19話 頂の影
中層に入ると空気が薄くなった。岩肌が険しく樹木がほとんど生えていない。
低層にいた小型の魔物の姿が消え、代わりに遠くの空や岩陰から視線を感じるようになった。
最初に来たのは大鷲だった。上空から風刃を撃ち下ろしてきた。頬を裂かれた痛みが体の奥に沈み風属性を得る。炎球を撃ったが風に逸れた。氷槍を撃つ。片翼を貫いて落ちてきたところを剣で仕留め、喰って風刃を獲得した。
次は大鹿だった。角から光線を放ってきた。盾を貫通する直線の熱。受傷で光属性を得て懐に飛び込んで光撃で胴を撃ち抜いた。食後に光線を獲得。
夜に襲ってきた黒い大型の猫科の獣は、屋敷の闇属性魔力注入と似た精神攻撃を使った。心臓を握られる感覚。目が見えなくなった中で剣の体捌きだけで反射撃破し、食後に闇幕を獲得。気配を消す能力だった。
中層では昼夜を問わず襲撃があり、まともに休めない日が続いた。
季節が二度変わるころには、剣を二本新調するほど戦闘を重ねていた。
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属性が増えるたびに戦い方の選択肢が広がっていく。だが同時に一つの感覚が薄れていた。
痛みが怖くない。
攻撃を受けた瞬間に「これで何が手に入る」と考える自分がいる。
ケイトは首を振った。
死なないための麻痺だ。
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中層を抜けて高層に入った。
高層は雪と岩だけだった。木は完全になくなり息が白く濁る。寒さは水属性を得た時から耐性がついて感じない。
高層に入って暫くしたある日、地面が揺れた。
足の裏で何かが下から押し上げてくる感覚。雪が割れる音が四方から響いた。
目の前の雪原が内側から盛り上がった。
白い巨体が雪を撥ね上げて空に伸びる。胴体の太さはケイトの背丈の倍。鱗が日光を弾いていた。白い巨大ワームだった。口を開くと内側に深い暗がりが見える。
次の瞬間、ブレスが来た。
白い濁流。空気そのものが凍る音。
絶対零度。
ケイトは盾を構えた。
盾の表面が一瞬で白く覆われ金属が軋んだ。革のベルトを通して腕の骨にまで冷気が走る。腕全体が痺れた。
腕が動かなくなる前に盾を投げ捨て横に飛ぶ。
ブレスが地面を撃つ。岩の表面が、ぱきりと音を立てて凍った。
ケイトは岩陰から掌を出し氷槍を放った。
槍はワームの胴体に当たった。雪と鱗の上で、こつ、と音がする。それだけだった。
同属性で向こうの方が格上。効かない。
炎球を撃った。
赤い光が白い体に当たって湯気が立ち上る。鱗の表面の雪が溶けて灰色の鱗が露わになった。
何度か撃って鱗を焼いた。ワームの動きが鈍る。ケイトは岩陰を出て剣を抜き、ワームの胴体に踏み込んだ。鱗の隙間に刃を当てて押し込む。鱗の下は柔らかかった。
ワームが身を捩る。雪が宙を舞った。
ケイトは振り落とされそうになりながら刃を走らせた。胴体の周囲を一周するように何度も切りつける。
途中で二度目のブレスが来た。気配を消す——闇幕。放たれたブレスの照準がずれ、ケイトの横を抜けていく。地面を抉った。雪の下の岩盤が丸ごと凍りついている。
あれを直撃で受けたら終わる。
ケイトは土陣で足場を作り、ワームの胴体に再び取りついた。炎球で鱗を焼き剣を走らせる。血が雪を赤く染めていく。
長い胴体を分断するのに何時間かかっただろう。最後の一振りでワームが二つに分かれて雪原に倒れた。
ワームを喰うと喉の奥から冷気が広がった。
もう一度氷槍を撃ってみると今までより太く速い。さらに掌から空気そのものを凍らせる感覚——絶対零度。あの白い巨体のブレスには届かないが新しい能力が手に入った。
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高層をさらに登った。
雪の壁の向こうに洞窟の入り口が見えた。山頂への唯一の通り道らしい。だが入り口の岩が真っ赤に焼けている。
遠くからでも熱気が顔を打つ。雪が溶けて入り口の周囲だけ岩肌が露わになっていた。
地面が揺れて、奥から何かが出てきた。
火蜥蜴だった。四つ足。体長はケイトの十倍。鱗が炎の色をしている。
ケイトを見つけた瞬間、全身から陽炎が立ち上った。
口が開き、火炎が放たれる。
灼熱息吹。
空気が焼ける音。視界が歪む。前方の岩が一瞬で赤く焼けて表面から液体になった。盾を構えても意味がない。盾ごと溶ける。
ケイトは横に飛んだ。岩陰に転がり込んだ瞬間、頭上を熱波が抜けた。
顔の皮膚がひりつく。
今まで見てきた炎とは別物だった。
まず氷槍。
岩陰から手を伸ばして放った。槍は火蜥蜴の首筋に当たった。
しゅう、と音を立てて蒸発し深く刺さらない。
炎球を撃った。鱗の表面で火花が散り、弾かれた。火は通らない。岩撃は四足で踏ん張られ、足場が先に崩れた。
残りは闇か。
ケイトは闇幕を放った。
火蜥蜴の周囲の空気が黒く揺れる。鼻先がケイトからずれて別の方向を向いた。気配を見失ったらしい。
暫くすると火蜥蜴の身体から立ち上っていた陽炎も弱まり戦闘態勢が解けていった。
ケイトは意識を集中させ火蜥蜴に向かい絶対零度を力いっぱい放った。
不意を突かれた火蜥蜴の全身から陽炎が消え、動きが止まった。
(今だ)
岩陰を飛び出して火蜥蜴の足元に潜り込む。
鱗の隙間に剣を当てた。腹の柔らかい部分。刃が滑り込む。血が剣に絡んだ。熱い。
火蜥蜴が咆哮する。地面が揺れた。
頭が降りてきて目の前で口が開く。
ケイトは闇幕でもう一度気配を消して横に走った。
頭上で火炎が空を焼く。雪が一瞬で消えた。
何度繰り返したかわからない。気配を消して剣を入れ、火炎を躱してまた剣を入れる。喉が焼けるように熱い。剣の柄が汗で滑る。
だが火蜥蜴の腹の傷は広がっていた。雪が赤く溶けている。
首の付け根に剣を突き立てると火蜥蜴が倒れ陽炎が消えた。
ケイトは肩で息をしていた。
倒したばかりの火蜥蜴を喰った。喉の奥から熱が広がった。
掌に炎球を出してみると今までの赤い光と熱量が違い空気を熱する音がしっかり響いた。鱗を焦がす程度から岩を溶かす程度に。
さらに口から熱を吐いてみた。灼熱の息が噴き出す。
灼熱息吹。あの巨体と同じ火炎放射だった。
人の口から竜の炎が出ている。
森で「魔法が欲しい」と思った頃がある。あの頃、ケイトにあったのは剣だけだった。氷も火も土も風も光も闇も、全部後から来たものだ。全部、受けたか喰ったかのどちらかで手に入れた。自分の口からブレスが出る日が来るなど、あの頃は想像もしなかった。
ケイトはその炎を消えかけの火蜥蜴の死骸に向かって放った。
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洞窟の入り口にいた火蜥蜴が燃え尽き、奥に進むと視界が開けた。
洞窟を抜けた先にあったのは山頂だった。
雲を突き抜けた独立峰。雪の白さが目に痛い。風がほとんどなく空気が薄い。ケイトの呼吸も浅くなる。
その山頂に何かがいた。
遠くて、はっきりとは見えない。だが大きさが桁違いだった。火蜥蜴の二倍はある。雪の上で動かないが生きている。気配がそう告げていた。
ドラゴンだ。
ケイトは背筋に冷たいものが走った。
ここまで来るのに何年かかった。森を抜け山を登り数えきれない獣を倒して喰ってきた。だがあの存在の前では、積み上げた全てが足りるかどうかわからない。
わからないが、やるしかない。
ケイトは山頂を見上げた。ドラゴンは動かない。
日が傾いた頃、洞窟の入り口の影に戻って毛布を敷いた。
明日、登る。




