20.5 旅立ちと君と
真木視点です。
冷たい雨が肌を刺す。折り畳みの傘が鞄に入っているけど出さなかった。髪が顔に張り付いて鬱陶しい。
雨は体温を奪っていく。予報での日中の気温は五度だったかな。このままだと、風邪をひくかもしれない。
風邪で熱が出たら嫌だな。でも、暖房器具は苦手だ。
熱が苦手だった。熱くなるくらいだったら、冷たい方が良い。
「君は行くんだな」
「はい。決めていたことですから」
数メートル先に立って傘を刺す道流先生に、笑顔で答えた。
道流先生とは、教育実習で高校に来ていたときに知り合った。担当教科は数学で、数学準備室の掃除当番だった私は特別に仲良くなった。
教育実習が終わっても、連絡は取っていた。文通相手の一人だ。留学のことも相談していた。
遠くに旅立つことは小さい頃から決めていた。日本から遠く、誰も私のことを知らない国に行きたかった。高校を卒業してから行く予定だったけど、急遽予定を早めた。留学先の学校も受け入れ可能の返事があったし。家族も承諾している。
家族は、理解している。
「道流先生はどこまで知っているんですか」
人気のない山道は、二人だけだった。雨が傘と葉を叩く音だけが響く。
「君が日本に居たくないこと」
「そうですか。正解です」
もちろん、それだけが理由じゃない。何故、日本に居たくないか。それが重要だった。
それは家族しか知らない。いや、もう一人知っている。原因となった彼が。
「私は、自分を特別だとは思わないし、思いたくないんです。でも、ここだと特別になってしまうから。周りがそう決め付けてくる」
「優秀だから?」
「それは結果なんです。留学するために勉強してきた結果です。『特別』なのは、留学する理由です」
「知っているよ、君の事情は」
声に出さずに『シロ』と言った。
この単語の持つ意味を知っている証拠だった。
「なんで……」
「私も『特別』だから。君とは違う『特別』だ。三十歳までに死ぬ運命で、君の事情を知ることができる『特別』。ほら、美人薄命って言うだろう?」
道流先生は、髪を搔き上げた。
首には不思議な痣が浮かび上がっていた。
先生も、何かの『特別』だった。
「二人の秘密ですね」
「そうだな。君が幸せになることを祈っているよ」
道流先生に背を向けて歩き出した。
もう会うことはない。
会ってはいけない。
雨の中、パチンという音がはっきりと聞こえた。




