第19話 食堂の片隅
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
店を出たあと、俺たちは宿を探しながら町の中をしばらく歩いた。
王城を逃げ出してからずっと空いていた場所に重みが戻った。剣が腰にあるだけで、随分違う。
街道沿いには二軒ほど大きな宿があったが、どちらも馬車が何台も停まり、人の出入りも多い。少し迷って、一本裏の道にあった小さな宿へ向かう。
「随分選ぶのう」
胸元から小声がする。
「人が少ない方がいいだろ。それに、宿の相場も分からないし」
「なら、安そうなところから聞いて回ればよかろう」
「あんまり何軒も入るのも目立つだろ」
宿へ入ると、女将らしい女性がこちらを見た。
「泊まりかい?」
「はい。一晩お願いします」
「一人?」
「……一人です」
胸元がもぞりと動いたが、今は無視する。
「夕食と朝食を付けるなら、大銅貨三枚だよ。食事はそこの食堂で出すからね」
店で替えてもらった大銅貨を三枚出す。女将はそれを受け取り、部屋の鍵を渡してきた。
案内された部屋は二階の一番奥だった。寝台と小さな机があるだけの狭い部屋だが、扉にはちゃんと鍵が付いている。
女将が出ていき、廊下を歩く足音が遠ざかってから外套を開くと、セレスが寝台へ飛び降りた。
「ようやく出られたわ」
「夕飯のときはまた入ってもらうけどな」
「……部屋で食えばよかろう」
「食事は下の食堂だって言ってただろ。お前の分は何か持ってくるよ」
夕食の時間まで部屋で休み、日が落ちる頃に一階へ降りた。
食堂には十人ほどの客がいた。商人らしい男たちが酒を飲み、旅装の夫婦が向かい合って食事をしている。空いている席はいくつもあったので、俺は壁際の一番端を選んだ。
運ばれてきたのは、肉と豆を煮込んだものに焼きしめたパン、それに水だった。湯気の立つ煮込みからいい匂いがする。
腹は減っていた。
スプーンを取ったところで、少し離れた席から声が聞こえた。
「王都じゃ、もう――」
手が止まる。
そちらを見ると、二人の男が荷物の値段について話していた。
「王都じゃ、もう少し高く売れるんじゃねえか?」
「運ぶだけで金がかかるだろ」
俺とは何の関係もない。
煮込みを口へ運び、今度こそ食事に集中しようとしたが、しばらくすると別の卓から「魔王」という言葉が聞こえてきた。
「魔王が討たれたって話、本当なのかね」
「王都から来た奴が言ってたんだ。間違いないだろ」
「じゃあ、戦もようやく終わるか」
男たちはどこか嬉しそうだった。
俺はスプーンを持ったまま、その会話を聞いていた。
「勇者様がやったんだろ?」
その言葉に、思わず顔を上げる。
話していた男の一人と目が合いそうになり、すぐに皿へ視線を戻した。
何をしてるんだ、俺は。
誰も俺を気にしている様子はないし、名前だって出ていない。それでも「王都」や「魔王」という言葉が聞こえるたび、耳が勝手にそちらへ向いてしまう。
煮込みをもう一口食べたところで、近くの席にいた老人と目が合った。ただそれだけなのに、なんだか落ち着かなかった。
結局、半分ほど食べたところで女将を呼び、残りを部屋へ持っていってもいいか聞いた。少し不思議そうにはされたものの、木の盆ごと持っていって構わないと言われた。
「食べ終わったら、盆は廊下に出しといておくれ」
「分かりました」
礼を言って食堂を出る。
部屋へ戻って鍵を掛けると、胸元からセレスが這い出してきた。
「やっと飯か」
寝台の上へ飛び降りたセレスは、真っ先に俺が持ってきた盆へ近づいた。
「随分うまそうではないか」
「食べるならこっち来いよ」
小皿に煮込みを分けてやると、セレスはすぐに食べ始めた。俺も机の前に座り、残っていたパンをちぎる。
「それにしても、お前」
セレスは肉を飲み込んでから俺を見た。
「食堂では随分挙動不審じゃったな」
「挙動不審って……」
「王都と聞けば手を止め、魔王と聞いてまた止まる。勇者と聞いたときなんぞ、身体まで動いておったぞ」
全部気づかれていたらしい。
「仕方ないだろ。気になるんだから」
「気になるのは分かるが、あれではかえって目立つぞ。聞くなら黙って聞いておれ」
言い返そうとして、やめた。近くにいた老人と目が合ったのも、俺が何度も周囲を見ていたせいかもしれない。
「……分かった。気をつける」
セレスはそれ以上言わず、また皿へ顔を向けた。
「次からは部屋で食べさせてもらおうか。食堂じゃお前も食べられないしな」
「それは大問題じゃ」
「そっちの方が大事なのかよ」
答える代わりに、セレスは残っていた肉へ噛みついた。
俺も少し笑って、冷めかけた煮込みを食べる。さっきまで同じものを食べていたはずなのに、部屋へ戻ってからの方がずっと食べやすかった。
しばらくして、セレスが俺の腰の小袋へ目を向ける。
「そういえば、金はあとどれくらい残っておるんじゃ?」
「ちょっと待って」
小袋を開けて中を確かめる。
「銀貨が十四枚、大銅貨が九枚。銅貨が十二枚と、小銅貨が五枚だな」
「それだけか」
「剣も買ったし、さっき宿代も払ったからな」
これからも食料はいるし、毎日野宿というわけにもいかない。
「このままじゃ、いつまでも持たないな」
「ようやく気づいたか」
「何とか金を稼ぐ方法も考えないと」
セレスが少し考えるように首を傾けた。
「逃げながらか?」
「……そこなんだよな」
剣を使う仕事ならできるし、魔物を倒すことだってできる。ただ、目立たずに金を稼ぐとなると話は別だった。
食事を終えると、盆を廊下へ出し、買ったばかりの剣を寝台の脇へ置いた。
森で野宿するよりずっと安全なはずなのに、鍵のかかる部屋にいても、廊下を誰かが通るたびに足音が気になった。
それでも身体は疲れていたらしく、横になるとほどなく眠りに落ちた。
翌朝、俺は食堂へ朝食を取りに行った。女将に部屋で食べたいと伝えると、パンと卵、それに温かいスープを盆に載せて渡してくれた。
部屋へ戻ると、待っていたセレスがすぐに寝台から降りてくる。
朝食をセレスと分けて食べる。昨日の食堂とは違い、周りの話し声を気にする必要もない。
「こっちの方が楽だな」
俺が言うと、パンを齧っていたセレスがこちらを見る。
「人族に囲まれて食うより、わしと二人の方が落ち着くということか?」
「変な言い方するなよ」
「事実じゃろう」
返す言葉が思いつかず、俺はスープを飲んだ。
朝食を終え、背嚢を背負って宿を出る。
朝の空気はまだ涼しく、街道ではすでに何台もの荷車が動き始めていた。
昨日より多い気がする。
大きな木箱や布をかけた荷を積んだ馬車が、次々と町を抜けていく。通り過ぎる馬車を見ていると、そのほとんどが同じ方角へ向かっていることに気づいた。
「随分多いのう」
胸元からセレスが呟く。
「ああ」
俺たちも町を出るため街道へ向かう。前を走る荷馬車も、そのさらに先を行く馬車も、どれも王都とは反対――魔族領のある方角へ進んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




