第48話 逃げてきた者たち
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朝、荷車の音で目が覚めた。
窓の外から人の話し声も聞こえてくる。昨日はあれだけ静かだったのに、今朝は朝早くから人が行き交っているらしい。
起き上がって窓を開けると、何人かが通りを同じ方向へ急いでいた。その向こうを、荷車が一台ゆっくり進んでいく。
「朝から何じゃ?」
ベッドの上で丸くなっていたセレスも身体を起こした。
「分からない。ちょっと見てくる」
顔を洗って外へ出る支度をすると、セレスがいつものように外套の内側へ潜り込む。フードを被り、耳が出ていないことを確かめてから部屋を出た。
一階へ下りると、宿の主人はすでに入口を開け放っていた。俺を見るなり、「朝飯はそこだ」とテーブルの上を指す。
「何かあったのか?」
パンを手に取って聞くと、主人は外を見た。
「また来たんだよ」
「また?」
主人は「見りゃ分かる」とだけ言って、奥から水桶を運び出した。
パンを食べながら外へ出て、人の流れについていく。昨日入ってきた門の近くには、何台かの荷車が止まっていた。
荷台には鍋や毛布、紐でまとめた衣類、木箱や農具が積まれている。隅には幼い子供が座り、その横では女が眠っている赤ん坊を抱いていた。
町の者たちは水を配りながら、荷物を降ろしている。杖をついた老人も手を借りて地面へ下り、その後ろでは足を引きずる男がゆっくり門をくぐってきた。
「そこの箱、こっちへ頼む!」
見ると、二人の男が大きな木箱を荷台から降ろそうとしていた。片方が手を滑らせ、箱が大きく傾く。
俺はそちらへ駆け寄り、落ちる前に下から支えた。
「おっと……助かった!」
「どこに運べばいい?」
「あの建物だ。頼めるか?」
男が指したのは、昨日通ったときには閉まっていた建物だった。入口の横木は外され、中では何人かが床を掃いている。
木箱の反対側を男が持ち、二人で中まで運ぶ。床にはまだ埃が残っていたが、奥では女たちが毛布を広げ、窓際では老人が固く絞った布で棚を拭いていた。入口にはパンの入った籠や水差しも置かれている。
箱を置いて外へ戻ると、今度は年配の男が大きな袋を肩へ担ごうとしていた。
「それ、持つよ」
「いや、悪いよ」
「大丈夫」
袋を受け取ると思ったより軽く、中身は衣類らしかった。
「兄ちゃん、旅人か?」
「ああ」
「朝っぱらから悪いな」
「別にいいよ」
袋を運び込んでから人通りの少ない路地まで離れると、外套の内側からセレスの声がした。
「目立たぬようにするのではなかったか?」
「荷物運ぶくらいで正体はばれないだろ」
「そういう問題かのう」
「困ってるのに見てるだけって方が無理だよ」
外へ戻ると、さっきの年配の男のそばに女と子供がいた。六、七歳ほどの男の子が、女の手を握っている。
「本当に助かったよ」
男が声を掛けてきて、女も頭を下げた。
「この町の人?」
男は首を横に振る。
「いや。俺たちも今着いたところだ」
「じゃあ、あの荷車で?」
「ああ。昨日、村を出たんだ」
「人族の軍が?」
男は門の外へ目をやった。
「近くまで来てるらしい。見回りの兵が来て、残ってる者はすぐ逃げろってさ。畑も家もそのままだ」
隣にいた女が男の袖を軽く引く。男はちらりと女を見て、そこで話を切った。
「この町まで来れば大丈夫なの?」
「分からない」
女が答えた。
「でも、今はここまで来るしかなかったから」
男の子は女の手を握ったまま、足元の小石を靴の先で転がしていた。俺の腰の剣へは、さっきから何度か目をやっている。
少し離れたところでは町の女が籠いっぱいのパンを配り、その脇では荷車の馬にも水が与えられていた。門前では誰かを呼ぶ声と、荷物を置く音が途切れない。
町の者が水の入った杯を持ってくると、女は礼を言って受け取り、それを先に男の子へ渡した。
「ゆっくり飲みなさい」
男の子は両手で杯を持ち、半分ほど飲んだところで顔を上げた。
「母さん」
「なに?」
「いつ帰れるの?」
女はすぐには答えず、しゃがんで子供の顔を見た。
「兵隊さんが、もう大丈夫だって言ったらね」
「今日?」
「今日は無理かな」
「明日?」
「どうだろうね」
女は男の子の頭を撫でた。
「帰れるといいな」と言いかけて、口を閉じた。
俺が両親と暮らしていたノルド村には、もう帰れない。
男の子は、また靴の先で小石を転がし始めた。
「兄ちゃん?」
呼ばれて顔を上げると、年配の男が小さな木箱を抱えていた。
「これも持ってくれるか?」
「ああ」
受け取って、さっきの建物へ運ぶ。
中では壁際に毛布が並べられ、空いていた部屋へ荷物が次々と持ち込まれていた。
「じいさんはこっちだ。入口に近い方が楽だろ」
町の男が場所を空け、その横へ毛布を一枚敷く。奥では別の男が「もう一軒開けよう」と言い、鍵を取りに走っていった。
外へ出ると、宿の主人も水桶を抱えて門の方へ歩いてくるところだった。
「手伝ってたのか」
「ちょっとだけ」
「助かるよ。この町も人手が減ってるからな」
主人はそのまま荷車の方へ向かった。
俺も残っていた荷物を一つ運んでから、人の少ない路地へ入る。
「こうやって逃げてくる人は、前からいたのか?」
「戦が続いておったからの。無かったとは言わん」
「お前が魔王だった頃も?」
「ああ。前線から報せは来ておった。じゃが、逃げた者がどこへ流れたかまで、わしが全部見ておったわけではない」
「そっか」
門の方からは、荷物を運ぶ掛け声や子供を呼ぶ声が絶えず聞こえてくる。朝より人は増えているのに、笑い声はほとんど聞かなかった。
「こんなに来るんだな」
「……そうじゃな」
昼前、宿へ戻る途中で、門の方がまた騒がしくなった。
最初に来た者たちの荷物もまだ片付いていないのに、別の荷車が門をくぐってくる。その後ろにも人の列が続いていて、朝に来た一団より明らかに多い。
町の者たちがまた水桶を持って走り出す。
俺もそちらへ向かおうとしたところで、聞き覚えのある声がした。
朝の男の子だった。
母親の服を掴み、門から入ってくる人たちを見ている。
「母さん」
「どうしたの?」
男の子は少し声を落とした。
「ここには、勇者は来ない?」
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