第4話:特別課外授業(1)
その後もライナーは、度々ヒルデガルトが参加する夜会に顔を出しては、ダンスを一曲所望してきた。
クラウディアたちの助けもあり、なんとか「横恋慕されてはいるが、嫌々対応している」という体に持ち込んでいた。
しかしこのままでは不味い、とヒルデガルトは感じていた。
いつまでもこの状態は続くまい。
面白おかしく「ベルトよりもライナー様に心惹かれ始めている」と噂を流す奴は既に出てきている。
それをクラウディアたちが叩き潰して回っている状態だ。だがそれも長続きはしない。
あまり悠長に構えている暇はない。
困った時のヴォルフガングである。ヒルデガルトは彼に相談するべき時だと決意した。
「お父様、少しよろしいかしら?」
「ああ、いいよ。入っておいで」
ヒルデガルトは帰宅後、ヴォルフガングの書斎に来ていた。
「ライナー様の事で、どうしたらいいのかわからなくて、ご相談に伺いましたの」
「……そのことか。私からもなんとかしてやりたいのだが」
ヴォルフガングも対応に苦慮していた。
かつて”我が家に婚姻を強いることのできる家は王家以外に居ない”とヴォルフガングは言った。それは嘘ではなかった。
まさか身内から婚姻を強いられる事態になるとは、当時は思っていなかったのだ。打てる手は限られていた。
本家にヒルデガルトが取られるのは絶対に阻止したい。
打てる限りの手は既に打っている。
その上で、今相談されても何も言えないのだ。
そのことを、ヒルデガルトも理解した。
「……わかりました。引き続き、よろしくお願いしますね」
ヒルデガルトは頭を下げて書斎を後にした。
夜になり、ヒルデガルトはベッドに横たわりながら考えた。
(本家が私を欲しがる一番の理由が『蜃気楼』。お父様からただ一人継承した魔法の存在)
この状況を覆さない限り、ルドルフはライナーの味方だ。
そうなるとヴォルフガングは、実権を持たない公爵家に強く出ることができない。
このまま向こうに切り札がある状態はあまりに危険に思えていた。
ライナーの気まぐれ一つでヒルデガルトの身は本家に奪われる。なんとか無効化しなければならない。
ライナーかディーターが『蜃気楼』を習得すれば話は変わる。だがライナーはたとえ習得できるとしてもしない――ヒルデガルトを手に入れるために。
(で、あるならば。ディーターに習得させるしかない)
あの子の努力に、その熱意に賭けるしかない。
そう結論付けて、ヒルデガルトは眠りに落ちた。
****
六月に入り、いよいよシュテルンの特別課外授業の日がやってきた。
日程は二泊三日で近くの古代遺跡探索と明示された。
幸いなのか不幸なのか、定期試験で落第を取るものは誰一人いなかった。つまり全員参加である。
意外だったのはディーターが成績でハーディを追い抜いたことだ。学年違いとはいえ、ディーターにしては異例の好成績と言える。
これにはクラウディアも少し感心したらしい。
だが相変わらず魔術の成績で自分がフィルに及ばなかったと知ると、とても悔しそうにしていた。
(フィル様、どうやってあれほどの腕を身に付けたのだろう?)
ヒルデガルトも一度は”ただの軽薄な男”と切り捨てた。だがそれだけではないものを彼は持っている。彼女にはそう思えていた。
朝七時半――普段の通学時刻よりも一時間早く招集がかけられた。
参加者はシュテルン全員とバックアップの魔術騎士が一小隊である。
その魔術騎士隊の中に、最悪の人物が居た。
「やぁヒルデガルト。君は今日も可憐だね。朝の君も美しい」
ライナーである。
ヒルデガルトは引きつった笑みで問う。
「なぜ、ライナー様がここに?」
ライナーは、朝の清々しさを満喫するかのような笑みだ。
「なに、君の傍に行ける任務があると聞いてね。無理矢理捻じ込んだのさ」
ヴォルフガングは渋い顔をしている。魔術騎士隊はフランツ王子の護衛だ。
追い返すわけにもいかず、かといって今から”チェンジ!”と言って交代要員を用意する時間もない。
つまり、ライナーの同行を承諾せざるを得ないのだ。
だがヒルデガルトの縋るような視線を受けたヴォルフガングは、「ライナー! 生徒に近寄るな!」と厳しく叱りつけた。
これは特別課外授業。バックアップである魔術騎士は、生徒が自力で危険を排除できない場合のみに機能する予備戦力だ。
決して彼らと生徒との親睦会ではない。
「はいはい、承知しておりますよ。お爺様」
ライナーは両手を広げ、それでも笑みを崩さず「それではまた」とヒルデガルトに告げて隊に戻っていった。
「ヒルダ、笑みが崩れてますわよ?」
儚い微笑のクラウディアに忠告されるが、ヒルデガルトの顔はげんなりしたままだった。自力で笑みに戻せないのだ。
(二泊三日の間、ずっと一緒なのか……)
ルイーゼに背中をさすられ、「大丈夫、私たちも気を付けるから。ね?」と励まされた。
「ありがとう~ルイズゥ~」
その優しさに、ヒルデガルトは思わずルイーゼの胸に飛び込んでいた。
ノルベルトは、やはり敵意に燃えた眼差しをライナーに向けていた。
(そういう目で見るのも、本当は外聞が良くないんだけど……しょうがないか)
できるだけ平穏に特別課外授業が終わることを祈って、ヒルデガルトたちは出発した。
目的地である古代遺跡は、学院から馬車で半日ほど移動することになる。
既に国家の調査があらかた済んでいる為、危険性は低い。
ただし、未だに小型の魔物や魔法生物が出没するので、油断は禁物だった。
ヒルデガルトの馬車にはヴォルフガングとノルベルト、ディーターが乗っている。
他の馬車は、クラウディアたち四人、フランツ王子と魔術騎士三人、最後がフィルとハーディにジュリアスである。
フランツ王子の馬車の周囲を、魔術騎士三人が馬で護衛している。道中は王族優先だ。
(ジュリアスが貧乏くじ過ぎるわね……)
ヒルデガルトは、馬車の中の空気を想像すると、胃が痛くなりそうだった。
だが、他人に興味がないジュリアスは我関せずで本を読んでいた。これで案外、強かなのだ。
****
――車中。
ヒルデガルトは同乗しているヴォルフガングに尋ねた。
「ねぇお父様、魔法生物とはどういうものなのですか?」
ヴォルフガングは自分の顎に手を当てながら説明をした。
「この世の法則に基づかない、神秘に根差した生命の事をそう呼ぶんだ。どう生まれたのか、どうやって生命を維持しているのかは、よく解っていないことが多いね。ただ、生命のように見えるのは確かだ」
この世の法則を覆す魔術を魔法と呼ぶ。なので、この世の法則に従わない生命を魔法生物と呼称していた。
そして、本当に生命であるのかすら定かではない。
或いは、魔法で生み出された現象なのかもしれない。その区別は、人間にはつかないのだ。
「では、遺跡に出る魔物はどういったものなのですか?」
「それは、お前たちに与えられた課題だ。自分たちの目で見て、自分たちで判断しなさい」
つまり、初見で相手の危険性を推し量り、対処していく。
そういう訓練なのだ。
魔法生物相手は何が起こるか分からず、不用意に近づくのが危険なので、事前に注意した、ということだ。
「はい、わかりました」
ヒルデガルトは素直に頷いた。
到着するまで暇を持て余したヒルデガルトは、ディーターに『蜃気楼』の手ほどきを試してみることにした。
「ねぇディーター、あなたは『蜃気楼』を試したことはある?」
ディーターは俯きがちに返事をする。
「はい……でも、どうしても『幻影』以上のものにはならないんです」
『幻影』の術式は、媒介の形状を変化させて似せるものだ。
『蜃気楼』と違うのは、触れれば幻であることが解ってしまうということ。
『蜃気楼』は対象の存在そのものを屈折させ、投影する魔法だ。
そこにある感触がするし、匂いまである。
この世の法則を超えた超常現象だ。媒介は、あくまでも投影先に過ぎない。
「うーん……わたくしは『幻影』と『蜃気楼』って、全然別物だと思うのだけど、どうして『幻影』になってしまうのかしら?」
ディーターは驚いたようだった。
「全然……別物? なのですか? あんなに姿を似せられるのに?」
ディーターはその辺りの感覚が欠けているようだった。
ヒルデガルトはヴォルフガングの『蜃気楼』を見たときに、直感で模倣した。
この独特の感性を持っていないと、術式を知るだけでは『蜃気楼』を習得することは難しいのだろう。
ヒルデガルトは少し考えてから、ヴォルフガングに尋ねた。
「ねぇお父様。ディーターに魔力同調して『蜃気楼』を使ってみても構いませんか?」
一族ではあるし、魔法と伝授することに問題はない。
だが、今までヴォルフガングがやってこなかった指導だ。
「……そうだな。試してみるといい」
ヴォルフガングは渋々、といった感じで頷いた。
(きっとライナー様を抑えるのには、ディーターが『蜃気楼』を習得するのが一番だという事は解ってらっしゃるのね)
ヒルデガルトはディーターに向き直り、同意を取る。
「ディーター、あなたに魔力同調して構わないかしら?」
「え、ええ。構いませんけれど……それで僕に『蜃気楼』を使えるのでしょうか」
やはり、半信半疑のようだ。
「わたくしはできる気がしてるから、たぶん大丈夫よ」
魔術はイメージ。”できる気がする”はとても大事だ。
逆に”無理かもしれない”と思ってしまえば、術式の成功率は著しく低下する。
(まずは成功体験を教え込んでみよう)
「じゃあディーター。このペンをもって。もう片方の手を上に広げて頂戴」
ディーターは言われた通りに右手でペンを受け取り、左手を上に広げた。
「こう……ですか?」
ヒルデガルトはディーターに魔力同調し、ディーターの魔力で風を媒介にペンの『蜃気楼』を作って見せる。
(ディーターは水や風と相性が良いみたいなのよね)
そうしてディーターの左手に『蜃気楼』のペンが現れる。
「すごい……ちゃんと感触と重さがある……」
ディーターは感激していた――だが、ポイントがずれている。そのことをヒルデガルトは注意をする。
「ディーター、『蜃気楼』自体に感激している暇があったら、自分の魔力がどう『蜃気楼』を作ったのか。それをしっかりと思い出して」
「えっ……そんなこと言われても、叔母上ったらあっという間に済ませてしまったものだから……」
確かに、高い技量を持ち、『蜃気楼』を使い慣れているヒルデガルトは流麗に術式を済ませてしまった。
だからと言って完全に見逃す、というのは頂けなかった。
戸惑うディーターに対しヒルデガルトは、思わず額に手を当てて首を横に振っていた。
「ディーター? ”これから使います”と言っていたのよ? 何故、もっと注意して観察しなかったの?」
ディーターは無言で俯いた。言い返す言葉がないのだ。
ヒルデガルトは大きくため息を吐く。
「解ったわ。今回だけよ? もう一度、なるだけゆっくり『蜃気楼』を作るわ。今度は決して感覚を見逃さないで」
ディーターが神妙に頷いた。
ヒルデガルトは一度『蜃気楼』を解除し、再び『蜃気楼』を発動する。
ディーターの左手の上に小さく風が巻き起こり、それが徐々にペンに変わっていった。
「……どう? 何かわかった?」
ディーターは何も言わず、ただ『蜃気楼』のペンを凝視していた。
「ディーター?」
「――え! あ、はい。確かに、『幻影』とはまったく別物なのですね……」
ディーターの目は、まだ『蜃気楼』のペンを見つめている。
もしかすると、『蜃気楼』の感覚を掴み始めたのかもしれない。
「ディーター。これから毎日、今の感覚を思い出しながら『蜃気楼』を作ってみて。術式そのものはお父様から教わっているはず。それを今度こそ理解できたのではなくて?」
ディーターは『蜃気楼』のペンを見つめながら、静かに頷いた。
(――よかった、少しは習得の目があるかもしれない)
ヒルデガルトはディーターとの魔力同調を解き、椅子に座りなおした。
「ふぅ。――ねぇお父様。お父様は何故、魔力同調をお使いにならなかったのですか?」
こうして同調してやってみせれば、理解のきっかけになったはずだ。
だがさっきまでの様子では見当違いの解釈をしていた。つまり、そういった指導はやってこなかったとヒルデガルトは判断したのだ。
ヴォルフガングは不機嫌そうに口を開いた。
「自力で到達できぬ者に、我が生涯の集大成を教えたくなかっただけだ」
(あら、じゃあ今のも不本意だったのね)
術式は教えてあった。
だがそれ以上の事をするつもりがなかったのだ。
術式からどういった魔法か読み解けるぐらいの実力を、後継者に要求したのだ――その結果、一族で誰も使うことのできない魔法となっていたが。
ヒルデガルトの様に感性だけで魔法発動まで漕ぎつけられるのは、ごく一握りの魔術師だけだろう。
肩を落としたヒルデガルトがヴォルフガングに謝った。
「ごめんなさいお父様。わたくしが勝手なことをしてしまって」
ヴォルフガングの顔が、優しい苦笑いに変わった。
「構わないよ。今は、お前の『蜃気楼』でもある。お前がどう伝えようが、それはお前の判断でしてもよい――なにより、それが必要ならば尚の事だ」
ヴォルフガングも同じ考えだった。
ライナーの横暴を抑えるには、ディーターの『蜃気楼』習得が不可欠なのだと。
だが生涯の集大成をおいそれと教える決心はまだ付いていなかったのだ。
ディーターの努力はこれから見定めるところ。後継者として素直に認めるには、まだ少し足りなかった。
(この話はベルトとディーターにも打ち明けるべきかな)
ヒルデガルトがディーターに向き直って語りだす。
「ディーター。あなたが『蜃気楼』を使えるようになれば、わたくしはライナー様の求愛を跳ね除けられるの。だから、わたくしの為にも、あなたが『蜃気楼』を本家に継承して欲しい。これは、わたくしからあなたへのお願いよ」
やっとディーターの目が『蜃気楼』のペンから離れ、ヒルデガルトを見た。その目は訝しむものだった。俄かには信じられないのだ。
「兄上が、叔母上に求愛?」
「ええそう。でもわたくしはベルトの婚約者。ベルトと婚姻の契りを結び、家庭を持つの。ライナー様の事を、受け入れるわけにはいかないわ」
ディーターはヒルデガルトをしばらく見つめた後、深く頷いた。
「叔母上、今日の御恩、必ず返して見せます」
その瞳には、決意が燃えていた。
(――ちょっと待って?)
ディーターは未だ両手にペンを持っていた。
ヒルデガルトはとっくに魔力同調を解いている。
それが意味するのはつまり――
「ディーター! 今、自力で『蜃気楼』を維持しているの?!」
「ええ。維持をするだけならば、決して難しくありません」
ヒルデガルトは驚愕していた。
彼女が最初に『蜃気楼』を使ったとき、維持をするのにかなり苦労をしたのだから。初回は五秒も維持できなかった。きちんと安定させるまで、丸一日の鍛錬を要した。
だがディーターは最初から一分以上維持し続けてみせているのだ。
発動をヒルデガルトが担ったとはいえ、それは驚異的な事だった。
ヒルデガルトは、呆然とディーターの眼差しを受け止めていた。
不意に、ヴォルフガングがディーターに声をかけた。
「ディーター、そろそろ魔力が尽きる。そこまでにしておけ」
「……はい。わかりました」
ようやくディーターの左手から、『蜃気楼』のペンが消えた。
ディーターの瞳は、ヒルデガルトを見つめたまま動かない。
「僕はまだ、自力で術式を発動することができない。だけど、維持することはできた。ならば、後は鍛錬を重ねるだけです――必ず、叔母上を兄上から守って見せます」
気弱ないつものディーターではない。確かな強い意志を、その瞳に宿していた。
ヒルデガルトは優しく微笑み、「お願いね。頼りにしてるわよ?」と告げた。ディーターは嬉しそうに微笑みを返した。
「――そういう訳なので、ディーターが『蜃気楼』を習得するまでの間は、ベルトがきちんとわたくしを守ってくださいね?」
急に話を振られ、ノルベルトは驚いた。
「あ、ああ。もちろんだ。だが相手はファルケンシュタイン公爵家本家。本家との関係が悪くなっても、構わないだろうか?」
それはつまり、周囲にどう取られようが、今度からは割って入る、という宣言だ。
「お父様、構いませんか?」
「ディーターが『蜃気楼』を継承できれば、家督を継ぐのはディーターになるだろう。じきに問題ではなくなる」
ヴォルフガングはやっと調子が出たのか、いつもの人の悪い笑みを浮かべていた。
それを受けたノルベルトも「ならば、今度からは手心無しで行かせていただきますね」と、すっかり笑顔で乗り気になっていた。
(まぁ、ベルトが元気になれたならいいか)




