第39話 選択
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「勇者アルト、ですか?」
扉の向こうから、クラリッサの声が聞こえた。
「はい。勇者アルトはこちらの孤児院の出身だと伺いました」
「ええ。確かに、アルトはこの孤児院で育ちました」
ここから玄関までは少し離れている。それでも、廊下に人がいないせいか、話している内容までは聞き取れた。
兵士の声が続く。
「勇者として王都へ向かわれてから、こちらへ戻られたことは?」
「ありません」
「では、最近はどうでしょう。こちらを訪ねてきたり、近くで姿を見かけたりは?」
わずかに間が空いた。
俺は扉から目を離せなかった。
「来ていません」
すぐ隣で、セレスが俺を見る。
「そうですか」
「念のため、もう一つ確認させてください。ここ数日の間に、見慣れない若い男が孤児院を訪ねてきたことはありませんか?」
「いいえ」
この聞き方なら、俺がここにいると分かって来たわけではなさそうだ。
「そうですか。分かりました。突然押しかけて申し訳ありません」
「いいえ」
「ただ……」
兵士の声が少し低くなった。
「現在、勇者アルトの身体は魔王に奪われた可能性が高いとされています」
「まぁ、それは恐ろしいですわね」
思わずセレスを見る。
棚の上で、セレスが片目を細めていた。
「もし本人に似た者を見かけても、決して近づかず我々へ知らせてください」
「ええ。もちろん、そうさせて頂きます」
俺は口元を押さえた。
「どうかしたのか?」
「何でもないよ」
声を潜めて答える。
「孤児院ですから、子供たちにも気をつけるようお願いします」
「ええ」
しばらくすると、礼を言う声に続いて玄関の扉が閉まる音がした。それでも俺は動かず、廊下の向こうの気配を窺う。
やがて外で男たちの声がして、少し遅れて馬の蹄の音が聞こえてきた。
音は次第に遠ざかっていく。
「行ったようじゃな」
「ああ」
「なら、もう出てもよかろう」
「もう少し待つ」
セレスがこちらを見る。
「用心深いのう」
「戻ってこないとも限らないだろ」
「まあ、それもそうか」
しばらく待ったが、再び戻ってくる気配はなかった。
代わりに廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
扉が開き、クラリッサが顔を出す。
「もう大丈夫よ」
「兵士は?」
「帰ったわ。近所をもう少し回るみたいだけど、ここへは戻らないと思う」
俺は頷いた。
クラリッサが部屋へ入り、扉を閉める。そのまま俺を見て、首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……」
俺は一度視線を外した。
「何で言わなかったの?」
「何を?」
「俺がここにいること」
クラリッサは少し目を丸くした。
「言ってほしかったの?」
「そうじゃないけど……」
「だったらいいじゃない」
「そうだけど……」
セレスが棚の上でこちらを見ていた。
「俺がここにいるって話せば、シスターたちは何も疑われないだろ」
「そうかもしれないわね」
「だったら……」
「アルト。あのね、私には難しいことなんて分からないの。魔王の力がどうとか、王城で何があったとか、そんなこと聞かれても判断できないわよ」
「うん」
「でも、あなたがアルトかどうかくらいは分かるわ。昔から知ってるんだから」
「……そっか」
「もう。元気出しなさいよ。アルトらしくないわよ」
「俺らしいって……」
「考えても分からないことまで、全部考えなくていいのよ」
「なんか、何も考えてないみたいだな」
「そんなもんでしょ?」
「いや。俺だって考えてることくらいあるよ」
クラリッサが笑ったあと、扉の方へ目をやった。
「さて。兵士がここまで来た以上、先のことを考えておいた方が良いわね」
「ああ」
クラリッサは少しだけ考えてから、俺を見る。
「それで、アルト。これからどうするつもりなの?」
俺は少し黙ってから答えた。
「……ここは出るよ」
「もう?」
「一度来たってことは、次はいつ来てもおかしくない」
「でも、今日の兵士たちは、あなたがここにいるとは思ってなかったわよ?」
「今日はな。次もそうとは限らないだろ」
クラリッサは黙った。
「俺一人なら、見つかっても逃げればいい。でも、ここには子供たちがいるだろ。シスターたちまで疑われるかもしれないし」
「だから出ていくの?」
「うん」
「私は、出ていけなんて言ってないわよ」
「分かってるよ」
俺がすぐに答えると、クラリッサはしばらくこちらを見ていた。
「本当に?」
「本当だって。追い出されるなんて思ってないよ」
「ならいいけど」
クラリッサは小さく息を吐いた。
「いつ出るの?」
「明日の朝には出ようと思う」
「そう」
少し間を置いてから、クラリッサが頷く。
「じゃあ、朝ご飯は食べていきなさい」
「早く出た方がいいんじゃないか?」
「食べる時間くらいあるでしょう」
クラリッサはそう言って扉へ向かった。
「子供たちには、夕食のあとで話しましょうか」
「うん。今言ったら騒ぎそうだし」
「そうね」
クラリッサが部屋を出ていく。足音が廊下の向こうへ消えると、それまで黙っていたセレスが棚の上で身体の向きを変えた。
「行くのじゃな」
「ああ」
「ソレグノスか?」
俺はすぐには答えなかった。
古い記録にあったソレグノス聖教国教会総本山には、勇者として認定された当時の記録が残っているかもしれない。ただ、ここから向かうには遠すぎる。
「いや。魔族領を目指そうと思う」
「……魔族領?」
セレスが首を傾げた。
「ソレグノスは遠すぎる。それに、このまま人族領を長く移動するのも危ないだろ」
「それで魔族領か?」
「それだけじゃないよ」
セレスが俺を見る。
「魔王を倒せば戦争は終わるって、俺はずっとそう聞かされてた」
「……そうじゃったな」
「でも、終わらなかった。今も人族の軍は魔族領へ進んでる」
あの兵や荷馬車を見たときから、ずっと引っかかっていた。
「俺は魔王城まで行ったけど、戦うことしかしてない。向こうで何が起きてるのかも、魔族が何のために戦ってたのかも知らない」
「それを確かめに行くというのか?」
「うん。一度、自分の目で確かめたい」
「……物好きな勇者じゃの」
「今更だろ」
「それもそうじゃな」
セレスは呆れたように言ったあと、棚から俺の肩へ移った。
「ただし、行くならわしの言うことは聞けよ」
「何で?」
「おぬしは勇者アルトじゃぞ。魔族領で堂々と顔を晒して歩けると思うな」
「ああ……」
「何じゃ、その返事は」
「いや。魔族領でも隠れなきゃいけないのかと思って」
「当たり前じゃ!」
セレスが尻尾で肩を叩いてきた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




