第3話:社交界
休日――エミリの友人から誘われた茶会にヒルデガルトは参加していた。
「本日はお招き頂き、ありがとうございます」
「ようこそお越しくださいました。是非、楽しんでいってくださいな」
参加者はヒルデガルトやクラウディアたちいつもの面々、それに主催者のペトラ・ツィエンテク子爵令嬢とその友人が数人だった。
ヒルデガルトが様子を伺っていると、ペトラたちは随分緊張した面持ちだ。
だが、クラウディアたちとは既に顔見知りのはずだ。緊張する理由がヒルデガルトには分からなかった。
「ペトラ様? どうかされましたの? 随分と緊張していらっしゃるようですけれど」
ペトラは顔を真っ赤にして、慌てて両手を横に振っている。
「いえ! その……ヒルデガルト様をこんなにお近くで拝見するのは初めてですし、ヒルデガルト様がクラウディア様方以外とお茶会をするのも今回が初めてと伺っております。お話に伺っていた以上に素敵な方で、私共も舞い上がってしまって」
(……なるほど)
クラウの腹心の友、それが初めて友人以外の開く社交場にやってきたのだ。緊張してもしょうがないのかもしれない。ヒルデガルトはそう解釈した。
ヒルデガルトはできる限り優しく微笑む。
「ペトラ様、そんなに緊張なさらないで? わたくしも初めてのことですから、これでもおっかなびっくりですのよ?」
ペトラはさらに恐縮してしまったようだ。真っ赤な顔でガチガチに固くなっている。
(うーん、なんだかまるで、クラウの前に初めて出た時の私みたいだな)
今のヒルデガルトは「もう一人のクラウディア」だ。並ぶと双子と錯覚を覚えるくらいに雰囲気が似ている。
周囲を圧倒する気品で場を支配する淑女となっていた。
ペトラたちも、そんなヒルデガルトに気圧され、恐縮してしまっていたのだ。
(私を初めて見た時のクラウも、こんな心境だったのかな?)
茶会は滞りなく進み、それなりの情報交換をして終わった。
クラウディアやエミリが、それとなく話題を誘導しヒルデガルトを助けていた。
ヒルデガルトの話術はまだ、この二人に遠く及んでいない。
(ああして、私も話題を誘導できるようにならなければね)
茶会では下らない噂話から少し重たい話まで、様々に飛び交う。その中から価値のある情報を拾い上げ、積み重ねていく。
そうして積み上げたものを裏付けるために、次の茶会の参加者を選択していく。
何度もそうしたことを繰り返し、情報の精度を上げていくのだ、とクラウディアはレクチャーした。
(お茶会ひとつとっても、一筋縄じゃ行かないんだなー)
収集するだけじゃなく、自分に有利な噂を茶会に流していく。そうして社交界で主導権を握っていくのだ。
エミリは特に噂を操ることに長けていた。情報戦でトップランカーであるクラウディアが「私より巧いわよ?」と言うくらいだ。同世代では右に出る者は居ないと言える。
ヒルデガルトが帰宅し、ウルリケにミルクティーを淹れてもらい一息ついた。
「ふぅ。お茶会も疲れるものなのね」
今までクラウディアたち四人と過ごしてきた茶会は、ヒルデガルトにとってむしろ気が休まる空間だった。
だが孤児院時代の教師やヴォルフガングが言う通り、本当に社交場は戦場だと感じていた。
今はまだ敵対勢力が居ないからいいが、そういった勢力と争うようになれば熾烈な噂合戦となる。
直接対決ともなれば、舌戦に発展することもある。
日頃の行いで隙を見せないことが、如何に大切かが解る。
もっとも、「火のないところに煙を立てるのも常套手段だよ」、とエミリがニヤリと笑いながら言っていた。
実に油断のならない世界なのだ。
****
今夜のヒルデガルトはクラウディアの知人が開く夜会に来ていた。当然、ヒルデガルトのエスコートはノルベルトだ。
二人が共に会場に現れると、感嘆の声が広まっていく。
ヒルデガルトが親しくない人間の開く夜会に参加するのは今夜が初めてだ。
今まで彼女を間近で見ることができる人間はごく限られていた。
実際に間近で見る精霊眼――それ以上に、ヒルデガルト・フォン・ファルケンシュタインに感嘆していた。
「ようこそおいでくださいました。どうぞ今夜はご堪能していってください」
「ええ、ありがとうございます」
ヒルデガルトが淑女の微笑で応えると、相手は緊張した面持ちで挨拶をして去っていった。
場を気品で支配するオーラは夜会でも健在だった。
(そもそも私、ファルケンシュタイン公爵家の分家筋になるんだものね。並の伯爵令嬢と格が違うのは当然か)
ノルベルトも同年代主催の夜会ぐらいなら、平然とこなせていた。
父兄が挨拶に来ても、堂々と対応していた。
ヴォルフガングの予定では来年、グランツ領伯爵を譲り受ける。
それまでにノルベルトも、それなりの人脈を築いておかなければならない。
クラウディアがヒルデガルトたちの様子を見に顔を出した。
「どう? 楽しめていて?」
「ええ、とっても」
ヒルデガルトは余裕の微笑みで返す。
社交場の要領は茶会で理解していた。夜会であろうと、それは変わらないように感じていた。
要領の良いヒルデガルトは、社交場の乗りこなし方を既に身に着け始めていた。
ノルベルトも今夜は余裕の笑みを維持していた。
元々、彼女より社交場の経験があるのだ。
彼も化かし合いが得意な性格ではないが、それなりにこなせないようでは高位貴族は務まらない。
当然、キルステン伯爵家にいた頃からある程度できるよう仕込まれている。
夜会では、やはりライナーの噂も出てきた。茶会ではクラウディアやエミリがうまい事躱していたのだが、ヒルデガルトにそこまでの話術はまだ無理だった。
「ヒルデガルト様にライナー様が好意を示したという噂、あれは本当でして?」
ヒルデガルトは内心ひきつりながら、微笑を崩さず応える。
「好意だなんて。わたくしもあの夜ライナー様とは初めてお会いしました。親戚の親睦を深めるための、ちょっとした余興ですわ」
「でもライナー様が他のご親戚と踊った、という話も聞いたことがありませんのよ?」
(そうなのか。随分と徹底して回避してたんだなあの人)
「直前にルドルフ兄上が私の精霊眼に興味を持って、かなり踏み込んだ悪戯をされましたの。ルドルフ兄上はクリスティーナ姉上に叱られていましたけれど、そのお詫びだったのですわ」
ルドルフが精霊眼に興味を持った、というあたりで納得し、その話はそこで打ち切りになった。ルドルフの異様な魔術フリーク振りは若者の間でも有名なのだ。
(ある意味、あの悪癖に助けられたのかな……複雑)
夜会も半ばを過ぎた頃、会場がざわつき始めた。
(入り口の方からね。誰かが来たのかな?)
人々のざわめきを切り裂くように登場したのはライナーだった。
ライナーはにこやかに呆気に取られているヒルデガルトに語りかける。
「すまない、来るのが随分と遅れてしまったね」
聞いた人間を勘違いさせるような、まるで約束をしていたかのような口振りである。
当然そんな約束をした覚えは、ヒルデガルトにはない。
「特にそんなお話は伺っておりませんわ。今夜はどうしてここに?」
あくまでも淑女の微笑を湛えつつ、ヒルデガルトは尋ねた。
「なに、君に会いに来ただけさ」
悪びれもせず、ライナーは言い放った。
それを聞いた周囲の人間は、既に好き勝手に噂を形成し始めている。
(なにを考えてるのこの人?!)
もちろん、ヒルデガルトを落とすことを考えているのだ。
ライナーを見るノルベルトの目は、敵対者を見るそれだった。
彼が本気と理解したのだ。
ノルベルトが険のある口調でライナーに尋ねた。
「ヒルダは私の婚約者です。ライナー様がお会いになる理由など、ないと思いますが?」
「ヒルデガルトは私の叔母だ。今まで面識を作ることができなかったのでね。親戚と親しくなるのに、理由が必要かな?」
ライナーは笑顔で飄々と、実に鮮やかに言葉を返した。
こう返されては、拒絶する理由がない。
ノルベルトもそれ以上は何も言えなくなってしまった。舌戦ではライナーの方が数枚上手、ということだろう。
ライナーはヒルデガルトと向き直り、手を差し出した。
「どうだろう、今夜も私と一曲、いかがかな? 叔母上」
ヒルデガルトは困惑した表情でその手を見つめていた。
相手は公爵家本家嫡男だ。
それが”親戚と親睦を深めに来た”とダンスを所望した。
周囲の目がある中で断れるわけがない。断ればヒルデガルトの、そしてノルベルトの立場を悪くする。
ヒルデガルトはノルベルトに振り返り「ごめんねベルト。ちょっといってくるわ」と告げ、ライナーの手を取った。
ライナーは満足げに彼女をホール中央までエスコートし、踊りだした。
またもや周囲が騒然となる。先程のライナーの発言も交えて噂が広がっていくのを、ヒルデガルトは肌で感じていた。
(これでまた噂が増えるよなー……)
ヒルデガルトは実に憂鬱だ。
「ヒルデガルト、君は見るたびに私を魅了するね」
「あら、私はライナー様の行いに、落胆を重ねるばかりですわ」
ヒルデガルトは周囲に聞こえないように悪態をついた。
だがその悪態が通じた気配は、ライナーにはない。
ライナーは軽妙に笑った。
「はははは! 今はそれでいいさ。私が本気であることを、まずは理解してもらわないとね」
(なにがおかしいの……こういうところ、お父様に似てるわね)
隔世遺伝、という奴だろうか。ルドルフよりヴォルフガングの血が色濃く見える。
「ライナー様なら、お相手など選び放題ではありませんか? 何故今まで、お相手を作ってこられなかったのですか?」
微笑を湛えたヒルデガルトが踊りながら質問をする。
「そうだな……君と一緒さ。どうせ結婚するなら、恋に落ちた相手が良かった」
「そんなことで公爵家嫡男が務まるのですか? きちんと見合ったお相手を探して早々に身を固めるのが役目ではないのですか?」
「なに、少し時間はかかったが、こうして見合った相手に恋に落ちた。問題はない」
ライナーは実に楽しそうに笑っている。この世の春を謳歌するかのようだ。
一方、ヒルデガルトは淑女の笑みを維持するので精一杯だった。
「問題大ありです。私は公爵家に見合った人間でもありませんし、そもそも婚約者がいます。ライナー様のお相手になどなれませんよ」
「君は特等級の魔力を持ち、お爺様の『蜃気楼』を継承した人間だ。公爵家が迎えるには十分すぎる条件がそろっている」
『蜃気楼』を使えるのはヴォルフガングとヒルデガルトだけだ。
『蜃気楼』は本来、ファルケンシュタイン公爵家の魔法。本家が失伝するのは体面が悪い。
ならば分家のヒルデガルトを本家の嫁に取る、というのは悪くない手だろう――本人の気持ちを無視できるなら。
ライナーは笑顔のまま続ける。
「そして婚約解消など、貴族の世界では珍しいことじゃない。より有利な条件の婚約を結びなおすだけの話だろう?」
確かに、ファルケンシュタインの家に婿入り、というにはノルベルト自身に力がない。まだ学生で実績がないのだから当たり前だ。
ヒルデガルトがそう望んだから入り婿になれるというだけで、この婚約を解消して公爵家本家がヒルデガルトを迎え入れても周囲は不思議だとは思わない。
だが――
ヒルデガルトは険を込めてライナーに告げる。
「一番の問題は、私がノルベルトを愛している、ということですよ? 私の心はあなたにありません。あなたがどう望もうとも、覆りませんよ」
「それはやってみなくちゃわからないさ。それにファルケンシュタイン公爵家なら、君を無理やり奪い取る事もできる」
ライナーは冗談を言うように、恐ろしい事を口にした。
「そんなこと、お父様がお許しにならないわ」
「現公爵家当主は父上だ。お爺様の影響力は未だ根強いが、全面戦争になれば父上に分が上がる」
ルドルフは宰相だ。政財界での影響力はヴォルフガングを凌ぐ。
ヴォルフガングは裏で実権を握るような真似を嫌った。公爵家の実権はきちんとルドルフに渡っている。
ライナーが本当にそのつもりで動き、ルドルフがそれを是とすれば――いや、『蜃気楼』の継承を考えれば、おそらく頷くだろう。
そのくらい、魔術師の家が魔法を失伝するというのは体面が悪いのだ。
そこまでを理解してしまったヒルデガルトが、厳しい表情でライナーを見つめていた。
ライナーがそれを見て笑いながら語りかける。
「……そう怖い顔をしないでくれ。あくまでも”そうすることができる”ことを知ってほしかった。そして私がその手段を取らないでいる、ということもね」
「それは、どういう?」
「言ったろう? ”君と一緒”なんだ。私はね、ヒルデガルト。君の心が欲しいのさ」
「……わたくしも伝えましたわよ? ”覆りません”と」
「それを覆すのが、私の腕の見せ所だな」
そういってまたライナー軽妙に笑いだした。一緒に踊れることが余程楽しいのだろう。
ヒルデガルトは淑女の微笑を改めて張り付け、ダンスを踊り切った。
ライナーに手を引かれ、ヒルデガルトはノルベルトの元へ戻ってきた。
「ベルト!」
敢えて、ライナーから弾かれるように、小走りにノルベルトの胸に飛び込んだ。
ノルベルトが不安げにヒルデガルトを受け止めた。
「どうしました? なにかあったのですか?」
「違うの……ただ、あなたの傍に早く戻ってきたかっただけ」
ヒルデガルトが後ろを一瞥すると、ライナーは苦笑を浮かべ「ではまた、次の機会に」と、一度頭を下げて去っていった。
(これで少なくとも、私が嫌がっていることは伝わるはず……)
ヒルデガルトは”喜んで踊っていた”などと噂されてはたまらないので、ライナーから逃げるようにわざと振舞っていた。
あとはクラウディアたちの手を借り、噂を操作してもらうのだ。
彼女たちなら都合の良い場面だけピックアップして噂に乗せていく事だろう。
もちろん、都合の悪い場面の噂は捻り潰すのだ。
ヒルデガルトは不本意ながら、社交場での戦いがどういうものか、身をもって知ることになった。
ライナーはあの後、すぐに帰ってしまった。本当にヒルデガルト以外に興味がないのだろう。
クラウディアが冷たい微笑みでぽつりと言った。
「とんだ疫病神ね」
それはヒルデガルトも同感である。
だが相手は本家嫡男と言う立場だ。公の場で邪険に扱うことは許されない。
本家と険悪だ、などと噂が立てば、今後のヒルデガルトやノルベルトの活動にも影響が出る。
クラウディアの言葉に、ヒルデガルトが微笑みで返す――きっと、疲れは隠せていないだろう。
「早く諦めてくれることを祈るわ……」
「大丈夫、今日の様子は巧いこと噂に乗せておくから。まかせといて!」
エミリの言葉が頼もしくヒルデガルトの心に響いた。




