第5話:特別課外授業(2)
ヒルデガルトたちの一行が古代遺跡に到着したのは、間もなく陽が落ちる夕方頃だった。
「陽が落ちる前に野営の準備をしよう。さぁ、薪を集めてきなさい」
ヴォルフガングの指示に従って、生徒たちは馬車に乗り込んだ時のグループに分かれて薪を拾い始める。
(やっぱりジュリアスが不憫だわ……)
薪を集め終わると、食事の時間だ。
今度は好きに行動してよいと言われたので、ヒルデガルトたちはクラウディアたちと合流する。
「ヒルダーッ!」
クラウディアが勢いよく飛びかかってきたので、ヒルデガルトは思わず避けた。
「なんで避けるのよ!」
とても不機嫌なクラウディアを宥めつつ、ヒルデガルトは言い訳を述べる。
「だって、ぶつかったら痛そうですし……」
「三時間ぶりのヒルダなのよ?! 摂取させなさい?」
(あ、これは一緒の馬車にならなかったことを根に持ってるんだな)
ヒルデガルトは大人しく抱き着かれるままにしておくことにした。
クラウディアは一度こうなると手が付けられないのだ。
「元気ですね。じゃれてる暇があったら食事の用意を手伝ってください」
ジュリアスが手際よく風の術式で野菜を切り刻んでいく。
野菜などのかさばるものも馬車に乗せてあった。害獣除けの術式も搭載してあるので、獣に食い荒らされる心配はない。
ディーターが興味深そうにその様子を眺めながら質問した。
「ジュリアス様、これはどういう術式なのですか?」
「空気の圧力差で圧し切ってるんですよ。断層を作るんです」
つまり、高い圧力で押しのける力と、真空に近い状態で引き寄せる力を切断面に添わせることで切り刻んでる術式だ。
ちなみに失敗すると、周囲は耳鳴りが酷いことになるので注意が必要だ。
高圧力の刃だけでも切り刻むだけならできるが、野菜は辺りに飛び散ることになる。
「なるほど……勉強になります!」
ディーターの目が輝いていた。
一方でジュリアスは冷静なままだ。
「あまり勉強にならなくてもいいですよ。野菜を刻むのにこの術式を使うなんて、俺ぐらいでしょう。普通に刃物を使った方が楽だし早い」
シュテルン組ならば、全員がこのぐらいの魔力制御はできる。
だが確かに、刃物を使った方が楽である。現に、女子たちは刃物で野菜を切り刻んでいる。
ジュリアスが敢えてやっているのは、鍛錬の一環なのだ。
「ねぇみなさま、何故そのように刃物を巧く扱えるのですか? 貴族子女の嗜みに、料理なんてないと思うのですけれど?」
一緒に野菜を切り刻みながら、ヒルデガルトは質問を投げかけた。
ヒルデガルトは孤児院で覚えた。大人数の食事を煮炊きをするのに、院長一人では大変なので、手伝っているうちに覚えていた。
「”夫に料理を作ってやるのも乙なものよ?”って、お母様が料理教室を開いていたのよ」
クラウディアがヒルデガルトに抱き着いたまま応えた――そう、クラウディアはヒルデガルトからまだ離れていない。刃物を扱っていて危ないから、出来たら離れて欲しいと伝えたが、頑として譲らなかった。
(なるほど、ヴィンケルマン公爵夫人の趣味なのね)
家族づきあいすることの多い女子たちが、料理教室で覚えたものだ。
「一時期ブームになったから、高位貴族でも料理ができる子は、それなりにいるはずだよ」
手際よく切り刻んだ野菜を鍋に注ぎ込みながら、アストリッドが言った。
(あの大雑把なリッドでも、刃物は丁寧に扱うのね……)
「野菜は終わったー! あとはお肉ー!」
エミリが保存魔術のかかった肉を鉄板に敷いて、野菜と一緒に火を通していく。
薪では火力が足りないので、適度に火炎魔術で火力を増強する。
「うん、そろそろいい頃合いね」
ルイーゼが肉を野菜と一緒に鍋に入れて、塩胡椒で少し炒めた後、水を注いでいく。
一煮立ちさせたら灰汁を取り、バターとミルクを加えて、また少し火を通す。
「できたー!」
お手軽ミルクシチューの完成である。
「大人数用料理なんて、刻んで煮込めばなんとかなるわ!」という、孤児院の『院長先生名言集』に従った結果のチョイスだった。
実際、困った時にはだいたいこれでなんとかなるものである。
ルイーゼが器によそったシチューを皆が次々と受け取る。
「匂いだけでお腹が空いてきますわね……」
ディーターが皆にパンを配っていく。
「ではいただきましょうか!」
いつもの食堂メンバーにヴォルフガングとディーターが加わっただけなのだが、野外で食べる料理は乙なものに感じていたようだった。
ヒルデガルトはフィルとハーディを一瞥した――彼らもシチューをきちんと作って食べていた。
実はヒルデガルトたちの献立を真似ただけである。
形だけでも同じものを食べようと、二人の意見が一致した結果だったが、ヒルデガルトたちの知るところではない。
魔術騎士隊は軍隊食とも呼ばれる、携行糧食を食べていた。彼らは任務中なので、これは当然と言える。
「こんな食事は今夜までだよ。中に入ったらまともな食事はないからね。しっかり食べて、英気を養いなさい」
ヴォルフガングが微妙に不穏な言葉を告げた。
「はーいお父様」
よくわかっていないヒルデガルトたちは素直に返事をしていた。
娘たちの手料理を食べて幸せそうなヴォルフガングの笑顔を見ながら、ヒルデガルトは笑顔で食事をしていた――彼がスパルタ教育者だと思い出すのは、翌朝の事になる。
食べ終わると浄化魔術で後片付けをしていく。
(やっぱり魔術って便利だなぁ)
料理は作るより後始末の方が面倒である。それを魔術は一瞬で解決してくれるのだ。
ヒルデガルトは今や遠い孤児院時代に思いを馳せていた。
寝所は当然、男女別である。
まだ遺跡の外なので、今夜は魔術騎士隊が不寝番をしている。遺跡に入ったら不寝番も生徒たちがやる事になる。
焚火を挟んで男女のテントを張り、焚火の周辺にヴォルフガングと魔術騎士たちが居る。男女が夜間に交流しないよう、ヴォルフガングが壁となっているのだ。
「お父様はテントで寝なくても大丈夫なのですか?」
「なーに、野宿には慣れているからね。問題ないよ」
(お父様、お年ですのに……)
女子組テントはヒルデガルト、クラウディア、ルイーゼ、エミリ、アストリッドの五人。
男子組テントはフランツ王子、ベルト、ジュリアス、ディーター、フィル、ハーディの六人。
体格もいい男子組が窮屈な配置だが、六人用テントなのでどうしようもない。。
「それにしても、あんなに小さな布がこんなに大きなテントに広がるなんて、理屈はわかっていても不思議ですわね……」
圧縮術式の一つである。両手に収まる大きさの布束が、封を切ると六人用テントにまで広がるのだ。ヒルデガルトも実物を見るのは初めてだったので少し興奮していた。
基本使いきりの術式で、今夜のテントは使い終わったら馬車に乗せておくことになる。
ヴォルフガングならその場で再圧縮もできるが、布を圧縮用に畳むのが面倒なので今回はそこまではやる予定はない。
畳む余裕がない戦場ではテントを燃やしてしまうこともある。
テントの中では、クラウディアが興奮していた。
「ヒルダと! お泊り会!」
「あーはいはい落ち着いて」
「どーどー!」
「静かにしないと縛り付けるわよ?」
(あー、そういえば私が一緒に寝るのは初めてね)
ヒルデガルトが冷や汗を流しながら笑っていると、クラウディアが必死に手招きをしていた。
「あなたの寝る場所は! ここよ!」
「あ、はい」
ヒルデガルトに拒否権はなかった。
(まぁ、拒否するつもりもないけどね)
ヒルデガルトを中心に左右をルイーゼとクラウディアが、
反対側にエミリとアストリッドが並んだ。
五人で枕を合わせて話をしていた。
「それで、ライナー様はどうするの?」
「噂の方はなるだけ逸らしてるけど、そろそろ限界かもしれないよ」
「今回も、まさかついてくるとはね」
心配するクラウディアたちに、ヒルデガルトは昼間のディーターの件を小声で伝えた――ただし、音が漏れにくい結界を張ってから、だ。
完全に音を遮ってしまうと、外の音も聞こえなくなるので場所によっては危険なのだ。
野外では外で何かあった時に、大きな音くらいは聞こえるようにしておくのが安全対策だ。
話を聞いたクラウディアが、驚いたように頷いていた。
「なるほど……ディーター様を後継者にする作戦ね」
クラウディアも、ディーターがそこまでポテンシャルを発揮するのは予想していなかった。
「さすが、お父様直系の孫よね。魔術の才能そのものは、私よりあるんじゃないかしら」
「あとはそれまで凌ぎ切ればいいんだね」
「でもだいぶ手強そうね。絶対に油断しちゃだめよ?」
ヒルデガルトは、アストリッドとルイーゼの言う事に頷いた。
相手がどんな搦手を使ってくるかわからないのだから、警戒するに越したことはない。
(でも、ベルトが覚悟を決めたのだ。私だって覚悟を決めないと!)
そう意気込んでいると、ルイーゼがちょいちょいとヒルデガルトの肩を叩いた。
「これは頭の片隅に入れておいて欲しいんだけど、ハーディ様があなたを見てるわよ」
「……いつ?」
ヒルデガルトにはまったく自覚がなかった。
(以前ほど鈍くはなくなったと思っていたのに……)
「巧くごかましてるから、あなたにはまだ気づけないと思う。けど視界の隅で捉えるように見てるわ――決して一人で行動するような真似はしないでね」
(うへぇ……ハーディ様にまで狙われてるのか)
「わかった、気を付けるわ」
「あなたもつくづく、変なのに好かれるわねぇ」
「クラウがそれを言うー?」
「あっはっは! 確かにそうだ!」
そうして彼女たちのおしゃべりは、夜遅くまで続いた。
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「んー! よく寝た!」
ヒルデガルトはテントから出て、朝の空気をゆっくりと胸に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
不寝番をしていた魔術騎士の二人と目が会った彼女は会釈を交わす。
時刻は六時。他の生徒はまだ寝ている。
ヴォルフガングがヒルデガルトの気配で目を覚まし、「おや、早いね」と笑った。
ちなみに寝間着などという物はない。生徒は全員、制服で寝ている。
着のみ着のまま、サバイバル訓練のような授業だ。
とはいってもこの制服は高性能なので、皺になることもなければ、強めの防汚処理も施されている。仮に汚れても浄化魔術で清掃できる。魔術さまさまである。
入浴代わりに浄化魔術の掛け合いっこになるなど、それなりに楽しい夜を彼女たちは過ごしていた。男子たちはセルフサービスだ。
「お父様、外でお眠りになるのは、お辛くありませんか?」
ヒルデガルトが胸に吸い込んだ空気は結構冷たかった。この中で寝るのは老体に響くだろう。
「ちゃんと服に対策魔術が施してある。大丈夫だよ、ありがとう」
ヴォルフガングが人の好い笑みで応えた。
「ならばよいのですが……無理はなさらないでくださいね?」
ヴォルフガングが懐中時計を確認しながら返事をする。
「ああわかったよ――あと一時間で出発か。さて、他の者は起きてこれるかな?」
(えっ、そんなに早く出発?!)
「えーと……朝食はどうするのでしょうか」
ヴォルフガングはニヤリと笑う。
「もちろん、起きてきたものから順番に好きな物を食べるといい。ただし、もう料理をする時間は残されていないよ?」
ヒルデガルトは困惑した。
昨晩のシチューは完売済みである。
野菜が少しとパンとミルクも少しある。
ヒルデガルトは悩んだ末、とりあえずミルクをコップに注ぎ、パンを齧っていた。
「ふぁ……おはようございます……」
二番手はディーターだった。ディーターも同じように説明され、ヒルデガルトと同じものを食べた。これでミルクとパンがなくなった。
三番手ノルベルト、四番手ジュリアスと来たところで野菜も尽きた。
「もう食材がありませんわね……」
「そうだね。ここからは朝食抜きだね」
ヴォルフガングはとてもいい笑顔だ。
(え、そんな過酷なの……あっ! そういえば!)
「お父様、わたくしクラウを起こしたいのですけれど、よろしいでしょうか?」
「ん? ああ構わないよ。もう朝食争奪戦は終わったからね」
ヴォルフガングの許可が出たので、ヒルデガルトは慌ててクラウディアを起こしに行った。
(朝は滅法弱いと言ってなかったっけ?)
テントの中のクラウディアは静かに寝息を立てていた。
ヒルデガルトはまず耳元で名前を囁いて肩を優しく揺さぶる作戦を決行した。
「クラウ、朝だよ? おはよう」
ゆさゆさ……と揺すっても反応はない。実に気持ちよく寝ている。
「クラウったら、おーきーてー!」
激しく肩を揺すってみるが、まだ反応はない。いや、僅かに眉が顰められた。
「クーラーウー! あーさーでーすーわーよー!」
ヒルデガルトがクラウディアを起こしている声で、ルイーゼたちも目を覚ました。
「あー、そんなんじゃダメよヒルダ。いい? こう起こすのよ」
ルイーゼは言うが早いか、思いっきりクラウディアの腹の上に飛び込んだ。
「どーん! ほらークラウー! 起きないとヒルダが殿下に取られちゃうわよー!」
それは相当大きな声で、ヒルデガルトは耳を塞いでいた。
(あんな乗り方されて痛くないのかな?)
「ん……殿下。殺す」
物騒な単語と共に、突然クラウディアが起き上がった。その目は半分しか開いておらず、目には殺意の炎が灯っていた。
普段の儚い微笑など欠片もなく、ただただ、不機嫌の塊がそこに居た。
そんなクラウディアの顔面に、エミリが魔術で操った水を強めに叩きつける。すかさずアストリッドがタオルで顔を拭いていった。
ヒルデガルトが呆然と見ている中で、クラウディアはようやく少し眠そうに「……おはよう」と返事をした。彼女に先ほどまでの記憶はない。
「クラウ……起きた?」
ヒルデガルトが恐る恐る近づいてクラウディアの瞳を覗き込む。少し眠そうなところ以外は、普段のクラウディアだ。
「あ、ヒルダ。おはよう」
にこりと微笑む姿は、いつもの儚い微笑。どうやら本当に起きたらしい、とヒルデガルトは胸を撫で下ろした。
「ねぇルイズ……毎朝こうなの?」
「そうね。だいたいこんな感じね」
(うわー大変そうだ……)
朝食がない、と知った生徒たちは肩を落としていた。
ヴォルフガングはいつもの笑みで語る。
「次の食事からは狩りをしても構わないよ」
ヒルデガルトは思わず反論した。
「お父様? この中に血抜きや腑分けができる者が居るとお思いなのですか?」
動物の肉というのは、ただ狩ってもすぐに食べられるというものでもない。それなりの処理が必要だし、食べられる部位の切り分けも必要だ。
ヒルデガルトの疑問にヴォルフガングは「おや? お前はできそうだね?」と質問してきた。
「ええ、まぁ……兎を二回ですが、捌いたことがあります」
「じゃあ、お前がそれを担当するといい。他の者は獲物を確保するんだ」
ヴォルフガングはいつもの笑顔を浮かべたままだ。
「兎以外は経験ありませんよ?! この辺りに兎が居なかったら、ずーっとごはん抜きですか?!」
「なあに、人間、三日間食事を抜いたくらいじゃ死にはしないよ。でも、水分はちゃんと摂るんだよ?」
(あ、これはいつものスパルタモードだ)
ヒルデガルトやジュリアスが諦観の表情で過ごしていると、ルイーゼがおずおずと聞いてきた。
「ねぇ……まさか、ヴォルフガング様の授業って、いつもこんな無茶苦茶なの?」
「ええ、そうね。このくらいの無茶振りはいつものことよ?」
ヒルデガルトがジュリアスと一緒に頷いて返した。ルイーゼもがっくりとうなだれて諦観の表情を浮かべ始めた。
「そうよね……変態養成所ですものね……これぐらいが日常なのね、きっと」
(ルイズにまで変態扱いされちゃったか)
こうして殆どの生徒たちが腹を減らす中、ヒルデガルトたちは遺跡の中へ足を踏み入れた。




