第2話:学院見学(2)
「ここが私たちの教室だよー!」
ヒルデガルトが案内された部屋は、扇形に広がっていて階段状に机が並んでいた。
扇の要にあたる部分に黒板と教壇がある。
どの席からでも、黒板や教師の顔がよく見えるように配慮された作りだ。
ヒルデガルトが四人に尋ねた。
「ここに何人くらいが入るんですの?」
ざっと見たところ、百人程度は収容できるだろう。
ルイーゼがそれに応える。
「約五十人ね。席は決まってないから、好きに座っていいのよ?」
アストリッドが補足する。
「あたしらはいつも、真ん中あたりに固まってるね」
(なるほど……)
貴族子女の世界も派閥社会だ。
険悪なグループ同士が距離を取れるよう、人数には余裕を持たせているのだろう。
ヒルデガルトがぼそりと心細そうに小さく言った。
「みなさまと同じクラスになれるといいですわね」
クラウディアがやっと落ち着いたらしく、普段の姿に戻ってその質問に答えた。
「クラス分けは成績順ですわ。ですから私たち、そして殿下やノルベルト様、ジュリアス様も一緒よ」
ヒルデガルトは意外な人物の名前に反応した。
「あら、殿下もグランツなんですね。王族の警護とかどうしてますの?」
クラウディアがそれに応える。
「グランツ内の治安は生徒の自主性が重んじられますけど、生徒の手に負えない時は教師が出てきますわね。外敵はそもそも入ってこれませんし――ですから、王族だから特別に警護されている、ということはありませんわ」
つまり、揉め事があれば周りに居る生徒が止める、というのが原則になっているようだ。
どうしても収まらなければ教師が出てきて仲裁を行うのだろう。
王族の警護が不要、というのは朝見て来た周囲の様子で納得できるものだった。
ヒルデガルトも納得したようだった。
「まぁ私たちのクラスはジュリアスやベルト様がいるから、どうとでもなるでしょうけれど」
魔術のジュリアス、フィジカルのノルベルト。この二人で抑えられないことはそれほど多くないだろう。
「そうね。このクラスはだいたいその二人が止めるわね。でも多分、ヒルダが来たら全部ヒルダが片付けるのではなくて?」
(クラウ?!)
「あーありそうー! ヒルダってそういう揉め事があればすぐ首を突っ込みそうだし」
(エマ?!)
「ジュリアス様に匹敵する魔術にノルベルト様を凌ぐフィジカル……最強だよな」
(リッド?!)
「本人が強い上に手下も多いから、誰も逆らえないものね……」
(ちょ、ルイズまで?! なんでそんなイメージなの?!)
思わずヒルデガルトが四人に突っ込んだ。
「みなさまの中でわたくしのイメージはどうなってるのかしら?! 噂に毒され過ぎじゃありませんこと?!」
クラウディアたち四人が舌を出して、ヒルデガルトを揶揄った。
「「「「てへぺろ」」」」
ヒルデガルトの右手が握られ、小さく震えていた。
「これは……わたくし、遊ばれてるのかしら?」
クラウディアたち四人が弾けるように笑いながら四方に駆け出していった。
「にーげろー!」
「わー!」
「こわーい!」
「アハハ!」
ヒルデガルトはなんだかどっと疲れを感じ、中央で黄昏ていた。
(お父様、なんだかわたくし、貴族令嬢のイメージがガラガラと崩れ落ちていった気がします……)
等身大の彼女たちは、年相応の女子の姿をしていた。
グランツ内は彼女たちにとって、少し肩の力を抜ける空気なのだ。
制服に袖を通している間だけは、貴族子女の重圧からわずかに解放されているのだろう。
****
「…………」
ヒルデガルトはふくれっつらをして皆から顔を背けて歩いていた。
あの後も散々、四人におもちゃにされたからだ。
「もう! そろそろご機嫌を直されて? 悪ふざけが過ぎたのは謝りますけれど」
クラウディアが普段の姿に戻って謝ってきた。
一通り遊んで、気が済んだらしい。
(女子が五人もいるんだから、姦しいのは仕方ないと思うけど!)
ヒルデガルトは、はぁ、と大きくため息を一つ吐く。
「仕方ありませんわね。許します――それで、ここは何の部屋ですの?」
五人は大きな両開きの扉の前に居た。
クラウディアが説明をする。
「ここは多分、ヒルダが一番通うことになる施設よ」
(一番使う?)
クラウディアが施設の扉を開けると、その奥には膨大な本が列をなしていた。
ヒルデガルトが感嘆の声を上げる。
「まぁ! 書庫、いえ、図書館ですのね!」
そんな彼女の姿に、苦笑を浮かべたクラウディアが釘を刺す。
「今日のところは見るだけね? あなた、本を開いたら読破するまで動かなくなりそうだし」
ヒルデガルトも苦笑でそれを受け止める。
「う゛……否定はできませんわね……わかりました。中には踏み込まないようにいたしますわ……」
(楽しみは後々にとっておこっと)
だが疑問があったので、ヒルデガルトはクラウディアに質問を投げた。
「でも、”私が一番使うことになる”というのはどういうことですの?」
確かにヒルデガルトは本好きだが、図書館に足しげく通う程ではない。
”自分が一番使う”と断言する程ではないはずだと、確信していた。
それに対してクラウディアが説明を述べる。
「授業はカリキュラムの日程に沿って進められるの。ジュリアス様のように学力が飛び抜けてしまっている場合、授業の範囲を簡単に超えてしまう。その場合は図書館から教本を持ってきて自習、という形になるわね。あなたもすぐにそうなるのではなくて?」
(なるほど、自習用の本を借りてくることが多くなりそうだから”一番通うことになる”ってことなのね)
ヒルデガルトも納得して頷いた。
とはいえ、エリート養成学校グランツの授業だ。ヒルデガルトにも、ついていけるかはまだわからない。
少なくとも、クラウディアたちは自習をしていない。
そんなやわなものではないはずだ。
****
五人でじゃれあいながら、あてもなく廊下を歩いていく。
ヒルデガルトは、目に留まったものを説明してもらったり、学院の逸話なども聞いてみたりしていた。
ふと、遠くの方からピアノの音がヒルデガルトの耳に聞こえてきた。
「あら、ピアノですわね?」
クラウディアがそれに応じる。
「音楽室の方からですわね。行ってみましょうか」
魔術には音を媒介にしたものもある。
そういったものを実習するための場所なのだろう。
ちなみにジュリアスはフルートで魔術を使えるという。ヒルデガルトもそれを伝えられたときに驚いていた。
貴族子女の嗜みとしても、楽器演奏はポピュラーなものだ。
ヒルデガルトもそのうち、いずれかの楽器を習得しておいた方が良いのかもしれないと思っている。
音楽室の扉は開いていて、奥で男子生徒がピアノを弾いている。
クラウディアが男子生徒の顔を見てわずかに顔をしかめた。
「あら、あの方は……」
ヒルデガルトが尋ねた。
「クラウ、あの方をご存じなの?」
クラウはちょっと複雑そうな表情をしている。
「ご存じといいますか……そうね、ヒルダとも関係がある方ですわ」
ヒルデガルトが小首を傾げ、それにクラウディアが応えた。
「ディーター・フォン・ファルケンシュタイン公爵子息。ヒルダの甥にあたりますわね」
つまり、ヴォルフガングの孫である。
ディーターは今年十四歳だとヒルデガルトは記憶していた。
「お父様の親族を目にするのは初めてです。どんな方ですの?」
途端、クラウディアが冷風が漂ってくるような氷の微笑みを浮かべた、
「穏やかな方ですわね。良く言えば争いごとを好まないタイプ、悪く言えば軟弱者。そんな方ですわ」
”よく言えば”がオブラートだとすれば、”悪く言えば”が本音であろう。
(……相変わらず良い切れ味ねクラウ)
クラウディアにとって、あまり印象が良い相手ではないらしい。
クラウディアと会わせない方がいいと判断したヒルデガルトは、早々に立ち去ることにした。
「演奏の邪魔をしても悪いですから、他の場所へ行きましょうか」
そうして踵を返したヒルデガルトの背中に、ディーターが声を投げかけた。
「叔母上、ですよね。その左目は」
(あら、みつかっちゃったか)
ヒルデガルトの精霊眼は目立つし有名だ。グランツで精霊眼をもつのは現在、彼女だけである。
つまり、たとえ顔が分からなくても、精霊眼=ヒルデガルトと分かってしまう、ということだ。
諦めてヒルデガルトが振り返ると、ディーターが演奏を止めて五人の元へやってくるところだった。
(背が高いなー)
かなり身長がある。十四歳だが、十五歳女子平均身長のヒルデガルトより頭一つ分背が高い。
ヴォルフガングも長身だったので、ファルケンシュタインの血筋なのだろう。
髪の毛の色も、ヴォルフガング譲りの深い灰色だ。
ヒルデガルトから挨拶を投げかけた。
「初めて会うわね。ディーター、でいいのよね?」
ディーターはどこか照れた感じで応える。
「ええ、そうです」
優しい微笑みは、春の日差しのようにキラキラと輝いていた。王子様タイプの美形だろう。
ヒルデガルトが小首を傾げて見上げながらディーターに尋ねる。
「休日の音楽室でピアノを弾いてらしたの?」
(ピアノ演奏が好きなのかな?)
ディーターは苦笑を浮かべて、ヒルデガルトの想像を否定してきた。
「気分転換ですよ。勉強ばかりでは滅入ってしまうので」
ディーターの軟弱な答えに、クラウディアが冷淡な言葉を投げかけた。
「あら、そんなことだから成績が低迷してしまわれるのではなくて? せっかく一等級の魔力を持っていても、それでは宝の持ち腐れでしてよ?」
クラウディアからの容赦ない言葉がディーターに突き刺さっていく。
ディーターは苦笑いでごまかしていた。
「ところで、叔母上はなぜここに?」
話題を切り替えようと、ディーターがヒルデガルトに話を振ってきた。
「わたくしはグランツ見学ですわ。下見ですわね」
途端、ディーターが満面の笑みに変わる。
「では、僕もご一緒します!」
(あら? 急に元気になったわね? でも今はクラウたちと一緒だし……)
ヒルデガルトが戸惑っていると、クラウディアがずいっと一歩前に出てた。
「女子の中に混ざるおつもりでして? 何を考えていらっしゃるの?」
クラウディアが黒いオーラでディーターを威圧していた。
だがディーターも引く様子がない。
「僕だって叔母上と話したい!」
(あれ? 初対面だよね? そんなに興味を持たれるようなことあったかな?)
少なくとも、ヒルデガルトの側には覚えがなかった。
ディーターとクラウディアの間で花火が散っていた。互いに譲る様子はない。
ヒルデガルトはため息を吐いた後、折衷案を出した。
「そろそろお昼ですわね……ディーター、よろしければあなたも一緒に食べませんか? 少しくらいなら話す時間もあるでしょう」
「もちろんご一緒します!」
パァッと花が舞うような笑顔でディーターが被り気味に即答した。
まさに秒で食いついてきた。
だが不満げなクラウディアは猛反対だ。
「ちょっとヒルダ! この軟弱者とテーブルを囲むのは私、嫌よ?!」
オブラートはサヨナラバイバイである。ドストレートに軟弱者呼ばわりしている。
それだけ、ディーターと一緒の空間に居るのが嫌なのだろう。
ヒルデガルトは優しい笑顔で、クラウディアの説得を始めた。
「クラウ、私の甥にあまり意地悪をしないで? あなたたち公爵家同士じゃない? 仲良くしましょう?」
”私の甥”という言葉が効いたのか、クラウディアは不承不承といった感じで引き下がった。
「……わかりました。でも、昼食まででしてよ?」
「ええ、もちろん――ディーターも、それでいいわね?」
「……叔母上がそう仰るなら」
こちらも渋々、といった感じだ。
折衷案を飲んでもらえたことで、ヒルデガルトは内心、胸を撫で下ろしていた。
(そんなに一緒に居たいのかしら? いつのまに懐かれたのかな)
二人の気が変わる前に移動しようと、ヒルデガルトが号令をかける。
「それでは、食事のできる場所まで案内してくださる?」
****
ヒルデガルトが案内された場所は学生食堂。かなりの人数が広々と座れるだけのスペースだった。
今日は休日なので広さの割に人が居ないが、お昼時なのでまぁそれなりの人数はいる。
「食堂は、お休みでも開いているのですね」
アストリッドがヒルデガルトの質問に応える。
「寄宿生の食事があるからだよ。閉まってたら、あたしら寄宿生が餓死しちゃうからね」
つまり、この場に居るのは全員寄宿生、ということだ。
早速ヒルデガルトがメニューを覗いてみた。
「どんなものが出てくるのかしら?」
入り口には、完成した料理に保存魔術をかけた物が陳列されていた。
(……なんだかとても庶民的な料理だなぁ)
貴族子女が好むような手が込んだものではなく、街でよくみかけるようなものばかりが並んでいる。
大人数の注文を、短時間で捌くための料理だ。
尤も、昼休みの間に食べ終わらなければならないのだ。コース料理など出されても困ってしまうだろう。
どうやら日替わりで三種類の定食と、サンドイッチなどの軽食があるようだ。
日替わり定食は朝昼夕で、これまた内容が変わるという。
「あたしB定食!」
「じゃあ私はA定食ね」
「C定食ー!」
「……ヒルダと同じものでいいわ」
「僕も叔母上と同じものを!」
「ではわたくしはサンドイッチにするわね」
各々がカウンターに料理を注文すると、調理済みの料理を盛りつけてトレイで手渡される。
このあたりの雰囲気も大衆食堂に似ているとヒルデガルトは思った。
もっとも、ヒルデガルトも大して大衆食堂を知っている訳でもない。何度か利用したことがある程度だ。
全員でテーブルを囲む。
見本通り、並ぶ料理は大衆食堂のそれと大差ない。
グランツに通う三年間だけとはいえ、庶民と同じ食事をするのを厭う貴族は多いだろう。
ヒルデガルトはその疑問を、しっかりヒルデガルトの隣をキープしたクラウディアにぶつけた。
「ねぇクラウ。貴族子女、それも高位貴族の子が、こういう食生活に耐えられるものなのかしら?」
味は確かで、食材や調理人は一流のものを使っているのがわかる。
仏頂面で応えようとしないクラウディアに代わってアストリッドが応えた。
「なーに、住めば都、慣れればどうってことはないよ!」
「叔母上! あの時、颯爽と現れて『蜃気楼』でクラウディア様を庇ったお手並み、本当にお見事でした!」
割り込むようにディーターが声をかけた。
ディーターもヒルデガルトの隣をちゃっかりキープしていた。
つまり今、ヒルデガルトはクラウディアとディーターに挟まれていた。
(ディーターの話の内容から察するに、襲撃事件の一部始終を遠目から見ていて、それで懐かれたのかな?)
「叔母上はあの時、どんな気持ちで刺客とクラウディア様の間に割り込んだのですか? 怖くはなかったのですか?」
(あの時かー……)
ヒルデガルトは口の中のサンドイッチを飲み込み、紅茶を口にしてから、天井を見上げてその時の気持ちを思い出していた。
「そうねぇ。無我夢中だったし、怖くはなかったと思うわ。あの時は『絶対にクラウの命を救って叱りつけてやる!』って意地になってた気もするし……でも、物凄く頭に来てたのだけはよく覚えてるわ」
怒りが我慢の壁を決壊させた感覚だけは、彼女の実感として残っていた。
ヒルデガルトは普段、さして怒るタイプではない。
理性を手放すほどの怒りに飲まれたのは、彼女自身初体験だった。
「壇上のヒルダ、半端じゃなく怖かったものねぇ。”あの”クラウが後ずさるぐらいだもの――私、クラウとはそこそこの付き合いだけれど、クラウが気迫負けしたのを見たのはアレが初めてよ?」
ルイーゼもあの時のことを思い出すように、天上を見上げて言った。
その言葉に、ヒルデガルトが戸惑いがちにクラウディアに確認を取る。
「えっ……ねぇクラウ。わたくし、そんなに怖かったかしら?」
”学院の女王”の異名を持つクラウディアだ。当然、若者の社交界でも君臨していた。
大人たちに交じっても渡り合えるクラウディアが気迫負けするなど、ヒルデガルトには信じられなかった。
理性が吹き飛んでいたヒルデガルトには、あの時の記憶が朧気にしか残っていないのだ。
クラウディアもその時のことを思い出したのか、青い顔になり、肩を震わせて応えた。
「…………生まれて初めて、恐怖と言うものを知った気分だったわ」
(そこまで?!)
ヒルデガルトから目を背けながらアストリッドが苦笑いを浮かべて言う。
「あの瞬間、『こいつは怒らしちゃいけない』ランキングで、クラウを追い抜いてヒルダがぶっちぎりの一位に輝いたよね……」
(リッド?! なにそのランキング!)
アストリッドのその言葉に、女子一同が頷いていた……クラウディアまでが。
(な、納得いかない……)
このランキングが、まさかこの時以降生涯更新されることがなかったなど、この時のヒルデガルトは知る由もなかった。




