24話 弔い
目が覚めると火は消えていた。
灰の匂いと冷えた空気。壁際でリアが膝を抱えたまま眠っている。目の周りが赤い。泣き疲れて、そのまま寝落ちしたのだろう。
ケイトは音を立てずに立ち上がり、竈に残った灰をかき出して薪をくべた。火を起こし、水袋から器に水を注いでリアの傍に置く。マジックバッグから干し肉を取り出して齧った。
リアの耳がぴくりと動いた。
「……起きてたのか?」
返事はない。リアは目を開けたまま壁を見ている。
ケイトは昨日の残りの魔物の肉を串に刺して火にかけた。焼けるまでの間に、マジックバッグからもう一つ干し肉を出す。山で保存しておいた魔獣のものだ。
口に運ぼうとした瞬間、風のように手が伸びてきた。
干し肉がケイトの手から消えている。リアが鼻先に寄せて嗅いでいた。三角の耳が後ろに倒れ、眉が寄る。
「昨日食べたらダメだって言ったでしょ!?」
リアが干し肉を地面に叩きつけた。
「これ、そんなに危ないのか?」
「危ないも何も——あんた、魔物と魔獣の違い分かってる?」
「……違いがあるのか?」
リアが額を押さえた。
「魔物はこの辺の森にもいるやつ。昨日あたしが追われてたの。獣に近いから、肉は食べられなくはない。魔獣は違う。もっと強くて、魔法を使う。そもそも人が倒せること自体が珍しいし、滅多に会わない」
「それで?」
「魔獣の肉には魔力が溜まってるの。人族が食べたら体の中で魔力が拒絶反応を起こして、吐き気が止まらなくなって、最悪死ぬ。経験ないの?」
ケイトは少し黙った。
「……そういえば、最初の頃は食べるたびに死にかけてたかな?」
リアの目が丸くなった。
「はぁ?死にかけてた? ……それでも食べ続けたの?」
「食い物がなかったからな。食べなければ飢え死にだ。食べれば死にかけるが、死ななかったし、そのうち平気になっていたぞ」
「……意味わかんない。あたしは食べないからね!」
リアは呆れた顔で黙った。
焼けた魔物の肉をリアの前に置く。リアは睨んだまま受け取ったが、食べ始めるまでの間が昨日より短かった。
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火を消した後、リアが立ち上がった。
「行きたい場所があるの。ついてきて」
それだけ言って歩き出す。足首はまだ腫れている。引きずるような歩き方だが、手を借りようとはしない。
ケイトは黙ってついていった。
通りを抜け、広場を過ぎた先にある丘の道を登る。あの墓地だった。ケイトが最初に村に来た日に見た石が丁寧に積み直された場所。リアが迷いなく丘を登り、中央に近い二つの石の前で立ち止まった。
「お父さんとお母さん」
声が小さかった。
リアは二つの石の隣を指した。
「お姉ちゃんの分、ここに」
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ケイトが土を掘る。リアが石を運ぶ。
ネアの体はここにない。屋敷の小屋の前に横たえたまま、土を少しかけて石を一つ置いただけだった。あの夜はそれが精一杯だった。
左手首の紐に目が落ちる。赤と茶の編み込み。何年も巻いたまま汗と泥が染みて色が変わりかけている。
結び目をほどき、端から糸を二本抜いた。赤い糸と茶の糸。
掘った土の上に、その二本を並べて置く。
リアが石を三つ積み、乾いた木の実を一つ石の前に供えた。
リアが両手を胸の前で組み、目を閉じた。耳が伏せられ、唇が微かに動く。声にはならない祈り。
ケイトは石の前に膝をつき、両手を合わせて目を閉じた。
風が吹いて、供えた木の実が転がりかけた。リアがそっと押さえて元に戻す。
「お父さん、お母さん。お姉ちゃん、帰ってきたよ」
リアの声は震えていたが、優しかった。
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丘を下り、墓地を背にして二人が座った。
風が草を揺らす音だけが続く。
「あんた、これからどうするの?」
リアが前を向いたまま言った。
「ネアを連れて行った奴らを追う」
リアの耳がぴくりと立った。
「あたしも行く」
「やめておけ」
ケイトは即答した。
「危険すぎる。相手がどんな奴らか、俺はよく知っている。今のお前では太刀打ちできない」
「あたしだって戦える」
「昨日、獣に追われて逃げていた奴が言うことか」
リアが口を閉じた。唇を噛んで、視線を地面に落とす。
「お前が追うなと言っても俺は追う。だが今のお前を連れて行けば、足手まといになる」
「……分かってる」
リアの拳が膝の上で握られた。
「分かってるわよ、そんなこと。昨日だって、あんたに助けてもらわなかったら死んでた」
声が震えていた。怒りではない。悔しさだ。
「でも……」
リアが顔を上げた。目が赤いまま、真っ直ぐにケイトを見る。
「あの日、村が襲われた。エルフの冒険者が何人かで来て、村の人たちを殺して、売れそうな人を連れて行った。お姉ちゃんもその時に攫われた」
ケイトは黙って聞いた。
「あたしは幻術で姿を消して逃げた。お姉ちゃんが引きずられていくのを見てたのに、何もしないで逃げた」
リアの爪が膝に食い込む。
「あれからずっと一人でここにいた。誰も来ない村で、何年もお墓の手入れだけして。強くなりたかったけど、一人じゃ限界があった」
リアの目が揺れない。
「あんたがお姉ちゃんの仇を追うなら、あたしも行く!足手まといだって言うなら強くなる!どれだけかかるかわからないけど、あんたが出発するまでに、ついていけるだけの力をつける。それでもダメだって言うの?」
ケイトは黙った。
リアの目に見覚えがあった。あの夜、小屋で「終わりません」と言ったネアの目と同じ色をしている。
「……強くなれるなら、一緒にいていい」
リアの肩から力が抜けた。
その瞬間だった。
ケイトの左手から、声が響いた。
『覚悟はできておるようじゃな。ケイト、鍛えてやれ』
リアが飛び退いた。
三角の耳が逆立ち、全身の毛が膨らむ。短刀の柄に手がかかっている。
「今の何!? あんたの手から変な声がした!?」
ケイトも自分の左手を見た。
「……お前、声が出せたのか?」
『出そうと思えば出せる。今まで必要がなかっただけじゃ』
ハクの声は楽しそうだった。
「説明して」
リアが一歩下がったまま、短刀を抜きかけている。
「ちょっと落ち着けって。……強くなるために山で竜と戦って左手をなくしたら、その代わりに竜の意思がこの手に棲みついただけだ。心配ない」
沈黙が落ちた。
「……竜がいて、更には手に棲みつくなんて、頭おかしいんじゃないの?」
『ほう。初対面で我にそう言える者は久しぶりじゃのう』
「黙って。今あんたに聞いてない」
リアがケイトの左手に向かって指を突きつけた。
『我は数百年生きた竜じゃ。小娘、口の利き方には気を付けるんじゃぞ』
「小娘って言うな! あたしもう二十五よ!」
『獣人にしては若いのう。だが、我から見れば赤子も同然じゃ』
リアの耳がぴんと立った。
ケイトは笑いを堪えながら、黙って二人のやり取りを見ていた。
やがてリアの短刀が鞘に戻り、ケイトはこの世界に来てからのことを話した。転移のこと、冒険者になったこと、裏切られて奴隷に売られたこと、屋敷での日々、ネアたちのこと、脱出、森と山での修行、竜との戦い。リアは途中で何度か口を開きかけたが、最後まで黙って聞いていた。
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翌日から、ケイトはリアに稽古をつけた。
弓の腕は確かだった。数年間の単独生活で遠距離からの不意打ちに長けている。姿を消して一撃を入れる——それがリアの生き残り方だった。
足りないのは、それが通じない相手との戦い方だ。正面から来られた時の対処、複数に囲まれた時の立ち回り。身体が小さい分、まともに受ければ吹き飛ぶ。
「遅い」
「分かってるわよ!」
リアが地面を転がって立ち上がる。木の枝で作った模擬短刀を構え直すが、ケイトの次の一振りで弾かれた。
「正面から受けるな。お前の体格じゃ力負けする。動き回って狙いを定めさせるな」
「だったらどうすればいいのよ」
「幻術で相手の目を狂わせろ。偽の姿を見せて狙いを散らしている間に、本体は横に抜ける」
リアの目が変わった。
「囮を出して、本体は回り込む。そういうこと?」
「やってみろ」
リアの姿が消えた。気配が右にずれる。ケイトは振り向かずに左肘を引いた。
左手の先で、リアの模擬短刀が空を切った。
「惜しい。気配は消せたが足音が残ってる」
「……もう一回」
『相手の動きをよく見よ。振りかぶる前に足が動く。そこを読むのじゃ』
「うるさい! あんたは黙ってて!」
リアがケイトの左手に向かって怒鳴った。
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季節が変わった。
朝の空気が冷え始め、森の葉が色づく頃。
森の中で、リアが動いた。
幻術で偽の影を三つ同時に走らせる。大型の魔物——角のある猪が偽の影に反応して突進した隙に、リアの本体が木の上から弓を引く。一射目が肩を貫き、よろめいたところに二射目が首に入る。猪が倒れかけた瞬間、木から飛び降りたリアの短刀が喉を裂いた。
ケイトは木の陰から見ていただけだった。
「合格だ」
「最初から強かったし」
『照れじゃ。若い者は良いのう』
「その手、黙らせて」
リアがケイトの左手を睨んだが、耳の先が少し赤かった。
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朝、丘を登った。
二人は墓地の前に立っている。リアは短刀を腰に差し、弓を背負い、荷物をまとめていた。
リアが三つの石の前にしゃがみ、木の実を一つずつ供えた。両親の分と、姉の分。
「行ってくるね」
小さな声だった。ケイトは隣で手を合わせ、目を閉じた。
丘を下り、通りを抜け、廃村の出口で立ち止まる。
リアが一度だけ振り返った。丘の上の石は小さく見える。
リアは前を向き直した。
二人は森の中へ歩いていった。




