第2話:婚約披露会(2)
婚約披露会が終わって友人たちを見送り、ヒルデガルトとノルベルト、ヴォルフガングは本家一族と別邸のサロンに居た。
ファルケンシュタイン家大集合だ。夜会の労いも兼ねた、小さな懇親会である。
クリスティーナがヒルデガルトを気遣って語りかける。
「今日はお疲れ様。ごめんなさいね、ルドルフの我儘に付き合ってもらって。その上、あんな不躾なことまで……」
「いえ、お祝いして頂いたのはこちらですから……」
我儘、というのは今夜の盛大すぎる夜会のことだ。
不躾、は精霊眼に対する悪戯である。
ヴォルフガングはそれを聞いて眉がピクリ、と動いた。その表情から笑みが消え、ルドルフを問い質した。
「ルドルフ、貴様まさか、ヒルダに悪癖を出したのか?」
(あら? お父様から笑みが消えてる)
クリスティーナが追撃をかける。
「そうなんですよお父様。嫌がるヒルダの左目を無理矢理調べて。可哀そうにこの子、泣いていましたよ?」
泣いていた、と聞いたヴォルフガングから殺気が立ち上り始めた。
ライナーは苦笑いで見守り、ディーターは既に部屋の隅に避難済みだ。クッションで顔を隠してガタガタ震え始めていた。
「ヒルダに手を出したら許さんと、あれほど言っておいただろうがっ!!」
ヴォルフガングの雷がルドルフに落ちた。
(うわっ、お父様怒ると怖いわー)
ヒルデガルトが初めて見るヴォルフガングの怒る姿だ。老人とは思えぬ気迫でルドルフに迫っていた。
以前ディーターが「ヒルデガルトの激高した姿はヴォルフガングの様だった」と告げた通り、尋常ではない迫力を持っていた。
ヒルデガルトの怒りとは性質が違うが、迫力だけなら甲乙つけがたいと言えよう。
しかしルドルフはどこ吹く風。微笑んでその雷をいなしていた。
「はははは! クリスティーナが邪魔をしなければ、もう少しで手がかりがつかめそうだったんですけどね」
「あの……手がかりって、どういうことですか?」
己の湧き出る好奇心を我慢できず、ヒルデガルトはつい割り込んで尋ねた。
ルドルフはとてもいい笑顔で彼女に応える。
「君は後天性精霊眼だ。先天性精霊眼は見たことがあるが、君は他とは少し違いがある。その違和感の正体がわかれば、後天性の理由も解るかもしれないと思ってね」
(違和感……私の精霊眼が他と違う?)
そんな二人の会話に、ヴォルフガングが更に割って入る。
「ルドルフ! 貴様はヒルダに近寄ることを禁ずる! どうしても近寄らねばならない時は私かクリスティーナを必ず同伴しろ! 解ったか!」
「はいはい、解りましたよ父上――ならば、今は近寄ってもいいわけですね」
そう言ってルドルフはひょうきんな笑顔でヴォルフガングとクリスティーナを交互に見た……確かに間近にいる。
おちょくられたと取ったヴォルフガングの殺気が跳ね上がった。
「貴様、私に喧嘩を売っているのか?」
ヴォルフガングの目が血走っている。その目がギロリとルドルフを睨みつけた。
「滅相もない。今夜はもう、何もしませんよ」
両手を上げて降参ポーズをしながらも、ルドルフは笑みを絶やさなかった。
(ず、ずぶとい方なのね)
ヒルデガルトが呆気に取られている前で、スパーンとクリスティーナの平手がルドルフの後頭部を叩いた。
「悪いことをしたら謝る、謝るときは頭を下げる。基本でしょう?」
ルドルフはクリスティーナに叱られ、渋々ヴォルフガングとヒルデガルトに頭を下げ謝罪をした。
ヴォルフガングの雷すら凌いでしまうルドルフを御せるのは、クリスティーナだけなのだ。
(お父様の血縁、曲者が多いわ……)
ルドルフもライナーも、実に一筋縄ではいかない男達だ。おそらく、ヴォルフガングの血が濃いのだろう。
これから彼らと親戚づきあいをしていかねばならないのか、とヒルデガルトは陰鬱な気分に飲まれていた。
唯一の良心はクリスティーナである。是非頼らせていただくことにしようと心に誓っていた。
ノルベルトは一連の様子を、ただ固まって見守っているだけだった。
ヴォルフガングを含めたファルケンシュタイン男性陣の個性が強すぎて、一歩も動けない様子だった。
(まぁ……しかたないか。この中で分家の入り婿とか、今からベルトの胃痛が心配になるくらいね)
ヒルデガルトは、はたと気づいてヴォルフガングに尋ねた。確かもう一人ファルケンシュタインの一族が居たはずだ。
「ルドルフ様には弟がいらっしゃるはずですよね? 今日はおみえになってないのですか?」
名をユルゲン言う。軍の諜報部に居ると以前、ヴォルフガングが漏らしていたのをヒルデガルトは記憶していた。
ヒルデガルトの質問に、ルドルフが答えた。
「ああ、あいつは出張中だ。最近、北がきな臭くてね」
きな臭いというのはつまり戦争の臭いがする、ということである。近いうちに、北――帝国が攻めてくる可能性を示唆している。
「この国と北の帝国との間にはシュネーヴァイス山脈が横たわっている。直接侵攻されることがあっても、送れる兵力はたかが知れてる。だけど、念のため、ね」
シュネーヴァイス山脈は標高五千メートル級の山だ。
兵力を送るのに適した地形ではない。一応道はあるが、大兵力を送れるほど広くもないし、それなりの山を登らねばならない。
この山脈のおかげで、レブナント王国は北のペルペテュエル帝国から守られていると言ってもいい。
今日は会えない、と聞いたヒルデガルトは、嬉しさ半分寂しさ半分、といった顔で応える――これ以上個性の強い男性が増えると、ノルベルトが倒れそうだからだ。
「そうですか……ユルゲン様はどんな方なんですか?」
クリスティーナが微笑んで「お父様に似て、愉快な方よ?」と答えた。
ユルゲンは飄々とした男だ。常にマイペースを崩さない。
それでいてとても有能なのだ。その辺りは、ヴォルフガングの息子らしいと言えた。
ヒルデガルトはいつか彼に会える日を楽しみにすることに決めた。
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「つーかーれーまーしーたー」
ヒルデガルトは自室に戻るなり、ドレスも着替えずベッドに倒れこんだ。
苦笑いするウルリケに立たせてもらい、部屋着に着替えた。
ウルリケにミルクティーを淹れてもらい、それを受け取った。
カップを傾け、その甘みを体に染み渡らせて、その日の疲れを癒していた。
一息ついたヒルデガルトは、思わず叫んでいた。
「なぜファルケンシュタインの男性陣はああも個性的なんですの?!」
ノルベルトも別れ際は、まるで死人のように生気のない蒼い顔をしていた。
あの中で分家として生きて行く今後を思えば、仕方のないことだろう。
ノルベルトの個性は凡人のそれに近い。灰汁が強すぎるファルケンシュタインの男性陣を前にすれば、腰が引けても責められはしない。
「ベルトの為を考えると、しばらく本家には近づかないようにしないといけないわね……」
それに、ライナーの夜会での態度だ。ヒルデガルトは、ただの戯れであってほしいと願った。だが本気だとしたら厄介な問題になる。
今夜の参加者たちの口から、社交界に噂が広まっていくのは間違いない。
婚約早々横恋慕される、など格好の話題だろう。
実に頭の痛い問題だった。
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翌朝。ヒルデガルトは朝食の席でヴォルフガングに確認を取る。
「ねぇお父様。私たちの婚姻はいつ頃を考えてますの?」
ヴォルフガングは少し考えて応える。
「そうだね。一年後くらいを目途に、と考えているよ」
「卒業後すぐ、ではないのですね?」
ヴォルフガングは頷く。
「ああ。私はノルベルトに、伯爵を譲ろうと思っている。卒業後半年間の間に引き継ぎをして、婚姻と同時にグランツ領伯爵になってもらおうと考えている」
(あら、なかなかに気がお早い)
だが伯爵位を引き継げば、ノルベルトの箔付けになる。無爵よりは立場が良くなることは間違いない。
「でも、そうなるとお父様は無爵になりますわね。どう過ごされるおつもりなのですか?」
「お前には、私の魔術のノウハウ全てを託そうと思っている。その後は、お前や孫たちに囲まれてのんびりと余生を過ごすつもりさ」
はははは、とヴォルフガングは未来像を想い、楽しそうに笑った。
無錫で執務から解放され、余生を楽しむ、という事だろう。
「あら、ではグランツの最高責任者はどうされるのです?」
「慣例では、領主が引き継ぐね。つまりノルベルトが就任する。守護する結界は当分私が担当するが、お前が引き継ぐことになるだろう」
つまり、ノルベルトが負えない魔術的な面をヒルデガルトが負い、執務を筆頭としたそれ以外をノルベルトが負う形だ。
学院の運営自体は役員たちとの会合で方針が決められていく。領主である最高責任者がやらねばならぬのは、決済くらいだ。
若輩の身で収まるにはやや大きな椅子だが、ヴォルフガングから引き継ぎを受けた後ならば、彼の負担になることはないだろう。
「お前は卒業後、どうするつもりだい?」
「そうですわね……宮廷魔術師を目指そうかと思ってますの。クラウや殿下の傍に居るにも丁度良い身分でしょうし」
だがヒルデガルトには幸福な家庭を築く夢がある。この夢を譲るわけにはいかなかった。
夫や子供たちを放置して仕事に精を出すなど、自分が許さない。
淑女たちの世界を主軸に社交界で戦っていくことにもなるので、あまり本腰を入れて公務に打ち込むことはできないだろうと考えている。
その代わり、将来は社交界で築いた人脈を伝手に、高位貴族の間で魔術教師として飛び回ることになるかもしれない。
ヴォルフガングもそのプランに頷いた。
「そうだね。お前にはそういう未来の方が良いだろう。公務はジュリアスが牽引してくれるはずだ。なに、お前ほどの実力者が、社交界で常にクラウディア嬢の隣にいる。それだけでも十分貢献できるはずだ」
つまりヒルデガルトはクラウディアの番犬、という意味だ。
クラウディアは後の王妃となる。強力な番犬が傍に居る意味は充分大きい――時に凶悪かもしれないが、猛犬注意のシールでも張っておけば問題あるまい。
いつかクラウディアの子供が生まれた時、ヒルデガルトがその魔術指南役になる、ということもあるのかもしれない。
(だけど、そうなるとこれから一年間はライナー様を凌いでいかなければならない……このこともご相談しておくべきかしら)
だがライナーとはまだ、ダンスを一曲踊っただけだ。
これからどうなるか、ヒルデガルトにはまだわからなかった。
結局ヒルデガルトは、ライナーの事はヴォルフガングに伝えずに朝食を終え、学校に向かった。
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ヒルデガルトは馬車から降りると、いつものように朝の教室に向かった。
昨夜のことが既に噂になっていて、普段より生徒たちの視線が彼女に集まっていた。
(こうして改めて注目を浴びていると、奇異の目とそれ以外の視線の違いもなんとなくわかってくるな)
どうやら、自分に対して好意の目を向けている生徒は、それなりの数が居るみたいだ、と気が付いていた。
(案外私、モテていたのね)
アストリッドも「あんたは可愛い」と常々ヒルデガルトに伝えている。貴族子女の中でも上位に位置するのかもしれない、と自分でも思えるようになっていた。
愛する事、愛されることを知り覚悟を決めたヒルデガルトから、日に日に劣等感はその姿を消していったのだ。
(それもこれも、私の美容に気を使ってくれるウルリケたちのおかげね)
この半年間で肌も白くなり、力仕事をしなくなったので筋肉もだいぶ落ちていた。筋肉は衰えるのが早い。
まだまだ生粋の高位貴族子女と並べば見劣りする部分も確かにあるのだが、唸る程の顔面力でカバーしていた。
客観的に見れば十分にトップランカーだが、まだそこまで自信は持てて居ないようだ。
(つくづく、整った顔立ちに生んでくれた両親に感謝だわ)
ヒルデガルトは教室の扉をくぐり、友人に挨拶をしながら所定の位置に腰を下ろした。
早速エミリが楽しそうに語りかけてくる。
「やっぱりライナー様の事、かなり噂になってるよー」
それは仕方がない事だろう。今まで全く女っ気のなかった貴公子が、突然女子にアプローチをしたのだから。
クラウディアが心配そうに口を開く。
「今度の夜会はどうするの? 下手をすると、ライナー様もおみえになるわよ?」
ヒルデガルトは来週、クラウディアの知人から夜会に招待されていた。
彼女も今後、貴族として生きて行くためには人脈作りが欠かせない。
そのためには積極的に社交場に参加する必要があった。今週末も別の茶会に誘われていた。
「せっかく招待して頂いたのですもの。もちろん参加しますわよ? それに、ライナー様一人を捌けないようでは、淑女は務まりませんでしょう?」
「そう……でも、本当に気を付けてね?」
心配そうなクラウディアの言葉に、ヒルデガルトは微笑みで応える。
「ありがとう、大丈夫。気を付けますわ」
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午前の教養講義が始まる。
講義といっても、シュテルンは全学年混在だ。
教師は居るが、各自が自習形式でカリキュラムを進めている。
質問があれば教師が答える、という形になっていた。
ヒルデガルトは既に最終学年のカリキュラムを終え、ジュリアスと共に魔術書を読んでいた。
クラウディアたちは彼女のノートを参考に自習を進めている。「下手な教師の講義よりわかりやすい」と褒め、実際、カリキュラムの消化も早い。
フランツ王子は隣にいるジュリアスが、ノルベルトは隣にいるヒルデガルトが読書の傍らにポイントを教えていた。
フィルとハーディは並んで自習を続けていた。ヒルデガルトからは進み具合がわからないが、教師に質問している様子もない。案外、頭もよいのかもしれないと思っている。
ディーターも懸命に自習に励んでいた。時折教師に質問している。きちんと結果を残そうと努力する姿が伺えた。
月末の定期試験で、彼らの進捗もある程度解るだろう。
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午後の魔術講義になり、ヴォルフガングが姿を現した。
「講義の前に、今後のシュテルンの予定を皆に伝えておく」
そう切り出した。
(今後の予定?)
ヒルデガルトたちはお互い、顔を見合わせた。
そんな話はこれまで聞いたことがなかった。
「月末の定期試験で落第にならなかったものを対象に、来月から午前の時間を含めて特別課外授業を行う。いわゆる、実戦経験を積んでもらうことになる」
実戦経験――つまり、危険が伴う授業ということだ。
「お父様、いきなり実戦経験だなんて、大丈夫ですの?」
ヒルデガルトたちはまだしも、ディーターには荷が重いだろう。
それに第一王位継承者であるフランツ王子がこのクラスには居る。下手なことはできないはずだった。
「バックアップに兵も連れて行く。だが、あくまでもバックアップだ。自分の身は自分で守る。その経験を積んでもらいたい。もちろん、拒否権もある。これはグランツのカリキュラムにはないものだ。拒否しても落第にはしない」
(なるほど……シュテルンを作った理由の一つがこれなのね)
特別課外授業に着いてこれる生徒を選抜し、実戦経験を積ませるのもプランの一つなのだ。
カリキュラムを早々に消化してしまえる生徒たちを集め、生まれた空白時間に実戦経験を加える。
魔術もヴォルフガングが手づから仕込む生徒たちだ。エリート中のエリートとして、恥ずかしくないだけの結果を残せるだろう。
あまり実戦の機会がないこの国において、実戦経験は同世代の間で大きなアドバンテージになる。
こういった経験は、ノルベルトのように騎士を目指す者にとって、良い糧になるはずだ。
ヴォルフガングは一同の顔を見渡し、頷いた。
「どうやら、怖気づくものは居ないみたいだな。では皆、そのつもりで勉学に励むといい――それでは講義を開始する」
ヒルデガルトたちは指定された鍛錬を行いながら、先ほどのヴォルフガングの発言について語り合っていた。
「殿下はこの話、ご存じでしたか?」
バックアップがつく一番の理由はフランツ王子だ。何か知っているかもしれないとヒルデガルトが考えての質問だった。
「いや、俺も初耳だ。だが実戦で護衛、となると、着いてくるのは魔術騎士団だろうな。あいつらの対応力は並の騎士の比じゃない」
通常の騎士団はノルベルトやフランツ王子のように、肉体強化術に特化している者がほとんどだ。
それ以上に魔術に秀でた者を選抜したのが魔術騎士団だった。彼らは他の魔術も高度に扱うことができる。
その性質上、少数精鋭であり、全体数は多くない。全員がグランツ卒業生なのも特徴だ。
(魔術騎士団……嫌な予感がする)
「まさか、ライナー様がきたりしないですわよね……」
フランツ王子は暢気な顔で応える。
「あいつは部隊長だぞ? いくら現役グランツ選りすぐりとはいえ、生徒の特別課外授業についてくるほど暇じゃないだろ」
だがクラウディアは不安げだ。
「でもあの方、何をされるかわからないところがおありですからね……油断はできませんわ」
杞憂であって欲しい。ヒルデガルトはそう願っていた。どこにいるかもわからない、神に祈りも捧げた。
だがやはり、現実は無情だった。




