第12話:決断
「夜会、ですか?」
ヒルデガルトは昼食を終え、食堂から出ようとしたところを、フィルに呼び止められていた。
「ええそうです。今度、我が家で開く夜会に、是非あなたを招待したい」
ヒルデガルトは、クラウディアたちとのお茶会や、襲撃事件の夜会を通じて、立派に社交界入りしたと言ってもいい。
ならば、他の夜会に出るのも問題はない。だが、親しい友人とそうではない人間の開く社交場では出席する意味が変わる。
ヴォルフガングは「お前が貴族社会で生きる意志を持たないのであれば、社交界には行かなくていい」とヒルデガルトに伝えた。
ヒルデガルトは、自分がこれから貴族として生きて行きたいのかを自分に問うた。
それとも、貴族社会から距離を置き、一魔術師として生きて行きたいのだろうか。
「――少し、考えさせていただけますか?」
暴力を振るったことへの禊は、先日の散策で済んだ。
ならばこれは、自分の意志で決めていいことだ。
そうヒルデガルトは結論付けた。
ヒルデガルトの返答が予想外だったのか、フィルは僅かに驚いた。
だがすぐに微笑み「良い返事を待っています」と、一礼して去っていった。
ヒルデガルトがゆっくりと皆の元へ戻る。その顔は、俯いて何かを思案している。
ヒルデガルトの顔を見たクラウディアが質問してきた。
「なんて言われましたの?」
「夜会に招待したい、って――でも、考えさせてほしいとお答えしておきました」
「そう――即答しないだなんて、あなたらしくないわね。どうして?」
クラウディアはどこか安心したような笑みを浮かべつつ、ヒルデガルトに質問を重ねた。
(どうして、か)
ヒルデガルトは皆と歩きながら俯いて会話を続ける。
「お父様に、言われたことがあるんです。貴族として生きるつもりがないなら、社交界には出なくていいって――もちろん、みなさまから誘われたら、必ず行きますわよ? でも、フィル様の夜会は、また意味が変わってきてしまうから」
今のヒルデガルトが親しくない人間の開く社交場への出席する――それは貴族社会へ関わる意志を示す事になる。
後ろから、ノルベルトも質問を投げかけた。
「あなたは、貴族社会で生きていくつもりがない、のでしょうか」
ヒルデガルトは首を横に振って「まだ、わからないのです」と答えた。
「わたくしの小さい頃からの夢は、普通の男の人と恋愛をして、その方の可愛いお嫁さんになって、穏やかで慎ましい、幸福な家庭を築く事でした――その夢は、この左目のせいで打ち砕かれちゃいましたけど。でもまだわたくし、可愛いお嫁さんになることは諦めてないんですのよ?」
ヒルデガルトは笑みを浮かべながら続けた。この夢を諦める気は、彼女にはない。断固たる決意で持ち続けている夢だった。
「そしてさっき気が付いたんです。恋をする相手が貴族だった場合、わたくしはその方の妻として、貴族の一人として生きていくことになるんじゃないか、って。今も本心では、貴族社会と極力距離を置いて生きて行きたいです。でも、恋をした相手が貴族だったなら、わたくしはこの身にできうる限り、その男性を支えて生きて行きたい」
みんなはヒルデガルトの言葉を、静かに聞いていた。
「貴族として生きて行くならば、今からでも貴族社会に溶け込んでおくべきです。そうでないのなら、距離を取るべきでしょう。なのに今は想い人が居ないからどちらも選べない、先程はそう思ってしまった――でもこれって、自分の人生の選択なのに、相手に依存してしまってますよね。そんな自分は許せません」
自分が歩む道は、自分の意志で選びたい。恋をする相手に依存するのではなく、自分の意志で――それがヒルデガルトの選択だった。
「だからわたくしは、自分の意志で、平民として生きて行くのか、貴族として生きて行くのかを決めないといけないなって――だから、夜会の返事を待ってもらったんです」
ルイーゼが優しく問いかけた。
「もし、平民の道を選んだあと、貴族に恋をしたらどうするの?」
ヒルデガルトは困った顔で応える。
「それは……もしもそんなことになったら、縁がなかったと諦めます。相手が、貴族社会を捨ててでも私と添い遂げたい、というのであれば、応じたいと思いますけど……できれば相手の方にも、きちんと自分の道を歩んでもらいたいとも思います」
ヒルデガルトはルイーゼに顔を向けた。
「でも、貴族の男性が、平民になった私と恋に落ちる……そんな物語みたいな話、あるんでしょうか?」
ルイーゼは「あるかもしれないわよ?」と微笑みながら答えた。
(あるのかな? ないと思うんだけど)
ジュリアスの静かな声が、ヒルデガルトに問いかける。
「答えは――出せそうですか?」
(出せるだろうか)
ヒルデガルトは、また俯いて考える。まだ、答えは見えそうになかった。
(けど――)
彼女は顔を上げ、力強く宣言する。
「出して見せます! ちゃんと考えて、自分が許せる自分で有り続けるために!」
ヒルデガルトは小さく胸で拳を握った。
(そうだ。私は、自分に恥じない自分でありたいのだ)
「……ほんと、ヒルダらしいわね。私、あなたのそういうところ、とっても好きよ?」
クラウディアが優しい笑みでヒルデガルトを見ていた――いや、ヒルデガルトの目に入る皆の笑みが、優しく見守っていた。
「ありがとうクラウ! 私もクラウが、みんなが大好きよ!」
ヒルデガルトの心が温かくなる。彼女の心の飢えを満たしてくれるものが、ここにはあった。こんなに身近に、手を伸ばせば届く場所に。
自分はなんて幸せ者なのだろうか。ヒルデガルトはその想いを、深く噛み締めていた。
****
――女子寄宿舎。いつものように、一部屋に四人が集まっていた。
「あの子は、強いわね」
ルイーゼが微笑みながら零す。
”自分の道は自分の意志で選ぶ”とヒルデガルトは言い切った。
あれほど恋愛に憧憬を抱きながら、恋愛よりも、己が己であることを優先した。
ヒルデガルトに与えられた境遇であれば、その環境に流されてしまっても不思議ではない。だが、彼女はそんな生き方を良しとしなかった。
学院に通っている生粋の貴族たちの中で、果たしてどれだけの人間が、あそこまで考えて生きているだろうか。
自分を含め、生まれた境遇で与えられ定められた道を、ただ漫然と歩いているだけではないのか。
ヒルデガルトの生き方は、そんな自分には眩しすぎるくらいだった。
「私たちも、あの子に恥じない人間でありたい。そう思わせられちゃうね」
アストリッドも、同じように感じていた。
ただ漫然と、家に決められた相手と結ばれ、家を守る生き方を選んでいなかったか。
「貴族の令嬢とはそういうものだから」と、考えることを放棄してはいなかっただろうか。
平民上がりのあの子は、同年代のどの貴族よりも気高く生きているように思えた。
「まいっちゃうよねー。あんな姿を見せられたら、私たちだって手を抜いた生き方なんて、見せられないじゃない」
エミリだって同感だった。手を抜いてきたつもりはない。だが、あれほど真摯に生きて来たかと問われれば、否定せざるを得ない。
「当たり前じゃない――私のヒルダなのよ?」
クラウディアは、ヒルデガルトと同じように生きてきたつもりだった。自負があった。
周りを見て、自分より気高く生きている人間を見つけることはできなかった――だが、境遇に甘えている部分があったことは否めない。
境遇すら乗り越えようとする生き方を、クラウディアはしてこなかったのだから。だから彼女は、クラウディアの目から見ても、眩しく映るのだ。
****
夜の一室。
ベッドに横たわるノルベルトは、昼間の事を思い出していた。
ノルベルトの想い人は、生き方そのものがひたむきで、眩しくて、自分などが近寄る事すら烏滸がましいとさえ感じた。
だが、この恋慕を止めることも、自分にはできない。
彼女は”自分の道は自分の意志で決める”と宣言した。では、彼女がその道を決めるまで、この想いを告げるべきではないだろう。
例え自分の想いが叶ったとしても、彼女が道を決める前では、それは彼女を縛り付ける枷でしかなくなるのだから。
”偶々想い人と同じ道に歩いていくことができるから、その道を選んだ”など、誇り高い彼女には許せないだろう――或いは、この想いが叶った後でも、彼女が己を曲げずに平民の道を選択したならば、彼女から別れを告げられるのかもしれない。
(彼女が平民の道を選んだ時、俺はどうするのだろうか。家を捨て、平民として共に生きて行く覚悟を、俺は持っているだろうか――それとも、彼女への思いを諦めるのだろうか)
彼女の生き方に恥じないよう、自分も生きて行けるのか。ノルベルトは自問自答を繰り返していた。
****
自室で魔術書を開きながら、ジュリアスは自分を見つめなおしていた。
自分ならば、彼女がいずれの道を選ぼうとも着いていくことができる。
彼女の傍で、彼女の笑顔を守っていくことができるはずだ。
だが、自分の幸福を二の次とした自分の生き方を、彼女は許しはしないだろう。
(俺の幸福は彼女の笑顔だ。だがそれでは、彼女は納得しない)
自分はどう生きて行きたいのか。どこを目指しているのか。彼女が傍らに寄り添ってくれた時、共に歩める道とはなにか。
寄り添ってくれた彼女に恥ずかしくないよう、自分も真摯に生きなければならない。
いや、寄り添ってくれなくても、一人の友として、彼女に恥じない己――その姿に、思いを馳せていた。
****
月明かりが、窓から差し込んでいた。
窓辺に差した赤いチューリップが、月明かりの中で影を落としていた。
――受け取ったときには輝いて見えたこの花も、今は色褪せて見える。
送ってくれた人間の本性を垣間見てしまった瞬間、あの輝いた夕焼けの世界が、鈍色に変わった。
(貴族社会とは――ああいう方々と付き合うことになる世界よね)
平民の生活ならばよく知っていた。そこでの生き方も、孤児院で覚えた。自分なら、問題なく生きて行けるだろう。
だが貴族の世界は、まだよくわからなかった。
お父様のお膳立てした世界は、幼い未熟な私を守るためのおままごと。厳選された人たちは、悪意とは無縁の高潔な方々だった。
垣間見た貴族社会は、悪意に満ちている――勉強して知っていた。知っていたつもりだった。だが目の当たりにした時の衝撃は、計り知れなかった。
(ああも容易く、悪意を覆い隠し、善意を取り繕える人間が跋扈する世界、か)
フィル・ブランデンブルクは小物だ。あんなもの、序の口でしかない。貴族社会に生きるようになれば、比べ物にならないほどの魔物と相対せねばならなくなるだろう。
未熟な私は最初、その隠された悪意に気付くことができなかった。たまたま彼が失策したことで気が付くことができた――幸運だったと思う。
彼が失策を犯さなければ、今も私は、彼の上辺の善意に騙され続けていただろう。
(いえ、彼の言動が失策につながったのは――ベルト様の言葉があったからだ)
私はあの時、間接的にベルト様に助けられたのだ。
「私の右目こそが美しい」と言ってくれた彼の言葉に、またも私は救われたのだ。
(私は、貴族社会で生きて行くことができるだろうか。その覚悟が、私にあるのだろうか)
おままごとの世界で与えられた友人たち――優しく温かい彼らは、その貴族社会でこれからも生きて行かねばならない人たちだ。
幼いころから教え込まれ、貴族として生きて行けるように育てられた人々。
平民の道を選べば、平穏な生活を得るとともに、愛しい彼らとは距離を取ることになるだろう。貴族と平民の間には、確固たる壁があるのだから。
彼らと、お父様と離れることになる。それはとても寂しいことに思えた。
貴族の道を選べば、愛しい彼らと共に歩める。心を温かくしてくれるたくさんの想いの中で生きていける。だがそれは、同時に魑魅魍魎が跋扈する世界で戦う人生となる。
(――力が欲しい。貴族社会で生きて行けるだけの力が)
改めて己の考えを振り返る。
(こうして力を欲するということは、私は貴族社会で生きて行きたいと思っている、ということ)
あの日、突如与えられた境遇――身の破滅が間近に迫った時、救い上げてくれたのはお父様だった。
そのお父様に報いたい、と思った。
私が貴族の世界から距離を取りたいと意志を示した場合でも、お父様は微笑んで見送ってくれるだろう。
だけど、私を救い上げ、溢れるほどの慈しみを与えてくれたお父様に報いずに立ち去るなど、自分にはできない。そんな自分は許せない。
この魔力でこの国に貢献していくにも、平民の世界よりは貴族世界で生きて行く方がより適しているだろう。
己の持った力に見合う責務を果たし続ける人生――
そうした生き方は、きっとお父様の想いに報いることにも繋がるはずだ。
平民の平穏な世界に逃げ、そこで新たに愛しい人々を作っていく人生よりも、厳しくとも責務を十全に果たし続ける人生の方が、より自分らしいと思った。
あとは、覚悟だけだった。あの恐ろしい世界で生きて行く覚悟を、まだ自分は持てていない。
自分の道は自分で選ぶ――これは決めたことだ。そしてその選択も、ほぼ決まった。
(最後に、背中を押して欲しい、と思うのは甘えなのかしら)
誰かに今の心の内を話し、私なら貴族社会でも生きていけると、そう力強く肯定してもらいたかった。
そして、そんな言葉を私に送ってくれそうな人を、私は一人しか思いつかなかった。
(この花も、彼が送ってくれたものだったならば、どれほど輝いて見えただろう)
そっと花弁に指を添える。花言葉は――例えば、『愛の告白』。
そこまで考えて、ようやく気が付く。
(そっか。そういうことなのか。いつからだろう? ――私、鈍かったのね)
自嘲しながら、ベッドに向かう。
答えは出た。
ならば、行動あるのみだ。




