第34話 小さな羽
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
しばらくして、子供たちは廊下から呼ぶ声に応えて、ばたばたと部屋を出ていった。
最後の一人が扉の向こうへ消えるまで、セレスは机の上でじっとしていた。尻尾をつつかれても、背中を覗き込まれても、よく我慢したものだと思う。
扉が閉まった途端、セレスが大きく息を吐いた。
「……ようやく行きおったか」
「大人気だったな」
「わしは見世物ではないぞ。好き勝手に触りおって」
「嫌なら逃げればよかっただろ」
「逃げたら余計に追い回されるじゃろうが」
それは確かにそうかもしれない。
俺が笑うと、セレスは赤い目を細めた。
「何がおかしい」
「いや、よく声出さなかったなと思って」
「誰のせいでだと思っておる」
「悪かったって」
俺は机のそばまで椅子を寄せる。
「それより、さっき言われたやつ。背中、見せてくれ」
「……あれか」
セレスも気になっていたらしい。少し間を置いてから、俺に背中を向けた。
近くで見ると、背中に一対の出っ張りがある。
大きさは俺の小指の先くらいだろうか。薄い膜のようなものが小さく縮こまり、背中についている。ただの皮膚の出っ張りにも見えるし、角度を変えて眺めていると羽のようにも見えてきた。
「どうじゃ?」
「うーん……」
「なんじゃ、その返事は」
「出っ張りがあるのは間違いない。しわしわの羽みたいにも見えるけど、何なのかは分からないな」
「役に立たんのう」
「じゃあ自分で見ろよ」
「見えんから聞いておるんじゃろうが」
もっともだった。
俺は少し顔を近づけ、横から覗き込む。
「ちょっと触るぞ」
「ちょっ、待――」
言い終わる前に、指先で軽く触れた。
セレスの身体がぴくりと動く。
「おい!」
「……何だよ」
「いきなり触るでない」
「痛かったのか?」
「痛くはない。じゃが、妙な気分じゃ」
セレスは身体をひねろうとしたが、当然ながら背中までは見えず、すぐに諦めた。
「なら、身体の一部ではあるのか」
「そうらしいのう」
「羽……なのかな」
「だから、わしに聞くな」
まあ、訳分からんものが背中から生えてたら落ち着かないよな。
「何か映せるもの、なかったかな」
「探せ」
「何で偉そうなんだよ」
「わしは今ただの蜥蜴じゃぞ。お前が動かずにしてどうする」
仕方がないので、何か背中を映せそうなものを探す。
部屋の中を見回したが、それらしいものはない。廊下へ出て、近くにいたシスターに尋ねると、厨房で真鍮の盆を借りてきてくれた。
細かな傷は多いが、表面はよく磨かれている。鏡ほどはっきりとは映らないものの、顔を近づければ輪郭くらいは分かる。
「これで見えるかも」
「もっとましなものはなかったのか」
「借り物に文句言うなよ」
真鍮の盆をセレスの後ろに立てて角度を合わせる。
だが、セレスが後ろを気にして身じろぎするので、なかなか上手く映せない。
「動くなって」
「気になるんじゃから仕方なかろう」
何度か位置を変え、ようやく背中が盆の中に収まった。
「よし。これなら見えるだろ」
セレスが首だけを動かし、盆を覗き込む。
「……なんじゃ、これは」
「だから、それを確かめたいんだけど」
「もっと近づけられんのか」
「これ以上は無理だって。お前も動くし」
「動かねば見えんじゃろうが」
また少し角度を直す。
ぼんやりした像でも、背中の一対の出っ張りは見えた。セレスは右へ左へと首を傾けながら、ずいぶん長いこと自分の背中を眺めていた。
「……羽に見えなくもないのう」
「やっぱりそう見えるか」
「じゃが、こんなものでは飛べんぞ」
「飛べるのか?」
セレスの背中の突起が、ぴくぴくと動く。
「……飛べんな」
俺は盆を机の横へ置いた。
「いつからあったんだろうな」
「知らん。背中など自分では見えん」
「俺もそこまで見てなかったしな」
「役に立たんのう」
「しつこいな」
セレスは知らん顔をして、自分の背中へ鼻先を近づけようとしている。身体を曲げても届かず、最後には尻尾まで持ち上がった。
「無理だろ」
「うるさい」
その姿が少しおかしくて笑いそうになったが、今度は睨まれる前にやめておいた。
「特に問題がないようなら、しばらく様子を見るしかないか」
「簡単に言いおって。お前の背中に得体の知れんものが生えても同じことが言えるか?」
「……それは嫌だな」
「じゃろう」
「何か変な感じがしたら言えよ。痛くなったとかさ」
「言われんでもそうするわ」
「あと、俺も気を付けてみておくよ」
「最初からそう言えばよいのじゃ」
「何で俺が怒られてるんだよ」
俺が盆を返しに行こうと手に取ったところで、セレスが急に黙った。
また背中を気にしているのかと思ったが、セレスは机の上で伏せたまま、じっとしていた。
「どうした?」
「……待て」
セレスは前脚に目を落としたまま動かない。
「魔力……魔力が増えておる」
「前より増えてるのか?」
セレスはもう一度確かめるように目を閉じた。
「……ああ。ここへ来る途中で気づいたときよりは増えておる」
「どれくらい?」
「まだ大した量ではない。まともな術を使うには足りん」
セレスが前脚を上げ、その先へ魔力を集める。俺にはほとんど感じ取れなかったが、しばらくして前脚を下ろした。
「でも、増えてはいるんだな」
「そうじゃな」
俺も自分の中へ意識を向けてみた。
相変わらず、魔力は底が分からないほど大きい。少しくらい減っていたとしても、これじゃ俺には分からない。
「俺の方から戻ってる、とか?」
「まだ分からん。前にも言ったじゃろ」
「そうだったな」
「……アルト」
「ん?」
「しばらく、わしの背中を毎日見ろ」
「毎日?」
「変化があっても、わしには見えん」
「分かったよ」
そう答えると、セレスは少し意外そうにこちらを見た。
「何じゃ。今日は素直じゃのう」
「だって、お前じゃ見えないんだろ」
「……まあ、そうじゃが」
俺は盆を返そうと、扉へ向かった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




