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第8話:合流

 気が付いた時、ヒルデガルトは石碑の前に立って居た。


(「元居た場所に戻す」って言ってたっけ)



 辺りは暗く、明かりもない。もう夜なのだろう。精霊眼で遺跡の魔力が見えてるからこそ、彼女は今、自分が居る場所を把握できたのだ。


(飛ばされる前は、朝九時手前ぐらいだったと思うんだけど)


 人の気配は、付近にはなかった。



「みなさまー! どこかにおられますかー!」


 声が反響していく。だが、返事はない。


 ヒルデガルトは大きくため息を吐いてから、少し考える。


(皆と完全にはぐれた。でもどうにか合流しないと)


 ヒルデガルトが姿を消して、皆が彼女を探しているとしても、必ず集合する場所がある。そこに行くのが確実だろうと思われた。


(……馬車に戻るか)


 来た道を戻りに、ヒルデガルトは足を踏み出した。





 こつん、こつん、と足が石畳を叩いていく。


 この遺跡全体が魔力を帯びているおかげで、ヒルデガルトは明かりがなくても歩くのには困らなかった。精霊眼には通路の形がはっきりと映りこんでいた。



 来た時には灰色狼が出た。今度も出ないとは限らない。


(一人で相手をできるとも思えないから、出会いたくはないんだけど)


 そのまましばらく歩くと、昼間倒したと見られる灰色狼の死骸を見つけた。


 ヒルデガルトはしゃがみ込んで指先に火を生み出し、少し死骸の様子を確認した。


 血は乾いているが、肉はまだ傷んでいない。つまり、それほど長い時間は過ぎていない。おそらく当日の夜なのだろうと結論付けた。


 火を消して立ち上がり、ヒルデガルトはまた先に進んだ。



 ヒルデガルトはここまでだいぶ歩いてきた。だがまだ人の気配はない。


 この遺跡は結構な広さがあるのだろう。偶然はぐれた皆と出会う確率は低い。彼女はそう考えた。


 実際、この遺跡はかなりの広さがある。入り口から中心部まで徒歩で一時間も歩くのだから。


(いったい、何時間あそこに居たのだろう)


 今時間を確認してもいいが、ヒルデガルトはそれよりもまず先に人の居る場所に辿り着きたかった――心細かったのだ。


 ようやくヒルデガルトの目が人の気配を見つけた――遠くにかがり火が見える。その付近には兵士らしき姿もある。遺跡の入り口だろう。


 無事に辿り着けたことに、ヒルデガルトは胸を撫で下ろした。



 ヒルデガルトが近寄ると、門番たちが彼女に向かって駆け寄った。


「どこに行ってらしたのですか! ヴォルフガング様が心配していましたよ?!」


 凄い剣幕で言われたが、体験したことは説明できるものではない。ヒルデガルトは適当に話を濁すことにした。


「古代遺跡の仕掛けに、囚われていたみたいなのです。さきほどようやく出てこられました」


 無難な説明である。嘘は言っていない。だが真実も言っていない。そして余計な詮索をされることのない内容だ。


 ヴォルフガングたちはどうやら、遺跡内部でヒルデガルトを捜索しているらしい。


(みんなにも心配かけちゃったな)


 一瞬、自己嫌悪に陥りかけたが、どう考えても不可抗力である。


 皆には再開したときに謝る事にし、深く考える事を止めにした。



 門番に時刻を尋ねた。門番は懐中時計を見て、夜の六時を回ったところだと答えた。


 ヒルデガルトもポケットから懐中時計を取り出した。その針は、十一時手前を指していた。


 石碑から遺跡入り口まで、一時間程度歩いてきた。飛ばされたのは九時頃の筈だ。


 手元の懐中時計を信じるなら、一時間近くをあの泉の畔で過ごしたことになる。体感時間でも、そのくらいだろうと思えた。


 だが門番たちの持つ時計とヒルデガルトの時計で、指し示す時刻が異なる。


 彼女が姿を消していた時間は、此処まで歩いてきた一時間を差し引くと、八時間程をあの泉の畔で過ごした事になる。


 だがそれは、体感時間と大きく剥離した数字だった。



(出発前に時刻は合わせてきたはず……あの場所では、時間の進み方が違う?)


 ヒルデガルトの頭脳は、そう結論付けた。あの飛ばされた先と今いる世界では、時間の速度が違うのだと。



 門番の詰め所に案内され、ヒルデガルトは長椅子に腰を下ろした。


 何人かの交代要員が、休憩を返上して遺跡内部へ報せに走っていった。一名は残り、詰め所に居るヒルデガルトを護衛している。



 ヒルデガルトは残った兵士に、詫びを述べた。


「お仕事の邪魔をしてしまって、大変申し訳ありません」


 頭を下げたが、兵士は逆に恐縮していた。


「とんでもない! 遺跡内部のトラブルに対応するのも、我々の職務ですので」


 確かに職務のうちだった。その上、一般兵士は平民階級が多い。伯爵令嬢に頭を下げられるなど、逆に困ってしまうだけだろう。



 ヒルデガルトは長椅子に座りながら、辺りを見回した。


 今、この詰め所には交代要員の兵が一人、彼女の前に立っているだけだ。


 外には門の左右に一人ずつ、兵士が変わらず立っている。


(三人か。何かに襲われたら厳しい状況ね)


 訓練された王国兵士が三人である。害獣程度のトラブルなら、対応はできるだろう。


 だが、あんな話を聞いた後では、とても安心できる心境にはなれなかった。



(放置しておけば、三年後には王国が滅ぶ、か)


 帝国は遺跡の叡智を手に入れたがっている、という話だった。


 ならばこの遺跡にも、帝国がなにかを仕掛けてこないとも限らない。


 今、帝国兵に襲われたとしたら、兵士三人では心許ない。


 ここは王国の中心部だ。そう易々と敵兵が入り込める場所ではないが、密偵が国内に全く居ないという保証もなかった。



 不安でぐるぐると思考が彷徨った後、ヒルデガルトは小さくため息を吐いた。


(この話は、お父様に打ち明けるべきね)


 話が大きすぎて、彼女の手には余る。ならばここは、彼女が信頼するヴォルフガングを頼る他はないと思ったのだ。





 一時間が過ぎ、報せに走った兵士たちもまだ戻っていない。


 兵士はこうした時間に慣れているのか、じっと立ち尽くして待っていた。


 だがヒルデガルトはそんなものには慣れていない。


(さすがに、そろそろ退屈になってきたな)


 ヒルデガルトは暇つぶしに、イングヴェイがしてくれた話を思い出していた。


 彼は『元来の魔法とは、神の気配を辿って行使するものだ』と言っていた。


 そして彼が神であることを、彼自身が認めた。


(なら、イングヴェイの気配を辿ることができるのかな?)


 ヒルデガルトは目を瞑って、彼の気配を思い出す。


 夏の陽射しのような力強い魔力。それを感じ取れないか――目を瞑り、風のない湖面のような心でじっと待って居た。



 ふわり、と夏の陽射しの匂いを感じた気がした。それは世界のどこからか漂ってくる、熱い魔力の波動。


(これが神の気配、か)


 気配を手繰り寄せ、感覚で握りしめる。その途端、気配が鮮明に感じられた。


 確かにそれは、イングヴェイの気配だった。


 試しに、ヒルデガルトは話しかけてみることにした。



(――イングヴェイ、聞こえている?)


『おや、もう気配を掴んだのか、いいね、理解が早くて助かるよ』



 声はとても遠くて小さい。だが確かに聞こえた。彼が神だというのは、本当なのかもしれない。



(どうしてそんなに声が遠いの?)


『本来、神の声は祭壇でしか聞き取ることができない。そこは祭壇からかなり離れているからね。よほど神と強く結ばれていれば、また別なんだが――君はまだ、私を信頼していないからね。その信頼関係が現れているのさ』


(それは無理があるよ……)


 神を自称し、あんな荒唐無稽な話をする胡散臭い奴を信じろ、というのが無茶な話だ。


『はははは! まぁ君が僕を信頼する気になったら、祭壇から遠く離れていても会話できるようになる。私は君を気に入っているからね』


(ほんと、うっさんくさい……)


 いやそれよりも、彼が神ならば、聞いておきたいことがヒルデガルトにはあった。



(ねぇ。お父様たちは無事? 今どのあたりに居るの?)


『無事だね。今は……ああ、兵士が報せに来ている。もう一、二時間もすれば、全員合流できるだろう』


(……このあたりに、危険はない?)


『大丈夫。今はまだ、君の傍に脅威は近づいていない』



(神って便利だなぁ……警戒魔法を使わなくても安全を教えてくれるだなんて)


 ヒルデガルトの頭の中に、イングヴェイの笑い声が木霊した。



『神を便利道具みたいに考えるの、やめてもらっていいかな? 少しは敬ってくれ』


 どこか少し拗ねるような彼の声が、笑い声の後に返ってきた。


 どうやら相手は神様で間違いないらしい。ならば、確かに失礼かもしれないとヒルデガルトは思い直した。



(ごめんなさい、あまりにも便利だったものだから、つい。ところで、こうやって交信できているってことは、私にも”古代魔法”を使えるの?)


 ”元来の魔法”と呼ぶのは、ヴォルフガングの魔法を蔑んでる感じがしたので、彼女は名称を”古代魔法”とすることに決めた。


(お父様の編み出した、生涯の集大成である『蜃気楼』が魔法の偽物、みたいに扱われるのはちょっと嫌なのよね)


 またイングヴェイの笑い声が、彼女の頭に響き渡った。


『はははは! 大丈夫、それで通じるよ。王国も他の国も、専門的には”古代魔法”と呼んでいる――君が望めば、古代魔法は姿を現すよ』


 神のお墨付きだ。ヒルデガルトにも使えるらしい。


(どうやればいいの?)


『そうだね、どう説明しようか……魔力同調して、相手の魔力で魔術を使うことが、君にはできるね。あれと同じ要領で良い』


 言われたことを理解したのか、ヒルデガルトは頷いた。同じ要領でよいならば問題ないだろう。


(……私の意志で、あなたのところに行くことになると、あなたは言った。どうすればあそこにいけるの?)


『君のポケットに、しるべを忍ばせておいた。それを手に持って、あの場所を強くイメージすればいい』


 ヒルデガルトは目を開けて、ポケットをまさぐった――一枚の葉っぱが出てきた。


(いつの間にこんなものが……)


 これはトネリコの葉だ。青々としている。この季節ならどこでも手に入るような、ありふれた物だ――彼女の右目にはそう映った。


 左目に映るそれは、透き通った濃厚な魔力の塊だった。この世のものではありえない魔力濃度だ。


『それは君の魂に紐づけてあるから、他人が使うことはできないよ。そもそもあの場所は、精霊眼の持ち主しかこられない場所だしね』



 ヒルデガルト一人だけでも、緊急避難先がある、というのは心強い。


 何かに襲われても、その時この葉を持っていれば、必ず逃げ出せるということだ。


 ネックは時間の進みがこの世と違う、ということだろうか。


 あそこでのんびりしていたら時間のずれが大きくなって、今回のように問題が出てくるだろう。


 あの場所は神の世界なのだ。人間のヒルデガルトは、なるだけあそこに立ち入らないようにするのが良いのだ。



 ヒルデガルトは大切にトネリコの葉をポケットにしまい込んだ。


『さぁ、最初のお友達が合流する頃だよ。迎えに行ってあげなさい』



 言われるがままにヒルデガルトは立ち上がり、門に向かった。


 その目に四人の人影が映った――クラウディアたちだ。


「クラウー! みんなー!」


 ヒルデガルトは手を振り、声を上げた。


 それを認めたクラウディアたちは、慌ててヒルデガルトに駆け寄った。



 最初にクラウディアが涙目でヒルデガルトに飛びついた。


「ヒルダ! どこに行ってたのよ! 心配させないで!」


 ヒルデガルトそれをしっかりと受け止めていたが、勢いを殺しきれず、尻もちをついた。


(いったー……クラウ、勢いつけ過ぎ……)


 ヒルデガルトは、胸の中で泣きじゃくるクラウディアの頭を撫でながら、安堵するルイーゼたちに囲まれていた。


 自分が見つかって安心している彼女らに、ヒルデガルトは謝った。


「ごめんなさい。まさか、遺跡の魔法に巻き込まれるなんて思わなくて」


 アストリッドが口を開く。


「ヒルダが突然消えて、みんな慌てふためいたんだぞ? ヴォルフガング様も大慌てで。”手分けして探そう”って」


 エミリが暢気な口調で語った。


「でも無事に帰ってきてよかったよー。噂じゃ、帰ってこられない人も出たって聞いたことあるしー」


 ようやく泣き終わったクラウディアが、ヒルデガルトの胸の中で、涙目で彼女を見上げた。


「本当に無事? どこもなんともない?」


 ヒルデガルトはクラウディアに笑顔で応える。


「大丈夫、怪我なんてひとつもないわ。だから、安心して?」


 少しは落ち着いたのか、クラウディアが立ち上がった。ヒルデガルトもルイーゼの手を借りて立ち上がる。


 ヒルデガルトを手助けしながら、ルイーゼが尋ねた。


「でも、どこに行ってたの? 記憶はある?」


「うーん……なんて説明すればいいのか……」


 あんな荒唐無稽で不穏な話は、人前で口にする内容ではないだろう。


 悩んだヒルデガルトは「後で詳しく説明します」とだけ彼女らに伝えた。



 そうしてしばらくは女子でヒルデガルトが居なくなってからの出来事を話していたのだが、遠くから金属音が聞こえてきた。


 音の発生源――遺跡の入り口をヒルデガルトが見ると、ライナーと魔術騎士二名が走ってくるところだった。


(軽鎧って、走るとあんなにうるさいのね……)


 軽鎧は全身鎧と比べれば圧倒的に軽い代物だが、腐っても金属鎧である。激しく動けばかなり喧しい。


 遠くからライナーが叫んだ。


「ヒルデガルト! 無事か!」


 ヒルデガルトは反応に困ったので、黙って彼の到着を待った。



 ヒルデガルトの目前に辿り着いたライナーは、すっかり息を切らしていた。報せを聞いて、急いで戻ってきたのだ。


 後ろの魔術騎士二人はへとへとに疲れている。言葉を口にする元気もない。ライナーに比べれば体力で劣るのだ。



「無事ですわよ?」


 ヒルデガルトは簡潔にライナーに告げた。


「よかった!」


 そう言って抱き着いて来ようとしたライナーを、ルイーゼとアストリッドが素早く遮った。ぐっじょぶである。


 二人の女子が冷たい視線でライナーを睨んでいる。


「婚約者の居る令嬢に抱き着こう、だなんて、まさか考えておりませんわよね?」


 ルイーゼの冷たい言葉に、ライナーが怯んで一歩下がった。「すまない、嬉しさのあまりつい、我を忘れた」と弁明した。




 またしばらくするとフィルとハーディが姿を見せた。


「――ヒルデガルト嬢、無事か」


 ぶっきらぼうに言い放たれたハーディの言葉に、ヒルデガルトは「ええ、ありがとう」とだけ返した。


 フィルはいつもの微笑みを寄越した後、ハーディを伴いヒルデガルトたちから離れた木陰に腰を下ろし、雑談を始めていた。



 ヒルデガルトは彼らを遠くに見やりながら、ぽつりと言った。


「まさか、捜索してくれるだなんてね。よくわからない人だわ」


 評判では、乱暴者で不誠実な女泣かせ、と聞いていた。だが、今までヒルデガルトが見てきた彼は、ただ不器用なだけの男だ。


 クラウディアもぽつりと言う。


「そうね。噂に比べると随分と大人しい。以前、夜会で見せた姿とも違うわね――案外、ヒルダに本気なのかもわからないわ」


(もう許してくれないかな?!)


 これ以上横恋慕してくる相手が増えるのが嫌なのだ。ライナーだけで手一杯の所に追加オーダーなぞ入っても対応する力は残っていない。


 ヒルデガルトの顔に疲れが増していた。本当に心底うんざりしているのが傍目にもわかる。


 クラウディアが言葉を付け加える。


「フィル様も、あなたを諦めたわけではなさそうよ。目で追っているもの」


 ヒルデガルトの顔が引きつった。


「いや、もう本気でお腹一杯だから許してほしいんだけど……なんで婚約者がいる相手にそこまで入れ込めるのかしら」


 ヒルデガルトの理解の外だった。恋愛初心者の彼女には、横恋慕する人の気持ちは全く理解も共感もできないのだ。


 ルイーゼがヒルデガルトに優しく笑いかけながら教えた。


「恋に落ちる時に理屈はいらないのよ? 特にあなた、あの二人には婚約前から目を付けられていたしね。それに、婚姻している人に懸想する事だって、珍しい訳じゃないわ」


 ヒルデガルトは更に笑いを引きつらせながら「わたくし、ベルト一人が居れば、それで充分なので」と言うだけだった。


 泥沼の恋愛模様など、御免被りたいのが本音だろう。


 早いところ、彼らが身を固めますように、と神に祈っていた。



 フランツ王子とノルベルト、魔術騎士二名も戻ってきて、無事を喜び、ヒルデガルトたちに合流した。



 ヴォルフガングは最深部の方を捜索していたらしく、戻ってくるのに時間がかかった。ディーターと残りの魔術騎士も一緒だったようだ。


「ヒルダ! 無事だったんだね!」


 ヴォルフガングは息を切らせて駆け付け、ヒルデガルトを抱きしめた。


 ヒルデガルトはヴォルフガングの胸の中で、優しく応える。


「ええ、ご心配をおかけしました。無事です」


「お前の姿が忽然と消えてしまって、心臓が止まるほど驚いたよ。あの石碑にあんな仕掛けがあっただなんて……今まで、何人もの人間があの石碑を触ってきたのに、初めて見たんだ」


 ヒルデガルトは強く抱きしめられながら、「そのことについては、馬車の中でお話しますわ」とだけ告げた。


 ヴォルフガングは何かを感じ取り、静かに頷いた。


「そうか……わかった。では今夜はもう日も落ちた。ここで野営をして、明日の朝、馬車に戻ろう」


 ヴォルフガングの指示に従って、それぞれが野営の準備を開始した。


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