第32話 アルト兄さん
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「……アルト兄さん?」
「え?」
俺は少女の顔を見た。
「……ミレナ?」
「うん。何、その顔」
髪も伸びて、記憶にある頃よりずっと大人びている。俺の後ろをついて回っていた小さな女の子と、目の前のミレナがすぐには重ならなかった。
「いや……大きくなったなと思って」
「アルト兄さんもね。前はもっと小さかったのに」
「俺はそこまで小さくなかっただろ」
「そうだったっけ?」
ミレナが笑った。その笑い方には覚えがあった。
「ちょっと待ってって言ったでしょう」
シスタークラリッサが困ったように言うと、ミレナは抱えていた籠を持ち直した。
「ごめんなさい。でも、頼まれてたものを持ってきただけだから」
「それはありがとう。そこに置いておいて」
ミレナは籠を机の脇へ置いたあとも、何度も俺の方を見ていた。
「みんなにも、アルト兄さんが帰ってきたって――」
「ミレナ」
そう言ってシスタークラリッサは首を振った。
「……うん。分かった」
「じゃあ、私は院長と話してくるわ。ミレナ、ここにいてくれる?」
「はい」
「アルトも……ね」
「……分かった」
扉が閉まると、急に部屋が静かになった。
ミレナは俺の向かいに座るでもなく、机のそばに立ったままだ。俺も何を話せばいいのか分からず、さっきのコップに手を伸ばした。
「……元気だった?」
先に口を開いたのはミレナだった。
「ああ。まあ……元気」
「そうは見えないけど」
顔を上げると、ミレナは笑っていなかった。
「王都からの話、私も聞いたよ」
「……そっか」
「アルト兄さんの身体を、魔王が奪ったって」
「違う。身体を奪われたわけじゃない」
「じゃあ、どういうことなの?」
「俺にも分からないことがある。だから……」
「昔のことを聞きに来たの?」
「うん。俺が勇者だって分かった頃のことを、もう一度確かめたくて」
「そっか」
ミレナはしばらく俺を見ていた。
「でも、アルト兄さんなんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、いいよ」
「え?」
「今はそれで。詳しいことはそのうち……ね」
「……いいのか?」
「だって、分からないんでしょ?」
「まあ……うん」
「なら、今聞いても仕方ないじゃん」
「……ありがとな」
「うん」
ミレナはそこでようやく椅子を引き、俺の向かいに座った。
「それにしても、本当に久しぶりだね」
「そうだな」
「勇者になってから、一回も帰ってこなかったし」
「……ごめん」
「何で謝るの?」
「いや、何となく」
「変なの」
「帰ろうとは思わなかったの?」
「思わなかったっていうか……そんな暇がなかったんだ」
「勇者って忙しいんだね」
「まあな」
「じゃあ、仕方ないか」
ミレナの言い方が昔と変わらなくて、少し気が抜けた。
「そういえば、みんなは?」
「もう、みんなここを出たよ。街に残ってる人もいるし、遠くへ行った人もいる」
「そっか」
「会いたい?」
「……今は、いいかな」
ミレナは俺を見て、何も聞かずに頷いた。
廊下で足音がすると、俺はそちらへ顔を向けた。
足音はそのまま通り過ぎていく。
「アルト兄さん」
「ん?」
「さっきから、誰か通るたびに扉見てるよ」
「……そう?」
「うん。昔はそんなことしなかったよね」
「昔とは違うから」
言い方がきつかったかと思ったが、ミレナは気にした様子もなく「そっか」とだけ返した。
俺は残りの水を飲んだ。
今度は別の足音が近づいてくる。
扉の前で止まり、軽く叩く音がした。
「入るわね」
シスタークラリッサが扉を開け、その後ろから見覚えのないシスターが入ってきた。
俺は椅子から立ち上がる。
「こちらが、院長よ」
シスタークラリッサの隣に立つ女性へ目を向ける。
クラリッサより年上に見える。背筋を伸ばして立ち、こちらを静かに見ていた。
「初めまして、院長のカーミラです」
「初めまして……アルトです」
院長は俺の前まで来ると、しばらく顔を見た。
「あなたが……」
院長は俺からシスタークラリッサへ目を移した。
「シスタークラリッサ。あなたは、この方が勇者アルトだと思いますか?」
「はい。この子は私の知っているアルトです」
「シスタークラリッサの言葉を疑っているわけではありません。でも、私は勇者アルトを直接知りません」
「……はい」
「私には、あなたが勇者アルト本人なのか分かりません」
「分かります」
「古い記録を確認したいそうですね」
「はい。俺が勇者だと分かった頃のことを調べたいんです」
「古い書類は保管してあります。ただ、当時のものがどこまで揃っているかは、確認してみないと分かりません」
「見せてもらえますか?」
院長はすぐには答えなかった。
「ここには子供たちがいます」
「……それなら、俺は出ます」
椅子の脇に置いていた荷物へ手を伸ばす。
「アルト」
シスタークラリッサに呼ばれ、手が止まった。
「まだ話は終わってないでしょう」
「でも、俺がいたら――」
「待ってください」
カーミラ院長が言った。
「出ていってほしいと言ったわけではありません」
「でも、子供たちがいるんですよね」
「ええ。ですから、すぐには決められません」
「……すみません」
「謝らなくていいんです」
院長はシスタークラリッサを見てから、しばらく黙っていた。
「古い書類はこちらで確認します。ひとまず、この部屋にいてください」
「いいんですか?」
「少なくとも、今すぐ外へ出てもらうつもりはありません」
「……ありがとうございます」
「ただ、少し時間をください。私にも考えさせてください」
「分かりました」
院長はミレナへ向き直る。
「ミレナも、勇者アルトがここにいることは誰にも話さないように」
「はい」
カーミラ院長が部屋を出ていくと、俺は椅子へ座り直した。
「よかったわね」
シスタークラリッサが言う。
「まだ何も決まってないだろ」
「追い出されなかったでしょう?」
「それは……そうだけど」
「なら、今はそれでいいの」
「簡単に言うな」
「そう?」
「そうだよ」
シスタークラリッサは空になったコップを手に取る。
そのとき、外套の中でセレスが大きく動いた。
ミレナが俺の胸元を見る。
「アルト兄さん」
「ん?」
「そこ、さっきから何か動いてない?」
「……あぁ」
「何がいるの?」
答えるより先に、外套の隙間からセレスが顔を出した。
ミレナの目が丸くなる。
「え? ……蜥蜴?」
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




