第49話 勇者という敵
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「ここには、勇者は来ない?」
男の子の声は小さかったが、すぐ近くにいた俺にははっきり聞こえた。
母親は一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから子供の肩へ手を置いた。
「大丈夫よ。ここまでは来ないから」
「ほんと?」
「ええ」
男の子はまだ不安そうだったが、それ以上は聞かなかった。門から入ってくる人の列へ目を戻し、母親の服を握る手に少し力を込める。
「勇者は来なくても、人族の兵は来るけどな」
近くで荷物を降ろしていた年配の男が、誰に言うでもなく口にした。朝から何度か顔を合わせている男だった。
母親が困ったようにそちらを見る。
「子供の前でやめてよ」
「悪い悪い」
男は木箱を抱え直した。
「でもまあ、間違ってはいないさ」
その横で荷車の縄をほどいていた別の男が口を挟む。
「魔王様がやられてから、前よりずっと奥まで来るようになっただろ」
「それは……そうだけど」
「人族じゃ、勇者は英雄なんだろうな」
木箱を持った男が、嫌そうに眉を寄せた。
「こっちからすりゃ、敵の一番強い奴だ」
俺は少し離れた荷車へ回り、降ろされた袋を建物の脇へ運んだ。男たちは俺のことなど気にしていないらしく、そのまま話を続けている。
「勇者が一人で戦争してるわけじゃないさ」
縄をほどいていた男が、荷車の上から袋を投げ渡した。
「けど、魔王様を倒したのは勇者だ。あれで人族が勢いづいたのは間違いない」
「勇者が今どこにいるかなんて、誰も知らんだろ」
「魔王様を倒したんだ。人族の軍に戻ってるんじゃないのか?」
「だったら、こっちへ来るかもしれんな」
受け取った男は袋を肩に担ぐと、吐き捨てるように続けた。
「どんな奴か知らんけど、俺は顔も見たくないよ」
二人はそれ以上話さず、荷物を抱えて建物の中へ入っていった。
敵の一番強い奴。
人族の側では、強い勇者であることをずっと褒められてきた。強くなれば、その分だけ誰かを守れると思っていた。
魔王を倒した日だって、これで戦争は終わると本気で思っていた。
なのに、人族の軍は今も進み続けている。
今朝門をくぐってきた荷車も、その軍から逃げてきた人たちを乗せていた。
「兄ちゃん?」
声を掛けられて振り向くと、さっきの男の子が俺を見ていた。視線は俺の顔ではなく、腰の剣に向いている。
「剣、使えるの?」
「ああ。まあ、それなりに」
昨日、門番にも同じようなことを言った気がする。
男の子は剣をしばらく見てから、門の外へ目を向けた。
「人族が来たら、戦ってくれる?」
「あのね」
母親が止めようとしたが、男の子は俺を見たままだった。
「……来ないのが一番だよ」
男の子はよく分からないという顔をしたものの、母親に呼ばれるとそのままついていった。
その背中を見送ってから、人通りの少ない路地へ入る。
「なあ」
声を落とすと、外套の内側でセレスが動いた。
「聞こえておる」
「俺が人族に追われてること、こっちの人たちは知らないんだよな?」
「少なくとも、この町の連中は知らんようじゃな」
「やっぱり?」
「知っておれば、勇者が人族の軍に戻ったなどという話にはならんじゃろ」
「こっちまで話が来てないのか」
「山一つ越えたばかりじゃぞ。それに、人族の国で起きたことを誰がわざわざ知らせに来るのじゃ」
「それもそうか」
魔族領へ入ってから、俺が勇者だと知られることばかり気にしていた。
けれど、ここにいる人たちが知っているのは、魔王を倒した勇者の話だけらしい。
「じゃあ、こっちじゃ俺はまだ、魔王を倒した勇者のままなんだな」
「そういうことになるの」
路地の先を、荷物を抱えた女が横切っていく。朝から見かけた避難民の一人だった。
「……セレス」
「なんじゃ?」
「お前も、俺のことをそう思ってたのか?」
「そう、とは?」
「敵」
返事は早かった。
「敵じゃったよ」
「そりゃそうか」
「わしを殺しに来た勇者じゃぞ。味方と思う方がおかしかろう」
「まあな」
あのときの俺は、セレスを倒すためだけに魔王城まで行った。
なぜ戦っているのか、本人に聞こうともしなかった。
「じゃが」
セレスが外套の内側で身じろぎする。
「今のおぬしを敵と思っておるなら、わしはここにはおらん」
胸元へ目を落とした。
「それは分かってる」
「なら、その顔をやめよ」
「どんな顔だよ」
「知らん。わしからは見えんからの」
「適当すぎるだろ」
外套の中から小さく笑う声がして、俺も少しだけ息を抜いた。
「俺は、魔王を倒せば戦争が終わると思ってた」
セレスは黙って聞いている。
「これでもう戦わなくていいって、ずっとそう思ってたんだ」
通りへ戻ると、また一台、門から荷車が入ってくるところだった。家財の隙間に子供が二人座り、そのうちの一人が眠ったまま隣の女にもたれている。
「でも、終わってないんだな」
今朝だけで何台目なのか、もう数えてもいなかった。
「知らなかったって言えば、それで済むのかな」
少し間があってから、セレスが答える。
「わしに聞くことではないのう」
責めるでも、慰めるでもない声だった。
「おぬしが知らなかったことと、あやつらが逃げねばならなかったことは、別じゃ」
「……うん」
宿へ戻ったとき、主人はまだ帰っていなかった。
部屋へ上がって扉を閉め、セレスを外套の中から出す。ベッドへ降りたセレスは、小さな翼を畳み直してからこちらを見上げた。
俺は窓際の椅子に座る。
勇者が敵なら、俺が倒した方はどうだったんだろう。
男の子の母親も、荷物を運んでいた男たちも、セレスのことを「魔王様」と呼んでいた。
俺にとってセレスは、倒すべき魔王だった。
でも、あの人たちにとっては――。
「なあ、セレス」
「何じゃ?」
「魔王って……何なんだ?」
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