガングの顔が難しくなった。


「信じ難いが……帝国が古代魔法を得た後なら、有り得る。そんな簡単に、人間に扱えるものではないのだがね」


 ヒルデガルトはその言葉に頷いて応える。


「豊穣の神が言う通りであれば、今の世界で古代魔法を使えるのは精霊眼の持ち主だけですわ。帝国にはどれくらい精霊眼の持ち主が居るのでしょうか」


「具体的にはわからないが、この国ですら百人だ。帝国なら単純計算で三倍程度は居るだろう。だが、精霊眼の持ち主に限らず、現代の人間が古代魔法を使えた、という話は耳にしたことがないんだ」


 実際、表に出てきている情報では居ないことになっている。最も新しい古代魔法の使い手すら、古い伝承に在るのみだ。


 誰かが古代魔法ほどの絶大な力を用いて何かを成せば、なんらかの兆候がヴォルフガングのような魔術フリークたちに察知される。


 つまり現在まで、古代魔法を習得した人間の兆候はないのだ。


 ――もちろん、秘匿を貫かれていた場合は別となる。それを知る術は、神ならぬ人の身では不可能だ。



 ヴォルフガングが難しい顔のまま、ヒルデガルトに尋ねた。


「ヒルダ。お前は古代魔法を使えるのかい?」


 ヒルデガルトも難しい顔になって応える。


「うーん……理屈は教えてもらいましたが、まだ試していません。ちょっとやってみましょう」



 そう言ってヒルデガルトはペンを手に持ち、『蜃気楼』を作り始める。


 普段の『蜃気楼』と違うのは、イングヴェイの気配を辿り『こういう魔法を使いたいから力を貸して』と願ったことだ。


 願った途端、ヒルデガルトの手元にイングヴェイの魔力が集まってくる。それを魔力同調して操り、『蜃気楼』を完成させた。



 あまりにあっさりできてしまい、ヒルデガルトは拍子抜けしたように語った。


「……一応、できましたわね」


 精霊眼で見えるその『蜃気楼』のペンは、確かにイングヴェイの濃厚な金色の魔力で編まれていた。


 発動や維持に使う魔力はほとんどない。これなら丸一日だろうと平気で維持できるだろう。



 ヴォルフガングは唸ったまま『蜃気楼』のペンを見つめていた――生まれて初めて見る古代魔法、その姿を観察していたのだ。


「お父様? どうかされまして?」


 ヒルデガルトに問われ、ヴォルフガングはハッと顔を上げて応えた。


「いや、確かにこれは古代魔法だろう。お前のものではない魔力が使われているのが解る。そして、お前にこれから必要なものも判った」


 ヒルデガルトは小首を傾げた。


(私に必要なもの?)


 ヴォルフガングは頷いた。


「邸にもどったら本格的に試してみることにしよう――それと帝国の件は私が預かる。緊急事態と言えるからね。急いで対策を練らねばならない。お前たち、このことは他言無用だよ」


「はい、わかりましたお父様」





 馬車は学院に向けて、まっすぐ戻っていった。


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