2.スキルのせいで、なんでもできる3歳児爆誕、の巻
フォン・タイラー伯爵家の屋敷は、貴族の屋敷というより、大きめの家、と言った方が正しかった。
石造りの壁のあちこちにはヒビが入り、雨の日には2階の書庫の天井から雫が落ちる。
庭の噴水は水が出なくなって久しく、今では鉢植えを並べる台と化していた。
帝国の辺境、痩せた土地に領地を構えるフォン・タイラー伯爵家は、貴族と言うにはあまりに慎ましい、いや、はっきり言って貧乏な家だった。
その嫡男として生まれたユウリ・フォン・タイラーは、3歳になっていた。
前世の記憶を保ったまま転生した勇李――もといユウリは、転生して早々、ある違和感を抱えていた。
(あの女神、気持ちだけ若返らせるとか言ってたな……)
68年分の疲れや諦めは、確かに綺麗さっぱり抜けていた。
悟りすぎた老人特有の辛気くささもない。
むしろ、何かを新しく知ることに対して、前世の子供時代よりもずっと貪欲な自分がいることに、ユウリ自身が驚いていた。
とりあえず、その貪欲さの矛先は、屋敷の書庫に向かった。
物心つく前――といっても中身は68年生きた大人なので、正確には「言葉を発することができない時期」から、ユウリは書庫に置かれた古い本を、片っ端から読み漁っていた。
この世界の文字は、前世の日本語とは似ても似つかないが、『才無き万能』は、異世界の語学にも作用した。
帝国公用語で書かれた本を初めて目にした瞬間から、読解力・語学力は75点、本を読むのに不自由しなかった。
誰も、それがおかしいとは気づかなかった・・・なぜなら、赤ん坊がひとりで書庫にこもって本を読んでいる、などということを、誰も想像すらしなかったからだ。
「坊ちゃま、また書庫ですか」
最近乳母のマーサが、呆れたような声で言うようになった。
「うん」
「3歳になったばかりだというのに、字がお読みになれるなんて、すごいですね」
「絵本の絵と字を、ずっと見比べてたら、なんとなく分かるようになったんだ」
ユウリは、にこりと笑って答えた・・・
この「見ているうちに、なんとなく分かるようになった」という言い訳は、字が読めることそのものについては、それなりに説得力があった。
________________________________________
ある日の午後、父であるバロン・フォン・タイラーが、執務室で頭を抱えていた。
「またこの帳簿か……」
父の呟きに、ユウリはとことこと執務室に入っていった。
机の上には、書類の束が乱雑に積まれている。領地の収支をまとめた帳簿だった。
「父上、どうしたの?」
「ああ、ユウリか。いや、これは子供の心配することじゃない。今年の収穫と税の計算が、どうにも合わなくてな……執事のラドフォードが体調を崩していて、代わりにやろうとしているんだが、私は昔からこの手の計算がどうにも苦手で」
「見せて」
「ん? ユウリ、これは数字がたくさん並んでいて、お前にはまだ――いや、さすがにこの計算は、3歳のお前には無理だな」
言いかけた父の目の前で、ユウリは机によじ登り、書類を覗き込んだ。
そして、数字の列を、じっと見つめた。
(複式簿記ではないんだな。単純な出納帳形式か・・・これなら――)
脳裏に、ごく自然に計算過程が浮かび上がってくる。
前世の記憶にある簿記の知識と、この世界特有の税制のルールが、頭の中でカチリと噛み合う感覚があった。
「父上、ここ、麦の税率の計算が間違ってる」
「は?」
「あと、こっちの家畜税、去年の分がまだ繰り越しになってる。それを足すと、多分、合計はこうなる」
ユウリは、父の羽根ペンを取ると、危なっかしい手つきながらも、迷いなく書類の端に数字を書きつけていった。
バロンは、しばらく言葉を失って、その小さな手元を見つめていた。
「……ユウリ。今、お前がやったこと、もう一度、ゆっくりでいいから説明してくれるか」
「・・・・できるよ、計算」
「できるよ、じゃない!! 3歳でどうしてこんな計算ができるんだ!!」
「本で読んだことがあるんだ」
「どこの本にこんな計算が載っているんだ!! というか、お前、字が読めるのか!?」
「うん」
「いつから!?」
「うーんと……気づいたら」
バロンは、頭を抱えたが、しばらくして、書きつけられた数字をもう一度確認したバロンは、ふと真剣な顔になった。
「……いや、待て。この数字、本当に合っている」
執事のラドフォードが後日確認したところ、ユウリの計算は寸分違わず正しかった。
今まで曖昧なまま処理されていた家畜税の繰り越し分まで、きっちりと洗い出されていた。
________________________________________
この一件をきっかけに、ユウリの「・・・・できるよ」は、屋敷のあちこちで発揮されることになる。
「坊ちゃま、井戸のロープが切れてしまって……さすがに、新しいロープを編むのは坊ちゃまでも無理ですよね?」
「・・・・編めるよ」
「編めるんですか!?」
「本で読んだことがあるんだ、ロープの編み方」
「そんな本、うちの書庫にありましたか……?」
その問いに、ユウリは曖昧に微笑むだけで答えなかった。実際のところ、ロープの編み方など本で読んだ覚えはない。
ただ、初めて触れたロープの端を手に取った瞬間、指先が勝手に、正しい編み方を覚えていただけだった。
また別の日には、庭師の老人が、枯れかけた薬草畑を前にため息をついていた。
「この薬草、どうにも育ちが悪くてなあ。……いやいや、坊ちゃまに土の配合なんて分かるわけないですよね」
「・・・・分かるよ」
「坊ちゃまが!?」
「この土、酸性に偏りすぎてる。石灰を混ぜるといい」
「な、なんでそんなことまで……!」
「本で読んだことがあるんだ」
老庭師は、疑わしそうな目でユウリを見た後、諦めたように石灰を取りに行った。数週間後、薬草畑は見違えるように青々と茂ることになる。
________________________________________
才無き万能のおかげで、様々なことが出来てしまうユウリを大人が訝しく思った時の言い訳が「本で読んだことがあるから」だった。
何しろ、何をやっても100点満点中75点になる。
しかし3歳児が、いきなり何でもできてしまっては不気味すぎる。
だから、「たくさん本を読んで、知っってるんだ」ということにしておけば、多少の説明にはなる。
(さすがに、そろそろ無理があるよな、この言い訳)
計算も、ロープの編み方も、土壌の知識も、剣の素振りの型も、厨房での包丁さばきも――触れた瞬間から、体が、頭が、勝手に75点のところへ辿り着いてしまう。
前世で「器用貧乏」と呼ばれた男は、今世でも変わらず、あらゆることにそこそこ以上に手が届いてしまうらしい。
ただ、3歳児がそれをやってしまうと、さすがに不気味すぎる。
(まあ、しばらくは「本で読んだ」で押し通すしかないか)
ユウリは、天井を見上げながら、小さくため息をついた。
拙い文章、読んでいただきありがとうございます。
多少なりとも楽しんでいただけたのなら幸いです。




