○○○の前でポーズ!
男は興奮気味に、鏡の前に立っていた。
体の内側からわいてくる衝動、それが抑えきれない。
まずは、左手で正拳突きをする。
次に、右手でも正拳突きだ。
そして、左手を右ななめ上へと、勢い良く突き出す。
これは、あるヒーローの変身ポーズだ。
自分が子どもの頃に、テレビで放送されていたヒーロー番組。そのダイジェスト版がネットで配信されているのを、偶然見つけてしまったのだ。
懐かしさから視聴を開始して、そのまま全部を一気に見終わったばかりである。
なので、こういう衝動が起きてしまうのも、仕方がないだろう。そう自己弁護をしてみる。
(昔もこうやって、鏡の前で変身ポーズをまねしていたよな)
当たり前のことだが、鏡の中にいる自分は、ヒーローには変身していない。あの日の少年は今や、「おっさん」の姿になっている。
(へーんしーん!)
心の中で叫びながら、一連の変身ポーズをもう一回、繰り返してみた。
たとえ自分の姿は変わっていなくても、頭の中には変身ヒーローが入ってくる。そんな感覚が子どもの頃にはあったのだが、今は大きく目減りしていた。
少年の心を、完全には忘れていないものの、かなり風化しているのは間違いない。頭の中に入ってきたヒーローは、昔のような等身大サイズではなく、手のひらに収まる人形サイズだ。
でも、楽しい。すごく楽しい。
男が一人でにやけていると、
「お父さん、何をやってるの?」
ふり返ると、中学生の娘が立っていた。
思わず焦る。まずいところを見られてしまった。
動揺するこちらに対して、「こんな感じだったよね」と、娘が変身ポーズを手抜き再現してくる。
まずいな。しっかりと見られていたようだ。
「あの、その、これはだな。そう、『スリーアウト』を宣告する時の、新しいポーズだ。その開発中の試作版」
ついつい、「でまかせ」を言ってしまう。こうなったら、もう後戻りはできない。
「来週、審判協会の会議があるんだ。その会議で、『スリーアウト』のポーズを新たに決めよう、ということになっていてな」
球場に来たお客さんから、見た目にもわかりやすくして欲しい、そんな要望が出ているのだと、ウソを続ける。
「だから、これは仕事の一環なんだ。どうだ? お父さんと一緒にお前も、新しいポーズを考えてくれないか」
興味ないからと言って娘は立ち去る、そのような展開を期待していたのだが、
「ふーん、プロ野球の審判って大変なんだね。でも、今のやつだと、昔の変身ヒーローっぽいよ。野球感が足りない気がする。こんな感じにしたら、どうかな?」
積極的にアイデアを出してくれる。
これには、良心が痛んだ。
仕方がない。審判協会の会議があるのは、本当だ。
その場で提案してみよう。『スリーアウト』を宣告する時に、何らかのポーズをしてみてはどうか。「球場に来ているお客さんに、見た目にもわかりやすくするため」だと、真面目な顔をして言えば、ふざけているとは思われないだろう。
とりあえず、娘の考えたポーズをやってみると、
「違う違う! さっきのポーズの時には、もっと動きにキレがあったよ!」
厳しい技術指導が飛んでくる。
「こ、こう?」
今さら、「でまかせ」だったとは言い出せず、新しいポーズの練習に励むことになってしまった。
あの日の少年も現在では、子をもつ「オヤジ」になっている。
次回は「お笑い芸人」のお話です。




