閑話1 野蛮メシ
夕暮れ、ケイトは仕留めた鹿の後ろ脚を持って廃村に戻ってきた。
リアが竈の前で待っていた。弓を膝に置いて薪を組み直していたが、ケイトの獲物を見て立ち上がった。
「雌鹿じゃん。いいね、肉が柔らかいやつ」
「雌だと柔らかいのか?」
「当たり前でしょ。雄は筋が硬いの。——で、これどうする気? 血抜きした?」
「してない」
「内臓は?」
「それもやってない」
リアが額を押さえた。
「あんた今まで獣をどうやって食べてたの?」
「適当に切って火にかけていた。急いでいるときは生で食っていたな」
「生で……」
「山の上は薪が少ないんだ。それに魔獣は火を通しても不味い。生でも同じだった」
「だから魔獣は食べれ……。もういい。ちょっと貸して!見てなさい」
リアは短刀を抜くと、鹿の首の下に素早く刃を入れた。血が地面に流れ出す。
「まず血を抜く。これをやらないと肉が生臭くなるの。体の中で血が固まるから本当は仕留めてからすぐにやらないといけないの」
「そうだったのか。確かに獣臭かったな。野生の動物だからだと思っていた」
『こやつは山頂で数年過ごしたからのう。焼くだけでも上等な方じゃ』
リアがケイトの左手を睨んだ。
「ハク、あんたもこれを見てて何も言わなかったの?」
『我は竜じゃぞ。人の食い方など知らん。それに我が食う時も生じゃ!』
「あんたたち……」
リアは呆れながらも手を止めなかった。鹿の腹を開き、手際よく内臓を取り出していく。
「内臓はすぐに出す。そのままだと中から腐って肉がダメになるから。——心臓と肝は新鮮だと食べられるから分けておくね」
ケイトは黙って手元を見ていた。リアが獲物を捌くところを見るのは初めてだった。
「村では誰がやっていたんだ?」
「お父さん。猟師だったから。お姉ちゃんと二人で教わった」
リアの手が一瞬止まった。すぐに動き出す。
「皮はこう剥ぐの。引っ張らないで刃と皮の間に指を入れて浮かせるように」
皮が綺麗に剥がれていく。ケイトが山で獣を捌いた時は肉ごと削げてしまったが、リアの手にかかると無駄がない。
「次は部位ごとに分ける。背中の肉が一番いい。腿は硬いけど煮込めば柔らかくなる」
ケイトは頷きながら見ている。
「……あんた、食べること自体は好きなの?」
ケイトは少し考えた。
「こんな生活になってから忘れていたが、昔は料理に凝っていた時期もあったし、色々な料理を食べ歩いたな」
「え、嘘でしょ?」
「嘘じゃない。和食は一通り作れた。煮物とか味噌汁とか」
「……わしょく?」
「俺がいた場所の料理だ。こっちに来てからは余裕がなくて、全部どうでもよくなっていた」
リアの手が止まった。
「余裕がなくて、か」
リアは黙って肉を切り分け、平たい石の上に並べていく。
「ハーブ、取ってくる。火は見ててくれればいい」
リアは焚き火に背を向けて森に入った。ケイトは火を見ながら待った。
『……あの小娘、怒っておるのう』
「怒るようなことを言ったか?」
『怒りではないかもしれんがのう。……うまく言えんが、あやつの中で何かに引っかかったのじゃろ』
しばらくして、リアが両手いっぱいに草を抱えて戻ってきた。葉の形がそれぞれ違う。
「これはタイムに似たやつ。こっちは月桂樹みたいな葉。名前は違うけど、香りが近いの」
「よくそんなものが分かるな」
「お母さんが薬草師だったから。食べられる草と毒の草は子供の頃に全部覚えた」
リアは石の上の肉に塩を振った。マジックバッグから出した小さな袋——リアが貯蔵庫から持ってきたものだ。
「塩はどこで手に入れた?」
「廃村の貯蔵庫。岩塩がまだ残ってたの。あんた、山で塩は使ってなかったの?」
「持っていなかった」
「何年もの間?」
「ああ」
リアが塩の袋を握ったまま、少しの間動かなかった。
「……あたしが美味しいの作ってあげるから。待ってなさい」
リアは肉をひっくり返しながら、摘んできたハーブを細かくちぎって振りかけた。石の上で肉が焼ける音と草の香りが混ざる。
「煮込みにしたいけど今日は新鮮な心臓と肝があるから焼くだけ。でもハーブと塩があるだけで全然違うから」
肉の表面が色づいていく。脂が石の上で跳ねて、煙と一緒に香りが立ちのぼる。
ケイトの鼻が反応した。久しぶりに嗅いだ料理の匂いだった。
「焼けたよ。熱いから気をつけて」
リアが石の上から肉を取り、大きめの葉に載せてケイトに差し出した。
ケイトは受け取って、一口噛んだ。
歯を立てた瞬間に肉汁が溢れた。塩の味が舌に触れて、すぐにハーブの香りが鼻に抜ける。噛むほどに肉の味が広がる。
「……うまい」
「でしょ?」
リアが腕を組んだ。少し胸を張っている。
「血抜きと塩とハーブだけでこれだけ違う。ちゃんと処理すればもっと美味しくなるよ。煮込んだり、燻したり」
ケイトは黙って二口目を噛んだ。三口目。手が止まらない。
「あたしが作ったんだから感謝して食べなさいよ」
リアが自分の分を焼きながら笑った。
「今後の食事はあたしが担当するから。あんたは狩りと火起こし担当ね!」
「俺の料理がそんなに不安か?」
「料理じゃないのよ。あんたのは」
『ケイトよ、素直に任せておけ。我もあやつの飯のほうが良いと思っておったぞ』
「お前は食べてないだろう」
『味は分からんが雰囲気はわかる。のう、小娘』
「小娘言うな」
ケイトはもう一切れ手に取った。
ずいぶん遠いところから戻ってきたような気がした。
火が爆ぜる音と、肉の焼ける匂い。リアが文句を言いながら串を回している。左手の奥でハクが静かに笑っている気配がする。
森は暗く、夜風は冷たい。それでも火の周りだけは温かかった。




