第23話 逃亡者と黒蜥蜴
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
轍のない細い道を選んでから、二時間ほど歩いただろうか。
森を抜けると、緩やかな斜面の下に小さな村が見えてきた。畑と十数軒の家を囲むように丸太の柵が巡らされ、道に面したところには簡単な木の門がある。
俺はそのまま道を進まず、木立の端で足を止めた。
「入らんのか?」
胸元からセレスが聞いてくる。
「ちょっと待って」
畑には何人か人が出ていて、柵の内側からは子供の声も聞こえる。開いたままの門を出入りする村人はいるが、兵らしい姿は見当たらなかった。
しばらく眺めていると、セレスが外套の中で身体を動かした。
「いつまで見ておるんじゃ」
「兵がいないか確かめてるんだよ」
「先ほど追い回されたばかりじゃからな」
「そういうこと」
もう少し待ったが、王国兵がいる様子はない。俺は木立から出て村へ向かい、見張りのいない門をくぐった。
村の中へ入ると、畑から戻ってきたらしい男とすれ違った。男はこちらを一度見ただけで、そのまま家の方へ歩いていく。
それだけのことなのに、少し気になって振り返った。
男は俺のことなど気にした様子もなく、家の前に置かれた桶を持ち上げている。
「……何じゃ?」
「何でもない」
店らしい建物はなかったが、一軒の家の軒先に野菜や干した果物が籠へ入れて並べられていた。近くまで行くと、家の中から年配の女が出てくる。
「旅の人かい?」
「はい。食べ物を少し買いたいんですけど」
「ああ、いいよ。大したものはないけどね」
女が籠を指した。
黒パンと干し肉、それから干した果物をいくつか選ぶ。値段を聞いて硬貨を取り出すと、女は俺の手の中をちらりと見てから代金を受け取った。
「一人で旅してるのかい?」
「……まあ」
「若いのに大変だねえ。どこまで行くんだい?」
「まだ決めてないです」
「決めてない?」
女が笑った。
「若いってのは良いね。でも、この先はしばらく小さい村ばかりだから、必要なものがあるならここで持っていった方がいいよ」
「ありがとうございます」
ただの世間話だと分かっているのに、何のために行き先を聞いたんだろうと考えてしまった。
女は代金をしまうと、横にあった籠から赤い実を二つ取り出した。見るとどちらも表面に小さな傷がある。
「これも持っていきな」
差し出されても、すぐには手が動かなかった。
女が俺の顔を見る。
「いらないのかい?」
「いや……もらっていいんですか?」
「傷があるから売り物にならないんだよ。味は変わらないから、旅の途中で食べればいい」
「あ、ありがとうございます」
受け取ると、女はもう俺には構わず、軒先の籠を並べ直し始めた。
俺は買ったものを背嚢へしまい、村を出た。
門を抜けてしばらく歩き、人影がなくなったところでセレスが外套から這い出してきた。肩まで上がると、俺が手に持っている実を見る。
「それ、食わんのか?」
「食べるよ」
「先ほどからずっと持っておるではないか」
俺は手の中の実を見る。
傷んでいるのは表面だけで、変な匂いもしない。
「……先ほどの女まで疑っておったのか?」
「疑ってたっていうか」
「すぐに受け取らなかったじゃろ」
図星だった。
実の傷を親指でなぞりながら歩く。
「仕方ないだろ」
「何がじゃ」
「だって、分からないだろ。本当は何を考えてるのか」
セレスは何も言わなかった。
「道を教えてくれた人だって、悪気はなかった。でも、その人から聞いた話で兵が追ってきた。さっきの人だって、ただ親切で実をくれただけなのかもしれないけど……」
そこまで言って口を閉じた。あの女は代金を受け取って、売り物にならない実を二つくれただけなのに。
「じゃが、食うんじゃろ?」
「食うよ」
「なら一つよこせ」
「何でだよ」
「二つあるではないか」
セレスが肩の上から手元へ前脚を伸ばしてくる。
「お前、その身体で一個食えるのか?」
「わしを誰だと思っておる」
「元魔王と食べる量は関係ないだろ」
セレスがしつこく前脚を伸ばしてくるので、一つ渡した。
抱えるようにして実を受け取ったセレスが、その場で皮ごと齧る。
「……少し酸っぱいのう」
「もらったものに文句言うなよ」
俺も残った方を齧った。
確かに少し酸っぱい。それでも、ずっと保存食ばかり食べていたせいか、思っていたよりうまかった。
しばらく道なりに進んだところで、森の中を流れる沢が見えてきた。日もかなり傾いている。
「暗くなる前に、寝られる場所を探した方がいいな」
「この辺りは低い。もう少し先へ行った方がよかろう」
「何で?」
「沢が近いじゃろ。夜になれば湿る」
俺は周囲を見回した。
「じゃあ、もう少し行くか」
それから三十分ほど歩き、少し高くなった場所で野営することにした。
枯れ枝を集めて火を起こし、村で買った黒パンと干し肉を取り出す。セレスも外套から出てきて、火のそばに陣取った。
干し肉を切り分けていると、横からセレスが覗き込む。
「またそれか」
「今日買ったばかりだぞ」
「そうではない。また干し肉なのかと言っておる」
「保存できるものを買ったんだから仕方ないだろ」
「たまには焼いた肉でも食いたいのう」
「町や宿場を避けようって言ってるのに、どこで食うんだよ」
「何か狩ればよかろう」
「簡単に言うな。食べられる獲物が都合よく出てくるとは限らないだろ」
セレスは不満そうだったが、それでも渡した干し肉は受け取り齧り始めた。
火の向こうで小さな口を動かしている姿を眺めていると、昼間の村のことを思い出した。
「あの人、本当に何もなかったんだよな」
「誰じゃ?」
「村の人。実をくれた人」
「ああ」
「普通に親切にしてくれただけだった」
セレスは干し肉を噛みながら、こちらを見る。
「だから何じゃ?」
「……いや」
少し考えてから、黒パンをちぎった。
「俺、ああいうのまで疑うようになったんだなと思って」
「では、次に同じことがあれば何も疑わず受け取るのか?」
すぐには答えられなかった。
「それは……分からない」
「なら、それでよかろう」
「いいのかよ」
「わしに聞くな。人族のことじゃろう」
「適当だな」
「人族のことを、わしに聞く方が間違っておる」
そう言って、セレスは残っていた干し肉を勝手に取った。
「それ俺の分だぞ」
「もうわしのじゃ」
「勝手に決めるなよ」
取り返そうとすると、セレスは肉を咥えたまま火の向こうへ逃げた。
黒蜥蜴相手に何をやっているんだと思いながらも、結局その日は残ったパンだけで腹を満たした。
翌朝。
火を消して野営の跡を片付け、昨日見つけた細い道を進んだ。
森の中はまだ薄暗く、朝露で濡れた葉がところどころ光っている。セレスは外套の中に入り、俺も周囲に人の気配がないか確かめながら歩いていた。
しばらくすると前方から馬のいななきが聞こえ、続いて何かが激しくぶつかる音がした。
俺は足を止める。
「何じゃ?」
セレスが胸元から顔を出した直後、森の向こうから男の叫び声が響いた。
「誰か! 助けてくれ!」
俺は声のした方を見た。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




