Another Viergeのキャンプ編ー5.ノエルの塔の誘惑
「ん……っ」
ももかは目覚めた。気がつくとそこは、天蓋付きのベッドの上。部屋中には、ほんのりとバニラの甘い香りが漂っている。
「ここは……」
彼女はベッドから起き上がり、辺りを見渡す。
そこはお菓子の部屋だった。ベッドの柱や枠はチョコレート、チェストはケーキやビスケット、壁は様々な色や形のクッキーで飾られている。飴細工でできたランプやシャンデリアは、溶けそうかと少し心配になりそうなものの、部屋を優しく照らしている。
「お目覚めですか。ももかお嬢様」
そこへクレムが、優しい表情を浮かべながら入ってきた。
「はい……」
ももかは彼を見るや、頰を紅く染めて返事をする。
クレムは、完全デレデレモードのももかを見ながら微笑む。
「僕に惚れているのかい?クスクス……」
「そ、そんなこと……」
ももかが、必死で否定しようとすると。
「素直になりなよ。僕は君の淡い想いを受け止めるよ」
クレムは、ももかの手をそっと両手で抱えた。彼のべっ甲のような瞳は、ももかの桃色の瞳一点を見つめている。
ももかは、クレムの瞳が視界に映るや顔全体が紅色に染まった。胸の鼓動も、彼女の中では一拍一拍が突き刺さる程に大きくなっている。
「……大丈夫かい?」
クレムは、ももかの身体を受け止める。
彼女は、知らず知らずのうちに身体がふらついていたのだ。
「はい……ありがとうございます……。それより私、ノエルの塔に行かなきゃ……」
ももかは、あまりの恋熱でふらつく身体を起こそうとした。
するとクレムはこう言う。
「ノエルの塔?ここだよ」
「いつの間に……」
ももかは、改めて辺りを見渡した。
「改めて僕はこの塔の主、クレムだよ。よろしく、ももかお嬢様」
クレムはそう言うと、ももかの手に軽くキスをする。
「こちらこそ、助けてもらってありがとうございますっ……」
ももかは、更に心身が火照り倒れかける。それを、クレムは倒れないように抱きしめて支えた。
「はぅ……!」
ももかにとっては、夢の連続である。あまりの熱量の凄さに、体が重くてうまく起き上がれない。
それを見たクレムは、彼女を再びベッドに寝かしつけた。
「大丈夫?もうちょっと休んでいてね」
彼は、ももかの手にそっとキスをした。
「あ……ぁ……」
ももかは、全身の火照りと霞んでいく視界の中で再び眠りについた。
クレムはそんな彼女を見て、クスクスと笑っていた。
しばらくして。
ももかは、いい匂いがする中でゆっくりと目を覚ました。
そこには長いテーブルがあり、自分の前にカトラリーが置かれている。その先には、数々の料理や色とりどりのお菓子、美しくも妖しい花や綺麗な燭台が所狭し、けれどもバランスよくたくさん並べられていた。
「何これ」
ももかは正直狂気を感じていた。さっきまでは目の前に王子様がいたのが、いきなり絢爛豪華な、けれども人気のない宴に変わっているのだから。
しかし、状況を再確認すると彼女の恋心も再び目覚め、また王子様のことに陶酔するのであった。
そこへクレムがやってくる。彼が引いているワゴンには、銀の蓋で覆われた大皿料理が乗せられていた。
「やぁ、びっくりしたかい?」
彼の優しい声が、ももかの心にズキュンと刺さる。
「はい……目がさめるとこうでしたから……」
ももかは、嬉しそうな、半分魂が逝ってしまってるような浮いた感じで答える。(実際のところ、彼女の魂は半分抜けて空中の見えないところでなんとか繋がっているようだ)
「そうか。ももかにそう言われて嬉しいよ」
クレムは、甘いマスクの微笑みで返した。その仕草の一つ一つが、今のももかをますますとりこにしていく。
ももかは、クレムをずっと見つめていた。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないです……」
「そうか。良かったら好きなものをどうぞ」
クレムは、料理を勧める。
今のももかにとっては彼を見つめるだけで幸せである。けれど、彼に勧められたからにはお言葉に甘え、近くに盛られていたミートソースパスタを自分の前の皿に移しかえる。
「では、いただきます……」
そして、彼女が何のためらいもなくパスタを口にしようとした時だった。
***
『いくら美味しそうだからって、そこらのものを食べちゃらめ!絶対だよ……』
いくら美味しそうだからって、
……食べちゃらめ!
食べちゃらめ、ダメ。絶対。
***
「ブヒッ?」
豚になったゆめがこちらを見つめている。
「………」
ももかがしばらく眺めていると。
「ブヒブヒ……」
ゆめは鳴きながら、そこらのものをぐちゃぐちゃと食べ始めた。
***
「どうしたんだ?」
「……ハッ」
クレムに呼びかけられ、ももかは我に帰ってきた。彼女はフォークにパスタを巻きつけ、口に入れかけたまま幻覚を見ていたようだ。
それから『何があってもそこらのものを食べてはいけない』と言うことを思い出し、フォークをそっと皿に置いた。
「食べないのかい?」
クレムが優しく問いかけてくる。
しかし。ももかはいくらおなかがすいているとはいえ、最初の忠告通りに断ることにした。
「ちょっと、急に食欲が無くなってしまって……」
本当は食べたい気持ちがやまやまだったが、豚にはなりたくない。それに私までが豚になってしまえば恐らくこの試練は失敗だ。その気持ちがただ、彼女を抑えていたのだ。
「じゃあ、お菓子を少しだけでもどうぞ」
クレムは、たくさんのキャンディが入ったガラスポットをももかの方へと差し出していた。小さい子でも両手で無理なく抱えられる大きさのポットには、カラフルな色の大玉キャンディが詰められている。
ももかはお腹がすいていたので、せめてキャンディ一粒だけでも食べたい気持ちでいっぱいだった。思わず指がキャンディの方に向きかけたが、それに気づいてぐっとこらえる。
「いいんです!本当に食欲ないから!」
そして彼女は、不機嫌になったような口調でボトルをクレムの方に押し返した。
「そうかい?何か抑えてるように見えるけど……」
クレムは、ももかの表情をまじまじと見つめている。彼は彼女に何かがあったのか、それとも自分の振る舞いが悪かったのか、気がつかない間に何かしたのではないかと、うっすら気になっている。
「…………っ」
そんな中でももかは、生理的にわき出る食欲と、置き手紙にあった忠告との狭間で感情が揺れ動いていた。忠告については現にゆめが豚になってしまった時点で正しい一方、食欲についてはどうしようもないものだった。
「ぐー?」
ももかが悩んでいると、いつの間にか隣に見知らぬ少女がいた。




