幕間2-2 魔王討伐、その波紋
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ソレグノス聖教国。
教会総本山の一室に、カリュドリア王国から届いた書簡が広げられていた。
「勇者アルトの身体を、魔王が奪った……」
若い司祭の声に、向かいで書簡を仕分けていた年嵩の司祭が顔を上げた。
「魔王の肉体は滅びたものの、死の間際に勇者へ憑依し、そのまま王都から逃亡したらしい。各国には、国境を越えた場合の捜索協力も求めている」
「ですが、アルト様は神託によって見つけ出された勇者です。教会の鑑定でも、勇者であることは確かめられていたはずでは?」
「だから魔王に身体を奪われるはずがない、と?」
若い司祭は返事に迷った。そう言い切れるだけの知識があるわけではない。ただ、勇者とは魔王を倒して人々を救う者なのだと、幼い頃から教わってきた。十六年前に勇者誕生の神託が下ったときには、聖教国でも何年にもわたって子供たちを調べた。
その勇者がようやく魔王城へ辿り着いたと思ったら、戻ってきたのは新たな魔王だった。そんな馬鹿なことがあるものか。
「魔王が勇者の器を狙った、と考えることもできる。少なくとも、我々がここで報告の真偽を決める話ではない」
「……はい」
「それより、こちらだ」
年嵩の司祭が別の書簡を差し出した。カリュドリアから届いた二通目で、魔族領への進軍に関する協力要請だった。
魔王城は陥落した。魔族側は大きな損害を受け、各地で統制の乱れも確認されている。新たな魔王が魔族領へ戻る前に戦線を押し上げ、聖樹の地へ続く道を確保する――書簡にはそう記されていた。
「戦は、終わらないのですか?」
「終わらせるために進むのだろう」
年嵩の司祭はそう言って、椅子の背に身体を預けた。
「聖樹の地を奪われて百二十年余り。魔王城を落としただけで兵を退けば、残った魔族がまた集まるかもしれん。まして今は、新たな魔王まで現れたと報告されている」
「ですが、その新たな魔王は人族領を逃げているのでしょう?」
「だからこそ、戻る前に進めるところまで進む。前線の将なら、そう考える」
前線の将がそう考える理屈は分かる。だが、勇者が魔王を倒せば戦争は終わると、ずっと聞かされてきた。
年嵩の司祭は次の書簡を開いた。
「オルディグナ帝国は増援を出すそうだ。予定より増やすとある」
「随分と早い返答ですね」
「魔族領で確保した土地の扱いについて、戦後の協議も求めている。占領地の境を決める際には、帝国の代表を加えろとも書いてある」
「もう、そんな話をしているのですか」
「帝国にとっては遅いくらいなのかもしれん」
続いて開いたネレイシア共和国からの書簡には、兵ではなく物資の一覧が並んでいた。兵糧、武具、治療薬に輸送費。必要なら追加の資金も用意するという。
「アルヴェナスは同盟で定められた分だけだ。それ以上は出さないらしい。ミュルセオンからは、まだ正式な返答がない」
帝国は兵を増やし、共和国は物資と金を出す。アルヴェナスは最低限の兵だけを送る。それぞれ返答の中身は違うのに、前線へ集まる人と物は増えていく。
年嵩の司祭は書簡をひとまとめにした。
「聖教国としても、前線へ人を送ることになる。兵だけではない。聖樹への道が開けば、長く途絶えていた祈りの場を取り戻さねばならん」
若い司祭にとって、聖樹は書物と祈りの中にある存在だった。百二十年余り前に魔族に奪われた、人族の聖なる地。三十五年前に始まった戦争も、そこを取り戻すためのものだと教えられてきた。
だから、聖樹を取り戻すこと自体に疑問はなかった。けれど、魔王を倒したという知らせを聞いたときには、これで戦争も終わるのだと思っていた。
目の前に並んでいるのは、帰還する兵の話ではなく、さらに兵や物資を前線へ送るという書簡ばかりだった。
「新たな魔王が魔族領へ戻れば、やはり戦は長引くのでしょうか」
「魔族が再びまとまればな」
「では、見つけたら討つのですか?」
「それはカリュドリアが決めることだ。だが、魔族領へ戻すわけにはいかんだろう」
総本山の塔から、夕刻を告げる鐘の音が響いた。
「明日の会議では、聖樹への道が確保された場合に誰を送るかも決める。今日はもう、その書簡を整理しておけ」
「分かりました」
若い司祭は返事をして、再びカリュドリアからの報告を手に取った。
勇者アルト。
その名は、勇者が見つかってから何度も聞いてきた。女神に選ばれ、長い戦争を終わらせる者。
書簡の中では、その名の横に新たな魔王と記されていた。
◇
魔族領の前線では、人族軍が動き始めたという報告が次々と届いていた。
テーブルを囲んでいた数人の魔族の前で、伝令が報告を続けていた。
「カリュドリアだけではありません。他の国の旗も確認されています。荷馬車も増えています。これまでより大きな軍になるかと」
テーブルの向こうにいた男が低く言った。
「セレス様を失った今が好機と見たか」
「魔王城を落とした勢いのまま、こちらへ押し込むつもりだろう」
隣にいた魔族が吐き捨てた。
「なら、俺は兵を戻す。これ以上、他の部族のために戦っていられるか。俺は自分の民を連れて戻る」
「戻ったところで、次に人族が来れば同じだ」
「それでも、自分の土地なら守れる。ここで全員死んで、故郷まで焼かれたら何のために戦ったのか分からん」
誰もすぐには言い返さなかった。セレスがいた頃でさえ、部族ごとの事情まで消えたわけではない。まして魔王城が落ちた今、すでに持ち場を離れようとしている者たちもいる。
別の魔族がテーブルを叩いた。
「ここでばらばらになれば、人族の思うつぼだぞ」
「ではどうする。セレス様はもういない。誰の命令で各部族を動かすつもりだ?」
その問いに、答える者はいなかった。
セレスは、平時からすべての部族を従えていたわけではない。人族の侵攻に対抗するため、部族長たちによって選ばれた戦時の盟主だった。
その中心を失ったまま戦線だけを維持しろと言っても、いつまでも続くはずがない。
「人族が来るまで、どれくらいある?」
「分かりません。前線ではすでに動きが出ています」
「各部族長に使いを出せ」
「部族長を集めるにしても時間がかかる」
「だから今すぐ使いを出すんだ」
テーブルの端に座っていた魔族がそう言うと、戻ると言っていた男が睨みつけた。
「集めてどうする。誰かをセレス様の代わりに据えるつもりか?」
そのとき、扉が開いた。
「報告です」
「なんだ! 今は大事な会議中だというのが分からんのか!」
「まぁ、そういきり立つな。なんだ、報告してみろ」
「はい。人族側で、新たな魔王が現れたという話が広がっています」
「なに? 新たな魔王だと」
「一体誰のことだ」
「それが、魔王城でセレス様を倒した勇者が、新たな魔王になったと……」
「セレス様を倒した勇者が?」
「詳しいことまでは分かりません。ただ、その勇者は人族から追われているようです」
「勇者を? 人族が?」
「で、その勇者の名前は?」
「アルト、というそうです」
「勇者アルト……」
「どういうことだ……」
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