騎士って戦闘職じゃないの
〈乙女〉が騎士団の鍛練場に着くと、騎士たちが走り始めていた。しかし、その姿はふらふらとしていて頼りなく。
「5周目です」
〈乙女〉に気づいた騎士団長が近づいてきた。
「…体力は一朝一夕にはつきませんものね」
「…今までがサボり過ぎで…」
ため息をつきそうな感じの脱力系の会話が続いた。
「まさか、私より体力がないとは予想外でした」
「スズカ様は体力がある方でしょうが、それにしても…情けない限りで」
〈乙女〉の伴侶が亡くなったのは還暦を過ぎた頃だった。定年を迎えたら、二人で世界中を回ろうと約束していた。そのためには体力作りは欠かせなかった。なのに、呆気なく伴侶は逝ってしまった。
定年延長をしないで、さっさと旅行に出ていればと思うこともなくはなかった。しかし、それもこれも年上の伴侶を選んだ時点である程度の覚悟はできていたことだった。
伴侶の後を追うことなく、世界旅行に出発するわけでもなく、体力作りは続けていた。
それにしても、曾孫に近い年齢の騎士たちの体力の無さはどう評価したらいいかわからない、と〈乙女〉は思った。
これだと走り回っていたと思ったら気がついたら寝ちゃっている5歳児の方がマシなのではないだろうか。
そしてこの鍛練場を使用できるのは基本的に王族を守る近衛騎士団なのである。この体力で誰かを守れるとは思えない。
他の騎士団とは異なり貴族の子弟であることが第一条件の近衛は、騎士とは名ばかりの家督を継ぐこともできない、事務官としての頭脳も力量も足りない出来損ないに一定の収入と名誉を与えるだけの存在になっていた。
何があっても〈救国の乙女〉を呼べば大丈夫という無責任さが招いた怠惰な状態。
午後からは元気そうな何人かを連れて遠乗りでもしてみようかと騎士団長に提案すると、顔が引きつった。
「…遠乗りですか」
「ほんの3時間ばかり走って、戻ってくるだけですよ。騎士なんですから馬乗れますよね」
「…近衛はあまり長時間乗らないものですから…」
言いにくそうに騎士団長はこぼした。
「…早駆けは?」
「………美しくパレードするのがギリギリで」
顔を見合わせてため息をついた。
「スズカ様は乗馬は得意なのですか?今まで乗馬できる〈乙女〉はほとんどおりませんでしたので…」
「裸馬には乗れませんね…」
騎士団長はかすかな救いを見いだした。〈乙女〉とは思えないほど高齢の彼女に出会ってから散々敗北感に打ちのめされてきたのだ。ささやかな安堵は次の瞬間にあっさりとつぶされた。
「……今は30分耐えられるかどうか…昔はそのまましばらく乗ったもんですけど」
この人はもしかしたら本当に〈救国の乙女〉なのかもしれない。曾孫までいる彼女は厳密には乙女ではないのだが、あまりのスーパーウーマンぶりに騎士団長はそう思った。
彼女なら一人でこの国を救えそうな気がした。
体力もなく、馬にもロクに乗れず、剣術もイマイチ、プライドだけは天より高いこの名ばかりの騎士たちの唯一の救いは、今 文句を言いながらも鍛練に参加していることだ。初日に〈乙女〉と対戦した後で、11人が辞めた。つまり、プライドだけで実力もないことに気づかされても続けることにしたという点で、やる気があると判断された。
それが、家族に対する恐れや近衛であることを維持するためであろうとも、一週間の訓練に耐えていたのだから。
初日の対戦の結果については隠匿された。退団した者達にも守秘義務が課せられた。
話を聞いた誰もが信じられないことであろうが、近衛がか弱き〈乙女〉に蹂躙されたのだ。しかも〈乙女〉はこの国では鬼籍に入っていてしかるべき年齢である。
今までの〈乙女〉は若かったので、異世界は年齢がいくに従って身体能力が上がるのかもしれないなどという誤解まで生じ始めていた。
実際のところ彼女が特別なのであって、この世界の成長と変わらないのだが、〈乙女〉への信仰心もあって変な方向に行くのも仕方ないのかもしれない。
一方〈乙女〉の方は悩んでいた。やる気もなく、実力もないならあっさりと見捨てられる。
だが、少ないとはいえ、頑張っている騎士がいる。実際のところ頑張るだけではダメで結果を出さなければ意味はない。危機的状況だからこそ早急に見極める必要がある。
だからと言って、努力している人を見捨てるほど強くもない。
配偶者亡き元の世界に未練もないし、帰る手段もない。それでもこの世界のどこかでひっそりと余生を過ごすことは可能ではないかと彼女は考えていた。
何よりこの国に義理も義務もないのだ。むしろ、面倒事に巻き込んだ責任がこの国にはある。
ふと元の世界で毎週頼んでいた生け花用の花材が無駄になったことに気づいた。急に召喚されたので、当然断れなかったのだ。届けに来ただろう花屋の困惑と不在に気づいた後の雑務に巻き込んだことを心の中でそっと詫びた。
もしかしたら、外出したまま迷ってると思われてるのかもしれませんね。
〈乙女〉は苦笑した。