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傷喰いの異世界奴隷 〜痛みは俺の糧になる〜  作者: Astera
第3章

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21話 届く

 白い濁流が来た。


 空気そのものが凍る音。盾の表面が一瞬で覆われ、砕けた。


 冷気がケイトの体を飲む。


 肺が止まり、心臓が止まり、視界が白く塗られていく。


---


(あぁ、ここで終わるのか)


 顔が浮かんでは消える。名前のない顔。名前のあった顔。どれも同じ目をしていた。


 何の取り柄もない。使えない。お前には価値がない。


 声は違う。言葉も違う。だが全てが同じことを言っている。どこにいても、何をしても、同じ結論に行き着く。


 その中に、一つだけはっきりと見える顔があった。


 ダエリスの執務室。感情のない目がこちらを見下ろしていた。


「お前にどんな価値がある?」


 あの声だけが、沈んでいく意識の底まで追いかけてくる。他の声は遠くなっていく。上司も、元妻も、シルヴァンの笑顔も、全部が一つの色に混ざって消えていく。


(どこへ行っても結局こうなるのか。皆すまない……)


---


 声が聞こえた。


「期待を捨てるな」


 トゥールの声だった。


 なぜこの声なのか、わからなかった。屋敷で最初にもらった言葉は「期待が消えれば、楽になる」だったはずだ。真逆のことを言っている。


 だがその声は、沈んでいくケイトの体に引っかかった。


 ケイトは目を開けた。


 体の奥底で何かが燃えている。痛みなのか熱なのかわからない。ただ、確かに自分の中から湧き上がってくる。掴もうとしても掴めない。だがそれは自分のものだった。


(このままでは——死ねない)


 その熱が、体の外に向かって溢れた。


---


 白い空気がケイトの体を通り抜けた。


 胸の奥が灼ける。受けた冷気が来た方向へ跳ね返る。来た時よりずっと重く、ずっと速く。


 空気が割れる音。


 次の瞬間、ドラゴンの胸が弾けた。


 巨体が空中で翻り、雪原の上に墜落する。


 ケイトは立っていた。立っているだけだった。体が何をしたのか、頭が追いついていない。ただ胸の奥に残る熱だけが、脈を打つように揺れている。


 左腕は凍ったまま。盾は砕けている。剣は折れている。


 ドラゴンが立ち上がった。蒼い瞳にはまだ力がある。爪を振り下ろす。


 爪がケイトに届く前に、根元から砕けた。鱗の破片が雪に散る。


 胸の熱が、また動いた。体が受けたものを、そのまま相手に返している。止め方がわからない。だが止める気もなかった。


 ドラゴンの口が開く。噛みつきがケイトの肩を狙った。歯が根元から折れ、口の端から血が垂れる。


 尾が振られた。山の斜面を削るほどの一撃。尾が真ん中から砕ける。


 ドラゴンが口を開いた。弱い凍結息吹(フリーズブレス)が吐かれる。ブレスはケイトの体を通り抜け、倍の冷気となってドラゴン自身に降った。首の片側が自分のブレスで凍る。


 だがドラゴンは耐えた。鱗の下から血が滴っても、まだ立っている。


 これだけ受けて、まだ倒れない。


 ケイトは新しい剣を取り出した。


 胸の奥の熱に手を伸ばすように、剣を握り直す。灼熱息吹で光るほど熱を帯びた鱗に刃を入れた。連撃。一撃、二撃、三撃。


 ドラゴンが大きく震え、動かなくなった。


 ケイトも限界だった。ドラゴンの横に倒れこむ。


---


 何時間経っただろう。


 白い雪原。風はない。空も白い。


 目の前にはドラゴンの亡骸が横たわっている。


 左手は動かない。右手だけ動く。


 ケイトは右手で剣を持って、ドラゴンの首元の鱗を剥がし、逆鱗の周りの肉を切り出して口に運んだ。


 喉の奥に冷たさと熱さが同時に落ちる。胃から胸へ、胸から左腕へ。


 左腕の感覚が戻る。指先が動く。


 ケイトは左手を握った。開いた。動く。


 その時、左腕の奥から声が響いた。頭の中に直接届く声だった。


<……よくぞ届いた。我が力、そなたに貸してやろう>


 ケイトは黙っていた。


 雪の上に膝をつく。手を見る。指先まで温度がある。傷が目の前で塞がっていく。腕の凍傷の痕が引いている。


 水面に映る自分の顔は、覚えのない若さだった。二十代半ばに見える。さっきまで死にかけていた男の顔ではない。


 ケイトは小さく息を吐いた。空を見上げた。


「ネア」


「トゥール」


「ガレス」


<……どうじゃ?我の肉は美味かったかのう?>


「えぇぇぇーーーーーー!?」


---


 ケイトは脳内のドラゴンに名前を付けた。ハク


<我に名などない。必要なら何か付けるがよい>


「じゃあハクで。シロやポチじゃないだけましだろう」


<……安い名じゃのう>


「文句があるなら自分で考えろ」


<ない。好きに呼べ>


---


<そなた、変わった力をもっておるが、使いこなせておらんのう>


「それは自分でもわかってる」


<意志で返せるようにせんと、人に触れることすらできんぞ?>


 ハクの言葉は正しかった。


 最初の冬、ケイトは山を下りて獣を探した。攻撃を受け続けた。体が勝手に返す。止められない。


 岩に寄りかかっただけで岩が割れた朝もあった。


<力に振り回されておるのう。情けない>


「うるさい」


<怒るな怒るな。じゃがのう、力を押さえ込もうとするから暴れるのじゃ。受け入れてから流れを変えろ>


 意味がわからなかった。だが他に手がかりもない。試した。何度も。痛みを受けるたびに、体の中で何が起きているのか感じようとした。冬が終わり、また冬が来るまで。


 二度目の冬、追い詰められた熊の爪が腹に入った瞬間、ケイトは初めて選んだ。返すか、受け止めるか。


 熊は吹き飛んだ。だが今回は自分の意志で返していた。


<……ほう。遅いが、筋は悪くないのう>


「褒めてるのか?」


<褒めておらん。まだ追い詰められなければ使えんじゃろう>


 その通りだった。


 三度目の春、狙って受ければ返せるようになっていた。不意の一撃にはまだ体が勝手に動く。完全ではない。


<不意を打たれれば命取りじゃぞ?>


「わかってる。でも三年前は何もできなかった」


<……そうじゃの>


 ハクはそれ以上何も言わなかった。


---


 ある日、ケイトはハクに聞いた。奴隷になる前、竜神の話を聞いたことをふと思い出していた。


「竜神の名前を聞いたことがある。あれはお前のことか?」


 ハクは少しの間、黙っていた。


<……我は神ではない。じゃが神だと崇められておった時代はあったのう>


 苦笑のような気配だった。


 ケイトは深追いしなかった。


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