ある侍女の視点
やったことなかったので試しに閑話を書いてみました。
ウルリケは男爵家の次女として生まれた。
領地の学校を首席で卒業した後、伝手があったのでファルケンシュタイン公爵家の侍女として働いていた。
ある日、前公爵家当主であるヴォルフガングから「孤児院から女の子を引き取るので、優秀な侍女が欲しい」と公爵家に打診があった。
現公爵家当主であるルドルフから推薦され、ウルリケはヴォルフガングの元へ行くこととなった。
(孤児院育ちの女の子、か。果たしてどのような子なのか)
相手がどんな子供だろうと、侍女としての職務を全うするだけだ。
私はこの仕事に誇りを持っていた。
だが相手は、十四歳になるまで孤児院で育った子供だ。
突如降ってわいた貴族の身分――それに溺れることがないよう、自分がその子を監視し補佐していかねばならないと、固く誓っていた。
生粋の貴族子女ですら、その地位に溺れ、貴族としての責務を忘れ遊び惚ける愚か者は珍しくない。
孤児から一転しての貴族生活だ。贅沢に溺れるのが容易に想像できる。
自分が傍に付き従う以上、そのような醜態を晒させてはならない。その為の自分なのだ。
孤児院まで迎えに行き、彼女を初めて見た。
左目は無機質な赤い宝石のような瞳――精霊眼、というらしかった。
その顔は、降ってわいた幸運に浮かれる様子もなく、暗く沈んでいた。
孤児院の院長や仲間たちと、親し気に別れを惜しむ姿に、慕われているのが見て取れた。
馬車に乗り込み、伯爵邸に向かう。
大人しく従うその姿には、貴族に拾われた幸運を喜ぶ様子など欠片も見受けられない。
何かを憂う様に窓の外を眺めていた。
しばらくすると、彼女の口から大きなため息が漏れた。
突然養子に貰われる。そういった境遇に不安がっているのだろうと思った。
ある日突然、見ず知らずの男に「私がお前の親だ」と言われて、不安にならない娘はいないだろう。
「お嬢様、領主様は大変人柄の良い方です。心配することはありませんよ」
事実、旦那様は貴族としては珍しいくらい高潔な人物だった。
あの方ならば、この子供を悪いようにはしないだろう。
「……領主様の事は心配していません。あの方の人柄は、先日理解しましたから」
少し驚いた。確か、旦那様はこの少女と僅かな時間しか会っていなかったはずだ。
その短い時間で、信頼できる相手だと見極めた、と言ったのだ。
だが、ならばなぜ憂鬱なのか。その理由が解らなかった。
「ではなぜ、そのようなため息を吐かれるのですか?」
思わず、口を衝いて出た。
侍女としては、余計な言葉だったと思う。だが、聞いておきたかった。
「これから私が修めるべき、膨大な量の教養を考えて憂鬱になっているだけです。勉強は嫌いではありませんが、どう考えても量が多すぎます。分不相応というものです。責任が重すぎます。私には、小市民くらいの身分が丁度よいですよ」
心底憂鬱そうに、その子供は言い切った。
この子供は、貴族の責務を理解している。それが解った。
その双肩に領民の生活がかかるという貴族の責務を理解し、これから背負おうとしているのだ。
高位貴族の子女になる事を幸運と捉えず、重責を背負う事のみに目を向けていた。
この子供であれば、勉強を怠ることなく、いつか貴族としての責務を全うしていけるだろう。
「それを理解しているだけで及第点と言えます。勉強嫌いの貴族子女の中には、遊び惚けて己の責務を放棄するものもいます。お嬢様は貴族としての資質がおありですよ」
だが少女は、私の心からの賛辞に心動かされることもなく、また憂鬱そうに窓の外を見た。
「褒めてくださったのは感謝します。でも私には、期待に応える自信はありません」
実に支え甲斐のある主人だ。私はそう確信した。
****
邸に着いても、少女の顔から憂鬱が晴れることはなかった。
大勢の使用人に傅かれても浮かれる様子もなく、また怯む様子もない。
ただまっすぐ前を見た後、
「みなさん、よろしくおねがいします!」
と、勢いよく頭を下げていた。
彼女なりの誠意なのだろう。
旦那様が現れ、「私の事はお父様、とでも呼びなさい」と語りかけると、とたんに少女の表情が柔らかくなった。
「――はい、お父様!」
可憐な笑みだった。心から笑っているのが解った。
孤児の少女にとって、父親という存在は憧れのひとつだったのかもしれない。
少女を着替えさせ、旦那様の書斎へと案内した。
そこで少女は旦那様と、今後の予定について話をしていた。
どうやらグランツに通わせる予定らしい。
あそこはエリート養成機関だ。そこに春から通わせるという、相当無茶な話だった。
周りは貴族ばかり。きっとこの少女は、侮蔑の眼差しで見られることだろう。
「そこに通っている間、お前が周囲から侮られないようにするためには、貴族の所作と教養が必要だ。お前も、そんなことで侮られるのは嫌だろう?」
旦那様の言葉を聞いた少女は、小さく頷いた後、固い決意の炎を瞳に燃やしているようだった。
――この少女であれば、あるいは入学までに、それなりの所作と教養を身に着けるのではないか。そう思わせられた。
旦那様との話が終わり、部屋へ戻る途中、少女が突然話しかけてきた。
「ねぇウルリケさん、お願いがあるんですがよろしいでしょうか」
「お嬢様。貴族は使用人に敬語など使わないものですよ。そういった態度は、侮られる元です」
これもつい、口を衝いた。
この少女が侮られる姿など、見たくはない。そう思ってしまったから。
少女は少し考えた後、改めて言い直した。
「ウルリケ、食事までどのくらい時間がありますか」
時刻を確認する。夕食まではまだだいぶ時間がある。
この後は邸の中を案内する予定だった。
残った時間は、部屋でくつろいでもらえばよい。そう思っていた。
「……四時間少々です。それがどうしましたか?」
少女が突然、私の両手を握りしめてきた。
「お願いウルリケ! 今夜の食事に必要な所作を、出来る限り教えて!」
少女の瞳は、決意に燃えていた。
なんて貪欲なのだろう。そう思った。一分一秒でも無駄にしたくない、その決意の固さが伝わってきた。
その後、請われるままに基本的なテーブルマナーを教えた。
飲み込みが早い上に、納得がいくまで何度でも繰り返し練習していた。
その日の夕食では大きなミスもなく、見事に食事をこなして見せていた。
――まったく、本当に仕え甲斐のある主人だ。
****
翌日から少女の所作と教養の授業が始まった。
だが朝、私が少女を起こしに行くと、既に自力で教本を読み込んで繰り返し練習しているところだった。
「おはようウルリケ! いいところにきてくれたわ! 私の動きがちゃんと教本通りになってるか、見てもらえる?」
請われるままに指導を繰り返した。
これでも貴族の一員であり、所作もそれなりに修めている。その上、元は公爵家に仕えた侍女だ。下手な侍女よりは詳しいという自負もある。
教本では不足しているポイントの指摘も加えて教えていった。
午後の授業が終わると、今度は復習が始まった。
朝と同じように、所作のポイントを教えつつ動きを見ていく。
その日習った分は、見事にものにしていった。
それでも満足せず、さらに洗練させようとなんども反復練習していた。
時計を見る。職務が終わる時間だ。
「お嬢様、私はそろそろ下がらせて頂きます。お嬢様も、お休みください」
「いいえ、私はもう少し復習していきます。ありがとうウルリケ。下がっていいですよ」
少女は頑固だった。
少女を就寝させることも職務のうちだが、頑として譲らなかったので「では、ほどほどにしてください」と私は下がった。
異変に気付いたのは、三日目の朝だった。
少女の目に、隈ができている。
「お嬢様、まさか夜はお眠りになられていないのですか?!」
「まさか! ちゃんと寝てるから安心して?」
遅番の侍女仲間にお願いして、その夜、少女が何時まで起きているのかを部屋の外から確認してもらった。
「あの子、三時近くまでずっと復習を繰り返してたみたい」
眠そうな侍女仲間に聞いて愕然とした。
まさか、と思い起床時間も調べた。
「五時にはもう起きている気配がしたわよ」
下手をすると二時間も寝ていない。
信じられなかった。そこまでする理由が解らない。
だがこんな生活が長続きするわけがない。そう思っていた。
だが彼女は三週間が過ぎてもその生活を止めなかった。
「お嬢様、それ以上無理をするのはおやめください。お身体を壊します」
「でもわたくしはお父様の、伯爵家の娘として相応しいものをまだ身に着けていません。怠けている暇などないのです」
少女――お嬢様は譲らなかった。己が納得するまで研鑽を続けた。
侍従から「ウルリケ、お前からも止めなさい」と言われたが、「お嬢様はご自身が納得しない限り、止まることはないでしょう」と答えるしかなかった。
当初こそ「孤児を引き取るらしい」と聞き、眉を顰める使用人たちはそれなりに居た。
我々も、ファルケンシュタイン公爵家前当主の家に仕える身だ。
矜持があった。それが元孤児に仕えろ、というのだ。腹に思うところぐらいはあったはずだ。
だがお嬢様の日々を見守るうちに、お嬢様を侮るものはいなくなった。
今では皆が、胸を張ってお嬢様にお仕えしているように見えた。
お嬢様の姿はそれに応えるように、高位貴族として恥ずかしくない振る舞いを身に着けていった。
私もいつしか、お嬢様にお仕えすることに誇りを持つようになっていた。
その気持ちが、肉親に対する情に近いものに変わっていくのに、そう時間はかからなかった。
だがそれに私が気づくのは、もう少し後の話になる。




