第25話 ヴァルナー商会
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「なあ、あんた、名前は?」
そう聞かれて、すぐには答えられなかった。
答えかけたところで、前に荷車を押した男のことを思い出した。あの男は何も悪くなかったが、俺の名前は兵まで伝わった。目の前の商人も俺を売るつもりなんてないのかもしれない。それでも、この先どこで誰に俺の話をするかまでは分からない。
黙ったままでいると、商人は少しだけ首を傾げた。だが、すぐに何か思い出したように笑った。
「そうだな。人の名を聞くのならまずは自分からだよな」
商人は自分の胸に手を当てた。
「俺はダリウス・ヴァルナー。ヴァルナー商会ってのをやってる」
「……どうも」
それでも、俺は自分の名前を言えなかった。
ダリウスは少し待ったが、やがて肩をすくめる。
「まあ、人それぞれ事情ってもんがあるわな」
「すみません」
「謝ることでもないだろ」
ダリウスはあっさりそう言うと、倒れている護衛の方へ目を向けた。
ちょうど、さっきまで剣を持って戦っていた男がこちらへ歩いてくる。腕から血を流しているが、自分で歩ける程度らしい。
「改めて礼を言わせてくれ。助かった」
「いえ。それより、あの人を」
「ああ。ガレスだ」
男は倒れている仲間のそばへしゃがむと、荷馬車の向こうへ声を張った。
「ミレア、こっちを見てくれ! ネリオは周りを頼む。ユルク、馬の方を見てやってくれ」
荷馬車の反対側から女がこちらへ駆けてきた。弓を背負った男は周囲を確かめに向かい、槍を持った男は馬の方へ向かう。
弓を背負った男は頬に浅い傷があり、槍を持った男の袖も爪で裂かれている。女の服には泥がつき、呼吸もまだ少し荒かった。
その女――ミレアがガレスの横へ膝をつき、俺が当てた布をめくりすぎないように傷を確かめる。
「血はかなり止まってる。でも傷が深い。このまま旅を続けるのは無理ね」
「治せそうか?」
「私には無理。ちゃんと診てもらわないと」
剣を持った男は渋い顔で頷き、俺を振り返った。
「俺はロルフ。渡り鴉って冒険者パーティーのリーダーだ。ダリウスさんに雇われて護衛をしてる」
ロルフはそう言って、自分の腕の傷を見た。
「護衛なのに、逆に助けられちまったな」
「そんなこと――」
「いや、助かったのは本当だ。そこは礼を言わせてくれ」
しばらくして、弓を持った男が戻ってきた。
「近くにはいない。足跡も、この五頭のものだけみたいだ」
「分かった。ネリオ、悪いがもう少し警戒しててくれ」
槍を持ったユルクも馬の脚や腹を確かめ、「こっちも怪我はなさそうだ」と御者に伝えている。馬はまだ落ち着かない様子だったが、さっきのように暴れることはなくなっていた。
そのとき、ガレスが小さく声を漏らした。
「ガレス?」
ミレアが顔を覗き込むと、ガレスは薄く目を開けた。しばらく焦点が合わない様子だったが、やがて俺の方を見る。
「……あんたが、助けてくれたのか」
「まだ喋らない方がいいですよ。血は止まりかけてますけど、傷は深いみたいです」
「そう、か……悪いな」
「礼は元気になってからにしろ」
ロルフがそう言うと、ガレスは目を閉じた。
ダリウスは荷台とガレスを交互に見てから、御者へ声をかける。
「荷を少し寄せれば寝かせられるか?」
「ええ、何とかします」
「頼む」
それからロルフたちの方へ向き直った。
「今朝出た村まで戻ろう。ここからなら、そう遠くない」
「戻る?」
「俺たちは今朝そこを出たばかりなんだ。宿もあるし、怪我を診てもらえるところもある。ガレスをこのまま連れ回すよりいい」
商隊にとっては引き返すことになるらしいが、俺たちが進もうとしていたのはそちらだ。
「お前さんはどっちへ行くつもりだったんだ?」
俺が道の先を指すと、ダリウスが笑った。
「なら同じだな。村まで一緒に行こうや」
断る理由を考えていると、肩の上でセレスがわずかに動いた。
それに気づいたダリウスが俺の肩を見た。
「そういや、さっきから気になってたんだが……そいつは何だ?」
「え?」
「黒い蜥蜴だよ。従魔か?」
「従魔?」
言われて肩を見る。
そう言えば、セレスを肩に乗せたままだった。戦っている間にすっかり忘れていた。
しくじった。
けれど――従魔か。
「……まあ、そんな感じです」
ロルフも俺の肩へ目を向けた。
「俺も今気づいた。全然気づかなかったな」
「そうですか」
「まあ、そんな余裕もないよな」
「しかし、あれほどの剣の腕前で、魔法まで使えて、おまけに従魔連れか。冒険者じゃないって言ってたが、随分変わった旅人だな」
「そうですかね……」
その間に、渡り鴉の面々と商会の者たちが出発の準備を進めていた。ガレスは空けた荷台へ寝かされ、ミレアがそばにつく。ネリオは弓を手に周囲を一度見回してから荷馬車の後ろへ回り、ユルクは落ち着きを取り戻した馬の様子を確かめている。
ダリウスも商会の男にいくつか指示を出し、準備が整ったところで御者台を軽く叩いた。
「よし。急ぐぞ」
準備の邪魔にならないよう道端へ避けると、ダリウスに呼び止められた。
「待った。これ、持っていけ」
ダリウスが荷台から小さな包みを取って放ってくる。受け取ると、中には硬そうなパンと干し肉が入っていた。
「いや、俺は――」
「いいから取っとけ。命を助けてもらって、何もなしじゃ俺の方が気持ち悪い」
「でも」
「商人相手に遠慮するな。こっちは損得にはうるさいんだ。これくらいじゃ全然足りん」
そこまで言われて返すのも面倒になり、背嚢へ入れる。
「……ありがとうございます」
「それでいい。お前さんも歩きで問題ないよな」
ダリウスは満足そうにそう言うと、先に荷馬車の方へ戻っていった。
包みを背嚢へしまったが、さっき名前を言わなかったことを後悔する気にはならなかった。
荷馬車の車輪がゆっくり回り始める。ロルフが先頭へ回り、ネリオは後ろ、ユルクは馬の横についた。
俺も背嚢を背負い直し、荷馬車の横へ並んだ。
商隊は来た道を引き返しているが、俺たちにとってはこのまま先へ進む道だ。しばらく歩いたところで、セレスが俺の耳元へ口を寄せる。
「結局、こやつらと一緒に行くのか?」
「行く方向が同じなんだから、別にいいだろ」
「そうか」
「何だよ」
「何も言っておらん」
セレスはそれきり前を向いた。
前を行く荷馬車から、ダリウスがこちらを振り返る。
「村まではそう遠くないぞ。宿もある。着いたら今日はゆっくり休んでいけばいい」
「……考えておきます」
「まあ、着いてから決めればいいさ」
ダリウスが前を向くと、肩の上のセレスがこちらを見た。
「泊まるのか?」
「……まだ決めてない」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




