第12話「蠱毒の箱庭」
突入態勢を整えた一行は、山の奥へと歩を進めた。登るにつれ、塔の輪郭が少しずつ大きくなっていく。衛星画像で見た幾何学的な稜線は、間近で見ると、想像以上に禍々しかった。
人工物とは思えない、歪に捻じれた尖塔が、天を突き刺すようにそびえ立っている。
だが、一行を待ち受けていたのは、塔そのものよりも先に、絶え間ない敵の物量だった。
周囲の土中から、見たこともない新種の魔獣が、次々と湧き出してくる。斬っても燃やしても凍らせても、その数は一向に減らない。
「……減らない。倒しても倒しても」
技術者の1人が、青ざめた声で呟いた。額に浮かんだ脂汗を拭う暇もなく、また新たな影が土を割って現れる。
「気を抜くな! 隊列を崩すんじゃない!」
カサンドラの怒声が飛ぶ。竜たちが前線を支え、技術班と難民が後方で息を潜める。
「シュー、アグニ、エオス! 昨日の要領で側面を!」
カサンドラの指示に、3人は迷わず頷いた。あの日、無意識に紡いだ旋律を、今度は意識して重ねる。まだぎこちなさは残るものの、三色の音色が絡み合い、側面から迫る一団を纏めて吹き飛ばした。
「よし、いい感じ……!」
シューが額の汗を拭いながら笑う。それを見ていたセドナとパチャママも、互いに目配せする。
「……私たちも、試してみる。水と土なら、防御向きの組み合わせのはずだから」
2人は呼吸を合わせ、旋律を重ねようとした。だが、声の高さが噛み合わず、音色が半端に濁って霧散する。土の壁は中途半端な高さで固まり、水の奔流もほとんど勢いを持たないまま地に染み込んでいった。
「……不発、か」
パチャママが悔しそうに呟く。セドナは端末に何かを書き留めながら、冷静に返した。
「当然よ。3人だって、最初はまぐれだった。……回数を重ねるしかない」
2人と3人、組み合わせによって勝手が違う。この一戦だけでも、まだ試すべき課題は山のようにあった。それでも吹き飛ばした場所から、またすぐに新手が湧き出してくる。
まるで、削った分だけ補充されるかのように。
「……こんなの、キリがない」
アグニが苛立たしげに舌打ちする。誰もが、ここが単なる戦場ではないことを、肌で感じ始めていた。
前線で剣を振るう100人あまりの人間の兵士と獣人の戦士たちの間を縫うように、エルフやドワーフの技術班が、観測機器を抱えて動き回っている。彼らの役目は、直接刃を交えることではない。魔力の流れを読み、砲撃の照準を弾き出し、敵の弱点を割り出す――その分析があって初めて、前線の精鋭たちの一撃が的確に届く。
竜と、選び抜かれた戦士たちだけで支えるにはあまりに広大な、総力戦だった。
小休止の間、セドナが倒した魔獣の1体の残骸を、手早く解析していた。魔力反応を読み取る端末を握る指先が、次第に強張っていく。
「……セドナ?」
声をかけたパチャママに、セドナは険しい表情のまま端末を見せた。
「……戦闘データを、吸収してる。私たちの攻撃パターンを、次の個体にそのまま反映させてる」
「え……それって」
「倒せば倒すほど、敵はこちらの手の内を学習して、確実に強くなってるってこと。……さっきの3人のユニゾンも、次に同じ手は通用しないかもしれない」
セドナの声は、努めて平静を装っていたが、微かに震えていた。まるで底なしの壺に手を突っ込むような感覚に、姉妹たちの表情から、次第に余裕が消えていく。
「……『勝利』って言葉、この場所じゃ意味を持たないのかもね」
誰にともなく呟かれたその言葉が、重く空気に沈んだ。セドナは端末を握りしめたまま、しばらく動けずにいた。これまで積み上げてきた戦い方の全てが、ここでは通用しないかもしれない――その予感が、彼女の背筋を冷たく撫でていった。
少し離れた場所では、斥候が持ち帰った罠の残骸を、ウルクが黙々と検分していた。木の枝や蔓を巧みに編み込んだ、狩猟用の仕掛けだった。彼は眉間に皺を寄せたまま、しばらく動きを止める。
「……妙だ」
「どうしたの、ウルク」
駆け寄ったカサンドラに、ウルクは静かに罠の構造を示した。
「この誘導路を見てくれ。獲物の逃げ場を、完全に計算し尽くしている。獣の本能だけでは、ここまで精緻には作れぬ。……これを設計したのは、明確な知性を持った何かだ」
カサンドラは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。アリスから聞かされた、ファウストという名が、脳裏をよぎる。
「……あの男が、今もここでこれを、直接指揮してるっていうの」
単なる暴走したシステムではない。悪意を持った誰かの意志が、この蠱毒の箱庭の底に、今も潜んでいるのかもしれなかった。ウルクは静かに、それでいて確信を持った声で続けた。
「この山に入ってから、敵の動きには、常に何かの意図を感じる。……偶然にしては、あまりに出来過ぎている」
カサンドラは奥歯を噛みしめた。生きて捕らえ、罪を償わせる――そう決めていたはずの覚悟が、今、微かに揺らいでいる。
「生きて捕らえる、なんて甘い考えだったかもしれないわね」
カサンドラは自嘲するように呟き、握った拳に力を込めた。その夜、野営地の一角で、カサンドラはヘルとウルクを呼び、地図を囲んだ。
「……このままじゃ、埒が明かない。かといって、力任せに押し切れば、あの男を殺すことになる。……確保したいのよ、あくまで」
「甘い」
ヘルが即座に切り捨てた。
「あの男を生かして得られるものと、これ以上失う命を天秤にかけろ、母さん。今の中途半端な攻め方じゃ、削っても削っても追いつかない。……もっと圧倒的な物量が要る」
「……分かってる。分かってるけど」
カサンドラの声が、微かに揺れる。ウルクが静かに口を挟んだ。
「班長。感傷で判断を鈍らせるな、とは言わぬ。だが、今の戦力だけでこの箱庭を突破するのは、現実的ではない。……ヨーロッパに、増援を仰ぐべきだ」
「本国から? でも、あっちも手一杯のはず」
「それでも、頼る先はそこしかない。マギアレギウスの予備部隊があると、以前ヨナス殿から聞いた覚えがある。……この場を切り開くには、力業も必要だ」
「……でも、あの機体、瘴気に弱いんじゃなかった? 開戦当初、ヨーロッパでもさんざん焼き切れたって聞いてる」
カサンドラの懸念に、ウルクは頷いた。
「その通りだ。だからこそ、時間がかかる。ヨナス殿の話では、あの日の敗因を踏まえて、機体の絶縁と遮蔽を根本から見直した新型の改修が、ちょうど本国で仕上がりつつあるらしい。……賭けにはなるが、何もせず手をこまねいているよりはいい」
カサンドラはしばらく黙り込んだ。生きて捕らえたいという想いと、これ以上誰も失いたくないという想いが、胸の中でせめぎ合う。それでも、答えを出すまでに、そう長くはかからなかった。
「……分かった。明日、アリス先輩に連絡する」
ヘルとウルクは、それぞれに小さく頷いた。行く手にそびえる塔を見上げながら、カサンドラは改めて隊列に向き直る。
「――油断せず、進むわよ。この箱庭の底に、諸悪の根源がいる」
誰の顔にも、消えない不安が浮かんでいた。それでも、誰一人として足を止めなかった。塔はまだ遠く、絶え間なく湧き続ける敵の群れの向こうに、静かにそびえ立っていた。




