幕間3-2 残された村
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魔族領に入ってから、戦らしい戦いはほとんどなかった。
カリュドリア軍の一隊がその村へ着いたときも、村の入口に人影はなく、先に入った斥候から魔族兵の姿はないと報告が上がっていた。街道には何台か荷車が通った跡が残り、道端には中身のない籠が一つ転がっている。住民が慌てて村を出たことくらいは、エリオットにも分かった。
それでも、若い兵士のエリオットは剣の柄から手を離せなかった。
「二人一組で家を見てこい。残っている者がいても、勝手に追うな。まず報告しろ」
小隊長の声が飛ぶ。
「エリオット、お前は俺と来い」
呼ばれて振り向くと、先輩のバルドがすでに近くの家へ向かっていた。
「待ってくださいよ」
「置いてくぞ」
エリオットは慌てて追いかけた。
村に入る前は、もっと人族の村とは違う場所を想像していた。
ところが、村の様子は人族の村とそれほど変わらなかった。道の両側には家が並び、その脇には畑があり、井戸もある。軒先には、取り込まれないままの布まで残っている。
「バルドさん、魔族の村って来たことあるんですか?」
「村はない。魔族の姿は前線で何人も見てるけどな」
「俺、近くで見たことないんですよ」
「そうなのか?」
「遠くからならありますけど」
バルドは一度だけエリオットを見てから、一軒の扉へ手を掛けた。
「耳が長いくらいで、鎧着て剣持ってりゃこっちの兵と大して変わらんぞ」
「そんなもんですか」
「そんなもんだ」
扉を押すと、鍵はかかっていなかった。
「入るぞ」
「はい」
中へ入ると、小さな食堂があった。机の周りに椅子が四つ並び、壁際の棚には皿やコップが置かれている。奥には鍋も見えた。
エリオットは入口に立ったまま、しばらく中を見回した。
「……普通の家ですね」
バルドが振り返る。
「何だと思ってたんだ?」
「いや、魔族の家って、もっとこう……人族とは違うのかと」
「家なんて、どこもこんなもんだろ」
バルドはそれだけ言うと、奥の部屋を顎で示した。
「寝台の下も確認しろよ」
エリオットも後を追う。
恐る恐る入った寝室には誰もいなかった。そこには乱れた寝具と、開いたままの衣装箱が残っていた。
急いで出ていったのだろう。服が何枚か床に散らばっていた。
誰もいないことを確かめ、次の部屋へ移る。
そこは他の部屋よりも少し狭かった。小さな寝台の脇に子供用らしい椅子があり、壁には子供が描いたらしい絵が貼られている。家族の絵だろうか。家の前に四人ほど並んでいて、描かれた耳は人のそれよりも長かった。
「子供の部屋みたいですね」
「そうみたいだな」
バルドは寝台の下を覗き込み、何もないことを確認して立ち上がった。それを避けるようにエリオットが一歩下がると、足元に何かが当たった。
「ん?」
見ると、木を削って作った小さな馬だった。拾い上げてよく見ると、片方の前脚が少し欠けている。
「それ、どうした?」
「そこに落ちてました」
「そんなもん拾ってるんじゃないよ。次へ行くぞ」
「はい」
エリオットは棚へ戻そうとして、少し迷った。
そういえば、弟もこんな木の馬を持っていた。
エリオットは木の馬を小さな机の上へ戻した。
「何してる。行くぞ」
「あ、はい。今行きます」
家を出ると、すでに宿営の準備が始まっていた。
井戸の周りには兵が集まり、水が使えるか確認している。荷車が何台も入ってきて、空いた家には食料や矢束が運び込まれていた。村の入口には見張りが立ち、少し前まで誰もいなかった広場にも兵の声が飛び交っている。
「こっちの家も、まだ使えそうだぞ」
誰かが声を上げる。
「助かった。久しぶりに屋根の下で寝られるな」
別の兵が笑った。
エリオットも同感だった。このところ野営ばかりで、朝起きるたびに背中が痛む。
「おい、エリオット」
バルドが顎で村の奥を示した。
「次だ」
「まだ見るんですか?」
「当たり前だ。夕飯までに終わらせるぞ」
その後、いくつかの家を回ったが、誰も残ってはいなかった。
村を一通り確認し終えた頃には、日が傾き始めていた。
広場へ戻ると、兵たちが配られた固いパンをかじりながら話していた。
「思ったより何もない村だったな」
「何を期待してたんだよ」
「魔族の村だぞ。もう少し違うと思うだろ」
その言葉に、エリオットは少しだけ顔を上げた。さっき自分も同じことを考えていた。
「この戦争って、奪われた土地を取り戻すためなんだよな?」
別の兵が聞く。
「じゃあ、ここも取り返したってことになるのか?」
「さあな。でも、そういうことで良いんじゃないか?」
それから少し戦況のことを話していたが、すぐに配給の肉が少ないだの、明日は雨が降りそうだのという話に変わっていった。
エリオットはパンをちぎりながら、さっき入った家の方を見た。
「何見てるんだ?」
隣に座ったバルドが聞く。
「いえ」
「変な奴だな、お前」
「バルドさんに言われたくないですよ」
「俺のどこが変なんだ」
「寝るとき靴を抱いてるじゃないですか」
「馬鹿野郎。あれには理由があるんだよ」
「理由? なんです?」
「前に、盗まれたことがあるんだよ。一回やられたら、お前だって抱くようになる」
「誰が兵隊の靴なんか盗むんです?」
「知らん」
エリオットは思わず笑った。
しばらくすると、広場へ伝令が入ってきた。
小隊長たちが呼ばれ、地図を囲んで何か話している。少しして、そのうちの一人が兵たちの前へ出た。
「聞け。明朝、日の出とともに出発する」
ざわついていた声が止まる。
「この先の街道は通れることが確認できた。我々は次の集落まで進み、先行部隊と合流する。各自、今夜はしっかり休め。見張りの順番はあとで伝える」
エリオットは何となくバルドを見る。
「どうした?」
「いえ。思ったより早いなって」
「出発がか?」
「この村、今日着いたばかりじゃないですか」
「軍なんてそんなもんだろ。取った場所に全員で残る必要はない」
バルドは残っていたパンを口へ押し込んだ。
「後ろから別の連中が来る。俺たちは先へ行く。それだけだ」
「そうですね」
エリオットもパンを口に入れた。
日が沈む頃、兵たちは各々目星を付けていた家に入っていった。二人は最初に調べた家へ向かった。
すでに何人かの兵が使っていて、床には毛布が置かれていた。食堂のテーブルや椅子も壁際へ寄せられ、空いた場所には兵たちの荷物が積まれていた。
エリオットは自分の荷物を壁際へ下ろすと、奥の部屋を見に行った。
さっき置いた木の馬は、まだ小さな机の上に残っていた。
「エリオット! 飯の追加が来たぞ!」
外からバルドの声が飛んでくる。
「今行きます!」
エリオットはもう一度木の馬を見て、部屋を出た。
見ると、村の入口にはもう、荷車が何台も集められていた。
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