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傷喰いの異世界奴隷 〜痛みは俺の糧になる〜  作者: Astera
第3章

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15話 傷喰いの業

 朝の冷気で目が覚めた。


 火はとっくに消えていた。岩の下の灰だけがわずかに温もりを残している。ケイトは毛布を撥ねて起き上がった。体が軽い。


 マジックバッグから水袋と黒パンを取り出して口に運ぶ。


 二日目だ。


 森の奥はまだ暗い。だが引き返す選択肢はない。


 ケイトは武器を確かめてから、また東へ歩き出した。


---


 数日が過ぎた。


 魔物を倒しては食い、寝ては歩き、少しずつ森の奥へ進んだ。


 ホブゴブリンに何度か遭遇した。最初の戦いより手際は良くなっている。剣を入れる場所を体が覚え始めていた。ゴブリンはもはや道で会うただの障害だ。


 それでも奥に進めば進むほど見たことのない魔物が増えていく。


 ある日、開けた場所でグレーウルフの群れと出くわした。


 五頭。リーダー格らしき一頭が中央で地を踏み鳴らした。残りの四頭が左右に散って距離を詰めてくる。ケイトの体は剣を抜いて構えを取る。


 最初に飛びかかってきた一頭の喉に刃を入れた。手応えがある。だが体勢を立て直す前に横から二頭目が脇腹に噛みついた。革鎧の上からでも牙が肉に届く。ケイトは膝をついた。剣を振って二頭目を引き剥がす。三頭目が背後から首を狙ってくる。避けたつもりが避けきれていない。肩を裂かれ、血が革鎧の内側を伝う。四頭目が脚に噛みつく。痛みに耐えきれず膝をつく。


 剣を振り回した。何頭かに当たったが決定打にならない。狼たちは一度離れて再び距離を詰めてくる。


(無理だ)


 近くの太い木にしがみついた。枝に手をかけて体を引き上げる。脇腹が裂けるように痛む。三本目の枝まで登ったところで狼たちが幹の下に集まった。飛びつこうとする一頭がいたが、爪が樹皮を滑って届かない。しばらく唸り声が続いたが、やがて群れは茂みに消えていった。


 ケイトは枝にしがみついたまま動けなかった。


 息が荒い。脇腹と肩の血が止まらない。降りるのにも時間がかかった。マジックバッグから包帯を取り出して自分で巻いた。手が震えて何度かやり直す。


 一対一なら勝てる。だが囲まれた時点で終わっていた。


 翠銀の弦(すいぎんのつる)が隊列を組んでいた理由が、今になってわかった。背中を任せられる相手がいるから前を見ていられる。


 一人で同じことはできない。逃げ方も覚えないといけない。


---


 数日後、別の場所でヴァイパーに噛まれた。


 草むらの中から音もなく出てきて足首に巻きつき、牙を入れる。


 熱が走った。蜘蛛の時なら意識が飛んでいたはずだが、足首が痺れる程度で済んでいる。


 蜘蛛の毒で死にかけた時に体の中で何かが変わった。それが効いている。


 ヴァイパーがまだ足首に巻きついている。剣を逆手に持ち替えて首の付け根に突き刺した。蛇の体が痙攣して、力が抜けた。引き剥がして地面に投げる。


 足首から熱がゆっくり引いていく。体の奥で、また何かが動いている。蛇の毒が自分の中で形を変えていく感覚があった。


---


 さらに奥へ進んだ日のことだった。


 木々が途切れた瞬間、地面が揺れた。


 影が落ちてくる。見上げると、ケイトの倍はある体躯が立っていた。緑がかった肌、額から突き出た一本の角。胸まである大棍棒を片手でぶら下げている。フォレストオーガだ。


 向こうもこちらに気づいた。


 棍棒を肩に担いだまま悠然と踏み込んでくる。一歩で距離が詰まる。


 ケイトは横に飛んだ。


 棍棒が空気を裂いた。風圧だけで耳が鳴る。地面に振り下ろされた棍棒が土を抉って、ケイトの背丈の倍ほどの穴が空いた。


 剣を構えた。オーガが振りかぶる。大きい。振り下ろすまでに一拍ある。


 その隙に踏み込めるか。だが、あの筋肉に剣がどこまで通る。


 ケイトは踏み込んだ。


 剣先がオーガの脇腹に入った。浅い。骨に届かない。オーガの片手がケイトを払った。横に弾かれて地面を転がる。


 肋骨が一本、軋む。息が止まった。


 立ち上がった。剣を構え直す。


 踏み込むな。相手を動かせ。空振りの直後に入れろ。


 体が勝手に動いた。


 オーガがまた振りかぶった。ケイトは下がる。棍棒が空を切る。直後、オーガの体が前のめりに崩れた。その瞬間に踏み込んだ。剣先が腋の下に入った。今度は深い。


 オーガが咆哮を上げた。


 二撃目、三撃目、四撃目。連撃が体の中から出てきた。屋敷で吸収した動きがフォレストオーガの体格に合わせて形を変えていく。剣が首の側面に入る。骨を断つ感触があった。


 オーガの体が傾いて地面に倒れた。


 ケイトは肩で息をしていた。


 剣の血を払って鞘に納める。手が震えていなかった。ホブゴブリンを倒した時とは違う。


 あの動きがまた一つ自分の中で形になった。


---


 ある夜、火を眺めながら自分の体に起きたことを整理した。


 思い返せば、屋敷にいた頃から違和感はあった。鞭を何十発と受けても倒れなくなっている。あの頃は痛みに「慣れた」と思っていた。


 今になれば、あれが始まりだった。


 ホブゴブリン戦で受けた肩の傷は、翌朝には痛みが薄れていた。グレーウルフに脇腹を裂かれた時も、二日で血が止まり五日で塞がった。普通の人なら、こうはいかないはずだ。


 ヴァイパーの毒も、一度受けてからは同じ量を受けても倒れなくなった。蜘蛛の毒も同じだった。受ければ受けるほど効かなくなっていく。


 屋敷で受けた連撃が、森に入ってからホブゴブリン戦で形になり、フォレストオーガ戦では戦術になった。


 受けて耐えて生き延びれば相手の何かが自分のものになる。


 体が何かを喰っている。そう思った。


 自分が受けた傷も、相手の動きも、毒も。全部、自分の中で形を変えて栄養になっている。


 何のスキルかはまだ分からない。鑑定では???だった。だが確実に何かのスキルが身についたことは確かだ。


 ケイトは火に枝を一本、足した。


---


 それから数ヶ月が過ぎた。


 ケイトの体は変わっていた。


 鏡はないので顔は分からない。だが腕の太さが変わった。歩幅が変わった。


 コボルトの集団とも何度か当たった。剣を抜く前に一人ずつ素手で投げ飛ばす方が早い時もある。ホブゴブリンももう相手にならない。


 ある日、グレーウルフの群れにもう一度遭遇した。


 五頭。前と同じ構成だった。リーダーが中央で地を踏み鳴らし、残りが左右に散る。


 前回はこの布陣を見て木の上に逃げた。枝にしがみついて群れが去るのを待つしかなかった。


 だが、今回違う。左右の四頭は無視してリーダーの動きだけを見た。


 リーダーの跳躍を横にかわして、着地の隙に首筋に剣を入れる。一撃で骨が断たれた。


 リーダーが崩れた瞬間、残りの四頭が動きを止めた。


 一頭がケイトの方を向いた。低い唸り声を上げたが、踏み込んでこなかった。他の三頭が茂みに消えた。最後の一頭も後ずさりして、群れの後を追っていった。


 深く、息を吐く。


 あの日は木の上に逃げるしかなかった。今は群れが逃げていく。


 群れの弱点は頭だ。頭を潰せば散る。


 中部で出会う魔物の中で、ケイトの足を止められるものはほとんどいなくなっていた。


 ある夜、いつもの拠点で火を眺めていた。


(中部ではもう得るものがない)


 体感だった。倒している相手が自分には弱すぎる。受けるダメージが少なすぎる。


 今は奥に進むしかない。


 深部には見たことのない魔物がいるはずだ。フォレストオーガより強い、もっと厄介な何か。死にかけるかもしれない。だがそれでいい。


 ケイトは火を消した。


 明日、奥へ進む。


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