南極大陸、目的の場所へ
男は南極大陸を歩いていた。
そして、唐突に叫んだ。
「こんなこと、誰が決めたんだよ!」
辺り一面に遮るものがほとんどないため、声は遠くまで響いていく。
そのあと男は、いらいらしながら視線を横へと走らせた。
五メートルほど離れた場所を、カメラマンが歩いている。重たそうなカメラを構えていた。今の叫びに対して、朗らかな笑顔を向けてきている。
この旅に同行しているのは、カメラマンだけではなかった。番組制作会社の人間が他にも数人。彼らはカメラの撮影範囲に入らないよう、後方から静かについて来ている。
どうして、このような状況になっているのか。
男は現役のプロ野球選手で、ある記録を二か月前に達成していた。
それこそが、この旅の原因だった。
プロ野球の世界には、いくつか変な習慣が存在する。その一つが、「記念のボールを本人自ら、特定の場所に置いてくる」というものだ。
たとえば、初ヒットのボールなら、日本国内に数か所の候補地がある。
一方で、達成者が少ない記録ほど、とてつもなく辺鄙な場所だったりする。
男は二か月前、ある試合においてホームランを打ったのだが、それは普通のホームランではなかった。
代打サヨナラ満塁ホームランだ。
しかも、その試合の勝利を決めるだけでなく、その年のリーグ優勝も決める一打となった。
で、試合のあとに、「記念のボールを置いてくる場所」を調べてみたら、「南極」だった。それを知った瞬間、頭の中がホワイトアウトした。
そういうわけで、せっせと南極行きの準備をしていたところ、あるテレビ局が接触してきたのだ。
南極の旅にかかる費用を全額負担するから、その様子を撮らせて欲しいと言ってきた。年末の特番にするらしい。
そんな経緯があり、こうして番組制作スタッフたちを引き連れながら、男は南極大陸を歩いているのだった。
同行している彼らに対して、これといって不満はない。
この極限状況の中、本当によくやってくれている。テントや食料などの荷物は、彼らが代わりに運んでくれているのだ。
そのため、男自身が背負うアウトドア用リュックサックの中身は、ほとんどが「私物」である。
しばらくして、カメラマンが機材のバッテリーを交換し始めた。雪上を歩きながらだというのに、さすがに手慣れている。
このタイミングで、他のスタッフたちが追いついてきた。全員が明るい顔をしている。
その理由を尋ねてみると、
「あと二百メートルほどで目的地です!」
彼らの一人が興奮気味に語り、南極大陸の地図と一緒に、GPS端末を見せてきた。
この朗報に、男は元気を取り戻す。ついに、ここまで来ることができたのかと思うと、感動せずにはいられなかった。
「さらに、南極点も近いです」
これも朗報だった。
南極点のすぐそばにある基地から、帰りは空の旅になる。セスナ機が迎えに来てくれることになっていた。
自分の足で南極大陸を歩くのも、ようやく終わりが見えてきた。
バッテリー交換が済んだと、カメラマンが伝えてくる。
すでに男の頭の中では、番組風のナレーションが流れ始めていた。さあ、間もなく目的の場所です。
その場所までは、数分しかかからなかった。
雪と氷の地面に広がる、大きな割れ目。この巨大なクレバスこそが、今回の旅の目的地だ。
ひとしきり喜んだあとで、男は持ってきた記念のボールを、クレバスの中へとポイする。あの試合の「代打サヨナラ満塁ホームラン」のボールだ。
偉大なる先人たちが積み重ねてきた験担ぎ。これをしておくと、のちのち野球関連のことで、大きな幸運が舞い込んでくるのだとか。
そして、少し休憩したあとで、次の目的地に向かって歩き出す。
そう、南極点だ。
数年後、十人の男たちが南極大陸を歩いていた。
間もなく目的地だ。
数分後、南極点の近くにあるクレバスに到着する。雪と氷の地面に広がる、大きな割れ目だ。
その場所に、こうして一人の脱落者も出さずに、十人全員でたどり着くことができた。
あとは、予定していた作業が済み次第、南極点を目指せばいい。
南極点のすぐそばにある基地から、帰りは空の旅になる。セスナ機が迎えに来てくれることになっていた。
「それでは作戦を開始する。例のボールを回収するぞ。各自くれぐれも、安全には注意してくれ」
ここでの作業の役割分担は、日本にいる間に決めてあった。
クレバスの中に降下するのは、特別なトレーニングをつんできた二人だ。他の八人は地上に残り、サポートに徹する。
この十人は全員が、あるプロ野球球団の熱狂的なファンだ。
先日、その球団の主力選手が一人、FA宣言をした。
ところが、記者会見での発言が良くなかった。球団批判に、ファン批判。
自分は意地でも他の球団に行く、そんなアピールをしたいのだろうが、大勢のファンを激怒させた。
その中の十人が、奴に鉄槌を下すべく、こうして行動を起こしたのである。
なんでも、プロ野球界の習慣にあるらしい。「記念のボールを特定の場所に、本人が置いてくる」と、のちに「野球関連のことで、幸運が舞い込んでくる」というもの。
過去に奴は、ある記念のボールを、南極大陸に置いてきている。
だったら、それを回収してやろうじゃないか。
奴に幸運など不要! 不幸がお似合いだ! 移籍先で大失敗してしまえ!
他の八人の思いも背負って、二人がクレバスの中へと降下していく。
すぐに朗報が届いた。野球のボールを発見したらしい。
ところが、直後に悲報(?)がもたらされる。他にも、野球のボールを発見した!?
しかも、新たなボールを発見したという知らせは、さらに続くことになる。
「どういうことだ?」
「わからん」
地上にいる八人は戸惑っていた。
このクレバスにあるのは、「リーグ優勝を決めた、代打サヨナラ満塁ホームラン」のボール、それだけのはず。そんなに数があるとも思えないが。
まさか、南極点に向かう探検隊が、いちいち野球のボールを投げ入れたりはしていないだろうし・・・・・・。
「奴のファンが、マネでもしたんでしょうか?」
「その可能性はあるな」
数年前の年末にあったテレビの特番で、このクレバスに奴がボールをポイする場面は、日本中に流れているのだ。
ちゃんと手続きをすれば、民間人でも南極に来ることができる。あの特番に影響されて、奴と同じことをマネした者がいても、別におかしくはない。
だが、それにしては、ボールの数が多すぎるような・・・・・・。
すでに二〇個を越えている。
地上にいる八人が考え込んでいると、クレバスの中から新たな情報が届いた。
「え? 今度のボールには、文字が書いてある?」
そのボール、奴のサインと一緒に、次の言葉が書かれているそうだ。「バカめ!」と。
それで完全に理解する。
「くそっ! 奴め! あの時、カメラの回っていないところで、ニセモノのボールを大量に投げ込んでいきやがった!」
こんなに多くのボールがあるのは、本物のボールを簡単に回収させないために違いなかった。
次回は「アメリカにいる日本人選手」のお話です。




