従者と毒矢
鈍く、淀んで、深くに沈んでいた意識が、次の瞬間、嘘のようにはっきりと輪郭を持った。微笑む彼女を前にして俺がすることは決まっていた。あぁ、救われた。俺は膝を折って、首を垂れた。後から後から涙が溢れた。それを夢中で拭った。
「気分はどうかしら」
彼女は俺の顔に軽く手を触れると、面を上げさせた。彼女に触れられている。それだけで信じがたいほどの多福感が俺を襲った。
救われた。俺は彼女に救われた。ならば俺は彼女を助けよう。彼女の剣となって、盾となって。彼女の望みに応えよう。
『王』の為に、俺は此処に居るのだから。
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しかし、まぁ。いざとなるとどうしていいか検討もつかない。俺はちらほらと下校する生徒達の間をすり抜けながら途方に暮れる。大屋鳥直光を監視する。言うは易し、という奴だ。はっきりいって尾行や監視をするのなら、俺よりも適任が居る。だがまぁ、飯塚のたっての頼みとあらば、断ることは出来ない。
俺は彼女を一目見てひどく気に入ってしまった。きっと岡本は酷く彼女を拒むだろう。一目見て分かった彼女の『本質』は、岡本の神経を逆なでするに違いない。彼女は『王』への純粋な憧れや羨望が形になったものだ。俺が彼女に好意を持つのは当然のことだ。俺と彼女はとても似ている。同じでは無いが、つまりは親近感という奴だ。
少し、飯塚を気遣ってやった方がいいかもしれないな。岡本はまともでは無い。まともであり続けようとした岡本の成れの果てであるアイツは、狂気を孕んだ盲信だ。『王』のレプリカを背信とみなして消そうとしかねない。まぁ、相沢が傍にいる限りは、あいつも無茶はしないだろうけれど。
それにしても今日はとてもドキドキした。僕は頬が緩んでしまうのを自覚して、必死に奥歯を噛んだ。飯塚さんと話せた。いつも元気で、ニコニコ笑っている彼女と、話が出来ただなんて。
話してたのは俺だけどな。
……すごく、嬉しかったなぁ。……あれ?何の話をしてたんだっけ?
バカ。もう忘れたのかよ。すげえ大事な話だっただろ。俺は飯塚に、一番槍を任されたんだぜ。あのまるで人外の転校生の。
……そうだ、そういえば飯塚さんが、今日瀬名さんと仲良くなったって話をしたんだっけ。いいなぁ。僕も、彼女に話しかけられたら。……無理だよな。こんな僕じゃ。
気分が塞ぐか?そうやって俺を閉じ込めるから、僕はいつまでも自分を好きになれないんだぜ。……ったく。僕の声はもう聞き飽きたっつーの。なぁ、いつになったら僕は俺の話を聞いてくれるんだ?
……あぁ、ダメなやつだなぁ。僕は。
なぁ、聞けよ僕。俺は『王』の一番の従者なんだぜ。僕から生まれた、彼女の誇りだ。
「聞きたいことがある」
ふいに問いかけられた方向を向くと、そこには今日転校してきたばかりの大屋鳥君が立っていた。
どうして?そんな疑問が先に立つ。確か彼は随分早くに教室を出て行ったはずだ。どうしてまだ学校の近くになんかいるのだろう?校舎見学?でも彼は今日の昼休みたくさんの女の子に囲まれながら学校を案内されたはずだ。
どうして、僕なんかに話しかけてくるのだろう?
「……?な、何……?」
大屋鳥君は信じられない位の美形だ。今もちらちらと歩いている人たちからの視線を感じる。こんなかっこいい人が僕なんかに何の用なのだろう。早く終わらせてほしい。視線が気になって落ち着かない。
「瀬文……だっけか」
僕は驚いて大家鳥君を見つめる。転校初日なのに、どうして僕の名前なんか憶えているのだろう。大屋鳥君は優しく微笑みながら僕に近づいてくる。
何故かひどく不安になった。理由が分からずに、また不安になる。大屋鳥君は優しく微笑んでいる。僕は自分がひどく強く拳を握っていることに気が付いた。その掌が汗でひどく濡れていることにも。
大屋鳥君は僕の目の前に立つと、おもむろに右手を差し出してきた。
「なぁ、俺たち友達にならないか?」
「え?」
思わず目の前に差し出された手と、大屋鳥君の顔を交互に見てしまう。それはあまりにも唐突で、ひどくアンバランスで、違和感があり過ぎた。色んな疑問が、溢れては零れて積み重なって、それでも目の前の光景に答えが出せずにいた。
「……唐突過ぎ?でもさ、俺、今日は結局女の子ばっかでさ、男とは全然話せてないんだ。
まぁ、ぶっちゃけるとクラスの男子でまともに話しかけたの瀬文が初めてなわけでさ」
大屋鳥君は無邪気に笑った。僕は少しほっとした。つまりは帰り道、たまたま通りかかったクラスメイトの僕に白羽の矢が当たったということなのだろう。僕自身に興味があるのでは無くて、たまたま近くにいたから。そんな理由なら納得できる。
「まぁ、これも何かの縁ってことで。友達になってくんない?」
にっこりと微笑む大屋鳥君は差し出した右手を更に突き出してきた。
僕は戸惑いながらも、大屋鳥君の手を握り返した。
「よろしくな、瀬文。……はじめまして、の方がいいか?」
「……お前、マジで一体何だ?」
目の前で不敵に笑う大屋鳥直光を前に、俺は吐き捨てるように応えた。
「あぁ、初対面で印象最悪だな。悪いな、無理やり引きずり出して」
「マナーがなってねえよ。クソ野郎」
あぁ、ちくしょう。『王』。すみません。俺は。あなたのことを。
「まぁ、そう噛み付かないでくれよ。……これから友達になるんだから」
「……『王』を、どうするつもりだ……?」
「どうも?」
「……何だと?」
「俺は彼女が気に入ったし、今のところどうこうするつもりはないよ。ただ、お前たちは少し……邪魔かな」
「……!!!」
「瀬文。出会ったばっかりで何だけど。……ばいばい」
「……あぁああああああああああ!!!!あああああああああ!!!!!!!!!」
「あはははは!!!ははははははは!!!!!!」
「……ど、どうしたの?」
大屋鳥君は何故か握手をした瞬間、大笑いをしている。何だか酷く耳触りな笑い方で、僕は思わず顔を顰めてしまった。
「あはは!!はぁ。……悪い悪い。ちょっとテンション上がっちゃってさ。友達第一号ってことで。よろしくな。瀬文」
にっこりと笑うその笑顔がとても眩しくて、僕は思わず笑い返してしまった。
酷く汗ばんだ掌を拭うと、僕は歩き出した大屋鳥君の後ろを付いて行った。




