どこかで誰かが呱々の声を上げている。否、
今回は水子というデリケートな成分が入っておりますので、苦手な方は回れ右をお願いします。
金星-ー
ローマ神話に出てくる愛と美の女神、ヴィーナスの名をつけられた星、そこに成未は向かっていた。
一人の女性と一緒に。
正木あずみ。
彼女が今回の依頼人だ。
上司によると、同性で、宇宙を体感した経験のある人間に頼みたいということで、成未が選ばれたとのこと。
嘘か本当かは定かでないが、断る理由もないので受けた。
成未は観光地ではなく戦場としての認識が強いが、依頼人はどのような認識でいるのか。少し気になってしまった。
昔の漫画に描かれてそうな、丸っこいフォルムのロケット。社用車ならぬ社用ロケットで、熟練のパイロットが舵を取るそうだ。
成未が事細かに習ったのはパワードスーツやコスモロボと呼ばれる戦闘用ロボットで、スペースシャトルや宇宙船の類いは数えられる程。
“スペースシャトル”と“宇宙船”は同じと言われそうだが、成未が読んだ本では別物とされていたのだ。
それはさておき、いろいろ準備を済ませて成未はあずみと乗り込む。
パイロットの呼び掛けで、ロケットは離陸した。
青に溶けぬカラフルなフォルムは、十分程で宇宙空間に到達した。
成未は外に目をやった。
今ロケットは金星を目指しているところで、小惑星に当たらないよう安全なルートを進んでいる。
あずみはため息をついた。
成未はユニフォーム、依頼人は黒いワンピースを着用している。
その手に持っているのは卵を大きくした雰囲気の容器だ。
詮索するのはよくないとわかっているが、どうにも気になる。
「……原賀さんと言いましたよね」
不意に、あずみが口を開いた。
「原賀さんは子供ができるとしたら、男の子と女の子、どちらがいいかって希望はあります?」
不躾な質問ではあるが、無言は許されない空気だ。何より依頼人の両眼は濁っている。
「うーん……特にありませんねぇ……どっちでも嬉しいですし……それ以前に相手がいるかどうか……」
曖昧に笑ってみせるが、前半は本音だ。
隕石を吸収した肉体は人間とは別物に変じている自覚はあるが、結婚を拒むつもりはないし、子作りに禁忌を抱いてもいない。
なんとなく気になって馴染みの病院で診てもらったら、妊娠は通常通り可能で、健康な赤ちゃんを産める臓器を保っているのが判明した。
「-ー私が嫁いだ家はそうじゃなかったんですよ」
ヘドロを幻視させる音吐。
「私の意思とは関係なく決められた婚姻でしてね、家どうしの繋がりを強める。別にそれは構わないんですけど、そこん家に入ったらまあ『男を産め! 男を産め!』の毎日。しかも四六時中こきつかうわ、文句を言うわ。一年で円形脱毛症になりましたよ」
アラサー世代が読む漫画ではお決まりの“旧家での嫁イビリ”を連想したが、降りかかる当人には“お約束パターン”じゃ済まされまい。
「それである日耐えきれなくなって裏山を歩いていたら、祠があったんですよね。道祖神に似た石像があって、その脇に何か紙束みたいなものがあって……見てみたら、名前が書いてあったんですよ。全部女の子の。そして、思い出したんです。嫁入り先での舅が自慢げに見せた先祖代々の家系図を。そこには一番目に産まれたのが皆男の子だったんですよね」
成未は気取られぬよう息を吐いた。
結論を導いてしまったので。
男児が産まれるまで、女児は神の世界に返されたのだ。平たく言えば、殺された。
「迂闊に子供を作っても殺される可能性があることを知ったのですが行為を拒む勇気なんてありませんでした。でも子供がなかなかできなくて、安心と不安が入り交じる日々を過ごしていたら、ある日離婚を告げられました。愛人に子供ができたと言われて」
あずみは力なく口辺を緩めた。
「まるでゴミみたいに嫁ぎ先からも実家からも追い出されて……まあ、別にいいんですけどね。手切れ金ももらいましたし、自由になれたから」
成未は黙るしかなかった。
「そして、何よりもこれですね」
黒ユリの顏で、容器を微かに持ち上げた。
「裏山の祠にある紙束ができれば欲しいけど、駄目ならせめて写すのを許して欲しい、って言ったら、バカにした目で投げるように渡してきましてね、『こんなものをなんで欲しがるんだか』って。『こんなもの』ですよ! 『こんなもの』! この人たちにとって彼女たちは“神様からの贈り物”じゃなくて“不要な物体”でしかなかったんだなあって」
依頼者は零れた涙を拭いた。
「-ーもうすぐ金星の上空に差し掛かります」
パイロットの宣言が船内を満たした。
金星の大気は大半が二酸化炭素であり、分厚い雲となって本体を覆っている。
ロケットから放たれたレーザーは盾を貫き、ヴィーナスの地表をあらわにした。
一部だけだが、充分だ。
一筋の道を、玉子型の容器が疾る。
生きていくことを許されなかった、童女にも満たぬ命たちを乗せた小さな小さなゆりかごが。
手を合わせるあずみの横で、成未も倣う。
男と女。
性別を表す記号は、惑星記号からとられた。
前者は火星マーズ、後者は金星ヴィーナス。
だからだろう、あずみが赤ちゃんの弔い先を金星に決めたのは。
また女の子に生まれ変わって、今度は幸せな人生を送ってほしいと願いをこめて。
どんな心持ちでも、状況でも腹は減る。
依頼を済ませ、あずみと別れた成未は胃袋に親子丼を送っていた。
半熟卵のまろやかさと地鶏のジューシーさを味わい、呑み込んでいく。
-ー違うなあ……
時々付け合わせの漬け物や味噌汁を挟み完食するも、しっくりこない。
水子を悼むにはあまりにも罰当たりなメニューだが、口と胃が“親子”を連想する食品を求めていたのだ。
-ー素直にこっちにしておけばよかったかな?
目を伏せてみせるが、もし逆にしていても両方いただくのは容易に導けた。
追加で頼んだのはサーモンイクラ丼。白子入りすまし汁つきだ。
サーモンの脂とイクラのプチプチ感に頬が上がる。汁物は少し生臭いが許容範囲だ。
そういえば-ー
何で読んだか聞いたかも不明だが、鮭は鼻で匂いを嗅いで、産まれ育った川を遡上して雌は産卵し、雄は精液を放つ。
故郷の香りを便りに戻って次代に命を託す。実に壮大な生きざまだ。
もっとも、それができなかった者の典型的な例が、成未の馳走に変わったわけだが。
成未が料理屋で飯を食ってエネルギーを取り込んでいる間にも、どこかで誰かが呱々の声を上げている。否、人間に限らず新たなる生命が。
柄にもないと自らを嗤いながら、丼の残りを成未はかき込んだ。
隕石-ー
成未の頭にぶち当たり、人生を変えさせた要素。
その眷族がとある金満家の邸宅に降り注いだとのこと。
不思議なもので人的被害はゼロだが、邸宅は穴だらけで直しようがなく、更地にするしかなかったのだとか。
おまけにそこの主人と最近結婚した新妻は妊娠していたが、子供が流れたのだとか。
-ーまさか……
正木あずみの依頼を完了させて一ヶ月は経った。彼女の住所も電話番号も聞いていない。
それに何をどう尋ねろというのだ?
『隕石が落ちたのはあなたが嫁いでいたところですか?』?
『女の子たちが恨みを晴らしたんでしょうか?』?
もし仮にそうだとしても、成未が掘り返す権利はない。
だから-ー
成未は自宅を出た。
記憶を便りに歩く。
親子丼とサーモンイクラ丼を食べた店を。
数時間後、丼二種類を食したのち、洋菓子店でサーモンイクラタルト、スモークサーモンとディルのジェラート(イクラソースつき)をテイクアウトすることになったのは想定外だが。




