第51話 守っていたもの
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「何を守ってたんだ?」
セレスは俺の膝から前脚を離すと、窓の方へ目をやった。
外では、荷車の車輪が石畳を転がっていく音がする。朝から町へ逃げ込んできた人たちの荷物を、まだどこかへ運んでいるらしい。
「わしが治めておった土地にも、人が暮らしておった。畑を耕す者もおれば、商いをする者もおる。家族を持って、子供を育てて、腹が減れば飯を食う。ここにおる連中と大して変わらん」
門の前で水を受け取っていた親子や、空いた建物へ毛布を運んでいた人たちの顔が浮かんだ。
「そういう連中を置いて逃げるわけにもいかんじゃろ」
「領主だから?」
「それもある」
セレスは窓の外へ目を向けた。
「わしが守ると決めておったからじゃ」
「じゃあ……人族を滅ぼすために戦ってたわけじゃないのか?」
「最初から、そんなことを考えておったわけではない」
「最初から?」
「ああ。戦が始まった頃は、人族の軍を押し返せば済むと思っておった。こちらへ入ってきた兵を追い出して、二度と来られぬようにすれば、それで終わるとな」
「でも、終わらなかったんだな」
「そうじゃな」
セレスは前脚を揃え、その間へ顎を乗せた。
「一度退けても、また来る。土地を取り戻したと思えば、別のところが奪われる。昨日まであった村が、次に報せを受けたときには無くなっておることもあった」
「戦が長くなれば、死ぬ者も増える。知った顔も減っていく。そんなものを何十年も見ておれば、最初と同じ気持ちではおれんよ」
三十年以上。
俺が生きてきた時間より、ずっと長い。
勇者として戦場に出た俺が見てきたものなんて、その最後のほんの一部だったのかもしれない。
「人族の国にも攻めてたもんな」
「ああ、そうじゃな」
「こちらへ来る軍を追い返すだけでは終わらんと思うようになった。兵を集める場所があり、武器を作る場所があり、それを送り出す者がおる。ならば、そこまで叩かねばまた来る。そう考えた」
セレスは少し身体を起こした。
「わしとて、守るだけで済ませておったわけではない」
「人族が嫌いだった?」
「嫌いじゃったよ」
「今も?」
セレスは片方の翼の付け根を掻いた。
「人族全部をひとまとめにして嫌うほど、今のわしは暇ではないのう」
「なんだよ、それ」
「旅をしておれば、いろいろ見るからの」
セレスは俺を見上げた。
「少なくとも、おぬしのような阿呆がおることは知った」
「悪口になってるぞ」
「褒めておる」
「どこがだよ」
言い返すと、セレスは知らん顔で視線を逸らした。
「でもさ」
「何じゃ」
「お前が怒るのは、少し分かる気がする」
「少し、か」
「全部分かるなんて言えないだろ」
両親と暮らしていたノルド村は、もうない。
村を襲ったのは魔物で、セレスが戦っていた相手とは違う。それでも、家も人も失うことがどんなものかは知っている。それを何度も見せられて、それでも憎むなと言われたって、俺にはたぶん無理だ。
「俺も、あの村を壊した魔物が目の前にいたら、今でも許せないと思う」
セレスはしばらく黙っていた。
「でも、だからって全部同じじゃない。お前は人族と戦ってた。俺は魔物と戦ってた。それに俺は、お前を倒すために魔族領へ行った」
「そうじゃな」
「だから……」
何を言えばいいのか分からずにいると、セレスが先に口を開いた。
「無理に言わんでもよい。おぬしも、あのときは自分が正しいと思って戦ったんじゃろ。わしもそうじゃった」
「それで殺し合ったのか」
「まあ、そういうことになるのう」
「嫌な話だな」
「戦など、だいたいそんなものじゃろ」
俺はセレスを倒せば大勢を救えると信じていたし、セレスには俺を倒さなければ守れないものがあった。それなのに、俺たちは互いのことをほとんど知らないまま殺し合っていた。
セレスはまた窓の方へ目を向けた。
「もっとも、わしが守ろうとしておったのは民だけではないがの」
「まだあるのか?」
「土地そのものもそうじゃし、我らが古くから守ってきた聖樹もそうじゃ」
「聖樹?」
「おぬしも知っておろう」
「知ってるけど……古くから守ってきたって、それじゃあ、聖樹はずっと魔族領にあったってことか?」
「そうじゃ。少なくとも、わしらに残る記録より前からな」
聖樹……。勇者になる前から何度も聞かされてきた。
人族にとって大切な場所で、かつて魔族に奪われた――。
「……俺が聞いてた話と違う」
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