第46話 森の異変
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木々の間で動いた影は、複数あった。
右手の茂み、そのさらに奥にも、身を低くした獣がいる。黒っぽい毛並みが木陰に紛れ、じっとこちらを窺っていた。
俺が剣の柄へ手を掛けると、肩の上でセレスが小さく身を乗り出した。
「……影豹じゃな」
「仲間か?」
「お前は魔族を何だと思っているんじゃ。魔物と魔族との区別もつかんのか」
「冗談だよ」
「そういう冗談は好かん」
「でもさ、魔族軍にも魔物を従えてる部隊はいただろ」
そう言うと、セレスは呆れたように俺の横顔を見た。
「それを言うなら、人族とて魔物を従えることはあるじゃろうが」
「ああ……確かに。テイムされた魔物はいるな」
そこで正面の影が動いた。
一頭が姿を見せたのを合図に、左右の茂みでも枝が揺れる。三頭。正面の一頭を残し、ほかの二頭が左右へ散っていく。
セレスが俺の肩から飛び降り、近くの太い枝の上へ移った。
「で? どうするのじゃ。逃げるか?」
「いや」
剣を抜く。
「倒す」
正面の影豹が地面を蹴った。
真っ直ぐ来るかと思ったが、直前で身体を沈めて右へ回る。同時に左側の一頭も距離を詰めてきた。片方へ気を取らせ、もう片方が死角へ入るつもりか。
右から飛びかかってきた爪を半歩下がって外し、その前脚へ剣を添えるようにして軌道をずらす。体勢が崩れたところへ踏み込み、首の付け根を斬った。
背後で落ち葉を踏む音がした。
振り向かずに身体を沈めると、頭の上を黒い影が抜けていった。すれ違いざまに後脚を斬り、立ち上がりざまの返しで脇腹へ刃を入れる。
影豹が地面へ転がった。
残った一頭は木の陰へ隠れ、こちらの出方を見ている。
俺も追撃はしない。
こういう相手は、追えば追うほど厄介になる。剣先を下げたまま待っていると、影豹は幹の陰を伝うように位置を変え、やがて姿が見えなくなった。
追わずに待っていると、左手の茂みが沈み、黒い身体が一気に飛び出してくる。
身体を捻って爪をかわし、影豹が着地するより先に剣を首筋へ滑らせる。
三頭目も地面に倒れた。
「さすがは勇者、と言ったところじゃな」
血振りをしていると、セレスが枝の上から降りてきた。
剣を鞘へ戻し、倒れた影豹へ目を向ける。大きさだけなら灰牙狼より少し上だろうか。三頭で囲まれれば、普通の旅人ではまず逃げ切れないだろう。
「こういうの、この辺にはよくいるのか?」
「影豹そのものは珍しくはないのう。森じゃからな。三頭まとめて出たのは運が悪かったと思えば、それまでじゃ」
「じゃあ、まだ出るかもしれないってことか」
「まあ、出てもおかしくはないのう」
セレスを肩へ乗せ、俺たちはまた森の中を進み始めたが、しばらくは何事もなかった。
頭上では枝が重なり、ところどころから落ちる陽の光が地面を斑に照らしている。歩くたびに、湿った落ち葉を踏む音が足元で鳴った。
しばらく歩いていると、地面の奥から響くような音がした。
「何だ?」
答えを待つより先に、前方の藪が大きく揺れた。
黒い角を突き出した猪が飛び出してくる。その後ろにも三頭。
「黒角猪じゃ!」
「またか」
最初の一頭を横へかわす。勢いを殺せなかった黒角猪は、そのまま太い幹へ突っ込んだ。鈍い音と一緒に木が揺れ、頭を振っている間に首元へ剣を入れる。
残りは左右へ散らず、ほとんど一直線に押し寄せてきた。影豹より動きは単調だが、まともに受ければ吹き飛ばされかねない。
二頭目の角を剣で外へ逸らしながら脇を抜け、すれ違った背後から首筋を斬る。三頭目は木と木の間へ誘い込み、狭くなったところで身体をかわすと、勢いを殺せないまま幹へ激突した。
最後の一頭まで倒し終えたころには、さすがに少し息が上がっていた。
「……さっきの奴から、まだそんなに経ってないよな」
「そうじゃな」
セレスは黒角猪の死骸を見てから、森の奥へ目を向けた。
「まあ、森に入れば続けて出ることもある。まだ騒ぐほどではなかろう」
「まだ、ね」
それ以上は話さず、また歩き出した。
今度は少し慎重に進む。茂みが深い場所では足を緩め、枝の向こうにも目を配った。
途中、小さな沢を見つけたので水を飲み、剣の汚れも落とした。セレスは肩から降りると、水際で前脚を濡らし、翼に飛んだ泥を嫌そうに擦っている。
「街って、まだ遠いのか?」
「そう遠くはないはずじゃ。この森を抜ければ、街道にも出られるじゃろう」
「なら、あと少しか」
腰を上げたところで、少し先の木に深い傷がついているのが見えた。
爪痕だった。
俺の手のひらよりずっと大きい。
「セレス」
「ああ。見えておる」
セレスは水際から上がり、爪痕のそばまで歩いていった。
そのまま進むと、今度は枝がまとめて折れるような音がした。茂みを押し分けて、黒角猪よりもはるかに大きな身体が姿を現した。
四つ足のままでも俺の胸ほどの高さがある。太い前脚には長い爪が並び、こちらを見つけるなり低い唸り声を上げた。
「今度は何だ?」
「剛爪熊じゃな」
「強い?」
「さっきの奴らよりは」
「じゃあ、ちょっと面倒か」
剛爪熊が前脚を振り上げた。
まともに受ける気はない。振り下ろされる直前に横へ踏み込み、爪が地面を抉ったところで脇腹へ斬りつける。
だが、浅い。
厚い毛と肉に阻まれ、剣が思ったほど入らなかった。
剛爪熊が身体ごと振り向き、横薙ぎに前脚を振る。身を引いてかわしたが、爪先が服を掠めた。
「アルト!」
「大丈夫!」
二撃目を待たずに踏み込む。
同じ場所を狙うより、首だ。噛みつこうと突き出してきた頭を紙一重で外し、身体強化で一気に懐へ入る。剣を下から首元へ突き上げ、そのまま深く押し込んだ。
巨体が大きく揺れ、数歩進んだところで倒れた。
しばらく待ってから剣を抜く。
「……こいつも、この辺には普通にいるのか?」
セレスはすぐには答えなかった。
影豹に黒角猪、今度は剛爪熊まで出た。それでも、山を下りてからまだ半日も経っていない。
剣についた血を拭いながら、俺は周囲を見回した。
「にしても、多くないか?」
「……そうじゃな。この辺りは街にも近い。魔物がおらんわけではないが、ここまで続けて出る場所ではなかったはずじゃ」
「戦争のせいか?」
「分からん。わしがこの辺りに来たのは随分前じゃからな」
セレスが肩へ戻ってくる。
「街へ行けば、何か分かるかもしれん」
「ああ」
そのあと森を抜けるまでは、魔物の姿を見なかった。
午後もだいぶ過ぎたころ、頭上を覆っていた枝が少しずつ減り、前方が明るくなってきた。木々の間から土の道が見え、その向こうには建物らしい影もある。
「抜けたか」
森を抜けると、街を囲む壁はもうすぐそこに見えた。
「……人、いないな」
荷車も旅人もいない。街へ続く道なのに、動いているものが何も見えなかった。
セレスも黙って街道を眺めている。
「そうじゃな」
森の中では、あれだけ魔物に出会った。
そのすぐ先にあるはずの街道には、誰もいなかった。
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