第6話:特別課外授業(3)
古代遺跡――古い時代、それこそ神話の時代からある、と伝えられている場所だった。
石で作られた巨大な門が、苔むしてヒルデガルトたちを待ち構えていた。
門の左右には王国兵が居る。ここは王国の管理下にある施設なのだ。当然である。
生徒たちを少し後ろに待機させ、ヴォルフガングは門番と内部の情報を確認していた。
戻ってきたヴォルフガングは「では行こうか」と先に進むよう指示した。
ヒルデガルトたちは相談して、まとまって移動していた。
最前列にディーター、アストリッド、エミリ。
中段列がノルベルト、ヒルデガルト、クラウディア、ルイーゼ。
最後列がジュリアス、フランツ王子である。
最前列にディーターが居る以外は、授業の時と同じ並びだ。
フィルとハーディのペアはヒルデガルトたちから離れて移動している。
その中間にヴォルフガング。
かなり後方に、離れて魔術騎士隊が付いてきていた。
敵性生物が出る可能性がある、ということで、まずはジュリアスが索敵魔術を発動させておくことになった。
「きつくなったら代わりますわよ?」
「そうですね。その時はお願いします」
(ジュリアスにしては、素直に提案を受け入れてくれたわね)
索敵魔術は消耗が激しい。索敵範囲に魔力の網を投げ込む形になるので、どうしても魔力を多く使わざるを得ない。
ジュリアスもそれが解っているから、無理をしないで素直に従ったのだ。
二交代制で交互に警戒術式を担当し、もう片方が魔力回復に努めれば、それなりの時間をなんとかできるものである。
「ねぇお父様! ここはいつ頃の遺跡なのですか?!」
ヒルデガルトは少し声を張り上げてヴォルフガングに尋ねた――距離が離れているので、叫ばないと聞こえないのだ。
「千年以上昔だね!」
ヴォルフガングの張り上げた声が返ってくる。
(千年……そんなに古いのか)
ヒルデガルトはジュリアスを一瞥した。ジュリアスはその視線に気が付いて、補足の解説をした。
「千年以上、というのは”少なくとも千年前には既に遺跡として存在していた”という記録があるからです。なので、もっとずっと古いものですよ」
苔むしてはいたが、とてもそんな長い年月の間、風雨に晒されていたとは思えないほど、遺跡は傷一つなく遺っていた。
そしてヒルデガルトには、この遺跡のもう一つの姿が見えている。
「……この遺跡、ただの石作りに見えますけど、そうではありませんわね?」
ヒルデガルトの確認を受けて、ジュリアスの表情に驚きが混じる。
「ええ、そうです。通常の石ではありません。とてもよく似た何か、ではありますが、何が違うのかわからないのが現状です――でも、よくわかりましたね?」
ヒルデガルトはただ、頷いて返した。
この遺跡の石は魔力を含んでいた。
精霊眼で確認して、それが見えたのだ。そして――
(この石は、存在を屈折させられている)
言うなれば、恒久的な『蜃気楼』だ。
ヒルデガルトたちは今、構造物の『蜃気楼』の中に居る。この構造物の本体がどこにいるのか、それはヒルデガルトにはわからない。
この感覚はヒルデガルトが『蜃気楼』の使い手だから気が付いた。
つまり、ヴォルフガングはもとより、ディーターですらうっすらと気が付いている。
(いえ……きっと逆なのね。この遺跡を見たから、お父様は『蜃気楼』を発案した)
つまり、『蜃気楼』という魔法のオリジナルがこの遺跡の魔法なのだ。
「わたくしたちは、既に巨大な魔法の中に入り込んでいるのね」
横で聞いていたクラウディアたちが理解できず「それはどういう意味?」と驚いた。ヒルデガルトは言葉を補足する。
「この古代遺跡自体が、魔法で保護された巨大な構造物、という意味ですわ。そうであれば何が起こるか、本当に分かりませんわね」
ヒルデガルトが真剣な目で注意喚起をする――それが皆には伝わったようだ。壁から少し、距離を置いて歩くようになった。
不用意に周囲に触れれば、何に巻き込まれるかわからない。
ヒルデガルトが精霊眼で見る世界でも、周囲一帯が魔力を帯びていることしかわからなかった。これでは何かが仕込まれていても、気づくことは難しいだろう。
「――敵性反応、ありました。二時の方向、十五メートルです。十二……九……」
ジュリアスの声が後方から響いた。カウントダウンが進んでいく。結構足が速い相手だ。
二時の方向――前方右手だ。その方向には草が覆い茂っていて、まだ視認ができない。
各々が臨戦態勢を整える。フランツ王子とノルベルトも帯剣してきているので、剣を抜いて構えた。
前衛紅一点、アストリッドも剣を構えた。魔術騎士たちもいつの間にか剣を手に提げている。
フィルたちを見ると、こちらも剣を抜いて構えている。ヒルデガルトたちや魔術騎士たちの様子で、敵の存在を知ったのだ。
他の女子とディーターは、各々が得意な術式を準備した。
「三……来ます!」
ジュリアスの声と共に、右手前方の茂みから大型の灰色狼が飛び出した。体長は二メートルを優に越している。
灰色狼は。この地方では害獣として有名だ。成体の体長は二メートル前後で、人が襲われることも珍しくない。
本来は群れで行動するものだが、群れからはぐれたのだろうか。単体で現れていた。
「腹を空かせているみたいですね。獰猛で俊敏です。――殿下、ノルベルト。お二人にお願いします。他はサポートを」
ジュリアスの指示に従い、フランツ王子とノルベルトが剣を構えつつ前に出る。
ヒルデガルトは早速、灰色狼の足を炎の縄で縛ろうと術式を発動した――が、術式が完成するより早く灰色狼が縄から抜け出してしまった。
(私の瞬発力でも捕らえきれないのか)
そもそもこの術式は人間を無力化する為のものだ。野生動物相手には分が悪い。
そのままジグザグに襲い掛かってくる灰色狼に、ノルベルトが斬りかかった。
その肉体強化された瞬発力は、既にヒルデガルトの動体視力で捉えられないほど速かった。
彼が袈裟斬りに振り下ろした動きを、彼女は捕らえることができていなかった。
同時に動いていたフランツ王子も、ノルベルトに続いて横薙ぎに灰色狼を切り裂いていた。彼の動きもまた、ヒルデガルトは見失っている。
(――連携した動きがまったく見えなかった。普段からこういった鍛錬もしているのね)
フランツ王子の肉体強化術も、砂時計鍛錬によって以前とは比べ物にならない魔力制御の瞬発力を身に着けていた。
二人の攻撃を受け、手負いになった灰色狼が一歩退き、生徒たちを睨みつけている。
一瞬の間の後――再びフランツ王子とノルベルトが動き、灰色狼の首が斬り落とされていた。
「なぁ、こいつ、食えると思うか?」
フランツ王子が息も切らさず、灰色狼の死骸を眺めながら暢気に言った。剣を振って血を払い、鞘に納めている。
彼もまた、朝食を食べ損ねた一人である。
ヒルデガルトはその質問に答える。
「食べられなくはないですが、あんまり美味しくはないと思いますよ?」
灰色狼は雑食だ。そして雑食の動物はえぐみが強い。臭い消しにせめて香辛料が欲しい所だが、そのような準備もない。
その上、このような場所では、まともに調理することもできない。さすがに生肉は止めておいた方が無難だ。
フランツ王子は「ならば、こいつはここに捨て置くか」と灰色狼の死骸から興味を失くしたように目を離した。
ヒルデガルトが感心したように感想を述べた。
「殿下もベルトも、実戦には慣れているのですね」
女子組とディーターは、術式の準備こそしていたが、まともに動く暇すらなかった。
フランツ王子と同じように血を払って剣を鞘に納めながら、ノルベルトが応える。
「たまに害獣駆除に同行していましたからね。灰色狼程度なら慣れたものです」
ヒルデガルトがジュリアスを見る。少し疲労の色が見えるが、術式の維持はまだ余裕があるだろう。
「ジュリアス、索敵術式はあとどのくらい維持できますか?」
ジュリアスがいつものように冷静に応える。
「そうですね……限界まで二時間くらいでしょうか。範囲を狭めればもっと伸ばせますが、今くらいの索敵範囲が丁度よさそうです」
ヒルデガルトが懐中時計を取り出して時刻を確認する――まだ八時を回っていない。昼食まではまだだいぶ時間がある。
途中で一度、ヒルデガルトが索敵を交代した方がいいだろう。
ジュリアスは魔術のバリエーションが最も豊富で対応力は随一と言って良い。その魔力を索敵で使い切ってしまうのは頂けない。
ヒルデガルトがヴォルフガングに振り返り、確認を取る。
「お父様! 目的地まで、どのくらいかかるんでしょうか!」
ヴォルフガングが笑みを浮かべながら応えた。
「あと一時間くらい歩くよ!」
(ならばそこで私が索敵を交代した方がよさそうね)
ヒルデガルトはジュリアスに振り返り、彼を明るい笑顔で褒めた。
「それにしても、こんな器用に警戒網を張れるだなんて、ジュリアスの進歩は目覚ましいわね」
ジュリアスは少し頬を染めながらも「これくらい、当然ですよ」と目を逸らした。
ジュリアスは、警戒範囲に荒い網目状の魔力を張り巡らせていた。
警戒範囲全体に魔力を散布するのは、確実だが消耗が著しく激しい。
今のジュリアスのやり方であれば、広範囲をカバーしつつ、持続時間を延ばせる――もちろん、相応の集中力は要求される。
これも、ジュリアスが使う索敵術式のノウハウの一つだ。
このやり方はヒルデガルトの索敵術式にはあまり向かないが、今度真似をしてみよう、と彼女は思った。
ヒルデガルトが魔術騎士たちを一瞥すると、既に剣を納めリラックスしていた。彼らも独自で警戒網を張っているのが、精霊眼で見て取れた。
(彼らの警戒網、網目の精度はずっと粗いみたい)
粗い警戒網でも敵を捉えるノウハウを持っているのだ。彼らからには全く緊張した空気がない。実戦経験の差である。ヒルデガルトはそれを痛感していた。
クラウディアたちは、灰色狼が片付くと大きくため息を吐いて、少し疲れた様子だ。
皆、初めての実戦で相当緊張していた。
ヒルデガルトも、気づかないうちに肩の力が入っていた。それに自分で気が付いて、息を吐きつつ力を抜いていく。
(実戦経験、か。これが生かされる日が、本当はこないのが一番なんだけどね)
いつか来るかもしれないその時の為に備える。これもまた、力ある者が負うべき責務と言える。
ヒルデガルトたちは道なりに進んでいく。
遺跡の通路は広く、横幅は十メートル以上ある。
所々に細い横道が交差していて、それぞれが外と繋がっているようだった。先程の灰色狼も、その横道から現れたのだろう。
灰色狼から四十分ぐらい進んだ頃、遠くに光る浮遊物が見えた。
(結構大きいな)
ヒルデガルトはその浮遊物から目を離さずに、背後のジュリアスに声をかけた。
「ねぇジュリアス。あれは敵意がないの?」
ジュリアスの警戒網には既に入っているはずの距離だ。
ジュリアスが後ろから答える。
「今のところはありません。ですが、刺激を受けたらどうなるかわかりませんので、迂闊に近づかないことをお勧めしますよ」
精霊眼で見えるその浮遊物は、かなり高濃度の魔力を帯びていた。
(もしかして、これが魔法生物?)
ヒルデガルトはヴォルフガングに振り返り、尋ねた。
「ねぇ、お父様! あれはなんですか?」
「あれはシュヴェーベンだね! あまり近づいてはいけないよ!」
今度はジュリアスに向き直り「ジュリアスは知ってる?」と尋ねた。
ジュリアスは小さく頷き、応える。
「あれは空中に漂っているだけの魔法生物です。ですが、触ったものが姿を消した、という報告もあります。ヴォルフガング先生の言う通り、近寄らない方がいいですよ」
(見た目はふよふよした水色の水塊みたいなのに、案外怖いのね……)
距離が近づくにつれ、シュヴェーベンはそれ自体が発光しているのがうっすらと分かった。
どうやって浮いているのか、なぜ光っているのか、どうやって生命を維持しているのか……全く不明だ。確かに、この世の理の外に居る存在なのだろう。
浮遊してる高さはヒルデガルトたちの目線ぐらい。大きさは両手を広げたよりも大きい。
ヴォルフガングに言われた通り、生徒たちは近寄らないように迂回して先に進んでいった。
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「――さぁ、ここが目的地だ」
ヴォルフガングがそう言った場所は、通路よりさらに広い空間だった。
半径五十メートルくらいある円筒型の空間。その中央に、天井までそびえる巨大な石碑があった。天井は遥かに高く、目視ではどれだけの距離があるかわからない。
これだけ巨大な構造物をどうやって作ったのかも、ヒルデガルトたちには想像もつかないものだった。
ヒルデガルトは近寄ってきたヴォルフガングに質問を投げかける。
「お父様、ここはどういった場所なのですか?」
ヴォルフガングは頷いて応える。
「この遺跡の中心部だよ。その石碑には、古代文字で神話が綴られている、と言われている」
ジュリアスがその補足をする。
「古代文字は、そのほとんどが解明されていません。神話が綴られている、というのも、古い伝承によるものです。こういった遺跡は大陸各地に点在していますが、そこには”古き神々の叡智が眠っている”とも言われています」
大陸各地に点在する古代遺跡――その大半は神秘のヴェールに包まれた存在だ。
保有する各国はその秘密を守ろうとする為、国外にその詳しい情報が伝わる事もない。
各国とも、”古き神々の叡智”と呼ばれる古代の遺産を究明しようと躍起なのだ。
それは現代で魔法と呼ばれる力よりもはるかに大きな力を持って居た事が、古い伝承から伝わってきていた。
そんなものを国外に流出させる訳にはいかないのだ。
そんな理由もあって、古代遺跡や当時の文明の解明は一向に進まないまま現代にいたっている。
この古代遺跡もまた、国家機密となっている情報がいくつかあった。この場では、元筆頭宮廷魔術師のヴォルフガングのみがそれを知っている。
その内容が彼の口から生徒たちへ伝えられることはない。
ヴォルフガングはゆっくりと石碑に近づき、懐かしそうに手で撫でていた。
「私も若いころに研究していたんだがね。古代文字の完全解明には未だ、至っていないんだ」
ヴォルフガングは、ノルベルトに爵位を譲った後、再び古代遺跡の研究に戻ることも考えていた。
いつか古代遺跡の真実に辿り着けたなら、と夢想する男の一人でもあるのだ。
ヒルデガルトたちも石碑に近づいて観察を開始した。
確かに、石碑にはなにか文字が掘られている。現在の文字と全く異なるそれは、ヒルデガルトたちには何が書かれているのか全く解読できるものではなかった。
ぐるっと周囲を回ってみるが、石碑全体に文字が刻まれていた。
不意にヒルデガルトの目に入ったフィルとハーディは、退屈そうに入り口付近で彼女の様子を伺っていた。遺跡に興味がないのもあるだろうが、空腹で動くのが億劫、というのもあるだろう。
その近く、この空間の入り口付近にはライナーを含めた魔術騎士が、リラックスして生徒たちの様子を伺っている。
――ライナーの視線がヒルデガルトに釘付けなのを、彼女は見なかったことにした。
ヴォルフガングがヒルデガルトに尋ねた。
「ヒルダ、お前の精霊眼にはどう見えている?」
「そうですわね……石碑全体が魔力を帯びているのはわかります。とても不思議な色……うっすらと金色に輝いていますわね」
再び石碑の裏側に回ったところで、一際魔力の強い一文字がヒルデガルトの目に止まった。
(――ん? でもなんかおかしい?)
彼女の右目と左目で、目に入る文字が違って見えるのだ。
(いえ、これは……この文字は、左目にしか映っていない?)
右目で見えるのが、本来の石碑に刻まれた文字だろう。
そして左目には、それに重なるように輝く文字が見えていた。
左目にしか見えない文字――つまり、魔力で刻まれた文字だ。
ヒルデガルトが声を上げた。
「ねぇお父様。ここに、魔力で刻まれた文字が見えます」
ヴォルフガングが「どこだい?」と興味深げに近寄った。
「ほら、ここです」
そういってヒルデガルトは、右手の指で金色に輝く文字に触れた。
その瞬間、彼女は闇に飲まれていた。




