第1話:婚約披露会(1)
3章も一人称文体を三人称文体に改稿しました。
豪華絢爛に彩られた夜会――その中心に、ヒルデガルトたちはいた。
グランツ領にあるファルケンシュタイン公爵家の別邸で、ヒルデガルトとノルベルトの婚約披露会が開かれる事が公爵家当主ルドルフにより決定されたからだ。
「大袈裟ではありませんか?」とヒルデガルトは疑問を呈したが、「公爵家の分家が新しく生まれるのだから」と言ってルドルフは大々的に執り行うことを決定した。
ファルケンシュタイン公爵家は、この国でも一、二を争う家格を持つ。宰相でもあるルドルフが呼びかければ、政財界の名立たる面々も訪れた。
ヴォルフガングは旧交を温め、ヒルデガルトたちの傍から離れて談笑していた。
ヒルデガルトたちの周りにはクラウディアやフランツ王子をはじめとしたシュテルンの友人たちが付いていた。
ノルベルトは緊張でずっと顔を青くしている――大舞台過ぎるのだ。
その様子を見て、心配したヒルデガルトが声をかける。
「大丈夫? もっと肩の力を抜いて?」
「あ、ああ……大丈夫、大丈夫です」
無理をしているのは丸わかりだ。だがノルベルトには、このプレッシャーには慣れてもらわねばならない。今後、こういった場に出ることも増えるだろう。
(がんばれー)
ヒルデガルトは心の中でエールを送った。
一方でヒルデガルトの方も、賓客の対応に追われてノルベルトばかりにかまけて居られなかった。
養子とは言え、彼女はヴォルフガングの娘で、ノルベルトは入り婿である。
挨拶は必然的にヒルデガルトが優先されていた。
挨拶されるたびに、名前と顔を一致させ記憶する作業をこなしていく。
事前に調べてはいたが、人数が多いので流石のヒルデガルトもてんてこ舞いだ。ノルベルトのフォローに回す余力などなかった。
(クラウは小さい頃から、こんなことをやっていたのね)
公爵家に生まれるというのも大変なんだなぁ、とヒルデガルトは痛感していた。
「――ふぅ」
ようやく挨拶の波が途切れ、ヒルデガルトが一息ついたところでクラウディアたちが労いに戻ってきた。彼女たちも、ヒルデガルトの様子を見つつ、知り合いたちへ挨拶周りをしていたようだ。
「おつかれさま。中々堂に入ってたわよ?」
「ありがとう。クラウにそう言ってもらえると、自信がつきますわね」
「ほんと、覚悟を決めてからのヒルダはクラウそっくりだな。大人たちにも迫力負けしないし」
アストリッドが笑いながら褒めた。
短い時間で言葉を交わし、相手の本質を見極める――まだヒルデガルトには十分にできなくとも、相手が善意を取り繕っているか否かは、薄っすらと分かるようになってきていた。
(やっぱり、こういうのは場数がものを言うわね。これだけ大人数を相手するのは良い練習になるわ)
大規模な夜会だ。善良な人々ばかりではない。それどころか、政財界の大物は海千山千の猛者ばかりだ。
ヒルデガルトの目に社交界という戦場は、想像以上に過酷な場所に見えていた。
(この世界で化かし合い、か。柄じゃないけど、出来るようにならないとね)
「ヒルデガルト、大丈夫かい?」
ヒルデガルトの背中から声をかける男性が現れ、彼女の元へ歩み寄っていった。
アッシュグレイの長髪、凛々しい顔立ち――「お父様の若いころはこんなだったのかな?」とヒルデガルトに思わせる風貌だ。
「ええ、わたくしは問題ありませんわ、ライナー様」
ヒルデガルトは余裕のある微笑みで応えた。
彼はヴォルフガングの孫、そしてディーターの兄。ファルケンシュタイン公爵家嫡男のライナー・フォン・ファルケンシュタインだ。
魔術騎士団の隊長で、十九という年齢にして既に精鋭の一人としてと名高い。
だがその年齢でもまだ婚約者を作らないので、公爵家の頭痛の種になっていた。
文武両道眉目秀麗、ご婦人方からの人気も高いのだが、彼には譲れぬものがあるようだった。
ライナーはノルベルトを見て苦笑を浮かべ「だが、婿殿はそうでもなさそうだな」と口にした。
ヒルデガルトが振り向くと、ノルベルトの蒼い顔はさらに青みが増している。
緊張のあまり、気分が悪くなったのだろう。
ライナーから「もっとしっかりしろよ?」と肩を小突かれても、なんとか返事をするのが精一杯、といった有様だった。
ヒルデガルトも苦笑を浮かべ、「ねぇベルト、少しテラスに出て、外の空気を浴びましょう?」とノルベルトを誘ってテラスに向かった。
テラスに出て早々、ノルベルトは特大のため息を吐いていた。ようやく息が付ける、そんな様子だ。
「ヒルダ、あなたはよくあのプレッシャーの中で笑っていられますね……」
途中で給仕から受け取ったワインを手渡し、「あら、わたくしだって緊張しておりますわよ?」とヒルデガルトは微笑んで応える。
「とてもそうは見えませんね……堂々と胸を張り、立派に対応していたじゃないですか」
「自分がやるべきことをきちんと把握して、精一杯それに努めているだけですわ。緊張している姿を見せる余裕がないだけです。きっと、夜会が終わったら、わたくしもベルトと同じくらい、へとへとになっていると思いますわよ?」
ヒルデガルトの可憐な微笑に、ノルベルトは力のない笑みで応える。
「私はまだまだ、あなたに及ばないな……」
そこには、自嘲の色があった。
ヒルデガルトは右手をそっとノルベルトの頬に添えた。
「ベルトが至らない分はわたくしが支えるから、不安がらなくてもいいのよ? だから、わたくしの至らない分は、ベルトがきちんと支えてね?」
「ええ……そうですね。そう努めましょう」
ヒルデガルトは、支え合ってこその夫婦だと思っている。これから先、二人はそういう関係になっていかなければならないのだ、と。
(それでも、この程度のプレッシャーに負けるようでは、先が思いやられちゃうけどね)
内心で苦笑を浮かべつつ、ノルベルトの顔色が良くなったのを見計らって、二人は室内に戻っていった。
ファーストダンスもとうに終わり、夜会も半ばを過ぎた。
大人たちがそれぞれの交友関係を深め合う中、ヒルデガルトたちもまた、固まって談笑していた。
今夜はルイーゼ、エミリ、アストリッドの婚約者たちもきているので、総勢十一名になっている。
ノルベルトはルイーゼたちの婚約者から「君が出世頭だな」などと揶揄われている。
ノルベルトと彼らとは前から顔見知りで、それなりに仲は良かったのだ。
ただの伯爵家から、家格で屈指のファルケンシュタイン公爵家、その分家の伯爵家の婿に格が上がったのだ。
ヴォルフガングの跡を継ぐ事にもなるノルベルトは、へたな侯爵家より影響力があるとすら言えた。
「やっぱりジュリアス様も婚約者作ったらー?」
「エミリ様まで両親みたいなことを言うのはやめてください。釣書を断る身にもなってくださいよ」
「そうはいっても伯爵家嫡男なんだから、独り身を貫くってのは無理があるだろう?」
「ほっといてください」
ジュリアスもエミリとアストリッドに揶揄われていた。
(ジュリアスにもよいご縁があると良いのだけれど)
ジュリアスの心は常にヒルデガルトのみを見ていて、他が眼中にない。その一途な想いを知っているのは、ジュリアス本人とクラウディアやルイーゼくらいだろう。
ヒルデガルトはクラウディアから、今日挨拶に来た人物の注意点などをレクチャーされていた。クラウディアから伝えられる言葉に、真剣に耳を傾けている。
そのクラウディアの視線が、不意にヒルデガルトの背後に伸びた――クラウディアの目に警戒の色が浮かぶ。
「あら、さっそく要注意人物がいらっしゃったわね」
ヒルデガルトが振り返るとそこには、公爵家当主ルドルフの姿があった。
ヒルデガルトの耳元で「悪い方ではないけれど、決して油断しては駄目よ?」とクラウディアが囁いた――ヒルデガルトの天敵のような人物なのだが、それを教えるには彼が傍に近過ぎた。
ルドルフはにこやかにヒルデガルトに語りかける。
「やぁヒルデガルト。楽しんでいるかい?」
「ええルドルフ様。本日はこのような会を催してくださり、ありがとうございます」
ヒルデガルトは頭を下げ、礼を述べた。
「なに、可愛い義妹のためだ。大したことじゃないさ」
ルドルフは爽やかに微笑みながら応えた。
ヒルデガルトも可憐な微笑で返しつつ、内心ぼやく。
(むしろ、大袈裟にしすぎなんだよなー)
心の中で、乾いた笑いを上げていた。祝ってもらうのは嬉しいのだが、此処まで大袈裟なものを彼女は望んでいなかった。
見目麗しいのはヴォルフガングの家系らしく、ルドルフも美丈夫と言って過言ではない。
プラチナブロンドを短くまとめ後ろに撫でつけており、細身の輪郭はそれでも男性らしさを主張している。
その長身と、意志の強そうな瞳はヴォルフガング譲りだろう。
ルドルフが、そわそわしながら話を切り出してきた。もう我慢の限界、といった様子だ。それをヒルデガルトの背後で見ていたクラウディアが、すぐに警戒を始める。
「ところで――ヒルデガルト。君の精霊眼を少し、”見せて”もらってもいいかな?」
ルドルフは突然、不躾な願いを口にした。
「えっ……と、ええ、構いませんわ」
ヒルデガルトは嫌だったが、有無を言わせぬ圧力に押されて、ヒルデガルト頷いてしまった――ヒルデガルトの背後で、クラウディアが頭を抱えた。
ルドルフはヒルデガルトの左目を覗き込み、丁寧に観察をしていく。
「ふむ……少し、魔力同調をするが、構わないね?」
(えっ?! それはさすがにちょっとやだぞ?)
不躾どころではない願いをルドルフは口にした。流石にヒルダも拒絶の気配を出す。
ルドルフとは今夜会ったばかりだ。そんな相手に許すようなものではない。
だがヒルデガルトが返答をするより前に、ルドルフは手際よく魔力同調を開始していた。
「あの、困ります!」
ヒルデガルトは必死に断りを入れるが、ルドルフは何も答えなかった。真剣に観察を続けている。
みるみる女の魔力に同調し、その魔力を使って精霊眼の感触を入念に確かめていた――特等級の魔力相手になんの苦も無く同調して見せるのは、さすがヴォルフガングの息子、というところか。
ルドルフはこれまで、何人もの精霊眼を見て来た。それまでの経験とヒルデガルトの精霊眼の共通点と相違点を確認していく。
「……なるほど」
(なにが”なるほど”なの?!)
ルドルフは本家当主だ。分家のヒルデガルトが不本意でも、その手を振り払う事はできない。少なくとも、それはこんな人前で許される行為ではなかった。
本家に逆らう分家、などと噂されては今後のヒルデガルトたちの活動に支障が出るからだ。
だが、これ以上勝手をされるのはヒルデガルトも嫌だった。精一杯声を上げた。
「あの、ルドルフ様! 困ります!」
だがその声も、ルドルフの耳には入っていない。
ルドルフは自分の世界に没頭していて、小さく独り言を繰り返し呟いていた。
(どうしたらいいのー?!)
「――ルドルフ様、それ以上はご勘弁を!」
見かねたノルベルトが声を上げた。だがそれでもルドルフの手は止まる気配を見せない。
ヒルデガルトは既に涙目になっていた。彼女の涙を見て、ノルベルトが動く決意をし、踏み出したその瞬間――
バサッ! と音がして、ヒルデガルトとルドルフの間に開いた扇子が差し込まれていた。
差し込んだ人間が静かにルドルフを窘める。
「――ルドルフ、嫌がる義妹に狼藉を働くのはおやめなさい」
ヒルデガルトが声のする方に目を向けると、そこには公爵夫人のクリスティーナが居た。つまり、ルドルフの妻だ。
ヒルデガルトが涙目のまま、呆然と名前を呟く。
「クリスティーナ様……」
クリスティーナはニコリとヒルデガルトに微笑むと、「ごめんなさいね。この人、魔術のことになると相手の心がどうでもよくなっちゃうの」と爆弾発言をした。
(それ、人としてどうなの?)
「ヒルデガルト、私の事は姉と呼んでいいわよ。この人があなたに酷いことをしそうになったら、いつでも言いにいらっしゃい」
探求の邪魔をされて不機嫌になったルドルフの首根っこを鷲掴みにし「では後でね」と言い残して、クリスティーナはヒルデガルトから離れていった。
二人の姿が遠くなるのを確認してから、ヒルデガルトは、はああああ、と特大のため息を吐いた。
「あんなに不躾な方とは思いませんでしたわ……」
クラウディアが苦笑を浮かべ、ヒルデガルトの背中をさすりながら助言をする。
「ルドルフ・フォン・ファルケンシュタイン。ヴォルフガング様以上の魔術フリークよ。魔術の為なら人の心を忘れてしまう悪癖があるけれど、それさえなければ立派な御仁よ」
それは立派な御仁、と言っていいのだろうか? ヒルデガルトには甚だ疑問だった。
ルドルフも基本的にはヴォルフガング同様、高潔で有能な人物だ。
ただ、魔術的探求心がくすぐられた時、倫理観というリミッターがフェードアウトするだけなのだ。
そんな人物がレブナント王国の宰相なのだ。国王の密かな頭痛の種だった。
それでも踏みとどまれる最後の一線が守られているから、ギリギリ問題になっていないだけである。
あれでもヒルデガルトが最初に同意さえしていなければ、無理強いはしてこなかったのだ。頷いてしまったヒルデガルトの負けなのである。
クラウディアが優しく言葉を続ける。
「ヒルダ、あなたは後天性精霊眼。だから、一度調べてみたかったのでしょうね。あの様子だともしかしたら、他の精霊眼との違いに、何か気が付いたのかもしれないわ」
(他の精霊眼との違い?)
ヒルデガルトは先天性の精霊眼保持者と出会ったことはないので、何が違うのかはわからない。小首を傾げるのみだ。
ヴォルフガングも、特に何かをヒルデガルトに言うことはなかった。
ノルベルトは事態がなんとか落ち着いたのを見て、胸を撫で下ろしていた。
あのまま放っておいたら、ノルベルトが割って入っていた。
分家の入り婿が本家当主に歯向かう、というのは醜聞として格好の餌食だ。それをクリスティーナに助けられた恰好だ。
(クリスティーナ姉様、か)
頼りになるストッパーである。
今度から、ルドルフと会う時はクリスティーナに同席してもらおうと、ヒルデガルトは固く心に誓った。
「はははは! 父上が済まないことをした」
ヒルデガルトの背後からライナーが声をかけた。ヒルデガルトがその声に振り向く。
「いつからいらしたのですか?」
「ヒルデガルトが涙目になったあたりだよ。母上を連れてくるのに手間取って済まなかった」
ルドルフが悪い癖を出し始めたを見たライナーが、即座にクリスティーナを此処まで連れて来たのだ。探し出すのに手間取り、僅かに遅れたことを詫びていた。
「ありがとうございました。助かりました」
ライナーは苦笑を浮かべて応える。
「父上はああなると、母上以外には止められないんだ。本当に済まなかった」
「わたくしも、次からは気を付けますわ」
ヒルデガルトはルドルフを天敵であると認識した。
その名は彼女の胸に「要警戒」とマークされ刻み込まれた。
ライナーは目元を潤ませているヒルデガルトの顔に見惚れていた。
「しかし、泣いた君は実に可憐だな。ノルベルトより先に、君に出会いたかったよ」
そう言うと、ライナーは胸元からハンカチを取り出し、ヒルデガルトの目元の涙をそっと拭った。
(それはどういう意味かしら?)
ヒルデガルトは言葉の意味を理解していない。きょとんとライナーを見上げている。
それにも構わず彼女の涙を拭い終わると、ハンカチを胸元に戻しながらライナーは「一曲、お相手願えますか」と手を差し出した。
(うーん、これは……本家の嫡男だし、断りづらいな)
ヒルデガルトは仕方なくその手を取り、共にホール中央へ向かい踊り始めた。
ステップを踏みながら、ライナーはヒルデガルトに語りかける。
「ヒルデガルト、君は卒業後、すぐに結婚するのかい?」
「それはまだ決めていませんの。お父様と相談することになると思いますわ」
「そうか……ならば、まだ時間はあるな」
(何が言いたいのかしら?)
二人が踊ってるのを見て、周囲が像然となっている。その空気はヒルデガルトにも伝わっている。
会場に居た殆どの参加者の目は、ヒルデガルトたちに注がれていた。彼女と踊るライナーを見ながら、口元を動かしている。
(どういうことかしら? 後でクラウに聞いてみよう)
一曲終わり、ヒルデガルトはライナーと共に皆の元へ戻っていった。
****
「ではヒルデガルト、また後で」
そう言ってライナーはヒルデガルトたちの元から立ち去っていった。
夜会が終わった後、一族だけの小さな懇親会が予定されていた。”後で”とはそのことだ。
さっそくヒルデガルトは、先ほどのざわめきの理由をクラウディアに聞いた。
「ねぇクラウ。先程は何故、ああも私たちは注目を浴びていたのですか?」
クラウディアは困った顔で応える。
「ライナー様が女性とダンスを踊る、という珍事に皆が驚いていただけですわ」
ヒルデガルトは驚いた顔で聞き返す。
「それはつまり……あの方、ダンスすらお断りするほど、他の女性を近寄らせなかったのですか?」
クラウディアはそれに頷いて返した。
「そうね。夜会に出席することはあっても、決して誰とも踊らなかった方よ。それこそグランツ時代も含めて――噂になるわね」
「噂、って?」
ヒルデガルトには嫌な予感しかしない。
「”あのライナー様がついに女性を見初めた”、と言われるでしょうね」
「私、ベルトの婚約者ですわよ?! しかも叔母と甥ですわよ?!」
クラウディアがため息を吐いた。
「”まだ”婚約者で、血の繋がりはありませんわ。あの方との付き合い方には気を付けていないと、大火傷ですわよ?」
「頭が痛いですわ……」
相手は本家嫡男。無暗に誘いを断れない相手だ。
ヒルデガルトはこの先が思いやられ、頭を抱えていた。




