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第7話:泉の畔

「あれ? ここはどこ?」


 ヒルデガルトが気が付くと、真っ暗な空間に一人で立っていた。


 耳には、ちゃぷちゃぷ、と水音が聞こえる。


 彼女の周囲に人の気配はない。



「お父様! クラウ! ベルト! みんな! どこ?!」


 彼女は声を張り上げたが、反応は全くなかった。


(それどころか、声が反響していない――とても広い空間に今、私は居る)


 ほんの一瞬前まで、彼女は古代遺跡の中心部にいた。


 あの空間は広かったが、声は反響して聞こえていた。


 声が反響しないほど広い空間に、一瞬で飛ばされたのだ。



(どうする――動くべきか、留まるべきか)


 なんらかの魔法が発動したのは明らかだった。


 空間を転移させる魔法――そんなものが、あるのだろうか、と彼女は考えていた。それは現代の魔術理論で到達できる現象とは思えなかった。



 ヒルデガルトはひとまず、索敵魔術を広げた――半径五十メートル、さっきの石碑があった空間と同じ広さに。


(――だめだ、空間全体に強い魔力が漂い過ぎていて区別がつかない)


 この空間全体が魔法で編まれたかのように、強力な魔力の中に居る。それが解っただけだった。彼女の索敵魔術は、この空間では無力だ。


 彼女は魔力を温存するために、術式をすぐに解除した。



 水音が続く中、暗闇の中で一人立ち尽くす。


 ヒルデガルトは特大のため息を吐いた。


「どうしろっていうのよ……」


 ぼやいても、応える者はいない。



 五分ほどその場に佇んで居たが、その場に変化は訪れなかった。



(仕方ない、少し動いてみるか)


 変化が訪れないなら自ら変化を起こしてみる――ただそれだけの直感で彼女は動いた。


 ヒルデガルトは唯一の手掛かりである、水音のする方に歩いていく事に決めた。


 足元は土のようだ。ペタリペタリと足音がする。


 転ばないように、慎重に歩を進めていく。



 少し目が慣れたのか、あるいは魔力濃度が違うのか――ヒルデガルトの目の前に、大きな水たまりがあるのが解った。


 その水たまりが起こす波打ちが、水音の正体だった。



「水たまり? 地下水かしら」


「違うよ。ここは泉の畔さ」


 突然かけられた声にヒルデガルトは振り返り、腰を落として警戒する。


(気配なんてなかったはず?!)



 そこには、金色に輝いた男性が立っていた。


 長い金髪を身に纏い、随分とラフな格好――まるで平民が休日に着る服装だ――で立っている。


 フィルすら霞むほど人間離れした美貌、スラっとした長身。


 ヒルデガルトは怪訝な顔をしながら、その男性を観察していた。


(敵意は……ないように見える)


「敵意なんてないさ」


(心を読んだ?!)


 ヒルデガルトは、”まるでお父様の様だ”と少し暢気に思った。


「ははは! そうか、君のお父様は、相手の心理を読むのに長けているんだね」


 その男性は、軽やかに笑った。


「……あなたは、心理を読む、なんて生易しいことをしてるわけじゃないみたいね」


 初めて会った人物に、ヒルデガルトが与えていない情報を口にされたのだ。心理戦の類ではない。



 精霊眼で見るその男性は、魔力が強すぎて光の塊に見えていた。ヒルデガルトに右目がなかったら、顔の判別がつかなかっただろう。


 男性は敵意のない笑みを浮かべつつ、口を開く。


「ここで立ち話というのもなんだ、私の館においで。お茶くらいは出してあげよう――ついておいで」


 そういって指でヒルデガルトを招くと、男性は後ろに振り返り歩いていく。


 その歩いていく先には、先ほどまでは気づかなかった三階建ての館が見えた。


(……どうする?)


 ようやく訪れた変化ではある。


 だが現れた男性は、信用するには胡散臭く感じたのだ。


 ヒルデガルトが悩んで立ち止まっていると、男性がこちらを振り返る。


「そこに居ても、何も変化は起こらないよ。なに、取って食ったりはしない。いいからおいで」


 そう言ってまた前へ歩き出す。


(……信じてみるか)


 ヒルデガルトは大きくため息をついた後、金色に光る男性の背を追った。





****


 館は、現代の高位貴族のそれに近いものだった。


 建築様式は彼女が見慣れたものだ。


 扉をくぐると、中は明かりに包まれていてヒルデガルトは少し目が眩んだ。



「ははは! あそこは暗いからね。目が慣れるまで、少しかかるよ」


 言われた通り、彼女の目が慣れるまで若干の時間がかかった。


 ようやく目が慣れると、館の中の光景も目に入る――やはり、見慣れた建築様式だ。


 男性はヒルデガルトの目が慣れるのを待つかのように、彼女の少し先で待って居た。



「あなたは、一人でここに住んでいるんですか?」


 男性は頷いた。


「ああ。ずっと一人でここに住んでいる――君みたいな子がやってくるのを、待つためにね」


(私みたいな?)


「精霊眼を持った者しか、ここには招くことができないんだ」


「……あなたは、何者ですか? 私を知っているの?」


 ヒルデガルトは警戒しながら質問を投げかける。


 男性は楽しそうに笑いながら応える。


「それは、お茶を飲みながら話そう――さぁ、ついておいで。応接室に案内しよう」


 そう言って男性は再び歩き出した。


(…………)


 ヒルデガルトは混乱していた。だがあの男性は精霊眼の事について何かを知っている口振りだった。


 それが気になり、ヒルデガルトは大人しく、男性の後を追った。





 ヒルデガルトは、案内された応接室のソファに腰かけていた。


(もうこうなったら、なるようになれ、だ!)


 半ばやけくそだった。だがジタバタしても始まらないと思えていた。


「そうそう、そのくらい腹が据わってないと、これから話すことについてこられないよ?」


 ヒルデガルトの前に紅茶を置いた後、男性は彼女の向かいに腰かけた。


「ではまず、自己紹介をしておこう。私の名前はイングヴェイだ」


「……ヒルデガルト・フォン・ファルケンシュタインです」


 男性――イングヴェイは自分の紅茶を口に含んだ後、ヒルデガルトに問いかけた。


「ではヒルデガルト。君が今、知りたいことはなんだい?」


 ヒルデガルトは少し考えてから答えた。


「……みんなのところへの戻り方よ」


「大丈夫、私の話が終わったら、君を元の場所へ戻してあげよう。それと、その紅茶に毒なんて入っていないから、安心して飲むといい」


 イングヴェイに見つめられ、仕方なく紅茶を口にする――あ、結構美味しい。


「そうか、口に合ってよかった」


(心が読めるなら、私が言葉を口に出す必要、ないんじゃないかしら)


 ヒルデガルトは少しぶすくれた。


「それでは会話にならないだろう? 私も長いこと一人でね。会話には飢えているんだ」


 イングヴェイはヒルデガルトの顔を見て、また楽しそうに微笑んだ。


「それで? あなたの話ってなんなの?」


「そうだな――今日の所は、精霊眼の正しい使い方についてレクチャーしよう」


「”今日の所は”ってどういう意味?!」


 ヒルデガルト思わず立ち上がり、イングヴェイを見下ろした。その双眸は鋭く彼を睨み付けている。


 イングヴェイはそんなヒルデガルトをにこやかに見上げている。


「ヒルデガルト。君は近いうちに、またここに来ることになる。そう言ったのさ。それは君の自由意思で行われる。無理矢理連れてくるわけじゃないから、安心するといい」


(何を安心しろっていうのよ!)


 ヒルデガルトには、こんな訳の分からない空間に、自分が自分の意志で再び訪れるなど、とても信じられなかった。


 そもそも、どうやってここに来たのかすら解らない。怒気がその目に宿る。


「まぁまぁ、そう怒らないで――さぁ、座りなさい」



 渋々、ヒルデガルトはもう一度腰をかけた。


 彼と話していると、不思議とヒルデガルトから毒気が抜かれていくようだ。落ち着いた男の空気がそうさせているのだろうか。



 微笑んだままのイングヴェイが、ヒルデガルトに問いかける。


「ではまず、君に質問だ。魔法とは、なんだと思う?」


「……高度な魔術で発生する、この世の法則を超えた超常現象、と習いました」


 彼女が知る魔法とは、そういうものだ。


 イングヴェイの笑みは変わらない。


「そうだね。今の時代の君たちは、そう理解している。だが、それは間違いだ」


 ヒルデガルトの顔がむっとした。


「間違い? 本当は違うといいたいの?」


「そうだ。魔法とはね。神の権能なんだ。それを人間が使ったときに、魔法として姿を現す」


 神の権能、それはつまり”神の力”とも言い換えられる概念だ。ヒルデガルトも、それをある程度は把握していた。


 イングヴェイは言葉を続ける。


「元来魔法とは、神から力を借りて行使される超常現象のことだ。現代の魔術はそれを、人間の理解できる範囲で模倣している技術だよ」


「……つまり、魔術と魔法は、まったく別の現象、ということなの?」


 イングヴェイが楽しそうに笑った。


「いいね、理解が早い。君たちは自分の魔力を使って魔術を行使している。君たちが魔法と呼んでいるものも、同じように自分たちの魔力を使っている。けどね、元来の魔法は神の力を借りる。自分の魔力なんて、ほとんど使わないものなんだ」


(そりゃあ、神様から力を借りるなら、人間のちっぽけな力なんて何の足しにもならない。使う必要もないだろうけど)


「そう! その通りだ。魔法を使う時の呼び水として術者の魔力を少し使うが、魔法の大部分は神から借りた力を使う。神から力を借り続けられる限り、魔法を維持することができる。それこそ何か月でも維持することができるんだよ」


(思考を読むのか会話をしたいのか、はっきりしてほしいな……)


 ヒルデガルトは、ちょっと相手をするのに疲れ始めていた。


 表情にも、ややうんざりとした色が含まれ始める。


「はははは! すまない! 以後、思考を読まないように気を付けるよ」


「そう言いながら思考に返事してますけど?!」


 イングヴェイは笑いながら「すまない」とまた口にした。


(なんでこの人、こんなに楽しそうなんだろう……)


 ヒルデガルトはため息を吐いた。


「それで? その魔法の話と精霊眼、なにか関係があるんですか?」


「まぁまぁ焦らないで――神の力を借りるにはね。力を貸してくれる神の気配を知る必要があるんだ」


「神の……気配?」


「力の残滓、みたいなものかな。世界に漂っている、神の力の片鱗、とでも思えばいいさ。一度その気配を覚えたら、世界のどこに居ても、その神の力が及ぶ範囲であれば気配を感じることができるんだ」


「世界のどこでもって……さすが神様ね」


「人間が魔法を使う時、まず神の気配を探る。そうして探り当てた気配を辿って、神に力を貸してくれるように祈るんだ。神がそれに応じれば、魔法は姿を現す。簡単だろ?」


 ヒルデガルトにとって、それはとても原始的な魔術に思えた。


 魔術理論もへったくれもない。「力を貸して!」、「あいよ!」これで、神の力を借りる魔法、というとんでもない力が成立してしまうことになる。


「随分とでたらめな力なのね。魔法って」


「うん、そうなんだ。なんせ、とっても古い時代のものだからね。今の時代からしてみれば、原始的に見えてもしょうがないね」


 イングヴェイは苦笑を浮かべながら、また紅茶を口に運ぶ。


「それで? 精霊眼の話はまだ?」


 ヒルデガルトは少しイライラし始めていた――話が長い!


 イングヴェイがまた笑う。


「ここまでが前提知識だよ。精霊眼はね。巫女の証なんだ。神の力を借りる巫女のね」


「巫女……?」


「神の代弁者、とでも言えばいいのかな。神の寵愛をうけた人間に授けられるのが、精霊眼なんだ。神に愛されている証だ」


 ヒルデガルトがきょとんとして尋ねる。


「……私が、神に愛されている?」


「そういうことになるね。今の世界は神の力が薄い。普通の人間が力を借りたくても、神の気配を辿れないんだ。だけど精霊眼の力があれば、神の気配を辿ることができる。元来の魔法を使うことができるんだ。神が精霊眼を見つけるからね」


(神が精霊眼を見つける――)


 イングヴェイは、ヒルデガルトをあの泉の畔で見つけた。


 そして精霊眼で見える、この男の光り輝く尋常ではなく強烈な魔力。


 つまり、この男は超常の存在なのだ、とヒルデガルトは結論付けた。


「あなたは神なの?」


 ヒルデガルトの問いに、イングヴェイは微笑みを絶やさずに応える。


「そうだね。かつて人間に、そう呼ばれた存在だ。やはり君は理解が早い」


 イングヴェイは素直にそれを認めた。


 それは俄かには信じられるものではない。


 ヒルデガルトが右目で見るイングヴェイは、確かに人とは思えない美貌をしている。


 だがそれだけだ。着ている服は平民のそれで、今、普通に会話している。神のような超常の存在には思えなかった。


 彼女は、そこに不思議な感覚を覚えていた。神が目に見える存在だと思ったことなど、なかったのだから。


「あなたが私にこの目を授けた、とでもいうの?」


 あの日、ヒルデガルトが突如授かったこの左目の送り主だというのだろうか。


「近くに、巫女に相応しい子が居たんでね。ちょっと力を貸してもらおうと思って、精霊たちに頼んだのさ――精霊眼は、精霊が運ぶものだからね」


 精霊が運ぶ眼だから精霊眼と呼ぶのだ。


 だが今のヒルデガルトはそんな事に、一ミリも興味がなかった。


(またよくわからないことを……でも)


「私の夢を粉々にしたのは、あなたなの?」


 またヒルデガルトの目に怒気が宿る。


 この左目のおかげで、どれだけ大変だったか。そんな記憶がヒルデガルトの脳裏に巡っていた。


「あのまま君が精霊眼を与えられず平民の生活をしていても、君の夢は打ち砕かれていたよ。それを今から少し、話そう」


 ヒルデガルトは怒りを堪えたまま、黙って話を聞くことにした――彼のいう事を無視できなかったからだ。


(あのままでも、夢が打ち砕かれていた?)


「北の帝国は知っているね?」


「ペルペテュエル帝国のことなら、少しは」



 二百年の歴史を誇る大帝国――レブナント王国とは、シュネーヴァイス山脈を挟んで北側に位置する。


 軍事国家で、山脈北側の大部分は帝国が支配していた。


 歴代の皇帝は野心家で、豊かなレブナント王国の土地を欲して、これまで何度も侵攻を企てては阻止されていた。



「そこの皇帝が、ちょっと不味いものを見つけてしまってね。まだ手に入れてはいないが、それも時間の問題だ。彼がそれを手に入れたら、レブナント王国は滅ぼされる」


 ――随分と穏やかではない話だ。


「その不味いものって何?」


「君たち人間が”古き神々の叡智”と呼んでいるもののひとつだ。今風にわかりやすく言い換えてしまえば、魔法兵器、みたいなものかな」


 魔法兵器――隣国が魔法を兵器として持ち込んで攻めてきたら、確かにまともな兵士では太刀打ちできない。


 それも従来の魔法ではない。おそらく元来の、神の力を借りる魔法を使った兵器だ。現代の魔術師たちが束になっても勝てないだろう。


 レブナント王国が蹂躙される、と言われても不思議ではない。


「猶予は……どれくらいあるの?」


 イングヴェイは微笑みを絶やさずに「そうだね、一年かな」と告げた。


 ヒルデガルトが目を瞠った。


「一年?! 一年後にはこの国が滅ぼされるというの?!」


「一年後に魔法兵器を帝国が持つ、というだけだ。そこから侵攻が開始されるから――王国が滅ぶまで三年くらいかな」


(大差ないじゃない……)


 イングヴェイのいう事が正しいのであれば、平民の生活を続けていたヒルデガルトが、遅くても十八を迎える年に戦火に巻き込まれることになる。


 確かに、彼女の夢は粉々に打ち砕かれていただろう。


 ヒルデガルトはまた少し考え、言葉を告げた。


「……何故、私をここに呼んだの?」


 あの石碑に刻んであった光る文字の色と、イングヴェイが纏う魔力の色は同じ色をしている。


 あの文字に触れることでヒルデガルトはここに飛ばされた。ならば、イングヴェイが自分を呼んだのだろう、と結論付けた。


「君たちがたまたま私の祭壇に来ていたんでね。このことを伝えておこうかと思って」


「祭壇? あの石碑があなたの祭壇なの?」


「あの遺跡はね、かつての神殿跡なんだ。私を祀っていた神殿のね」


「何故、私なの?」


 精霊眼の持ち主は、この国に百人くらいいる、と以前ヴォルフガングが言っていた。


 彼らでは駄目だったのだろうか。


「言ったろう? その目は寵愛の証。私はね、燃え盛る魂を持った者を愛する。他の精霊眼は、他の神の寵愛を受けているんだろうさ」


 ――他の神、と今言った。


「他の神がいるの? 神が力を合わせれば、帝国の企みなんて簡単に打ち砕けるんじゃないの?」


 イングヴェイは笑いながら語る。


「神々は一枚岩じゃない。個人主義の塊みたいなものさ。今は束ねる者も居ないからね。みんな好き勝手やってるよ――なにより、神は人間の世界に直接干渉してはいけないというルールがある。このルールを破ることは、私たちにはできない」


「とんでもない話ね……」


 ヒルデガルトは、未だに話を飲み込み切れていない。こうして対話していても荒唐無稽過ぎて、とても信じられなかった。


 だが、イングヴェイのいう事に嘘がなければ、この王国は三年後に滅ぶ。それは決して無視して良い話ではない。自分が打てる手は、打たねばならないだろう。


 ヒルデガルトの双眸に、決意の炎が宿った。


「……私に、何ができるの?」


「いいね、いい眼だ――北の山脈に眠る古代遺跡を、破壊してきてもらいたい。もちろんあそこは帝国が守備兵を置いている。一筋縄ではいかないよ」


 イングヴェイがそう言い終わると同時に、ヒルデガルトの身体が金色に光りだした。


 彼女は、まるでどこかに引っ張られるような感覚を覚えていた。


(これは……戻される?)


 ヒルデガルトは直ぐに立ち上がってイングヴェイに叫ぶ。


「待って! ねぇ、ここにはどうやってくればいいの?!」


「君は私に出会った。ならば、求めれば導かれる――自ずから解ることさ」


(言ってることが無茶苦茶だ! 少しは理解できるように言えないのか!)


 ヒルデガルトが混乱しながら、もう一度口を開こうとしたとき、彼女の世界はまた闇に包まれていた。


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