5.前世の75点は今世のオーバーテクノロジー、の巻
「――というわけで、まずは治水から手をつけたい」
執務室の机に広げた地図を指しながら、ユウリは切り出した。
傍らに立つアレンは、腕を組んで、地図と、ユウリの顔を交互に見ていた。
「治水ですか・・・たしかに川向こうの荒れ地の話は、町でもよく聞きますね」
「あそこ、水はけが悪いだけで土自体は悪くないんだ。ちゃんと水を制御できれば、畑としても使えるようになる」
10歳の頃から続けてきた町歩きと台帳調べは、15歳になった今も続けている。
タイラー領を流れる川――ヴェイル川は、水量こそ豊かだが、雨季にはたびたび氾濫し、乾季には逆に水不足になる。
治水の悪さこそが、この土地の農業を長年苦しめてきた最大の原因だと考えている。
「具体的には、どうするおつもりで?」
「川の上流の谷を堰き止めて、水を溜められる場所を作る。そこから水路を引いて、必要な時に必要な分だけ、下流に水を流す。雨季には水を溜め込んで氾濫を防いで、乾季にはそこから水を出して灌漑に使う」
「……それは、堰みたいなものですか?」
「堰よりは、もう少し大掛かりなものになる」
ユウリの脳裏には、前世の記憶にある、ダムのイメージが浮かんでいた。
(もちろん、コンクリートなんて技術はこの世界にはない。だから、そのまま再現するのは無理だ。でも――)
石積みと粘土、木材を組み合わせた重力式の堰堤、取水口の位置と角度、余水を逃がすための放流路、貯めた水を必要な分だけ制御して流す仕組み、ユウリの頭の中には、これらの知識が、驚くほど鮮明に浮かび上がってきていた。
(『才無き万能』は、前世の知識に基づく能力にも、作用するのか……)
他の技術と同様に、治水工学もまた、75点のところに勝手に着地するようだ。
もっとも、前世の治水工学は高度な土木技術の集積だった。
その75点は、この世界の水準からすれば、言ってみればオーバーテクノロジーだと考えられる。
「アレン、紙を持ってきてくれるか。説明するより、描いた方が早い」
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1時間ほどかけて、谷を堰き止める構造物の断面図を描き上げた。
石積みの傾斜、水を逃がす放流路の位置、取水のための水門――この世界のどんな職人も見たことのない設計図のはずだ。
それを覗き込んだアレンは、しばらく黙り込んでいた。
「これ、本当に、ユウリ様が描いた図面ですか?」
「一応、そうだよ」
「『一応』のレベルがおかしいんですよ」
アレンは、額を押さえながら、それでも図面から目を離さなかった。
「これ、本当にできるんですか。この規模のものを、うちの領地で」
「時間と人手はかかると思う。でも、不可能じゃない」
「石工や大工の数が、正直、足りないと思いますが」
「だから、まずは小さく始める。一番効果が出やすい場所を選んで、そこだけ試験的にやってみる。うまくいけば、規模を広げていけばいい」
ユウリは、地図上の一点――ヴェイル川の上流にある、比較的谷が狭まった場所を指した。
「ここなら、堰き止める幅も小さく済む。試作としてはちょうどいい」
アレンは、しばらく考え込んだ後、小さく頷いた。
「俺は土木の専門家じゃないので、技術的なことは分かりませんが……これが実現したら、タイラー領の治水はよくなりますよね」
「多分ね・・・じゃあ、父上に相談しようか」
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翌日、ユウリとアレンは、父バロンの執務室を訪れた。
「父上、少しお時間よろしいですか」
「ん? ユウリか。何だ、改まって」
ユウリは、図面を机に広げた。
バロンは、それを一瞥した瞬間、怪訝そうに眉をひそめた。
「これは……何の図面だ?」
「ヴェイル川の上流に、水を溜める堰を作りたいんです。雨季の氾濫を防いで、乾季には溜めた水を使う。川向こうの荒れ地も、これで畑にできるようになると思います」
バロンは、しばらく無言で図面を見つめていた・・・素人目にも、その緻密さは伝わってくるものがあったようだ。
「……ユウリ、これは、お前が考えたのか」
「はい」
「どこで、こんな知識を」
「本で読んだことがあります」
いつもの言い訳を口にするユウリの隣で、アレンが小さく咳払いをした。
「……正直に言うと、私には、この図面が正しいのかどうか、判断がつかない」
「専門の職人に見てもらえば、実現可能かどうかは分かると思います。まずは、小さな規模で試させてもらえませんか」
「金と人手がかかるぞ。うちの財政で、そんな余裕があるかどうか……」
「最初は、必要最小限の規模で構いません。うまくいけば、それが証明になります。証明できれば、次の資金も集めやすくなるはずです」
バロンは、しばらく黙って、ユウリの顔を見つめていた。
3歳の頃から、数え切れないほど驚かさせてきた父の目に困惑と同時に、期待が浮かんでいた。
「……分かった。石工の親方に話を通しておく。まずは、お前の言う『試験的な規模』とやらで、やってみるがいい」
「ありがとうございます」
「ただし、もし失敗したら被害の影響は領地全体に及ぶ。氾濫を防ぐつもりが、逆に氾濫を引き起こすようなことになれば、目も当てられない。そのあたりは、重々承知しておけよ」
「はい。もちろんです」
(父上の言う通りだ。ここで下手を打てば、取り返しがつかない)
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数日後、バロンの手配で、領内一の石工と名高いドーソンという中年の男が、屋敷に呼ばれた。
ドーソンは、長年、この土地で土木工事を請け負ってきた、いわば領内土木技術の第一人者だ。
差し出された図面を一瞥した瞬間、彼の眉が、ぴくりと動いた。
「これは、どなたが書いたんですかい?」
「俺が描きました」
「坊ちゃんが・・・」
ドーソンは、しばらく無言で図面を睨みつけていたが、やがて、指先で図面をなぞりながら、独り言のように呟き始めた。
「堰の断面が、まっすぐじゃない……こっちに傾いてる。それに、この、水を逃がす部分・・・」
「それは放流路です」
「放流路・・・堰は真っ直ぐ積んで、水があふれたら諦めて上から流す、そういうもんです」
「それだと、水の勢いで、堰の根元が削られていきませんか?」
「……削られます。だから、何年かおきに、積み直す羽目になる」
ドーソンは、図面から顔を上げ、まじまじとユウリを見た。
「この傾斜と、この放流路の位置なら、水の勢いを逃がしながら、根元への負担を抑えられる。しかも、この石の積み方――重さの掛かる方向を計算して、わざと傾けて組んであるんですか?こんな積み方見たことがない」
「本で読んだことがあるので」
ドーソンは、疑うでも呆れるでもなく、ただ純粋に唸っただけだった。
「これが本当にその通りにできるなら、今までの堰より、間違いなく長持ちします。それに、氾濫の抑え方としても、理に適ってると思います」
「親方、作れそうですか?」
「石を積む技術はありますから、坊ちゃんの図面通りにやるだけなら、できるでしょう。ただ――正直に言うと、こんな画期的な工法、見たことがない。勉強させてもらうつもりで、やらせてもらいます」
その言葉に、傍らで話を聞いていたバロンが、驚いた顔でユウリを見た。
「ドーソン、お前がそこまで言うとはな・・・」
「こんな面白そうな図面みせられたら、仕方ありませんよ」
ドーソンは、そう言うと、図面を大事そうに抱え直した。
「よし。石工総出で、坊ちゃんの言う通りにやらせてもらいましょう」
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執務室を出たところで、アレンが小さく声をかけてきた。
「本当に、大丈夫なんですよね、これ」
「大丈夫だよ・・・完璧な設計、とまでは言わない。でも、少なくとも、崩れて誰かを傷つけるような代物には、絶対になってない」
その口調に、アレンは、ふっと表情を緩めた。
「じゃあ、早めに作って、荒れ地を農地に変えましょう!」
「ああ・・・治水さえよくなれば、我領の食糧事情まで改善できるからね」
こうして、タイラー領における、最初の大規模事業――治水計画は動き出すことになった。
拙い文章、読んでいただきありがとうございます。
多少なりとも楽しんでいただけたのなら幸いです。




