毒矢と重圧
大屋鳥君を残して、一人で教室へ戻る。強張った顔で僕の腕を掴んでいたと思ったら、僕の腕を心配しだした。顔面は蒼白で、前髪がべったりと額に張り付いていた。他人の心配をしている場合ではない位具合が悪そうだった。保健室に一緒について行ってあげようとしたけれど、授業が始まるからと僕だけは教室に戻ることになった。ただ事じゃない様子だったけれど、一人で行かせてしまって大丈夫だったのかな。
教室に戻るとすでにホームルームが始まっていて、荒井先生が渋い顔をして注意してきた。慌てて謝り、大屋鳥君が保健室に向かったことを告げる。荒井先生は眉間に皺を寄せたままだ。……あれ?相沢君と、岡本君まで席についていないようだ。岡本君はいつも遅刻してやってくることが多いけれど、相沢君はどうしたのだろう?
ホームルームが終わり、授業が始まろうとしていたけれど、何となく視線を感じて顔を向ける。途端に固まってしまった。……瀬名さんがこちらを見て微笑んでいた。心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。そんな事が起こり得るはずが無い。瀬名さんを取り囲み、一瀬さんと井上さん、それに飯塚さんが楽しそうに談笑していた。瀬名さんが飯塚さんに微笑んだ視線の先に僕が居ただけだ。大袈裟に脈打つ心臓を制服の上から抑え付ける。そのまま体を弛緩させて、机の上に上半身を投げ出した。顔を伏せて、目を閉じながら思う。まったく、視線だけで凍り付くなんて、俺は本当に情けないな。
―――?
違和感に、目を開く。何か……、何か、釈然としなかった。目覚めた瞬間に忘れてしまった夢の記憶を思い出そうとするように、記憶を手繰り寄せる。掴みかけたかのように思えたその違和感は、次の瞬間にはするりと離れていってしまった。……何だろう。今の感覚は。ふいに堪らなくなって、目をきつく閉じる。何かとても大事な事を、僕は忘れてしまっているのではないか。そんな気持ちになる。
「……大丈夫?瀬文君」
顔を上げると、心配そうにこちらを覗き込んでくる顔があった。
「……う、うん。大丈夫。……何だろう。まだ寝ぼけているのかな」
誤魔化すように笑いかけると、それでもまだ心配そうにこちらを見つめていたけれど、ふっと表情を和らげると相手は優しく微笑んだ。
「そう。ならいいのだけれど。……瀬文君」
「何?……」
口を開きかけた僕は、凍り付いた。信じがたい事実に、言葉を失ってしまう。縋りつくような視線を目の前の相手に向けると、応えるように小さく頷いた。
「―――あなたには、まだ消えてもらっては困るから、だから……」
さぁ、一つになろう。
そう言いながら差し伸べられた手を、僕は無意識のうちに掴み返していた。
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薄暗い保健室のベッドに寝ながら、天井を見上げる。自分で思っていたよりもずっと体力を消耗してしまったようだ。目を閉じ、乱れた心を落ち着けていく。
「……おーい、寝てんのか?転校生」
カーテンの向こうから声が聞こえ、人影が写る。
「……いや、起きてるよ。岡本」
勢いよくカーテンが開けられると、悪戯が見つかったような顔をしながら岡本涼が立っていた。
「悪い。何かすげー眠くて。ちょっと寝ていこうと思ったんだけど。保険の先生いなくね?どっか行ってるの?」
「ああ、保険の教師ならしばらくは戻ってこないよ。俺が多少、『送り込んで』やったからな。今頃は廊下をフラフラ歩いてるんじゃないか?まぁ、ある程度時間が経てば正気に戻るから心配するな」
「……随分と雑で、乱暴な手を使うのですね、あなたは」
一瞬で顔つきを変えた岡本涼に微笑みかける。
「雑で、乱暴なのは否定しない。俺、まどろっこしいのは嫌いなんだ。本当はすぐにでも、瀬名弥子の従者全員を『戻す』位はしたいんだけどね」
「……そう簡単にいくと、思っているのですか?」
「思ってるよ」
みしみしとベッドが軋む。それが決して俺の体重のせいだけでは無いことは分かっている。
「……その根拠は?」
全身に重圧を感じながら、俺は岡本涼に微笑みかけた。
「だって、俺は『王』だからね」
ぐしゃりと、まるで空き缶をつぶすようにベッドが潰れた。
「……あーあー。何してるの。学校の備品壊すなんて、後が面倒だ。どうやって説明するつもりなんだよ」
抑え付けられたままの体を起こすと、無表情に立ち尽くしていた岡本涼が、ほんの少しだけ表情を歪めた。見下ろされた視線には侮蔑と、殺意の色が込められている。
「『王』は二人も要らない」
「……会話のキャッチボールしようぜ」
勢いよくベッドから起き上がると、岡本涼の腕めがけて手を伸ばす。だが、あと一歩と言うところで、体が硬直した。押し潰されそうになり、思わず体を翻らせ、岡本涼と距離を取った。
「……驚いた。何、従者ってのは皆、お前位『本質』を扱えるの?」
「私は、お前を『王』だとは認めない」
「……認めるとか、認めないとかじゃ、無いんだけどな。ま、話にならないってんじゃ、しょうがない。……お前にも消えてもらおう」
俺は薄く笑うと、岡本涼目がけて思い切り床を蹴った。




