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【6夜目】悪魔の物語 『五日と一夜物語』

最終話です。いきなりこの話を読むのはネタバレの宝庫ですので、お気を付け下さい。

「そんなことが……」


 最近妙に死神がこちらの肩を持つと思えばと、王子はこれまでのことを省みた。王女の父親の魂に感化され、人の心が芽生えた死神。それこそが魂。


(それに気付かず、目の仇にしていた俺は……)


 申し訳ない気持ちになって、王子が死神を見れば……死神は一度目を伏せ笑い、暖めていた席を王女に譲った。


「デストルド……」

「何ですかい、貴方らしくもございやせん」


 死神のその笑みは初めて挑戦に出向いたあの日、王子を歓待してくれた……人の良さそうな王の姿に確かに重なるものがある。


「背徳の姫、それに死神。貴様らはその王子の死が生み出す異形を盾に、この第七領主を脅迫するか?」


 ギロリと差し向けられた領主、硝子玉の瞳。


「其程強大凶悪な獣なら愉快痛快爽快だろう!あの腐れ同僚共が躍起になるのを傍観笑い転げるのも楽しかろう」


 領主は片手を振るい、文字を記して今この場に脚本の文字を記す。ボーンと言う音で、時を告げる柱時計。七日目が訪れる。するとどうしたことか、王子の顔にも仮面が生み出され、その両目を覆い隠した。菫姫や伝承のそれとは異なり、目の穴も塞がれたそれ。真っ暗で何も見えなくなった王子を傍で支える王女と死神。


「やった!やりましたわ!これで、これであの子は私の物っ!」


 高笑いを発する菫姫。


「おお、おおおっ!あるっ!私の肉体がここにっ!これで姫と再び契り合えるという物だ!」


 情念公の歓喜の声。王子と王女に駆け寄ろうとする両者を押し留めたのは、王女の宣言。


「まだです。まだ私の話は終わりません」

「往生際の悪い。どちらにしても王子はもう死んだ」

「理様、最後の質問を私に!貴方が聞きたいこと、あったはずでしょう!?」

「背徳……」


 まだ間に合う。諦めていない。そんな王女の叫びに、王子の心に浮かぶ問い。そして……まだその正体が分からなかった頃。思わせぶりな言葉、勘違いで挙動不審になった伝承。あれは、あの意味は……


「背徳っ!お前は俺を愛しているか!?」


 勢いよくはぎ取った仮面が地に落ちる。既に背徳の仮面は無い。王子と王女が見つめ合う。


「愛しています、理様っ」


 それが聞けた今、何を迷おうか。これが最後かも知れない。王子は王女を抱き寄せ口付けた。このまま石になるならそれでも構わないと。


「馬鹿なっ……こんな人前で自ら仮面を取るとは、石になりたいか!?」

「いえ、……あれはっ!!」


 堅く抱き締めていた所為か、王子は自分がもう石になったのだと思っていた。それでもまだ動く。呼吸の合間に、それを知る。


「理……さま……」

「……背徳」


 一か八かの賭けだった。仮面を外すことは結婚を受け入れること、外させることが求婚を意味する。王女は既に仮面を外し、王子も仮面を外した。


「呪いが、効かなかったなんて!?そんな馬鹿な!!」

「違う。あれは…っ」

「そんな馬鹿な話があるものかっ!」


 悪魔の制止も聞かず、菫姫と情念公は……その恋人達を引き離そうと、約束を盾に詰め寄った。


「背徳姫!確かにこの私と結婚の約束をしたはずだ!私は約束を守ったぞ!約束を守れ!」

「理っ!逃がしませんからっ……!賭けに勝ったのはこの私っ!……きゃああっ!」


 とうとう狭くなって正方形になった食卓。向こう側から駆け寄る二人はそれでもまだ、王子と王女に届かない。その理由を部屋中に知らしめた菫姫の悲鳴。


「な、何事だ!?何故我らが石になる!?」

「……そんなことも解らないなら、第七眷属としてお前は必要ないな、情念」

「そ、そんな!我が君っ!」


 情念公を嘲笑うよう吐き捨てた悪魔の言葉。悪魔は心底面倒臭そうに、食卓に腰を下ろし高いところから、床に倒れた城の主達を見る。


「残念ながらあの二人はこの掟の城が認めた伴侶。それを引き裂く約束を持ち出すことは、定められた真理を汚し反故にしようという悪徳よ。この城がそれを見逃すはずもない」


 石化の呪いを解く言葉が真実ならば、王女の答えこそが王子から呪いを退けた。共に石化を解く魔法。二人の愛が嘘偽り無い言葉なのだと、城の呪いが証明している。


「それならばやはり、理様の愛の告白が呪いを解いたのですね」

「砦!目が覚めたのか!?」

「寝たふりでいざというとき隙を付けるよう様子を窺っていましたが、背徳様の話で解決してしまってふて寝をしようかと」

「砦、お前という奴は……」


 何にせよ無事で良かった。鬣を王子は撫でてやる。一方砦の言葉を耳にした悪魔は、床を見ながらそれは良いと頷いた。


「おまえ達も試してみてはどうだ?真実の愛、その愛の言葉が双方に成り立てば石化の呪いは解けるのだから」


 仮にも今日まで夫婦だったのだろうと、からかうように悪魔が二人を眺める中で、女と男は青ざめた愛を叫び合った。


「あ、貴方っ!あ、愛しています愛しています愛してるっ!きゃああ!止まらないっ」

「菫っ!お前を愛しているっ!愛している愛しているっ!くそっ!あああ!」


 追い詰められた形相の二体の石像。それを悪魔は飛び下り踏みつけ、ヒールで叩き割った後、口元を三日月形に釣り上げて「見物であった」とせせら笑った。


「まぁ、互いを打ち消す本心からの真実が解呪であったなら……お前など愛していないと言い合えば逃れられたかもしれないが」


 今となっては後の祭り。石化が解けても全身がバラバラなのだから。ひとしきり笑い追えた悪魔はそれでも笑い足りないのか、王子達の方を振り返り二人を鼻で笑った。


「人間が刻んだ物語にしては、まずまず愉しめた方だ。こんな茶番を私に見せるとは。背徳の娘……お前はこうなることを知っていたのか?」

「いいえ……菫姫は、母様ですから」


 こんな風に実の母親を石に変える結末をハッピーエンドなのだと受け入れられるはずがない。少なくとも背徳はそれを手放しで喜べるような王女ではない。そんな人間だったからこそ、多くの男が彼女ではない彼女を理想と追い求めたのだ。


「とは言え、そこの王子はこれでめでたく肉体が死んだわけだ。背信の口付けから魂と肉体の魔力も格段とレベルが落ちたであろう。今頃戦場の禿鷹共に食い荒らされているやもしれんが、さしたる脅威にはなるまい。よってこの城で末永く暮らすが良い……」

「領主様……」

「貴様、何を企んで……」


 信憑性の感じられない言葉に、王子が疑問を抱くが、王女は普通に信じてかけている様子。戸口へ向かおうとした悪魔を呼び止めた王子に、やはりばれたかと言うような素振りで、悪巧みを浮かべた笑みの悪魔が振り返る。


「とも思ったのだけれどね」


 再び女の姿に合った言葉遣いに戻した悪魔。彼女はケタケタと腹を抱えて笑っている。


「貴方達って死んでる分には幸せなのよね。地獄って背徳とか悪徳とか大歓迎のフリーダムっぽいところあるもの。差別もされない、偏見も迫害もない。そんな温室みたいな所でぬくぬくといちゃつかせるのって物語の締めとしてはどうかと思うの。そんなダークめでたしめでたしってね……これでもかってくらいのカオスっぷりとエロ展開系なら嫌いでもないんだけど、貴方達を見てたら気が変わったわ」


 口付け一つで背徳を極めたような顔をされては、悪徳を尊ぶ悪魔としては遺憾の意だと、人間にはよく分からない理由で悪魔は脚本を手に取った。そうして今度は空中から白い羽ペンと赤いインクを取りだして、うっすらと微笑むのだ。


「そこまで真実の愛とやらで通じ合ったわけだから?ここは戦わないと意味がないと思うのよ。戦わずして勝ち取る物は無いっていうのだけは私も同意してあげるわ王子様」


 指揮をするように羽ペンを揺らした悪魔。そして歌い出した彼女の言葉に従うように空中を赤いインクが舞う。その赤に塗り潰されて、視界一面真っ赤に染まる。


「理様っ!」

「背徳っ!」


 自分が相手が何処にいるのかもはや解らず彷徨う内にも、悪魔の歌が文章を書き連ね世界を操作する。王子は耳元で本のページが捲られる音を聞いた。その内に少しずつ赤いインクが消えていき、最後には己に残る返り血のみとなった。


「……ここは?」

「……あっ」


 目の前には愛しい王女。けれどここは確か……王女の国を滅ぼすために、王女の喉元に剣を突きつけたその時だ。

 王子は既に王女の父親を殺した。王女は背徳の罪で汚れきり、母殺しで生まれている事実も変わらない。過去は何一つ変わっていない。悪魔が巻き戻したのはここまでの時間だけ。共に並び立つ砦は何か言いたげに王子を見るが、それでもそれは馬の嘶き。もはや人語を解さない。唯変わったことは……今ここにいる王子と王女の胸の内。変えられるかも知れないのは、これからの未来だった。


「王女、お前の名前は……毒姫(イオス)っ!人を惑わす毒の王女め!」

「な、何故私の名前を……!?」

「ふん、今更当ててしまうとは……まぁ良い」


 王子は剣を降ろして、王女を抱き上げた。


「これ以上の戦は無意味だ。王女よ、我が物となれ」

「私はまだ、笑っていません」

「これから存分に笑わせてやる、残りの人生全てを賭けて」


 慣れない剣に傷ついた王女の指に口付けて、王子がそっと微笑めば……王女の頬が薔薇色に染まり、がくんと頭を垂れて……笑わない王女が、涙を流し声を上げて笑ったのだった。


 *


【背徳の国に一人の王女が居た。彼女との結婚は、その名を当てて彼女を笑わせること。

 その挑戦を見事果たしたのは、海の向こう理の国の王子。

 名前を当てられず痺れを斬らし兵を持ち出した。多数の犠牲を生んだ戦いの最中、王子はとうとうその挑戦を成し遂げる。二人は想いを告げることが出来なかったすれ違いから、犠牲を生んだことを深く悲しみ、より良い国を作っていくことを誓い合い、めでたく夫婦となった。王を殺めた罪の意識からか、王子は姫を娶らずに王女の国を立てて、婿入りすることで婚姻を成した。】


「それにしても当てられないわけだ。(イオン)ならともかく(イオス)とは……王族の名がそんな悪しき言葉だとは思わなんだ……」

「名前の響きとしてもねぇ……王女様があんな男みたいな名前だっただなんて」

「でもそういう噂もあるんでしょ?」

「これこれ、なかなかお世継ぎに恵まれないからといって妙な噂を流すんじゃない」

「だって爺様ー!それはそれで物語みたいで浪漫があるわ!」

「まったく最近の若い者は、思考が爛れておる」

「何だと爺っ!あんたの書斎の寝台下からそれっぽい文学全集出てきたのばらすぞ婆さんに!」

「婆さんには黙っておくんじゃ、いいな」

「わーい!小遣いだー!」

「祟りじゃー!これは祟りじゃー!姫様に子が生まれないのは、戦で亡くなられた先王の祟りに違いありませぬ!」

「神託制度撤廃で、神殿クビになったからって神官の奴頭おかしくなったのか?」

「祟りじゃー!祟りじゃー!戦で死んだ兵の無念がー!」

「巫女として神殿が欲しがってた姫様が嫁いだからショックなんだろ、きっと」

「処女神である月女神、戦女神、竈女神こそが至高っ!しかし地上の美であった、それでおって美の女神とは異なり無垢なる姫様を汚すとはあの男許すまじっ」

「馬鹿言え神学者、人妻って響きはなんかそれだけでエロいじゃないか!それだけで一ジャンル築けるぞ!そう!創作の筆が踊るほどに!」


 窓際で楽しそうに歌っている王女に気付き、王子はそっと隣に寄り添った。


「何を笑っている?」

「ふふ、街の様子が賑やかで」


 まるで夢を見ているようですと王女は笑った。くだらない街の噂話。嘘も真も溶け込んで、人は現を生きながら、人は現を見ていない。流れ流されて噂に溶け込む真実も、やがては虚構の物語となり消える。

 王女の正体への裏付けは、理を説いて来た王子がよもや男を娶るまいという信頼の影にある。王女を苦しめた脅迫者共は、先の戦で王に率いられその全てが死んでいた。

 人の死に安堵することの、何て罪深い。それでも所詮自分は背徳。これまで人が自分に求めたような偶像の王女ではなく、一人の人間としてその心に認めるべき悪徳がある。王女はそれを受け入れたのだ。そうして今では仮面を外し、穏やかな笑顔を見せる。これまで自分を悩ませた話を、聞き流せる余裕が見つかったのだと王女は笑っていた。


「デストルドは文句を言っているだろうがな」


 あの死神は地獄から折角の出世頭と期待された後、全く争いが起こらないのだ。これからの出世に響いているだろう。


「先日お茶を飲みに立ち寄ってくれた時には、福祉系列の職場に移動を申し出たと言っていましたよ?」

「あの男が福祉だと?ふっ……俺まで笑ってしまいそうだ」


 どうせ飼い殺さなければならないのだ。王女の部屋を空にしていても気付く者は居ない。今日の王女は男の格好で補佐官として王に仕える。それだけで外の空気を吸わせてやることも容易に変わる。王女と顔が似ていると言われても、その時は先王の隠し子だとか王女の生き別れの双子の弟とか兄だとでも言っておけば良い。


「どうだ?街の様子でも見に行くか?」

「今日の仕事は?」

「粗方終わった」

「それなら私はこうしていたいです」

「そ、そうか……」


 街の様子も気になるけれど、それ以上に二人で過ごしている今この時が大事なのだと言われては、王子も強くは何も言えない。


「それに理様、これで良いんです。私があそこへ下りたらまた、余計な噂話が生まれますよ?王は娶った王女より、よく似た顔の側近とばかり連れ添っている……なんて」

「それは困った。たまには彼方の姿のお前も城下に連れ出さなければな」

「でもそうすると後々困りますよ?私だっていつまでも女の振りは出来ません」

「姿形ならいけると思うが、確かに声は後々問題か。……まぁその時は、病で咽に負担を掛けられないとそういう噂を流せば良い」


 そう。そんなことは問題にはならない。幾らでも言い逃れは出来る。揉め事が起こらぬように真実は伏せたが、万が一それが露見することがあっても王子がどちらを選ぶかは、答えが決まっていた。王子の祖国は豊かになった。尽くすべき義理と義務は既に果たしたと自負する。姫より国を選んだところで、戦狂いで国を荒らし、以前と同じ煉獄に招き寄せられるだけだろう。そう、ただ一つ。一つ困ったことがあるとするなら……


「なぁ……(はい)、……いや、毒姫(イオス)

背徳(はいとく)で構いませんよ、(ことわり)様」

「まったく、妙なものだな」

「そうですね。それでも私もついつい理様と呼んでしまいますから」


 折角真名を呼ぶことが叶ったのに、王子はそれをなかなか口に出来ずにいる。と言うのも、すっかり背徳と呼ぶ方が口と耳に馴染んでしまっているからだ。呼ばれている当の本人も同じ症状。うっかりそう口にしたのを他の者に知られてしまい、今ではこの姿の王女の二つ名が背徳となっている。その名を呼びたいばかりに、最近は男装ばかりさせているのではないかと自問し、上手く王子は答えられない。


「そう言えば、陛下の側近の子!なかなか可愛い子よね!あれ将来いい男になるわよ!」

「でも側近様ってどうしてあんな変わった二つ名をお持ちなのかしら?」

「目元がエロいからじゃないの?」

「口元かと私は思ったけど」

「え、声じゃないの?」

「馬鹿だな、着込んでて一分の隙も見せない様が禁欲的でエロいんだろうよ」

「痴れ者がっ!これだからまったく近頃の若者は!少年は少年であるが故!それだけで無条件でエロいのじゃ!!」

「あの爺さん、呆けて性犯罪起こさないといいけど」

「通報しとく?」

「ちょっと爺さん!なんですかこれは!貴方の寝台下から、太陽神の少年愛系の話と某都市の王様の父王がやっぱり少年愛に走った時の話の本ばかりが出てきましたよ!」

「ば、婆さん!これは!これは誤解じゃっ!」

「やはり其方の趣味があったんですのね!離婚です!離婚ですっ!」

「誤解じゃ婆さん!晩年離婚だけは!孤独死だけはっ!あと少年愛は同性愛ではないのじゃ婆さん!」

「言い逃れかこの爺っ!離縁だ!今日中に離縁じゃっ!」

「ひぃいい!後生じゃ!後生じゃ婆さんっ!……あれ、ちょっとそこ……そこの目元の皺、昨日より一本消えてないかの?やっぱり婆さんが世界で一番綺麗じゃ!」

「ふん、そんなことで私は騙されませんよ」

「むむ、あああ!三本じゃった!三本消えて居る!」

「貴方って人は……もう!まったく……現実で問題起こしたらすぐに離婚ですからね」


「ぷっ……くくく、あははははは!」


 王女は涙を流すほど、街の様子に笑っていた。ろくでもない噂話で街は賑わっている様子だが、噂の中心である王女自身が笑っているのだから問題はないだろう。


「市政というのは総じて愚かだ。だが、見ていて飽きないものなのだな」

「はい。私も長年この窓枠だけで、それなりに日々を送れていました」


 一片の曇りもない国を作ったところで人は負の感情を貯め込み、いずれは爆発をする。過ぎた禁欲と理は、人を道から突き落とす悪徳なのだと王子はあの城で学んでいた。人の思想と噂話を罰するような法を設けてはならない。それは空気を檻に閉じ込めるような物だから。


「男物の服には慣れたか?」

「足下のびっしり感の違和感がどうしても。これまでずっとスカートドレス生活でしたから」

「人前で下を脱ぎたがるなよ」

「そんな恥ずかしいことはしません!」


 拗ねてそっぽ向いた王女に、王子は隠し持っていた……機嫌直しの差入れを取り出して見せる。


「なんですか、これ?」

「俺の故郷から此方に伝わった、俺の国の菓子だ」

「……わぁ!それじゃお茶を淹れます!」

「ああ、頼む」


 ケーキ一つで機嫌を直す辺り、やはり子供だと王子は苦笑した。茶をコポコポと器に開けつつ、背中越しに王女が尋ねる。


「理様」

「何だ?」

「……噂で聞いたんです」

「ほう」

「女の子に男っぽい名前を付けたり、男の子に女の子みたいな名前を付けたり。……私の一件でそんなことが城下で流行ってるみたいです」

「微笑ましいじゃないか」

「そうでしょうか?名前に振り回されて辛い思いをしないでしょうか?」


 これまで市勢を穏やかに見つめていた王女が、初めて吐露する不安。それは全てに対する王女の不安を置き換えてもたらされた言葉。それを愚かと笑うよう、王子は王女に微笑んだ。


「そうさせない国を作れば良い。違うか?」

「……はい、そうですね」


 *


「【二人は子宝にこそ恵まれなかったが、理の王は豊かで平和な治世を敷いた……】か」


 本の中から出て来るや、不満そうな顔の悪魔に……領地待機の使い魔が何度か瞳を瞬いた。


「なんと珍しい。お嬢様が脚色せずに物語を完結させるとは」


 今記された文章も、事実をありのまま観察しての文章だ。


「だって何だか悔しいじゃない」


 災難や災いを送り込むことは出来ても、それが二人引き裂けるようには思えない。心変わりを本の中記そうとしても、操作出来ない力がそこに働いている。歴史と物語の悪魔……事実も虚構も自在に操る力は、万能とも言える。しかしそれは此方が主観であった話。揺るがない絶対的な軸を前にしては、歴史も物語も綴るだけの力しか持ち得なくなる。


「お嬢様の大嫌いな話ですね」

「あり得ないわよ、そんな……そんな絶対的な愛なんて」


 愛などは全て自愛に過ぎない。他者へ向かう愛情は愚かな人間の欲が生み出す。その恋の火が消えない恋など無い。どんな愛だって何時かは潰える。それを期待し寿命が尽きるまで二人を観察し続けて……それでもボロが出なかった。悪魔は絶対に認めたくないが、それでも今回の勝負は完敗だった。


「おかしいわよ、こんなの……」


 人間は玩具。人生は娯楽。執筆は快楽。人の不幸を嘲笑い支配する側の悪魔が、人間の主張に敗れた。


「あんな愛っ!どうせ本の中にしかないのよっ!」

「そりゃあお嬢様が世界を本として執筆している以上何処の世界も本でしかありませんが」

「そういう意味じゃないっ!何なのよ!私の周りろくな悪魔が居ないのにっ!エフィアルの阿呆なんか私が女だっていう前提で求婚してくるしっ!私の両性人格無視かっ!これだから両性の癖に男型気取ってる悪魔は嫌いなのよ!」

「そう嘆かないでくださいお嬢様。俺はその姿のお嬢様も嫌いじゃありません」

「でも少年型のがもっと良いんでしょこの変態」

「はい!」

「即答しないでよ馬鹿っっっ!」


 認めるか。認めて堪るかあんなもの。悪魔は苦虫を噛み潰す。

 揺るがぬから軸。何があろうと変わらない物。自分より遙かに小さく短い命が、自分が求めている物を、究極の幸せの在り方を見つけた。それが妬ましくて憎らしくて、悪魔は邪魔してやりたくて堪らない。


「要するにあれよ!検定考察が足りないのよ!モデルが足りないんだわ!やっぱり地獄エンドだった場合の話をっ」

「お嬢様……」


 こんなはずじゃなかった。現世で苦しめさせるために時間を巻き戻しやり直させたのに、この人間達はそれをまんまと乗り越えた。もう悟っているのだ。そんな二人を見て悪魔も悟るべきなのだ。何をしても考え改めさせることは出来ないと。それはあの掟の城で見せつけられたはず。それを認められず、舞台を移して足掻いても、勝ったのはやはり奴らだ。そもそも勝ち負けという概念で物語を量ることこと自体が間違っていて敗北なのだ。


「もしかしたら私は……」


 悪魔は気付く。物語を外側で見ている自分を綴り見ている何ものが居るのではないかと。その者にとって今この物語は、確かに喜劇であるはずだ。人の不幸が蜜の味。今嫉妬にのたうち回っている悪魔は確かに不幸。それを観察傍観している者はきっと、心躍らせ悪魔を嘲笑っていることだろう。これまで悪魔が数多の物語をそうして見てきたように。

 一度その疑念を抱くと、恐ろしくて恐ろしくて堪らない。神も悪魔も操って来た、創造主の更に上を行く全知全能の物語の悪魔。その悪魔が今、初めて踊らされている。思い通りに脚本を書き上げることが出来なかったのも、こんな玩具として有能な王女を生前から観察することが出来なかったのも、全てを偶然と言い切ることが難しく思えてならなかった。


「私は、私は何時か……私も何時か」


 悪魔は脅える。脚本を綴る者を綴る者の手によって、悪魔が報いを受ける日が来ることを。物語の主人公として、舞台の上に立たせられ、終わりを迎える日が来てしまう。殺人地獄と物語の中の者が話していたが、似合いの煉獄に落とされるのが人間の罪ならば……ここは私にとっての煉獄に違いない。悪魔はそれに気付いてしまう。覗くつもりで覗かれている!本の向こう側から、深淵に凝視され視姦されている。


「私は……私は」

「お嬢様?」


 どうしてこんなにも不幸にならない人間が憎いのか。どうして真実の愛を見つけた人間が許せないのか。忘れていたその理由が紐解かれそうになっていく。悪魔はぶんぶんと頭を振って、その懸念に蓋をした。

 自分は悪魔だ。最初から、最後まで!何時何時如何なる時だって。これまでもこれからも!自分は悪魔であり悪魔で在り続ける!

 早く次の本を探さなければ!とことん不幸にしてやろう!そうして貶めて真実の愛を語る者達を汚してやりたい!その快楽は必ずや、全ての不安を掻き消すだろう!

 物語の悪魔が筆を折ることはない。あってはならない。それは最上級の自己否定。物語の悪魔の存在意義に反する。

 悪魔は再び羽ペンを手に取った。その手の震えが止まるまで、強く強く握りしめていた。

ハッピーエンドかバッドエンドか。悩んで随分時間が空きましたが、ようやく完結させることが出来ました。ここまでお付き合いくださった方々、お待ち下さった方々、本当に済みません、ありがとうございます。

エピローグの幕引きを考えたとき、王子と王女にとってのバッドエンドは脚本シリーズのヒロインである物語の悪魔にとってはハッピーエンド。王子王女の幸せが悪魔にとってのバッドエンドで屈辱。


悪魔と人間の価値観の相違と隔たりのため、脚本シリーズは本の中の主人公と悪魔が行う勝負であり、そのどちらもが幸せに終わることは出来ません。(悪魔が主人公に感情移入して救済を求める以外は)

この物語の中でのイストリアは『海神の歌姫』よりも以前。勿論封印されていない最盛期。そこで味わう挫折が今後の他の物語に及ぼす影であり残酷さになるのではと思い、初めて彼女の敗北を記すことにしました。


悪魔の不安はこの小説を書いている作者の不安でもあり、物を書く人すべてにとっての不安であると思います。書きたいことを書いているつもりで、いつの間にか踊らされている。現実に存在しないはずの虚構の中の物語を生きる者達に踊らされる。


死なせるために書いた話があって。それがいつの間にか此方がこうするのれではなく彼方がしていることを記す役目を押しつけられているような感覚。

そういうのもまた、物を書く一興ではありますが、この悪魔はそれを認められない悪魔だという話でした。


王子と王女の物語を幸せに締めることが出来たのは、悪魔の不幸があってこそ。誰かの幸せの影には必ず誰かの不幸がある。ご都合主義ほど理不尽なことはない。絶対のハッピーエンドというものは無いと思うんです。

そういうものを書きたかったので、今はちょっとした達成感。そんな私の気持ちさえ、誰かの掌の上なのだとしたら、……王女じゃありませんが笑うしかありませんね、という話。


「嫌だ!残酷な話を書こうとしたのに私なんか胡散臭い説教じみたラブストーリー書かされてるwwwおのれ脚本の神wwww」


と、作者は笑いながら書いてましたけどね。王子ったらすっかり背徳道に爆走してて笑いました。


そんな説教臭いですが、この物語を通して何か伝わる物、考えていただけることがあったのなら、嬉しいです。


長々と長ったらしい文章を、最後までお目汚しすみません。また他の作品を通して、お会いできたら幸いです。ここまで、ありがとうございました。

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