王の失望
ぐしゃぐしゃと髪をかきむしりながら、目の前の資料を見つめる。
転校生の登場によって、完全に場のバランスは崩れてしまった。後はもう、流れていくだけだ。俺に出来るのはこの流れを見つめ続けることだけ。しかし、このイレギュラーを、あいつはどう対処していくのだろう。
いや、そもそもあいつは、いつ……。
まぁ、いい。俺は『観察者』。『救世主』の手腕を、見せてもらうとしよう。
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飯塚直美を『従者』にした後、私は教室に戻ると帰り支度を始めた。時計の針は17時を回ったところで、部活動に励む生徒達がグラウンドに溢れている分、この教室も人影はほとんど無いと言っていい。それでも何人かの生徒達は、教室に残って談笑していた。
私が教室に入ると、それなりに騒がしかった教室が一瞬静まり、残っていた集団は私をちらちらと見つめていた。
「……瀬名さん。珍しいね?こんな時間まで、どしたの?」
話しかけられた方に向き直ると、クラスメイトの橋本南がぎこちなく笑いかけている。橋本南は、素行は真面目とは言えないような生活態度と服装をしている子だけれど、私に対しては周りに対するような軽率な態度を取らずに、私を気にかけるような振る舞いをすることが多かった。それが、彼女が私に対して持つ畏敬の念から来ていることは分かっていたので、彼女を『従者』にすることも考えてはいた。結局、飯塚直美を選んだのだけれど。
だってこの子、余りにも目立ちすぎるんだもの。
「……少し、授業で分からないところがあって。荒井先生に質問をしに行っていたの」
「そ、そうなんだ。あ、荒井の授業は私全部分かんないや―ははは!」
私が微笑みかけると橋本南が顔を真っ赤にして必死に言葉を紡ぐ。それにしてもクラスメイトから話しかけられるのは久しぶりだ。飯塚直美に行使した力の残滓が残っているとでも言うのだろうか。吸い寄せられるようにいつの間にか橋本南が私の傍まで近づいてきていた。つられる様に橋本南と話をしていたクラスメイト達もこちらへやってくる。
私は少し虚を突かれたような気分になった。近づいてきたクラスメイトの一人を、思わず見つめる。その瞳の中に、揺らいだ嫉妬の炎を見つけると、私は内心溜息をつきながら、諦めてこの状況を受け入れることにした。
「瀬名さん、この後暇?」
「瀬名さんってこの前のテスト首位だったんだよね?」
「瀬名さん本当に髪綺麗!肌も超綺麗!!」
顔を紅潮させながら、群がるように私に話しかけてくるクラスメイトに笑顔で受け答えをする。そう。彼女達の純粋な憧れなら何も感じるものは無い。私に惹かれるのは当然の感情なのだから。問題はそこでは無かった。まるで、嵐の前の静けさといったところだろう。
私はこの後起こる事を考え、思わず憂鬱になる。
「おい、お前ら瀬名さん超困ってるじゃん。やめとけって」
クラスメイトの女子達に混じって、唯一の男子が非難めいた口調になる。
「は!?涼関係ないじゃん。っていうか感謝しろよ。瀬名さんと話出来る機会なんてあんたら男子皆無じゃん」
橋本南が威嚇するように言うと、岡本涼は怯んだようだったけれど、私は内心苦笑が滲み出るのを感じた。違うのよ、橋本南。こんな状況、私にとってはとるに足らない事。私は、いつか私の駒になってくれるかもしれないあなた達、全員を愛しているのだから。でも、それでも、悩みの種になる駒は居るものなのよ。
「ううん、いいのよ岡本君。……でも、ごめんなさい、私、そろそろ帰らないと」
「え?……そう、なんだー」
橋本南が残念そうにこちらを見つめてくる。他の女の子達も名残惜しそうだ。
「ええ。でも、楽しかった。またお話ししましょうね」
橋本南に微笑みかけると彼女は、ぱっと表情を輝かせて何度も頷いた。私はもう一度微笑んでみせる。
私は周りに気付かれないように一瞬だけ岡本涼に視線を移すと、教室を出た。
廊下を進んで校舎間の渡り廊下まで移動すると、私は小さく笑った。
「……そんなに気に入らない?」
振り返ると金髪の長身の男、岡本涼が深刻そうな顔でこちらを見つめていた。
「……いえ、『王』のご決断に、私が意見することはありません」
「それなら、どうしてあんな悪戯をしたの?」
悪戯という言葉に岡本涼は一瞬顔を強張らせたけれど、真剣な目でこちらを見つめてきた。
「私は、普段から彼女たち……橋本南たちと行動を供にしています。彼女達が『王』に持つ、潜在的な憧れを強く感じていました。特に橋本南の『王』への関心は並々ならぬものがあり、それは飯塚直美よりも深いものでは無いのかと――」
「下手な言い訳は、やめなさい」
早口でまくしたてていたが、私の言葉に岡本涼がぐっと詰まる。
「こうして言葉を交わすこと自体、普段なら私はお前に律しているのだから。……お前が自ら進んで『屈服』されたがっている、その心が変化するまで、私はお前に何も望まない。下手な忠義心を見せようなどと、思わないで」
「『王』!!」
悲鳴のような声を上げながら岡本涼がこちらに駆け寄ってくる。そのまま膝をつくと、岡本涼は必死に訴えかける。
「何故なのですか。何故、私を『屈服』させてはいただけないのです?私こそが忠臣。どの従者よりもあなたを敬愛し、あなたの為なら死も厭いません。そうです。それを何故、新しい『従者』など!!まして女、新参者に指示を仰ぐことなど、考えられません。私は唯一絶対である、『王』のものです」
そう、これが岡本涼の本当の気持ち。私は岡本涼の言葉に一切の嘘がないことを知っている。彼自身がその考えに一切の疑問を持っていないことを知っている。知っているからこそ、私は彼を許容できない。
「私が欲しいのは『人間』なの。『人形』、では無いの。『屈服』されたいだなんて、私をがっかりさせないで」
抗う心が、私に愛しさを感じさせる。揺らぐ心は美しい。一瞬の煌めきを見る為に、私は生きているのだから。




