ある被害者の会
男たちは居酒屋を貸し切り、テレビの画面を見ながら、にぎやかにお酒を飲んでいた。
彼らは全員、元プロ野球選手だ。
プロ野球選手といっても、一軍の試合に出場することなくユニフォームを脱ぐ、そんな者も少なくない。
しかし、彼らは違った。活躍の程度には個人差があるものの、全員が一軍で戦った経験を持つ。
「今回はどうかな」
テレビの画面に映っているのは、プロ野球の試合だ。この試合で本拠地チームが勝つと、リーグ優勝が決まる。
本拠地チームは初回に得点してからも、順調に点を積み重ねていた。試合の趨勢は明らかで、ここから逆転されるとは思えない。
お酒を飲みながら、男たちの一人が言う。
「毎回のことですが、こういう試合をグラウンドの外から眺めていると、複雑な気分になりますね」
他の男たちも同意する。たぶん一人でだったら、この試合を見ていない。
いよいよ九回に入った。アウトのランプが、優勝へのカウントダウンを刻んでいく。
ゲームセットが間近となり、男たちはお酒を飲むのをやめて、無言でテレビを見つめる。
そして、試合が終わった。
その直後、勝利したチームの選手たちが、喜びを爆発させている。
が、男たちが見ているのは、彼らではない。別の場所だった。
「今回のは、なかなか芸術点が高いですね」
「被害者は三人か。ひどいことをしやがる」
男たちが注目しているのは、「試合終了時点で塁に残っていた、相手チームのランナー」だ。一塁、二塁、三塁で、計三人。
かつての自分たちも、そうだった。ここにいるのは全員が、他チームの優勝決定時に、塁上にいた者たち。
「あの瞬間って、どうしても戸惑うんですよね」
優勝が決まると、恒例の光景がある。ゲームセットと同時に、ピッチャーマウンドでのお祭り騒ぎだ。ベンチからも、選手たちが飛び出してくる。
あの時、塁上にいると大変なのだ。
「優勝の瞬間って、テレビで繰り返し流されますからね」
そのため、味方ベンチへ戻るのも一苦労だ。画面にはっきり映り込んでしまうと、さらし者も同然になる。
あれを一度でも体験すると、こそこそ帰ることを学習する。いかに画面に映らないようにするか。それが重要だ。
味方ベンチに近い塁にいても、油断はできない。最後の一球が内野フライだったりすると、すぐそばに映り込んでしまうこともあるのだ。その映像も、テレビで繰り返し流される。
「お、俺、本当に悪気はなかったのに・・・・・・」
男の一人が涙ぐむ。
「あれは仕方がないよ。ただ運が悪かったとしか」
他の者たちが慰める。
この男、優勝決定の瞬間に、しっかりと画面に映り込んでしまったのだ。内野フライによる不運。
しかも、塁上でしばらく呆然としたあと、急いでベンチに帰ろうとして、ピッチャーマウンドのすぐ近くを通ってしまった。
この被害者の会においても、画面に映っていた時間は最長になる。
さらに最悪なことに、その球団はそれ以降、一度も優勝していないのだ。
ゆえに、同じ映像がずっと使い回されている。最後の優勝として。
あの時、出塁していたばかりに、そして、たまたま自分の近くに内野フライが飛んできたばかりに、この男はさらし者にされ続けているのだった。
「あの場面での正解って、やはり『あれ』ですかね」
この被害者の会が導いた最適解。
「手で顔と背番号を隠す」
「あとは、できる限り姿勢を低くして、かなり遠回りをしてベンチに帰る」
「カメラが映す場所は、だいたい決まっているわけだから、そこに入らないようにする」
これこそが、あの場面での最適解ではないだろうか。
男たちがうなずき合っていると、会長が告げる。
「今回新たに被害者となられたお三方には、彼らの現役引退後、この会にお誘いしたいと思います」
反対の声は出なかった。代わりに、歓迎の拍手が起こる。
なお、この被害者の会では、「サヨナラヒット(ホームラン)を打たれてしまい、それで相手チームの優勝が決まった、というピッチャー」も会員に加えるかどうか、現在検討中である。
次回も「リーグ優勝」のお話です。




