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第13話「暴走する神」

 翌朝、カサンドラは約束通り、端末を握ってアリスへの通信を繋いだ。


「アリス先輩、マギアレギウスを、もう一度貸してほしいの。……このままじゃ、埒が明かない」


 端末の向こうで、ヨナスの重い声が応じた。


「……簡単には頷けん。本国の予備部隊はドイツの格納庫に眠ったままだ。動かすには上層部の承認がいる。それに、開戦当初の敗因を踏まえた絶縁改修も、まだ仕上げの段階だ。……最低でも、数日はかかる」

「……分かった。待つわ」


 通信を切った後、カサンドラは重い息を吐いた。数日。その間にも、目の前の戦況は待ってくれない。


 それでも、他に選べる道はなかった。


「――それまでは、私たちで前へ進むしかない。行くわよ」


 隊列は再び、塔を目指して山を登り始めた。中腹を過ぎた辺りから、地形が明らかに異様さを増していく。土台だけが崩れ落ちた廃墟のような構造物が、点々と地面から突き出していた。


 その中の一つ、崩れかけた隔壁の奥に、一行は隔絶された小部屋を見つける。


「……ここは」


 先頭に立ったウルクが、慎重に扉を開けた。中にあったのは、ナノマシンに侵食され、原形を失った人影だった。壁一面に張り巡らされた配線の中心で、それは繭のように固まっている。


 かつて人の形をしていたはずのそれは、今では判別すらつかないほど、無数の管と回路に浸食されていた。


「……これが、ファウスト・アイゼングリム」


 ウルクが低く呟く。同行していたセドナが息を呑み、思わず一歩後ずさった。


「……本当に、これが」


 傍らに散乱していた記録端末を拾い上げ、カサンドラが震える指先で操作した。断片的に残されたログが、画面に浮かび上がる。


 自らの肉体に、安全装置を外したナノマシンを過剰投与し続けた記録。進化の果てを自らの身で確かめようとした、狂気じみた実験の軌跡。日付が進むごとに、記された言葉は次第に判読不能な羅列へと崩れていく。


 そして、ある日を境に、記録そのものが途絶えていた。


「……制御を失って、事切れたのね」


 カサンドラの声が、掠れた。生きて捕らえ、罪を語らせる――そう決めていた覚悟が、行き場を失う。操縦者は、とうに死んでいた。


「じゃあ、私たちがずっと戦ってきた相手は……」


 セドナの問いに、誰も答えられなかった。


「……誰の意志も介さず、あのプロトコルだけが、延々と実行され続けてきたっていうの」


 止める相手すら、もういない。その事実が、これまでとは違う質の恐怖として、カサンドラの背筋を這い上がった。憎むべき相手すら、もはやこの世に存在しない。


 ただ、死者の遺した意志のない暴走だけが、今も世界を蝕み続けている。


 その時だった。地の底から、これまでとは比べ物にならない地鳴りが響き渡る。


「……な、なに、この揺れ――」


 悲鳴に近い声が上がる中、遠く離れた山肌が、まるで生き物のようにゆっくりと隆起していく。土砂が崩れ、新たな地形が形作られ、そこに魔獣の進軍路が次々と切り開かれていった。


 地平線の彼方まで、幾筋もの新たな谷が、まるで血管のように広がっていく。それぞれの谷の奥から、絶え間なく魔獣の群れが溢れ出していた。まるで大陸そのものが、死者の設計図をなぞる巨大な自動機械と化したかのようだった。


「……嘘でしょ。あんな範囲、私たちだけじゃとても……」


 パチャママの声が震える。これまで相手にしてきた敵の規模とは、桁が違った。局地的な防衛線という発想そのものが、根底から覆されようとしていた。


「……止める相手すら、もういないなんて」


 誰かの呟きが、重く空気に沈んだ。


 カサンドラは拳を握りしめ、崩れゆく地形を見つめる。もはや局地戦ではない。自分たちは、大陸規模の殲滅戦に巻き込まれてしまったのだと、彼女は悟った。


「……このままじゃ、守り切れない」


 弱音にも似た呟きに、傍らのヘルが静かに寄り添う。


「まだ終わってはいない。母さんが諦めなければ、私たちも諦めない」


 ウルクもまた、静かに頷いた。


「相手に意志がないというのは、裏を返せば、駆け引きも交渉も通用しないということだ。……なら、我々のやることは変わらぬ。目の前の脅威を、一つずつ排除していくしかない」


 その言葉に、カサンドラは唇を引き結び、再び前を向いた。援軍が来るまでの数日を、どう凌ぎ切るか。答えの出ない問いを抱えたまま、終わりの見えない防衛戦が、これまで以上の苛烈さで幕を開けようとしていた。


 殲滅一辺倒の戦い方では、体力も魔力も保たない。カサンドラは新たな指示を飛ばす。


「エオス、テルス! 補助寄りの組み合わせ、試してみて!」


 2人は頷き合い、旋律を重ねた。光と土、2つの音色が溶け合うと、傷ついた地面と、傷ついた者たちの双方を、淡い金色の光がゆっくりと包み込んでいく。抉れた大地が静かに盛り上がって元の形を取り戻し、負傷者の傷口が見る間に塞がっていった。


「……すごい。傷が、消えていく」


 治療を受けた兵士の1人が、呆然と自分の腕を見つめる。エオスは息を弾ませながらも、小さく微笑んだ。


 少し離れた場所では、ヘルとパチャママが、闇と土を重ねた圧殺の結界を展開していた。地面に沈んだ黒い影が、迫る魔獣の動きを重石のように鈍らせていく。


「殲滅だけが能じゃない、ってことね」


 攻めの3人組、癒しの光と土、圧殺の闇と土――育ちつつある力の広がりに、カサンドラは僅かな手応えを感じていた。だが、それでも消耗戦の本質は変わらない。


 防衛線の後方では、エルフとドワーフの技術班が、昼夜を問わず働き続けていた。ウルクの部下たちが魔力計測器を駆使して敵の弱点を洗い出し、ドワーフの技師たちが砲台の照準を絶えず調整し直す。彼らの弾き出す数値がなければ、前線の一撃は的を外れ続けていたはずだった。


「班長、東側の砲列、照準補正終わりました。命中率、2割は上がるはずです」


 ドワーフの技師が声を張り上げる。カサンドラは短く礼を言い、報告を受け取った。


 前線では、ロゼ率いる獣人の戦士たちが、竜たちの合間を縫うように駆け抜けていた。鋭い爪と俊敏な身のこなしで、竜の攻撃が届かない死角を確実に潰していく。


「そっちは任せた、ロゼ!」

「毎度あり!」


 軽口を叩きながらも、その働きは他のどの部隊にも劣らなかった。エルフとドワーフの技術、獣人の俊敏さ、竜の圧倒的な力――噛み合った連携が、辛うじて防衛線を支えていた。


 それでも、犠牲は着実に積み重なっていく。日を追うごとに増えていく負傷者の列、埋葬すら間に合わない亡骸。誰の顔にも、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。


「……このままじゃ、じり貧だ」


 誰かが、押し殺した声で呟いた。援軍さえ来れば――その一縷の望みだけを支えに、一行は歯を食いしばりながら、終わりの見えない日々を耐え続けていた。


 その夜、見張りに立っていたウルクが、遠く離れた岩山の稜線に、異様な人影を見つけた。魔獣のような無秩序な動きではない。2本の足で、まるで観察するように、じっとこちらを見下ろしている。


「……あれは」


 急いで観測機器を向けるが、次の瞬間には、その影は掻き消えるように姿を消していた。


「班長、報告が。……先ほど、意思を持っているとしか思えない個体を目視した。魔獣とも、魔族とも、これまでの分類のどれにも当てはまらぬ」


 ウルクの言葉に、カサンドラは眉を寄せた。


「……人型の、個体?」

「ああ。……この蠱毒の箱庭が、また新しい何かを生み出したのかもしれん」


 その報告は、この時点では誰の記憶にも、深くは刻まれなかった。だが、その存在は、この後も幾度となく、戦場の片隅に姿を見せることになる。


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