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傷喰いの異世界奴隷 〜痛みは俺の糧になる〜  作者: Astera
第3章

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14話 逃走

 夜のうちにどれだけ歩いただろう。月明かりだけを頼りに東へ進むと森の入り口に立っていた。屋敷を出たのは深夜。日が昇り始めたのは、ちょうど森の境目に着いた頃だった。


 ケイトは振り返った。背後には遠くに田畑が広がっているのみで屋敷はもう見えない。


 歩く速さも夜の冷たさも気にならなかった。あれから体が軽い。


 腰の片手剣に手を当てた。屋敷の武器庫から取った剣だ。革鎧の重さも違和感がない。


 森の奥に視線を向けた。


 屋敷の主が死んだことが知られれば追手も来る。森の奥なら少なくとも当面の間は誰も追ってこない。


 ケイトは森の中に足を踏み入れた。


---


 茂みをかき分けながら東へ進む。葉と土の匂いが濃い。空気が湿っていた。


 足元の枝が折れる音にも体が反応する。剣の柄に手が伸びた。だが何も出てこない。


 しばらく進んだ頃、視線の先で動くものがあった。


 ゴブリンだった。


 身の丈はケイトの胸ほど。粗末な棒を一本握っている。こちらに気づいて唸り声を上げた。歯を剥いて棒を振り上げる。


 ケイトは剣を抜いた。


 ゴブリンが踏み込んでくる。半歩横に避けて棒の軌道を外し、振り抜きで首筋に剣を入れた。骨に当たる手応えがある。ゴブリンの体が崩れて動かなくなった。


 翠銀の弦(すいぎんのつる)と組んでいた頃は、あいつらに何度も後ろを守ってもらっていた。今は一人で倒せる。


 剣を引いて血を払った。


---


 しばらく歩いて木の根元に腰を下ろした。屋敷を出てから何も食っていない。マジックバッグから黒パンと干し肉を出してかじっていると首筋に何かが触れた。


 細い糸だった。払おうとした瞬間、上から落ちてきた何かが首筋に張り付き、皮膚に熱い痛みが走る。


 蜘蛛だった。手のひらほどの大きさで黒い毛に赤い斑紋がある。牙を首に食い込ませたまま離れない。素手で引き剥がし、地面に叩きつけて踏み潰した。脚がまだ動いていた。


 首の熱が喉へ広がり、脈が跳ね上がる。膝から力が抜けて木に背中を預けた。視界が滲み、喉の内側が腫れ上がって呼吸のたびに空気の通り道が細くなっていく。


 ケイトは目を閉じ、耐えろ、と自分に言い聞かせた。受けたものは全部、栄養になる。屋敷で覚えた感覚だ。痛みを押し返すのではなく引き受ける。


 体の奥で何かが熱を吸い込み始めた。首の傷口から体の中心へ、熱の出所が移っていく。それに追いつくように喉の腫れが引き、脈が落ち着いてくる。


 立ち上がるのに少し時間がかかった。それでも立てた。


 足元の蜘蛛の死骸を見下ろす。次に咬まれても、もう効かない。


---


 それから半日ほど東へ進んだ頃、開けた場所に出た。


 そこに別のゴブリンがいた。だが体格が違う。


 ケイトの背丈ほどある。肌は深い灰色、鎧の代わりに革の胸当てを着けていた。手には鉄の剣。粗末ではない。形がきちんとしている。ゴブリンの上位種——ホブゴブリンだ。


 距離は十歩。向こうもこちらに気づいた。


 剣を構える動きが滑らかだった。下のゴブリンとは違う。


 ケイトは剣を抜いて構えた。


 ホブゴブリンが踏み込んでくる。


 剣先がケイトの肩に伸びる。受けた。重い。腕が痺れた。次の振りが来る。横にずらして外す。ホブゴブリンの剣がケイトの脇腹を掠めた。革鎧で皮膚は切れなかったが、骨に響く。


 ケイトは反撃した。突きを入れる。胴に当たった。だが浅い。革の胸当てが阻んでいる。


 ホブゴブリンの剣がもう一度振られた。今度は速い。ぎりぎりで頭を引いた。剣先が髪をかすめる。


 息が乱れ始めた。


 ベテラン護衛の動きを思い出した。あの男なら、こんな単調な振りはしない。重心の移し方が違う。剣の軌道が違う。あれと比べると、目の前のホブゴブリンはまだ単純だ。だが——


 シルヴァンの剣の振りが頭をよぎった。アエラの矢の精度。ドレアンの斧の重み。あの連中はベテラン護衛より上だった。


 そう自覚した瞬間、体が勝手に動いていた。


 ホブゴブリンの剣を弾き、踏み込み、横薙ぎで首に剣を入れた。骨を断つ手応えがある。ホブゴブリンの体が傾いて、倒れた。


 ケイトは剣を握ったまま動けなかった。


 今の動きは自分のものではない。誰かの動きをなぞった、それに近い。


(……入った、か)


 剣を引き、血を払って鞘に納めた。手が少し震えていた。


 森の奥に視線を向けた。木々の隙間が入った時より暗くなっていた。日が傾き始めている。


---


 倒木の根元に窪みを見つけた。背後を岩で塞がれていて風を防げる。マジックバッグから毛布を出して地面に敷くと、岩の冷たさが少し和らいだ。


 茂みでホーンラビットの気配があった。額に小さな角を持つ兎で突進力はあるが小型だ。弓を構え、二射目で仕留めた。


 捌くのは見様見真似だったが何とか捌き切ると、岩陰で火を起こした。


 煙は細く立ち上がって木の枝に紛れていく。中部まで奥に来ていれば火明かりも誰の目にも届かない。


 肉が焼ける匂いが鼻に届く頃には日はほとんど沈んでいた。塩を振っていない肉は味が薄いが、黒パンと一緒に飲み込めば温かいものが胃に落ちていく感覚がある。


 火を眺めながら、今日倒したものを数えた。ゴブリン、ホブゴブリン、蜘蛛、ホーンラビット。各一匹。


 今日一日だけで前より成長を感じられた。

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